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2017年/短編まとめ

佳話:耳越せ

作者: 文崎 美生

羽衣(ハゴロモ) (メイ)が小説を一本読み終わった頃、昨晩から降り続いていた雨がようやく弱まり始めた。

窓を叩く雨粒が、その勢いを僅かながらでも弱めた気配に息を吐く。

帰るのならば、今だろう。


普段から使っているリュックに、すこん、と小説を入れた鳴は、ゆっくりと立ち上がり、人気の無い薄暗い教室を後にした。

一人分の足音がやけに響く廊下。

普段ならば運動部の掛け声も聞こえてくるが、生憎の雨で、運動部の殆どが休みになったらしい。

一部の部活は、体育館を使用しているとか、いないとか。


誰ともすれ違うこと無く生徒玄関へ辿り着けば、何故かそこには先客がいた。

玄関の隅にちょこん、と座った後ろ姿には見覚えがあり、絹糸のような白銀の髪が床まで垂れている。

その髪に同化するような汚れ一つない白衣も、割と普段から目にしていた。


「……シロ?」


白銀の髪が揺れ、振り向いたのは鬼童(キドウ) 真珠(マシロ)で、にゃあ、返事をしたのはその膝に居座る三毛猫だった。

先客がもう一人ならぬもう一匹いたことに目を見開いた鳴が、それを隠すように眼鏡を押し上げる。


「こんな所で、何をしているんだ?」


足音を立てて距離を詰め、斜め後ろでしゃがみ込めば、うん、と真珠が頷く。

その白魚のような指先は、膝上を陣取ったままの三毛猫を撫でる。

カリカリ、首元を擦られる三毛猫は、満更でも無い様子で喉を鳴らす。


「兄さんを待ってるの」


白銀の髪に良く映える黒い瞳に鳴の姿を映した真珠は、双子の兄である鬼童(キドウ) 玄乃(クロノ)を思った。

今頃せっせと溜まった生徒会雑務を粉していることだろう、と真珠は言う。


「あぁ、クロは書記だもんな」

「そう。兄さんが傘、持ってるから」


真珠が鳴から目を逸らし、生徒玄関から見える外の様子を見やる。

雨は小降りになったものの、未だ降り続いていた。


三毛猫を撫で続けている真珠は、自分の傘を持っておらず、玄乃の傘に入って来たと言う。

昨晩から降り続いている雨だ、当然朝の登校時間も降っていたが、態々二人で一つの傘を使っているらしい。

仲の良い双子、というには度が過ぎている気もするが、それを口に出す程、鳴も思慮浅い人間ではなかった。


そうして話題を変えるために「それじゃあ、その猫は?」と欠伸をしている三毛猫を見下ろす。

鳴が気紛れに手を伸ばせば、欠伸で剥き出しになっていた歯を向けて威嚇してくる三毛猫は、可愛さの欠けらも無い。


その癖、鳴が手を引っ込めれば、真珠の小さな手に頭を擦り付け、撫でることを要求する。

余計に可愛くない、と鳴は眉を寄せた。

そんな鳴に肩を竦める真珠は、先程の質問に答える。


「学校に住み着いてるみたいだよ。自分が外に出ると、何処からともなく現れる。とっても、神出鬼没」

「それは、また……。好かれてるな」

「うん。好かれてるよ」


鳴はいつか猫の集会のド真ん中に、真珠の姿を見掛けたことを思い出し、一人納得する。

三毛猫に黒猫に白猫に、尻尾が短い猫に長い猫に、毛が長い猫に短い猫と、多種多様な猫に囲まれていた友人を目にした時には、何事かと思い、暫く様子見の為に見守ってしまった。


