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8月28日 日曜日

 8月28日 日曜日


 彼女の疲れた顔を見てしまうのかと不安だったのだが、元気そうに待ち合わせの場所で待っていた。

 初めて出会った交差点。二人の待ち合わせ場所に最適だった。

「おはよう」

「おはよう。柳君遅いよ」

「えー!」

 叱られてしまった。時計を確認すると約束した時間より10分は早い。

「この間のお返し。今日は私の勝ち」

「じゃあ、次は15分前には待つようにしよう」

 ちょっと上を向いてそう言うと、彼女も同じように上を向いて、

「じゃあ、私は20分前には待つようにしーよおっと」

 なんて言うから――、

「やっぱり、予定の時刻通りに来た方が勝ちにしない? そうしないとそのうち朝の5時頃から始発で遊びに行かなきゃいけなくなるよ」

「それはやっぱ無理! 私早起きは苦手なの」

 笑いながら手を繋いで今日は京阪宇治駅へと向かった。

「元気そうだね」

「うん。やっとデーター入力の仕事が一段落ついたの。それをまとめてバグ取りして修正するのは上司の仕事。今日も会社で休日出勤してるわ。だから今週はそれほど遅くまで仕事しなくてすみそう」

「ホントに?」

 笑顔のまま大きく頷く。今週も僕は早出だから、会おうと思えば毎日でも会える。

「やったね。先週全然遊べなかった分、取り戻すぞー」

「うん」

 今年の夏ももう終わってしまう。

 プールか海にも行きたかったのだが、それは来年のお楽しみにとっておこう。

 焦らなくても大丈夫だ。体も少し鍛えておかなくてはいけない。

 

 京阪宇治駅から中書島まで席は空いていたが、中書島から祇園四条までは凄い人だった。

 平日なら空いている時間帯でも土日は観光客が多い。駅から出ても大勢の人だかりであった。

 友達と四条には数回来た事があるが、着いて歩いただけで店の場所なんかは殆ど覚えていない。

 スマホを取り出して地図アプリをタッチし、場所と方向を確認する。

「とりあえず、西かな」

 仲橋さんが僕のスマホを覗き込む。

「ほーほー、まるでロープレですなあ」

 ロープレと訳すところなんかが仲橋さんらしい。

 ふと耳にイヤリングが揺れているのに気が付いた。銀色で小振りのものが小さく揺れている。

 今日はスニーカーで無くヒールのある青色の夏サンダル。ワンピースにカーディガンを羽織っていて、四条でデートだからバッチリお洒落してきました感が溢れていた。

 僕がスマホをそっちのけで仲橋さんを見ていたの気付いたみたいで、ちょっと服を見せてポーズを作る。

「じゃーん。可愛い?」

「かわ――可愛い。何度でも言える」

 こちらが照れてしまう。

 周りの人達も僕の可愛い彼女に釘付けになるのではないかと不安になる。

「じゃあ、百回言って」

「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い……」

 冗談じゃない。本当に百回でも言える。

 指を折りながら十回言ったところで笑いながら、

「一回目みたいに心がこもってない! やり直し!」

 なんて言うから……、

「うわ、可愛い。いやホント可愛いよ。めっちゃカッワイイ~。どうしようかシャ~可愛い。マジ可愛い。メガッサ可愛い。ゲロ可愛い!」

 と角度と言葉を変えて言いまくる。会えなかった日に伝えられなかった思いをここぞと伝える。

 気持もこもる。ああ、僕って馬鹿だ。だが馬鹿でどこが悪い!

