第72話 「お年寄りには優しく」
陽が真上に来るかどうかという時間帯になって、ようやくグレンが起きてきた。
宿屋の共有スペースにある椅子に座り込む。
予想通り、顔色が優れない。
「はい、これ飲んでください」
あらかじめ用意しておいた、木のコップをグレンに手渡す。
「う……ん?
ハイシカのジュース?」
「二日酔いに効くと聞いて、用意しておきました」
「あぁ、助かる」
グレンが顔をゆがませながら、ハイシカのジュースを飲む。
効果が確かにある分、かなり酸っぱい。
私も少し飲んでみたが、疲れが吹き飛ぶような酸っぱさだ。
「……いよいよ今夜出発だね」
「そうですね、少し寂しいなぁ」
今夜、ライン街行きの船が出航する。
ナイーラ港に居られるのもあと少しだ。
「どこか見ておきたいところとかあるかい?」
「うーん、そうですねぇ……」
正直、そういわれても答えようがない。
この街について知らなすぎるからだ。
だが、少しだけ考えたあとに、一つだけ思い浮かんだところがあった。
「……おじさん」
「おじさんって……閉じ込めた『大陸会』の?」
「そうです!」
「物好きだねぇ」
早い昼食を済ませ、最低限の荷物と少しだけ食料を買って
昨日野宿したところへ向かった。
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予想通りまだ結界は消えておらず、中におじさんがいた。
不貞腐れ座り込んでいる。
後ろにゆっくりと近づいて……。
「わ!」
「ひぃっ!ひぃぃい!」
狭い結界の中を飛び跳ねまわる。
予想以上の反応に申し訳なくなる。
おじさんは、私だとわかると咳払いをして不機嫌そうな顔をした。
「ご、ごめんなさい。
ごはん持ってきました、少しだけど……」
結界の中に入るようにパンを置くと、おじさんが引っ張って中に入れる。
案外素直。
「おじさん、魔法使いなんですよね?
聞きたいことがあるんですけど良いですか?」
「……」
「きっとベテランの魔法使いさんなんだろうなぁ。
是非、ご教授お願いしたいなぁ」
「……」
相変わらず、口をきいてくれない。
まぁ、予想通りだ。
そこで、グレンから教えてもらった通り、大陸会の紋章が入ったペンダントを取り出す。
「教えてくれたら、これ返しますよ」
「……!」
何もない所を見ていたおじさんの目が、ペンダントにくぎ付けになる。
テレパシーを用いらなくても十分にわかる。
このペンダントを返してほしいはずだ。
「聞きたいことは一つです。
この魔導書の作者はご存知ですか?」
愛読の魔導書をおじさんに見せた。
なぜ、この魔導書の作者について知りたいか。
それは、この魔導書に載っている魔法があまりにも有能だからだ。
他の魔導書に目を通したことがあるが、それらは本一冊に魔法が一つだけや、はっきりと魔法陣が描かれていなかったりなど、不備が多い。
それに比べて、この魔導書は分かり易く使いやすい。
小説と同じように、同じ作者であれば似たような作品が見つかるかもしれない。
そう考え、魔法使いのおじさんに聞いてみようと思った。ベテランそうだし。
おじさんは、結界越しに魔導書を食い入るように見つめた。
「次……」
「はい?」
「次のページ捲ってくれ!」
「はいぃ!」
パラパラと本をめくる。
最後のページまでめくり終わり、おじさんの様子を伺うと、なんだか苦しそうにぶつぶつとつぶやいている。
「あの……?」
呼びかけても反応がないので、仕方なくテレパシーの回路をつなげてみる。
つなげた瞬間に、大量の情報が頭に入ってくる。
おじさんが今考えていることだろう。
一度に処理しきれないので、少しずつくみ取って解釈する。
────こんなものは初めて見た。
────一見無駄に感じるが、有能な魔法ばかり。
────こんな魔法を本当に実現できるのだろうか。
────どれも世に出回っていない魔法ばかりだ。
────これだけの魔法を一人の人間が本に残すことは、途方もない時間がかかる為不可能。
────だが、魔法陣や文字には『癖』があり、明らかに一人の人間が描いたもの。
────しかし、それは不可能、不可能、不可能。
────人間でないのなら? 可能だろう。
────それならば、この魔法を生み出したのは……
ぐるぐると回る思考が急に止んだ。
おじさんの瞳が私をのぞき込んでいるのに気が付いた。
「天空人が描いたものじゃろう。
『この世界の本であるならば』」
冷や汗をかいた。
確かにこの本は、この世界の物ではない。
天界の図書館に有った本だ。
それはつまり、どこか別の世界から取り入れた本ということだ。
このおじさんは、異世界の存在を知っている。
それを問いただそうとしたが、おじさんはまたブツブツとつぶやいて深い思考に入っていた。
もう、この複雑な考えにテレパシーで付き合うつもりはなかった。
ペンダントを結界の側に置き、その場を後にした。




