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サンカの民

作者: 野次郎

プロローグ


今日は久しぶりにいい酒を飲めた日だった。


私が勤める会社と懇意の、ある取引先との接待に随行していた若いOLと意気投合して、二人きりで親交を深めたのだ。

勿論お互い会社には内緒で。

彼女は容姿が童顔で笑顔が優しく、仕草の全てが可愛らしかった。


天真爛漫で素直なところもまた、私の気を引いた。私が遠慮しながら窘めた酒の席のマナーを、彼女は顔色を変えて謝罪してきたのだった。男の自尊心を計算せずに満たしてくれる人柄に、私は心酔した。


「彼女、名前は竹八 真奈美とか言ったかな…」

聞かない名前なのでよく覚えていた。

竹八と書いてタケヤ。

タケヤ マナミ。


男の独り身優雅な身分などとは景気の良かった昔の話。


我ながら三十路をこえて独身なのは、単に女性に接する機会と金とに恵まれないだけだとよく理解していた。


久方ぶりの異性との歓談だった。



…そんな浮かれた酒の帰り、私はふと幼少期に祖父と私が交わした言葉を思い出した。


「早く寝ろ。今日遊んだ子の話は明日聞いてやる。」


…記憶の中の私は随分と駄々をこねていたように思う。


「いいから寝な…タケヤ?知らねえなあ。」


「ともかく彼処の人間と関わっちゃいけない。何故って?奴らは人間じゃねえ。狐狸の類みたいなもんよ…昔は違ったけどな」


幼かった私は祖父の物言いにさらに駄々をこねて…翌朝には全てを忘れてしまっていた。


三十数年後の今日という日に、今更ながら思い出したのは特別深い理由はない。単に話題に上った竹八という名前に共通点があっただけだ。


しかし、都合よく思い出した記憶に違和感を感じた。

祖父がタケヤという言葉に不快な表情をしていたのを、ぼんやりと思い出す。

その記憶は浮かれた私の心に水を差すように思えたのだった。


「古臭い爺様の言葉なんて、今時なあ。」


委細は忘れてしまったが、タケヤには関わるな、と記憶の祖父は口にはしていたのだ。


保守的で頑固ではあるが研究熱心で、独学で政治や民間伝承から歴史に果ては戯曲まで。なかなかに博識な祖父であった。遺稿も数多くあったようだ。


(あの偏屈で思い込みの激しい爺様のことだ。歴史古典の類に、タケヤ何某が城攻めで寝返ったからその名前は駄目だとか、被差別階級の名前だから駄目だとか、そんなとこか…?)


そこまで考えて、私はこの考えを打ち切ることにした。

意中の女性を思うと、旧態然とした思考をした自分を恥じた。


「下らないよ、今時さ。」


平成期に子供時代を過ごした私には、人間は皆そこそこ平等としか感じられなかった。


それに祖父はもう何年も前に亡くなっている。強面の、頑健さの象徴のような男だった。


「下らない」

良い酔いが醒めた感で、私は帰途に着いた。



竹八何某


実際には私の杞憂は祖父の幻影に過ぎなかった。

彼女。竹八 真奈美とはとんとん拍子に話が進み、彼女との関係は良好で今ではすっかり互いに所属する人間関係の公認を得た。


取引先の真奈美の上司に至っては、私のご機嫌伺いにわざわざやって来る始末である。あちらは真奈美も随行するので非常にやりにくい。


「よっ、ご両人!結婚式は神前?ウェディング?あー、それで、こちらの見積もりですが…」


早くも仲人気取りだな、とは口が裂けても言えず私は彼に顔を合わす度に、冷やかし混じりの商談に苦笑する日々を過ごしている。


「やっと帰ったなあ…冷やかしと見積もりを微妙に混ぜて話すのは頂けない」


姑息な奴め。やっかみだろうか?

