北の町へ その4
見知った顔の遺体を見ることは、今までの人生の中でいくつもあった。
その一番最初は自分の両親だった。
馬車の中で会話をしていたと思ったら、急に発生する衝撃。
気が付けば目の前に、馬車につぶされて物言わぬ肉の塊と化した両親。
両親だと判別できたのは、その馬車に乗っていたのは家族だけだったことと、まだ顔の原型はとどめていたからだ。
そういえば今回も馬車だったか、と昨日の馬車の中での出来事を思い出す。
□□□
「お一人で旅を?」
「ああ、探し物があってな」
幌馬車の中、御者台に近い位置で向かい合って母娘と話をする。
助けた女の子は微笑む母親の膝上にちょこんと座っている。
二人とも質素ながらも作りのしっかりとした服を着ている。
貴族ではない者が着る中で、一般的な服だ。
「探し物ですか、差支えなければどのようなものでしょう?」
「隠すほどのものではない。衰弱する体の治療法の全般だな」
「そうでしたか……」
それきり彼女は口を開かない。
おそらくこっちを気遣っているのだろうが、別に隠すほどのものではないので俺から口を開く。
「妹が臥せっていてな。医者も匙を投げたが、俺は投げ出したくはなかった」
諦めなければ何でも叶うほど甘くはない。
だが、ベッドに横たわり心配をかけぬようにと笑う彼女の姿を思い出すたびに、思うのだ。
この光景をいつまで続けるのか、それでいいのか、と。
「妹さんがいるのですね」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんだったんだね」
「ああ。皆から可愛がられていてな、兄達もこの旅に同行するといってきかなかった。もっとも俺と違って自由に動けなくて悔しそうに見送ってくれたが」
俺の言葉にくすりと笑う母親。
あえて言わなかったが、その悔しがる様子……もとい起きた出来事を見ていればそう笑えたものではなかった。
いや、当事者でなければ笑えたかもしれない。
「それにしても引っ越しとは、どこまでだ?」
「サラードの北にある小さな町に根付こうかと。山が近い場所のほうが、体にいいかもしれないと」
「山が近くにあるんだって、早く見たい!」
はしゃぐ娘の頭を撫でながら、そうねと相槌を打つ母親。
その光景は微笑ましい、と思えるものだ。
体にいいというのは、母娘のどちらかの話だろう。
そこまで踏み込むのはよくはないと思い、口を開く。
「そこまでならば、夜になるまでにつくかは怪しいところか」
「ははは、気が抜けませんよ」
こっちの会話が聞こえていたのか御者台にいる父親が笑う。
顔を御者台に向ける。
「そうか。サラードまでであれば、男手が入用ならば言ってくれ。できることであればやろう」
「娘を救ってもらったのにさらに迷惑をかけるわけには……」
「気にするな。礼節には礼節で返す。助けた、というのもあるかもしれないが俺をこうして受け入れて乗せてくれた。それに対する返礼のようなものだ」
見ず知らずの旅人という、野盗になるかもしれないものをこうして大事な家族と同じ馬車に乗せているのだ。
安全を考えるのならば、褒められた行動ではないだろう。
だがそれを考えてもなおも、そうしてくれたのならばそれに応えたい、そう思う。
「ならそれまで娘の話し相手になっちゃくれませんか? 中々町の外の話というのは聞けないものでして」
「語りは下手だが、それでもいいならば」
「お願いします」
俺と父親の話を聞いていたのか、娘がこっちに期待するような目を向ける。
母親のほうは軽く頭を下げているものの、好奇心を少しではあるが抱いているのが垣間見える。
さて、何を話そうかと考えつつ口を開く。
「そうだな、滝はわかるか? 川の途中に落差があった場合に水が派手に落ちるんだが。あれが逆さまになった滝を見たことがある」
「滝なら見たことあるよ。え、でもそれが逆さまって空に水が行っちゃうの?」
「ああ、その水は途中でまた落ちるんだがな。極端な弧を描くようになっていて、離れたところに落ちる」
「へー、なんで?」
「それはな……」
そこからさまざまな話をした。
サラードの北にある町……この家族の目的地よりもさらに向こうにある町の話をしたら、寒いのは嫌いだと言って娘は母親に引っ付いたり、父親は何とかなるだろうと笑う。
砂漠にある村での話をしてやれば、想像つかないのか娘は唸り、そんな頭を母親は笑って撫でている。
幸せな光景だった。
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幸せな光景だった。