「ありがとう。気持ち伝わったよ。でもゲロ可愛いは駄目! 可愛いのか可愛くないのか分かんない」

「もちろん褒め言葉。凄く可愛いって事」

 笑ってくれた。

 仲橋さんは大阪出身で冗談が凄く通じる。最初は意外だったがお笑いなども好きらしい。

 大阪弁やツッコミなどは今のところ出てこないが、もうしばらくしたら徐々に出てくるかも知れない。


 四条大橋から見える鴨川の河川敷には昼間だというのにカップルが均等に座っていた。

 パーソナルエリアと呼ばれるこれ以上は近付かないでほしい範囲があの均等を作っているらしい。

 観光客がそれを写真や携帯のカメラで撮影しているのが見ていて面白い。

「後であそこに座ろうか」

「――? えっあの均等に入るの?」

 以前友達と来た時は、何が楽しいんだと呆れていたのだが、まさかその呆れられる側になる日が来るなんて思ってもいなかった。

「うん。何事も経験よ」

「よし、後で座ろう」

 座って橋の上から観光客の写真に写ってやろうじゃないか。


 四条河原町通りと寺町通りをアミダクジのように行き来しながら店を回った。

 僕の服と一緒に仲橋さんは鞄も見ていた。

「仕事でもデートでも使えるような少し大きめのが欲しいの」

「ふーん」

 創造がつかなかった。

 今日は小さな鞄を肩から掛けている。A4サイズの書類なんて折り畳んでも入らないだろう。

「これどうかなあ」

「うーん、いいんじゃない?」

「じゃあこれは?」

「あ、それもいいと思うよ」

「じゃあこれなんかは?」

「……御免。実はどれもこれもどう良くてどう悪いか分からない」

 僕はセンスが無いんだ。分からないから素直に謝る。自分の服ですら何を着ていいのかあまり分かっていない。女子が好む鞄を何の情報も無しに良い悪いと判断出来ない。

 でも仲橋さんは全然そんな事気にしていなかった。それどころかニッコリほほ笑んで、

「じゃあ、コレとコレだったどっちが可愛い?」

 そう聞いてきた。

 右肩と左肩に別々の鞄を掛けて比較する。

「ああ、それだったら右側かなあ。なんかヒラヒラしてるのが可愛い。左側は逆に真面目な感じ。仕事にはいいかも知れないけど」

 どちらがいいか即答は出来ないけど、どちらがどうか答えることは出来た。

「むむむ、じゃあ、こっちの可愛い方にしようかな」

 そっと値札を覗き込むと5800円と書いてある。

「よし、じゃあそれは僕が買ってあげる。二人のデートの記念で」

 前に割り勘にした事があったから断られるかなと思ったのだが、

「ええ本当? 嬉しい。じゃあ私も柳君に服買わせて」 

 と言ってくれた。

「ああ~それはもっと嬉しいかも」


 レジで支払いを終えて彼女に渡すと凄く嬉しそうに両手で抱えて持つ。

「ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」

 ああ、彼女の為にお金を使えるのなら幾らでも惜しくないと感じた。

 思わずそう言いそうになったのだが、それって悪徳商法に引っかかりやすいタイプだって自分で言っているようなものだ。まだやめておこう。

「じゃあ次は柳君の服だね」

「うん」

 仲橋さんには妥協が無かった。

 同じ様でもイメージと違うとサイズを変えたり色を変えたり何度も何度も僕に服を重ねてくる。

「むむ、これは、違うなあ」

 眉間にシワを寄せながら名探偵のような顔を見せる。

 古着屋にも何件か入った。僕だけなら入らなかったようなドンドン低音の響く店だ。

「あ、これイメージとぴったりなんだけどなあ」

 襟無し七分丈のTシャツに大きなブルドックの絵が入っている。色は奇抜な黄色に赤色の文字。自分ではまず買わない一品だ。

「え、そんな派手なの似合うかなあ」

「うん。絶対似合う。保証する」

 僕は襟付きで無地のシャツが似合うと思っていた。どちらかと言えばビジュアル系の服こそ男が着ていてカッコいい服だと信じていた。

「じゃあこれと、チノパンかなあ」

 左腕にさっとTシャツを掛けてその店のズボンを見て回る。

「多分ここの店長、私とセンス合うんだわ。置いてる物がするどい」

 小さな店だがその品揃えを高く評価していた。