ともかく私は残務整理を終えてその日の業務をようやくこなし、帰途に着いた。



そしてその夜。

僅か八畳一間の私を家に、彼女はよく遊びに来るようになっていた。


今日もお互いの終業後に合流しつつ、私の自宅にて二人きりである。


こちらが甘い言葉を囁きかけそうなタイミングを見計らって、彼女が神妙な面持ちで私に詰め寄った。


「吉田さん、ちょっといいですか?」


「は、はい。」


彼女は私をいまだに吉田さんと呼ぶが、もう互いに社外では敬語を使う仲ではなかった。今回ばかりは彼女の勢いに、思わず私の口から正式な返事がこぼれる。


「あのですね、あの。吉田さんは、私名前について何か知ってるんですか?」

彼女はやや早口にまくし立てた。


「名前って?竹八の名前が珍しいってことぐらいかな?なんで?」


私は嘘をついた。祖父の記憶の件には触れなかったからだ。


なおも彼女は言い募る。

「本当ですか?何か知ってますよね?今更隠し事はなしですよ?」


…彼女は勘が鋭い。

私は一呼吸置いた後、考えを転換することにした。


「…分かりました。君が言い出したら聞かないのは知ってるし、別段隠すことでもないし、話す。話すよ。」


彼女の言葉に私は意を決した。

彼女とは、一時の感情に流されて終わるような関係ではないと確信するからだ。


私は自分の幼少期の祖父との会話を、余すことなく彼女に伝えてみた。

祖父が博識であり、竹八姓について言及したのも何かしら資料文献に基づくだろうという点も伝えることにした。



私が差別的な思想を持たないのを彼女も理解しているだろうと、なるべく記憶のままに伝えることにした。


「えーと、だから、私が思うに爺様の古い価値観から物を言っただけで、

現代社会で暮らすきみと私の関係性には一切関係のないことであるから、気にしないでね?」


私に今時竹八姓は被差別階級である、とか、歴史上の大逆人であるから避ける、などという狭い料簡はない。


しかし、聞く側の彼女の感情を害さないかと私はひどく思案した。


「あー、そう言うんじゃないんです。吉田さん。私は、私が分からないんです。」


その返事に安心はしたが私は発言の意図がつかめずにいた。

彼女の考えが纏まるよう、一瞬間を置いて相づちを打つ。


「つまり?」


彼女の話はこうだった。

「私の家、変なんです。親戚の数も曖昧だしなんだか家族は妙な性格だし、昔のこと聞いても教えてくれないし。そのくせ妙な人脈があるし。田舎にも都会にも親戚いるし。」


「サンカって言うんだって。竹籠?だったかな。竹細工をして代々暮らしてた。とか、そんだけ。お婆ちゃんの代にはそんな道具捨てちゃいましたけどね。」


私には彼女の言わんとすることが見えた。根拠のない予測に過ぎないが、こと我々二人の間で成り立つ思考の共感共有には自信があった。



「…つまり、何か知らないかってこと?一族のルーツみたいなものを?

なんで私が知ってると分かったかはまあ、ピンときただけだろ?」


「そう!それ!さすが吉田さん!また二人が通じあってしまいましたね!

そう。知ってるなって思ったのもピンときただけです。それで、それで、」


(ピンとねえ、そんな憶測でよくもカマかけたな…)


