黒鉄の名 その2
治癒院の中にある治療室に足を踏み入れる。
ベッドがずらりと一列に並び、その向かいには道具の入った棚が並ぶ。
ベッドのほうを見れば、いくつかあるベッドのうち一つにあの少年が寝ている。
そしてその隣のベッドに腰かけているのがフードを目深に被ったアスラがいる。
あれから事情をアスラに説明し、ここに少年を運び入れて今は一心地ついたところ。
俺は心を落ち着かせるために外に出て、深呼吸をしてきたところだったが。
「余裕がねえなあ、ラルド」
その心が落ち着いた間隙を縫うように、アスラはこちらに言葉を刺し入れてきた。
そっちに顔を向ければ、天窓から差し込む月光がローブから零れ落ちた一房の銀髪を照らし、煌めかせていた。
「ああ、そうだな」
人と対峙するたびに、考えないようにしているそれを俺は口にする。
「相変わらずだ。目の前にいるのが奴らであったらどれだけ、胸が空くだろうかと、思わずにはいられない」
俺が両親を失ったのは馬車が崖から転落したからだ。
だがそれを引き起こしたのは、人だ。
人為的であるがゆえに俺の心は切に、切に復讐を望む。
だが、それは間違いなく両親が望まない道。
そのために踏み留まろうとして、自分の感情が漏れ出さないようにと生きていたら、言葉はいつしか固くなった。
だがそれも意味はなく、最終的に俺が選んだ手段は軽蔑すべきもの。
別の命に手をかけることで抑えようとする、おぞましい代替手段だった。
その末が、『野盗潰しの黒鉄』という呼称と、対人に偏った自分の戦闘技術。
本来、召喚魔法を使えるのならばアスラが揶揄したように運び屋にでもなったほうがよかったし適していた。
その道を選んでいたのならば、俺は穏やかな生過ごしていたのだろう。
運び屋としての力量もかなりのもので順調に生活を送ることもできただろう。
だが、そうはならなかった。
「いっそ、拾われずにあのまま何もかもを失っていたら楽だったのだろうな。それがいいとは決して言えんが」
「どこか他人事のように言ってんな、お前」
「そうでもないと怖くてな、今にも口を衝いて出そうだ。どうして奪われなければならない、どうしてこんな目に遭わなければならない。それを成したというのならばそうされる覚悟があるのだろう、だったらその命を一族郎党一切合切奪われたとしても文句はあるまい。……などという言葉がな」
「出ちまってるじゃねえか」
「そうだな」
笑いを返すアスラに俺は笑いを返せなかった。
常に思う。
今回のようなものを見て、『救いたい』と訴える俺の心と。
命を奪っても『足りない』と訴える俺の心の、どちらが本当の俺なのかと。
だが、その結論はとうに出ていたはずだ。
どちらも俺だ、と。
そんな矛盾した存在が俺で、足掻き続けなくてはならないのが俺なのだと。
それでもふとした時にその疑問が頭を過り、揺れる。
この心に決着をつけるのも、俺の旅の目的の一つだが……果たしてそんな時が来るのだろうか。
「ま、なんだ。お前にゃいろいろ世話になってるしな。吐き出せなくなったら吐き出せよ?」
「こっちの台詞でもあるんだがな、それは。お前も力を抜けるときには抜け。常にそれでは気が張ってしょうがないだろう」
「ん……。ありがとね、ラルド。それでも二人がいるから大丈夫だよ」
「それならばいいのだがな」
アスラの口調が柔らかいものに変わる。
いつもの口調は男を寄せ付けないためのものらしく、気を許した相手しかいない場所では元の素の口調になる。
今回は部外者が一人いるが寝ているし、この治療院は伝染病を警戒してか家屋が周囲に存在しないため人の気配もないのでそれが出たのだろう。
なお、口調を変えるというアドバイスをしたのは兄貴だったはずだ。
そのため、それの効果ほとんどないんじゃないかという疑問を俺は口にできていない。
「アスラ、お前はとっとと寝ておけ。俺は番をすることにする」
「任せた、なんかあったらとっとと起こせよ?」
「ああ、俺は治療だなんだは専門外だからな」
ベッドに潜りこむアスラを見てから、眠る少年に視線を落とす。
アスラの見立てで平気だというのならばそこまでの問題はないだろう。
それでも念のためということもあるので定期的に見ることは必要だろう。
かといってずっと少年を見て過ごすというのもそれはそれで持たない。
前にそれをやって眠気に負けたことがある、不覚だ。
「時間も無駄にしたくはない、日課をここでやってしまうか」
ベッドにうつぶせになり、腕立て伏せの姿勢をとる。
そのままゆっくりと腕立て伏せの回数をこなす。
三十回をこなしたところで今度は仰向けとなり腹筋へと移行する。