 そういった店を見つけておくと次に買い物に来た時に凄く楽だと教えてくれた。

「うん、これだったら合う」

 そう言って選んだのは少し色落ちしたダックグリーンのチノパンで、同じ色のベルトも持っている。

 試着してみてと言われたから、初めて試着室でズボンを着替えた。

 今まで試着せずに服を買っていたと言うと驚かれたのだ。

「どうかなあ」

「完璧。さすが私」

 仲橋さんは完璧主義者だ。また新しい発見だな。

 自分が着ていたジーンズとシャツがいかに安易に選んだ品だったか。僕に選ばれた服が可哀そうに感じた。そんな目で見ていた。

「でもそのジーンズにだってそのTシャツは合ってるよ。それにチノパンに襟付きシャツだって合うんだから。着回し出来ていいでしょ」

「え、そうなのか」

 僕は服のコーディネートが決まればその組み合わせが一番だとしか考えていなかった。だからいつも同じ格好になっていたのだが、他の組み合わせを試す気にはなれなかったのだ。

「じゃあ買ってくるね」

 脱いだ服をレジに持って行った。

「あ、僕も払うよ」

 値札は全部チェックしていた。

 古着なのに偉く値段が高かったと感じていた。要らなくなった服を安くで売っている店といったイメージがあったのだが、むしろ、鍛えて育てた愛着ある服を売っている店なんだというイメージに変わっていた。 

「合計一万二千円です」

 仲橋さんがそれを支払う。僕は財布を出して払おうとするのだが、

「じゃあ、晩御飯奢って」

 と制する。今日はどこかに飲みに行く予定だから、それなりに持ってきていたのだが。

「本当にいいの?」

「うん。今日の記念だし。次にこれを着て会えるのがすごく楽しみだから」

 そう言われるとその服を着る楽しみも倍増した。早く着てみたい。

 変身した姿を見てもらいたいヒーローの気持ちだった。

「――ありがとう」

「どういたしまして」


 少し遅めのお昼はピザとパスタが破格の値段で食べ放題の店へ入った。

 千円以下で食べ放題って店は意外と少ない。ビール飲み放題もあったのだが、夜に飲みに行くから我慢する事にした。

「食べ放題なのにビックリするくらい美味しい」

「そうなんだよ。ここは友達に教えてもらったんだけど、昔から安くて美味しくて学生達の味方だったって」

 近くにこんな店があったら週一で通うこと疑いない。羨ましい限りだ。

 ここでも仲橋さんはパスタとピザを全種類、少しずつ皿に乗せて取っていた。一つずつ味を吟味している。それに対して僕は、

「柳君、同じパスタばっかりじゃない」

 皿にはぺぺロンチーノのみ。

「うん。容赦しないんだ」

 ピザが美味しいのも知っている。他のパスタが美味しいのも知っている。しかし、大好物は外せない。

「ぺぺロンチーノが好きだから作り方もマスターした」

 マスターしないといけないほど難しい料理でもない。

「柳君、料理出来るの?」

「はっきり言って出来ない。でも大好物だけは作れる」

「凄いね。実は私、料理はからっきしダメなの。だからいつも社員食堂で済ませてるんだ」

 小さく舌を出す。テヘペロってやつかな。

「へー以外。てっきり料理も上手かと思ってた」

 何でも出来るパーフェクトウーマンかと思っていた。

「残念でした。前から言ってるでしょ、勝手に私のイメージ作っちゃダメだって」

 人さし指を立てて堂々とそう言い切る。

「だから、柳君の作るぺぺロンチーノ食べさせてね」

「え、ああ、いいとも。ビックリするくらい簡単だから教えてあげるよ。なんせニンニクと鷹の爪しか使わない本格派だからね」

 笑いながらそう言った。


 はて、どこで作って食べさせればいいのかと考え、笑った顔がこわばってしまった。

 うちの汚いアパートに仲橋さんを呼べるはずもない。

 かといって仲橋さんの寮だって、男子は禁止だろう。

 暫くは叶わない夢かと思うと少し寂しくなった……。 


 晩御飯の事を考えて腹八分……いや七分くらいにセーブして食べたのだが、やっぱりもっとペペロンチーノ食べたかった。仲橋さんも店を出る時にそんな表情を見せていた。

「また来ようね」

「うん」

 色々な食べ物屋さんがある所で、また来ようと言うのはよほど気に入ってくれたんだと思う。

 