彼女の話はしばらく止まらなかった。


「…で、あたしこの名前でいじめれてたから、自分の名前にすごく興味があるんですよ。」


「で、あわよくば知ってるならルーツみたいなものを解明してスッキリしたいと。」


「吉田さん。その通りです。さすが。」


彼女は思考を伝えるのが不得手なようで、私が彼女の考えを類推すると素直に喜んでくれる。


私は二人の関係性を再発見するようで思わず口元が緩んでしまった。


「あー!ニヤニヤしてる!」

「してない」


「ニヤニヤするな!」

「してないって」


…そんないつものやり取りのあと、この件はひとまず私が祖父の残した資料文献にあたるということで彼女に納得してもらうことが出来た。




漂泊の民


…彼女との会話から五日ほど経過したある日のこと。

私は祖父の遺した手記や古典、民俗研究の資料を求めて親戚の家の前に居た。

祖父は生前、全ての蒐集した書籍と遺稿を私だけに託すと遺言をしていた。


しかし当時は古臭いカビの乗った本を手に取る気にはどうしてもならなかったのだ。祖父が亡くなって十五年ほど経っただろうか。


今思えば稀覯本というだけでなく、在野の哲人としての祖父に敬意を払ってその書籍を私は手に取るべきだった。


勝手知ったる家であり、鍵の在処までよく知っているが今日は都合よく祖母が庭先で何やら作業をしていた。


「電話、出てよ」


祖母が顔を上げる

「ああ、聡かね?まあまあ連絡ぐらいして来たら。食事も用意するのに。」


「そうだね。ごめんね。ちょっとお邪魔します。」


祖母も随分と年をとった。電話の音は耳が遠くて聞こえなかったのだろう。


祖母の相手はそこそこにして、しばらく私は目当ての品を探すことに専念する。祖父の書斎、物置、祖父の遺稿は仏壇になぜか供えてあった。

しかし何かが足りない。

祖父の蒐集した書籍はこんな数ではなかったはずだ。


ふと、祖母の訛りのきつい言葉が耳に届く。


「何を探しよんね」

「じいさんの本ならなかよ。カビくさいし誰も使わないし。捨てた。」


半世紀の祖父の研鑽を祖母は落書きとしか捉えてなかったのだろうか。


「はあ⁈捨てた⁈」

「…」


私は書籍を遺産として受け取りながら、一冊も取りに来なかった自分の不徳を責めるべきと思い直す。


「置くとこなかったしなあ…」


やむなく探せる場所を見るに、本棚と仏壇にそのまま置かれた遺稿が目に付いた。祖母の配慮だろう。


その遺稿には見覚えがあった。祖父が存命中、とうとう在野から打って出ると一念発起して書き上げた自伝的小説の原稿である。


懐かしさも手伝い、私は少々変色した祖父の遺稿に手を伸ばす。

達筆の祖父の流れるような筆致が原稿用紙に踊っていた。


「懐かしいな。じいさん、世に出たかったろうな…」


祖父は生涯在野の人だった。

その高潔さ故に。

抹香の匂いが染み付いた原稿は、ジワジワと行う焚書のように思われた。


積み重なった原稿用紙の束をめくる。緑の表紙の本が一冊と、それに関連する原稿が乱雑に積まれていた。


「サンカの歴史…?」

また、祖父の遺稿には見出しがある。

「サンカの民。八の民論考」


聞いたこともない作者の聞いたこともない本だった。祖父の遺稿はどうやらこの本に、注釈を独自に加えたものらしかった。

稀覯本だろうか?あるいは祖父の自費出版か。

何より気になるのは、真奈美のいうサンカの字列が表記されていることだった。


「これ借りるから。」


「もう行くとね?またね。」


祖母への返事もそこそこに、乱雑に積み重なった遺稿と本の何冊かを私は手に取り、急いで自宅へと向かう。

内容が気になって仕方なかった。




流浪の民


サンカ。流浪の民。漂泊の民。

八の民とも。

山間部にあそび、人里では歌舞や芸能や巫術に通じて生活の糧にしていた。戸籍をもたない者も多く、多くは迫害された。云々。


「日本版ジプシーみたいなものか。今はさすがにいないよなあ。」


さらに祖父の遺稿には続きとして、流浪の民の考証が綴られていた。


曰く、八の民こそ本当に日本民族である。

曰く、サンカは被差別者や与太者日陰者の共同体ではなく、古代朝廷の祭祀を伝える重要な一員であった。


その後の記述には祖父自身論拠が少ない為か、赤線を引き直したような痕跡が散見された。


(古来、朝廷は出自が三分化されていた。各一族の交流はゆるやかな古代祭祀に基づいて行われ、サンカの民はその三家の一角あるいは新帝即位の際、当代の帝が宮中に参内する護衛を司る。この三分化は途中で失われていると思われる。暴力団の祖か?先生に意見を仰ぐこと。)



「先生ってのはこの本の作者か?にわかには信じられないな…」


「つまりは日本にジプシーのような一団がかつていて、さらに皇室の血を引くってことか?まるで亡国の王族だな」



そこで私は真奈美に思い当たる。


「彼女は何者だ?」


彼女の親戚筋はいまはなきサンカの末裔だと言う。身内の人数や分布が曖昧な点からも、ジプシー的なサンカの性質とは合致するとも解釈出来る。


…まさか、な。


世が世なら我が一族は!我が一族は八の民たい!

と生前に祖父が何度も叫び続けていたのを思い出す。あまりに高潔な人間だった。誰にも認められなかったが。


…そう言えば私の曽祖父も各地を旅して回る人であった。



「ガタン!」

「ただいま」


そんな思索は聞き慣れた声にかき消される。


「おかえりなさい」

出迎えようと立ち上がり、

「真奈美……!」


私は彼女の姿を見た途端、背筋に電撃が走った。あることを思い出したのだ。


「なに?どうしたの?ただいま、なんて調子に乗ってごめんね。御飯作るね。待ってて。」


呆然とする私の目の前でも、彼女はいつもの通りだった。




貴人


私は下品な女が嫌いである。

生まれは知らないが、育ちが悪いのは自己内省によって改善出来ると考えるからだ。


しかし真奈美は、彼女は違う。


ある日、社会通念的なマナーについて注意したとき彼女は涙を流したのだ。


それは子供じみた居直りや意地張りやまして私の叱責が恐怖だった為ではなく、自分自身に礼節の素養がないことに涙を流したのだ。恥じ入り、深く自身の教養を深めようと歯を食いしばったのだ。


礼節はただ形式だけでなく、このような高貴にして高潔な精神から始まるのだ、と。私は礼と誉れの誕生に立ち会ったような感動を覚えたものだ。


ある意味彼女の中で、礼の精神が確立した瞬間だろう。


私はこのとき、祖父以外に見出すことが出来なかったあまりに高潔な精神に心打たれた。

その日から、私の男尊女卑などという浅ましい思想は完全に消え去った。



「あり得るのかもなあ」

「世が世なら。祖父がよく言ってた。何のことやらといつも疑問に思ってたんだ」



真奈美がひどく不審げな眼差しを向けている。


「どうしたの?大丈夫?」


私は彼女に一瞬、神々しさすら感じて呆然と立ちすくんでいた…




エピローグ

それから真奈美と結婚し、一男一女を授かり幸せに暮らしている。

以前、真奈美の親族は秘密に包まれてはいるが、私は確信している。


私はサンカにも八の民にも精通してはいない。


しかし、かの一族の崇高さに。

かの一族の精神に、私は心から敬意を表するのである。


漂泊の民の精神は今なおここにあるのだ。


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