8月29日 月曜日
8月29日 月曜日
「おはようございます」
僕の大きな挨拶に、休憩室に入って来た橋本さんが驚いた。
「お、おはよう」
コーヒーを作りながら橋本さんが聞いてくる。
「この部屋、なんだか聞いて下さいってオーラが充満しているぞ」
「え、ええ! そんな筈ないですよ」
昨日のデートの事や、土曜日に部屋に誘われている事を言うか言うまいか悩んでいたのに。
「自慢話……聞いてやるぞ。何ならダメ出しもしてやろうか?」
「いや、ダメ出しは結構です。実はですねえ……」
デートで別れる時にキスした事や、土曜日に彼女の部屋に遊びに行く事まで話してしまった。
話すつもりは無かったんだけど、要所要所で橋本さんが、
「河川敷に座った? ちゃんと送って行ったか? キスもしたか?」
とか的確に聞いてくるから、ついつい話してしまったのだ。赤くなりながら。
「良かったじゃん。それにしても凄いな」
「え? 凄い?」
確かにトントン拍子で二人の間は急接近している。でも凄い事なんてしていない。
「お前、運命的な出会いとか言って喜んでただけだと思ってたら、まさか本当に運命的な出会いをしていたんだよな。ちょっと羨ましいなあ。いや、ちょっとだぞ」
「あ、ああ!」
初めて恵に出会った時、橋本さんに運命的な出会いをしたと話したら呆れられたのを思い出した。
確かに二人が今の関係になるのを僕が出会った時点で分かっていたのであれば、まさに運命だ。
「いえ、でも橋本さんのおかげですよ。本当に」
「何言ってるんだよ。柳が成長してるんだ。まあ、しいて言えば」
「しいて言えば?」
何かまたアドバイスでもしてくれるのだろうか。
「缶ビール奢って。六缶パック」
大きくズッコケるリアクションをした。
しいて言う程の事じゃないでしょ、それは。
「仕事中に彼女の事ばっかり考えて怪我なんかするなよ」
「もちろんです。もう一人の体じゃありません」
「こらこら。それが怪我の元。油断は禁物、男はキンモツだ」
「はい……はい?」
上司に聞かれていたら怒られるような会話をしながら引継簿を読みに作業室へ降りた。
この一週間は、何があっても平穏無事に乗り越えてみせる。
気合がみなぎっていた。
仕事が終わった頃を見はからって恵に電話をした。
『え、今日? ごめん、色々片付けとかで忙しいから』
平日は何だかんだ忙しいようで会えそうに無かった。
「そうか。片付けとかだったら手伝うけど」
『ううん。大丈夫。だから土曜日まで待っててね』
浅はかな自分を見透かされたようで恥ずかしかった。
土曜日に一体何があると言うのだろう……。考えておいてスマホを持つ左腕を爪で抓った。
男は我慢だ――!
「うん。じゃあ楽しみにしてるよ」
『うん。私も。あ、そうだ』
「ん?」
『じゃあ晩御飯、敦司君が作ってよ』
「ええ!」
作れるのはペペロンチーノだけだと言った筈なのだが…。
『敦司君が作るペペロンチーノが食べたい』
「いいけど、本当にそれしか作れないよ」
あとは親子丼だけだ。実は目玉焼きすら上手に焼けない。
『楽しみ。じゃあ一緒に買い物に行こうか』
「買い物って言っても……パスタ、ニンニク、鷹の爪、塩、黒コショウ、オリーブオイルくらいだぜ」
『すごい、レシピ頭の中に入ってる!』
「凄くないって、料理するところを考えて何使ったかなあって思い出したら出てくるさ」
『敦司君の凄いとこ見つけたかも』
凄い凄いと言われると照れるかも。
「よっしゃ、じゃあ腕によりをかけて作るよ」
『キャー楽しみ。一緒に買い物するのも楽しみ』
「スーパーで買い物するのがそんなに楽しみなの?」
服を買ったりするのが楽しみなのは分かるが、食材を買うのがそこまで楽しめるのだろうか。
『楽しみだよ。だって、夫婦と勘違いされるかも知れないよ』
な、ん、だ、っ、て――夫婦?
想像する。
僕が買い物かごを持って歩き、恵が食材をそこに入れていく。
「あなた、今日は鶏肉が安いわ」
「お、いいねえ。親子丼が出来るなあ」
「じゃあ晩御飯は決まりね。あなたの作る親子丼が食べたいわ」
「仕方ないなあ。それじゃあと卵も買って帰らないとな」
頬が赤くなるう!
『それでね、周りの主婦から言われるのよ――』
恵が続ける。
「あら、仲の良い夫婦だ事。羨ましいわ」
「旦那さんが買い物も料理も手伝ってくれるなんて、羨ましいわ」
「若いっていいわねえ」
「若奥さん、タイムサービスでお惣菜半額だよ」
『キャッ若奥さんだなんて!』
多分、いま恵は耳まで赤くなっているんだと思う。
「ああ、楽しみだね。ところで、僕たちってバカップルかも」
『ううん。そんな事ないよ。それが普通だよきっと』
「これが普通かあ」
納得してしまう。
土曜日の待ち合わせの予定を立てて電話を切った。
普通のカップルって何だろう。
みんな運命的な出会い。
みんな幸せ。
みんなバカップル。
他のカップルも同等の幸せを感じているのだろう。