俺の目から見て、幸せだった。
だがそれはもう二度と訪れることはない。
一度失ったものが戻ることは、ほとんどない。
この世界は俺を含めた汚泥に塗れている、その中でもまだ輝くものがあるのだろう。
だが死ぬのは、人の醜い面に巻き込まれた善良な人間だ。
それがこの世界の常だと、俺は思っている。
だが、それでも。
「……ああ、何度目だろうな」
見知らぬ者の幸せを願えるほどの心の広さなどは持ち合わせていないが、そんな人間でも。
世界に住む多くの人間に対して、嫌悪感を抱いている人間でも。
黒く強い感情を常に抱いている人間でも。
ほかの人間よりも力がない、そんな人間でも。
ただ自分が嫌だからという勝手な理屈で誰かを助けたいなどと、夢を見てもいいだろう。
「ミシェル、アスラ、悪い」
ついてきているであろう義妹と町に向かい黙々と歩き続けている傍らの同行者に声をかける。
できるかぎり、という括りであるのならばこの先の町の衛兵に告げるまでだろう。
数人で大人数相手にぶつかって勝てるはずがないのだから。
それが確実で、『多少の時間』はかかるが救われる。
だが、それでも。
その『多少の時間』がどれだけのことを引き起こす可能性があるのか、俺は知っている。
「捕まってる奴を連れ出すぐらいまで、やろうとしてもいいか? 一人でも動くつもりではあるが」
「むしろそこまでやるもんだと思ってたぜ、過去の実績からいってよ?」
『兄さんのことだからね。衛兵に相手の潜んでいる場所を伝えた上で、その前に中の人だけ救出って感じでしょ?』
「……すぐ動いてくれるのならば協働するつもりだがな」
仕方のない奴だ、と言いたげな二人の返答に憮然とする。
俺はそこまで無茶をやってはいないはずだ。
一対多となる状況はできる限り避けてもいる。
「そこは衛兵の判断による。捕まった人間の被害を軽微にすることをとるか、いる人間の捕縛を優先するか、だ。協働を許してくれるかも問題だがな」
「なんにせよ、一人で動くのは無茶が過ぎるとは思うけどな? お前の場合過去にそれやってっけど」
「必要だったからな」
『私もサポートしたからねあの時は』
「ああ、それがなければ無理だ」
ミシェルの斥候能力は高い。
何しろ特殊な魔法を使ってない限り姿は見えないし、物理的な制限もすべて無効。
相手の会話を聞くことも、本拠地の構造も、見張りの有無すら把握可能。
加えて、夜限定だが鍵開けなども行える。
だから、捕らわれている人の脱出などについては最短ルートで突入してからの離脱という手が使える。
「大体、お前さ。前も同じことしてたろ、なんで今回悩んでたんだ?」
アスラに問われて口を噤む。
「大方こっちを気にしてんだろ? 馬鹿じゃねえの? こっちだってお前の性格を大まかにはつかんでんだよ。見ず知らずだったりしたら投げ捨てんだろうけど、見知って会話したら後にゃ退かねえんだろうが」
「そうだな」
「だったらあの死体見た時点で決まってたことだろうが。んでそれ分かった上でお前と行動を共にするっつったんだ。あまり私のことを舐めんじゃねえよ」
「すまん」
出会った当初の意識がまだ抜けていないのだろう。
そしてそれはアスラに対して失礼だった、間違いなく。
「まあなんだ、こっちも一人で過ごしていたからな。それなりに力量とかいろいろ鍛えられてんだぜ? だから心配すんじゃねえ。逆に私がいるからっていくらでも怪我していいとか思うんじゃねえぞ?」
「大丈夫だ、元より怪我は多い」
「おいミシェル、こいつどうにかしろよ」
『無理。一応、兄さんの実験とか鍛錬でできるのが大半だから致命的なのはないんだけども』
「致命傷を避ける自信はあるからな」
「逆を言えばそれ以外は頓着しねえだろお前」
「さてな」
いつしか空は黒く染まり星が見え始め、視界の先には町の入り口が見える。
「ミシェル、相手の本拠が確定したら教えてくれ、衛兵達に話を通す。もしいない場合は……あの死体の話だけはしよう。さすがに山の中までは無茶が過ぎるからな」
『わかった、じゃ、偵察に行ってくるね』
ミシェルの気配を感じることはできないが、町に向かったのだろう。
この距離ならば問題はないはずだ。
「アスラ、落ち着いているか?」
「ん? 心配すんじゃねえ、っと言いたいところだが。……ま、大丈夫だろ」
「そうか」
「見過ごせねえのは私のほうだっての、わかってんだろ?」
「さてな」
言って前を向く。
アスラが何か抗議をしていたが、あえて無視しておく。
できれば、あの町で決着がつくことを、改めて祈りながら。