再び三十回が終われば再びうつぶせになり背筋を行い、それが終われば腕立て伏せへと戻る。
少年の様子を伺いながらゆっくりとそれをこなし続け、三巡が終わる。
ここまで少年の様子にも何ら問題はない、健やかな寝息を立てている。
「……問題はないな」
それを見てから今度はベッドから起き上がる。
あまりに激しい動きはできないが、動きの型をゆっくりなぞるぐらいはできるだろうと思い、ベッドとは反対の方向に進み、構える。
右手を握り、左手を開いた型からゆっくりと体術の型をなぞり続ける。
少年の様子を目に入れつつそれを続けていると、天窓から差し込む光が月のそれから日のそれに変わっていた。
そのまま継続していると、少年が呻きつつ目を開けて体を起こした。
周囲を見渡してからこっちを見る、鳶色の目。
「あの母娘は、どうした?」
「無事だ」
最初に聞いてきたことがそれであることにわずかな驚きを覚えつつ、返す。
ついでに質問されそうなこともそのまま続けて返す。
「ここは治療院だ。お前は牢で野盗に襲い掛かり返り討ちにあって重症だったが、そこに寝ているアスラがお前を治した。問題はないと思うが体に違和感があったら言え」
「……大丈夫だ、問題もねえ。けど、そっちは誰だよ? その動きからして、戦えるような人……冒険者なんだろうけどよ」
「旅人だ、冒険者としての登録みたいなものはしているがな。名前はラルド、そう名乗っている」
無意識に続けていた型取りを止めて、少年に体を向き直す。
予想外に冷静なのでこのまま会話を続けても問題はないだろう。
「両親はいるか?」
「殺されたよ、あいつらによ。……ちくしょう」
「そうか。ならば身の振り方は今のうちに考えておくといい」
帰る場所がないというのならば金を稼ぐ方法を見つけなければならない。
そうでなければ生きられない。
慰めの言葉かけろと、人は俺に言うのかもしれない。
だがそんなものをいくらかけたところで金にも食料にも衣服にもなりはしない。
死にそうなほど絶望しても、幾度悲劇に遭おうとも、人生というものは続いてしまうのならば言うべきは慰めではないと俺は思っている。
俺の考えが、人によっては異常と謗られるかもしれないことは理解していても、ここは曲がらない。
「冒険者、って簡単になれるのか?」
「なるだけならば楽になれる。その後生きれるかは別としてな」
「そうかよ。……土地もねえ、家もねえ、ならそれしかねえよな」
「そうして選ぶ奴は多いな。だが、家屋と畑ならば、譲ってくれると言質をもらっている」
そのあたりは昨夜、町長との話で確認をしていた。
この町はしばらく前に起きた流行病にて人が減っている。
そのため、土地と畑がいくつかあまりがあるとのことだ。
それに冒険者、というのはお勧めできない。
身一つで金を稼げる職業でもあるが、実態は何でも屋というものだ。
数ある依頼があり、それを受けてこなすことで報酬をもらう。
危険な場所にある薬草の採集だったり、魔物の討伐だったり、遺跡の調査の手伝いや護衛、様々な依頼があるが共通していることは一つ、何かしらの戦闘能力を持たずにやれば命はあっさりと消えるということだ。
「それでもさ、なりてえんだよ、冒険者に」
「なぜだ? 死にたいのか?」
「それでもいいって思ってたけどよ。だけどな、今回命があってな、よかった、なんて思っちまったんだよ俺は。笑っちまうだろ、覚悟してたのにそれが拍子抜けてそのまま安堵してるとかよ」
俺よりも年下の少年の顔には目じりを下げたまま軽く笑う、自分を情けないと思ってそれでも笑ってる、そんな顔があった。
「ああ、所詮あの時の覚悟なんてのは"それ以外に道がないから"っていう言い訳があって初めてできた覚悟なんだよ。やけっぱちだ、畜生畜生って口にして、理屈こねた損得勘定でごまかしたもんだったんだよ」
だが、その目は、まっすぐにこっちを見ていた。
「そんなもんをどかしてみたら、怒りが残ってたんだよ。なんでこんなことになったんだ、俺らが悪いことでもしたのかよって。そんな理不尽どこにでも転がっていてどうしようもねえのはわかってんだけどよ」
その少年は拳を握っていた。
「だからって抗おうと、しない理由にはならねえからよ。やってみようと、そう思うんだよ。あの母娘は目の前にいたから何かやろうとして思った。今後も同じことに遭遇しないとは限らねえ、今回手を出したのに同じようなことがあったときに手を出さないなんて選択肢は俺にはねえよ。理屈に合わねえ、嫌いなんだよそういうのは」
だから、と彼は呟いて。
「力が欲しいんだ。あんたみたいな、冒険者としての力が」
