もしかして、女じゃねぇの?
埼玉県北部、F市にある青葉台小学校に通う六年生の白杉知之は体育の授業が嫌だった。
身長は女子の平均より低い142センチで運動が苦手という事もあるが、着替えを見られるのを極端に嫌がっていた。
もともと無口で、クラスには友だちが一人もいない。
同じ理由で修学旅行にも参加しなかった。
『また今日も体育ズル休みかよ。お前、もしかして女じゃねぇの?』
口うるさい男子の黒川がからかう。
知之は特に黒川みたいなタイプが嫌いであった。
体育の授業がある日は学校を休む事もあったが、勉強は嫌いでは無いので他の授業を休むのは極力避けたかった。
が、もうすぐ12月というある日、事件は起こった。
体育の授業を休んだ後、黒川が知之の席にやって来た。
『また体育休みやがって。お前、本当はち○ちん付いてねぇから着替え出来ねぇんじゃね?』
『……そんな事無い……』
か細い声を絞り出して知之は反論する。
『声まで女みたいだな。だったらズボン脱いで見せてみろよ。』
着替えを終えてクラスの女子達が戻ってきて騒ぎは大きくなった。
『黒川、止めなよ!』
制したのは小柄ながら元気な菊池奈々だった。
菊池奈々は普段話をする訳ではなかったが、この様な騒ぎがあるといつも一番に止めようとやって来る。
『うるせえ!』
黒川が知之の服を掴んで離さない。
奈々が手を出して止めようとした所、バランスが崩れて知之は机の角に頭をぶつけた。
『きゃー!』
囲んでいた女子の誰かが叫んだ。
『大丈夫、白杉くん?』
普段は男子にも女子にも相手にされる事の無い知之であったが、さすがにこの時はみんなが心配してくれた。
蹲っている知之の元に駆け付けたのは保健係の原田美久だった。
『血が出てる。白杉くん、大丈夫?』
頭を切った様だ。
『……ちょっと痛いけど大丈夫です……』
『保健室行こ!』
原田美久は誰かが具合悪くなったりケガをすると授業中だろうが休み時間だろうが必ず保健室に付き添ってくれる。
なんでも母親が看護師で自分も将来は看護師を目指しているらしい。
身長も160センチ近くある様で母親の様な世話好き女子だ。
騒ぎの収まらない教室を出て二人は保健室に向かった。
『本当に大丈夫、白杉くん?』
『うん、……ありがとう、ごめんね。』
『白杉くん、自分が被害者なのにごめんねだなんて優しいね。』
美久が笑う。
ほとんどクラスの生徒とは会話をしない知之であるが、母親の様な包容力のある美久に対しては多少の受け答えは出来る。
『でも白杉くん、可愛いからヤキモチ焼かれてるのかも?』
『…可愛いって……』
『あ、ごめん。』
美久は知之がキズ付いたと思って謝った。
『でもね、誰とも話しないから女子はみんな近寄らないんだけど奈々とか良く白杉くんの事可愛いって言ってるよ。もしかしたら奈々、白杉くんの事好きかも?』
知之の顔が赤くなった。
『…そんな事……』
たしかにいつも騒ぎになると奈々は助けてくれるが小学六年生の知之には恋心は分からない。
それより知之には別の感情を抱いていた。
『……女の子、良いな……』
『え?なんか言った?』
知之の呟きは美久には届かなかった。
美久は保健室の扉を開け、山本香奈子先生に声を掛けた。
『先生、白杉くんが頭から血を出したんです。』
『どうしたの?ケンカ?』
美久は一部始終を香奈子に話した。
白衣を着た香奈子は化粧っ気が無く、さっぱりした性格だが美久は慕っていた。
『瘤が出来ているわね。消毒するから滲みるけど我慢して。』
傷付いた知之の頭に消毒液を付けて、ガーゼで押さえる。
『いっ……』
『しばらくここで休んで今日は早めに帰った方が良いわね。』
『じゃあ、私後で白杉くんのかばん持って来ます。』
香奈子と美久の息がぴったり合っていて師匠と弟子といった感じである。
教室に戻った美久がかばんを持って来るまで、香奈子と二人だけになった。
『苛められたの?』
美久から話は聞いたとは言え、本人からも事情を聞かなければ分からない。
『……はい……。でも、自分がはっきりしないから悪いんです。』
『苛められた方が悪いって事は無いのよ。』
『黒川くんの言った事、本当の事だから言い返せなくて……』
香奈子は目を丸くして驚いた。
身体検査の記録がしっかり残っているのに目の前の男子が本当は女の子な筈は無い。
『それって、まさか?』
知之はハッと気付いた。
自分は男でいる事が苦痛で本当は女の子になりたい…
それを言ったら楽になるかもしれない。
でもそれこそ大騒ぎとなってしまう。
『なんでもありません…』
香奈子はそれ以上聞く事は無かった。
『でも、誰にも言えない事、もし先生に言えるなら言って構わないからね。秘密は守るから。』
知之は黙って頷いた。
程なくして美久がかばんを持って来たので知之は一人下校したが、次の日から引き篭もりとなり学校には行かなくなってしまった。