偽書と天下獲り
町中を歩いていると男に声をかけられた。
「闇の経書を売ってるよ」
男はそう言った。僕が闇の経書を探していることがどうして分かったのだろうか。きょとんとした顔で男を眺めていると
「さっき、あのじいさんと話していただろう」
そうか、それで分かったのか。
「あのじいさんは闇の経書がクンルン山脈にあるって言っているが、それはウソだ。今はカネを払えば買うことができる。」
僕は一瞬で怪しいと思った。人々を操れる魔力を持った闇の経書が、そんなに簡単に手に入るわけはない。
偽書だ、と思った。偽書とはウソが書いてある本のことではない。作者名や出版年などの書物の基本情報に虚偽があるものだ。つまり、書物が書かれた経緯そのものにウソがあるのが偽書だ。
けれど僕は男についていくことにした。どんないかがわしいものがでてくるのかと期待する自分がいた。おそらく偽物には効果がないだろう。けれど、家に飾っておいて眺めるだけでも楽しそうだと思った。僕は紙の本や、マニアックなものが大好きなのだ。人々を操れるようになる魔力を持った闇の経書を苦労して探すよりも、ニセモノを簡単に手に入れて飾っておくほうが楽しいかも知れない。
「イカサマのものを売るんじゃない!」
僕が男についていこうとした矢先、後ろから大きな声が響いた。声の聞こえたほうを向くと、若い角刈り頭の男がいた。
「何を言っている。本物だ!」
そう言いながらも、闇の経書を売ると言った男は僕に背を向け、どんどん離れていった。
「待って……」
僕がそういって闇の経書売りの男に近づこうとすると、角刈りの男が僕の肩を叩いて止めた。
「ああいうのに近づくんじゃない。」
ニセモノを見てみたかった気もするが、さらに深追いするのはまずいようにも思われた。なにしろ、売ると言っていた本人が逃げ出しているのだから。
「目が覚めました。ありがとうございました。」僕はとりあえずお礼を言ってみた。もちろん、心にもないことを言っている。
「キミは闇の経書を探しているのか?なんのために?」
角刈りの男は言った。僕は黙った。さすがに人々を操る能力を使って美少年を集めたいと言うわけにはいかない。
「そうか、大欲があるのだな」
大欲とはどういう意味だろう。美少年を集めることが大欲だろうかと悩んでいる僕を無視して、男は続けた。
「大欲がある男子なら、まずは表の経書を読むべきだな。そうだな。最初は『孟子』なんかいいぞ。世を治めるための知恵と自分ではどうにもならない天命のことが書かれている。」
「『孟子』ですか……。」
最初、何を言っているのか分からなかった。表の経書には人々を操る魔力はないはずだ。
「そうやって、世の中を治めるための知識を得てから、人々を治めるために闇の経書を使う。闇の経書だけでは、世の中が乱れるだけだ。」
そこまで言われてはじめて分かった。この人は僕が世の中を治めるひとになりたいと思っていると思っているのだ。 人々を操る魔力を使って美少年をたくさん集めたい、というのも割と大きな欲望だと思ったが、この人は僕に天下獲りの野望を見出しているのだ。それは僕の内心を推測しているように見えるが、この角刈りの男に天下獲りの野望がなければそんなことは思いつくまい。
角刈りの男は言った。
「僕の名は陳。一緒に旅をしないか」