その後の本人からの状況説明では「お呼ばれだよ」と冗談とも本気とも付かない顔で、サラリと答えられたのだ。

あまりその件に関して、深く突っ込むことは無かったが、事実、真珠は猫に限らず色々な動物に好かれる。

それこそ、動物園などの触れ合いコーナーへ向かった際には、動物に埋もれて姿が見えなくなるのだ。


「鳴くんは、本でも読んでた?」

「あぁ。読み終わった上に、雨も小降りになったからな」

「そう。じゃあ、もう帰るんだ」

「……いや、折角だから待ち合わせに付き合おう」


三毛猫の要求に従い、ゆるゆるとそのしなやかな体を撫で付けている真珠に、一人納得したように頷いた鳴は、真珠の真横に移動する。

そして浮かばせていた腰を下ろす。

ぱちぱち、一度二度と瞬きをした真珠は、静かに目線を雨の降る外へ向けた。


「そう」か細い声に「そうだ」力強い返答が返される。

その後直ぐに持ち直したような真珠の声音が、軽やかに人気のない生徒玄関に響く。

猫は柔らかな手で顔を擦った。


「それじゃあ、折角だから、雨と猫に纏わる話をしよう」


空いた手で自身の膝を打った真珠。

それに目を瞬く鳴。

三毛猫は顔を上げ、まるで賛成だというように、にゃあ、と鳴いた。


***


ある村には猫が沢山いたそうだ。

冷御飯に味噌汁を掛け、出汁の残りの煮干しを乗せるような、そんな質素な人の残り飯だが、毎日毎日食べさせ世話をして、大変可愛がっていたとのこと。


しかしある夏、酷い日照りで池の水が一滴も無くなってしまった。

村人は一人、二人と他所へ逃げ、人よりも猫が多い位になったそうだ。

残った村人は何とかどうにか耐えていたが、とうとう水瓶に貯めていた水も底を付いてしまう。


その、ほんの少し水瓶に残っていた最後の一掬いは、人が喉を潤すには足りぬ量で、村人達は猫に飲ませてやった。


猫はちらちらと村人を見ていたが、最後は綺麗に水を舐め取った。

すると次の日、村の猫が一匹残らず姿を消したのだ。

村人は揃って猫もとうとう逃げ出したのか、と思っていたが、その中の一人が「何か声が聞こえないか」と言い出す。


探してみると、それは枯れてしまった池の方からするようだ。

村人が顔を見合わせながら行ってみると、そこには村から出たと思われた猫がいて、驚くような光景が広がっていた。


「みみこせ、みみこせ」


歌っている猫達は、枯れた池の底で、ずらり、円陣を組んでいる。

そこで揃いも揃って、せっせと顔を洗っていた。

何十もの猫が同じ調子で手招きしているようだ。


「雨よふれふれ、雨よ降れ」

「みみこせ、みみこせ」


村人達が唖然としてそれを見ていると、そのうちもくもくと暗雲が何処からともなく集まってくる。

そして、ポツン、ポツン、と雨が降ってきた。

猫達が歌えば歌う程、その手が耳を越す度に雨はザァザァと雨脚を強めていく。


「みみこせ、みみこせ」

「水よこいこい、水よ来い」

「みみこせ、みみこせ」

「雨よこいこい、雨よ来い」

「みみこせ、みみこせ」

「御恩返せや、みみこせみみこせ」


雨で田畑の土が黒く湿り、死に掛け萎れていた草木が息を吹き返していく。

一昼夜降り続けた雨は、枯れた池をいっぱいにして止む。

つまり、草木同様に死に掛けた村が生き返ったのだ。


そして村人達は今も毎日、煮干しを乗せたねこまんまを分けている。

ただ一つ、前と大きく変わったことといえば、もう村には猫が一匹も居らず、そのねこまんまは大きな供養塚に供えられている、ということだ。


***


「……何してんだ。二人して」


ぱたり、一つの足音が聞こえ、振り向いたのは真珠だった。

相変わらず膝の上には三毛猫がいて、こしこし、と柔らかな手で顔を擦っている。


「兄さん。それに、鈴ちゃん」


振り向いた真珠がその双眼に映したのは、待っていた双子の兄である玄乃の姿と、友人である(オオトリ) (リン)の姿だ。

小首を傾げた真珠が「鈴ちゃんも残ってたんだね」と声を掛ければ、首に引っ掛けたヘッドフォンを揺らす鈴が「生徒会顧問に捕まって……」と歯噛みした。


つまり、帰宅しようと廊下を歩いていたところで、声を掛けられ、捕まり、生徒会の雑務を手伝わされていた、ということだ。

生徒会に関わっているのは玄乃だけだが、如何せん常に人手不足を投げていているらしい生徒会、兄妹だ友人だとあれば手伝いを申し込まれることは多い。


どんまい、という意味合いで、南無、と両手を合わせたのは真珠だった。

その姿を見ながら、横目に振り向かない背中を見て声を上げたのは玄乃だ。


「ところで、鳴は何してるだ?」

「ん?」


玄乃の言葉に、真珠が隣の鳴を見た。

いつも掛けている黒い縁付き眼鏡を、額の方に押し上げている鳴は、目元を片手で覆って隠している。


「泣いちゃった」


あっけらんとして答える真珠。

「何でだ」「何で?」玄乃と鈴の声が重なり、真珠が曖昧に笑い、白銀の長い髪を揺らすように小首を傾げる。


んなあぁ、鳴いたのは三毛猫で、こしこしと顔や耳を擦り、ゆったり時間を掛けて真珠の膝から飛び降りた。

鮮やかな桃色の肉球で玄関のタイルを踏む。

雨はもう止んでいた。

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