「俺みたいな、のはやめておけ」
眩しかった、そんなまっとうな理由で目指す少年が。
俺が選んだ理由の大きなものは、抱えた復讐心を抑え込むための代替行為が一番行いやすいからというものだったのだから。
決して、ミシェルの治療法を探すために冒険者となったというのも嘘ではない。
その理由も大きいのも確かだ。
だが、恐らく始まりは復讐の心から生まれた憎悪だ。
自分を見失わないためにも、その事実だけはしっかりと認識し続けなければならない。
「技術を教えろ、ということなのだろうが。生憎目的があって旅をしている最中だ。数日は滞在するがすぐにまた別の場所へ行く。ついてくるというのも俺には許可できん、旅に遅れがでてしまうからな」
理想を口にした少年の道行きを見てみたい気持ちもあった。
だが、技術を教えるにしても、連れて行くにしてもミシェルの治療法を探す旅に遅れが出るだろう。
『私の都合は別にいいよ』
ミシェルの言葉が耳元から小さく響く。
いつから見ていたのだろうか。
『私は今でもこうして旅についていろんなものを見て、聞けて、普通に生きるよりも多くのものをもらってるの。だから、大丈夫。それよりも、目の前の子に何かをあげたいって思うの。私には両親も兄妹もいる。暖かい家も、食事も、本も何もかもがある。だけども、その子には何もない』
だからと、ミシェルは続ける。
『兄さんが私たちから"もらった"と思ったものがあるならば。今度は兄さんが誰かに"渡す"番になっても、いいと思うんだ』
俺は、両親を失い、家を失い、友人も何もかも失った。
谷底に血まみれで横たわり死を待つ俺が自力で得たのは復讐心だけ。
その後に、家族の温もりや、家をくれたのは……。
俺が復讐に駆られた獣にならずに、踏みとどまろうとできているのは。
間違いなく、今の義理の家族がくれたものだ。
「……そう、か」
『それに、さっきの理由だと私が原因でその子が変な冒険者に騙されたりする可能性を作ることになるでしょ。それだと私夢見悪いもん。だったら、ここで面倒見るか、旅に同行させてあげるかしてよ。正直、私今の旅楽しんでるし』
最後の言葉、それでいいのかミシェル。
中々重大なことを抱えてると思うんだが。
『それに兄さんは約束を破らない人だからね。絶対に治療法を見つけてくれるって信じてるし』
それでいいのかミシェル。
俺にかかるプレッシャーがとても強いんだが。
とはいえ、義妹の言葉を聞き入れない選択肢はない。
「……そうかよ。そううまくはいかねえか、畜生……これからどうしたらいいんだ」
そうぼやいた少年に、俺は口を開く。
多少、気まずい思いは感じながら。
「悪いが前言の撤回だ。選べ、ここで数日技術を教えるか。それとも、命の危険を抱えて俺達の旅についてくるかを」
「は……何言ってるかわかんねえけど。あー……結局俺に色々教えてくれるってことでいいのかよ?」
「ああ」
「なら、旅の理由を聞いてもいいか?」
「詳細は後で話すが。妹が原因不明の症状を患っている。それを治療する方法を探して旅をしている、というところだ。今のところは命に別状はないがな」
「いいのかよ、それについて行ってもいいなんて」
「妹から、説得されたからな」
「……どういうことだよ?」
「後で説明する。実際に目にしたほうが早い」
今は朝だからミシェルの姿を見せることができない。
仕方がないので夜まで説明は遅らせることになるだろう。
「なんにせよ、さっさと選べ」
「……助けられた恩もある、しかもこんな厚かましい願いをきいてもくれたんだ。だったらよ、最初は足手まといかもしれねえけど、絶対に強くなって旅を助けて恩を返す。だから、ついていかせてくれ、頼むよ」
ベッドの上で、残る痛みに顔をしかめながらも頭を下げた少年を見る。
俺は殺すために冒険者の道を選び、彼は救うために冒険者の道を選んだ。
行きつく先がどうなるかはわからないが、もしかしたら彼がそうやって生きているのを見て、俺の復讐心と決着をつけることができる、何かを得ることができるかもしれない。
だがそれはそれとして、俺が"もらった"ように、"渡し"たいと、そう思っている。
「わかった。さて、今回限りの付き合いでないのならばそっちの名前を教えてくれ」
「ああ、俺はロイだ。ただの農民で、農具と包丁以外の刃物は持ったことねえけど、よろしく頼む」
そうして、アスラ以来になる旅の同行者が増えることになった。
旅に同行する主要人物も出そろい、ラルドの抱えるものも明らかになるここまでがプロローグとなります。
復讐の心を抱えつつもそれを諦めたいラルドの旅が次回より本格的に始まります。