 店を出ると、鴨川の河川敷へと向かった。

 歩きにくい石畳を川の流れを見ながら歩く。

 鴨がいた。数組のカップルが指をさして話を弾ませている。


 どこに座ろうかと歩いていると、丁度一組のカップルが立ちあがって歩いて行った。

 座席ではないのに、その場所へ早足になる。それが妙に可笑しかった。

「あ、席が空いた。急がなきゃ」

 握る手を引いた。他のカップルに取られてしまうかも知れない。

 そこに座ったのだが、両隣にもカップルが座っているし、大きい声や笑い声は聞こえてしまうだろう。自然に声が小さくなり、それを聞くために顔が近づく。

「写真撮ろうか」

 仲橋さんがスマホを取り出し、カメラを起動して丁度河川敷が入る様に位置を調整する。

「うまく均等感が入りきらないなあ」

 鴨川と均等に並ぶカップルをさりげなくフレームに納めたいのだろうが、どちらかの顔でどちらかが隠されてしまう。

「もうちょっと近寄ろうか」

 顔を近づけるとフレームには沢山のカップルと鴨川がいい感じで納まった。

「いいね、じゃあチーズ」

 カチャッと音を立てて思い出の写真が撮れた。

 二人で覗いて今取った画像を確認する。僕はあまりにも近づき過ぎていたと驚いた。

 スマホを意識して気付かなかったが、仲橋さんの頬と僕の頬が微かに触れ合っている。

「うんうん。均等感がバッチリ撮れたね」

 満足して僕のほうを向いた仲橋さんとの距離はもう数センチまで近づいていた。

 彼女のシャンプーなのか香水なのか、とてもいい香りが遅れて届く。

 

 ――キスしたかった。


 だが、お互い昼間の人前で出来るような度胸は無かった。

 その気持ちが伝わったようで、仲橋さんは耳が真っ赤になって、二人が映ったままのスマホで顔を隠してしまった。

「うまく撮れたね。またメールか何かで送ってよ」

「――うん。印刷する」

 彼女のメルアドはまだ知らない。もしかすると彼女自身メールやラインなどメッセージアプリを使っていないのかも知れない。まだ顔の半分を隠している。

 河川敷……信じられないくらい楽しかった。


 ここに座っている他のカップルもみんなそう思っている事だろう。

 きっとこの河川敷は昔から幸せで満ち溢れているんだ。

 

 色々な事を話した。仕事の事や家族の事。

 仲橋さんは一人っ子でずっと兄が欲しかった事や、僕は二男でずっと兄に苛められていた事。

 テレビに出るような有名な上司に憧れて途中入社を果たした事や、会社名しか知らずに入社した事。

 上司の期待に応えたいと一生懸命仕事をしている事や、上司が何を期待しているかさえ分からない事。

「……僕って駄目な社員なのかなあ」

「ううん。柳君の会社が寛大なのよ」

 さらっと言う冗談が面白い。もしかすると本心なのかとも思える。

「それ全然フォローになってないよ」

「あはは、ごめんごめん。怒った? でも柳君が会社を選んで会社も柳君を選んだ。会社も柳君も駄目なんかじゃないって事よ、きっと」

「そうだといいけどなあ……」 

 僕と比べて仲橋さんの志は高い所にあった。

 それが彼女の凄い所であり、僕が惚れた所なのかも知れない。

 自分と同い年で自分より頑張っている人を見ると、負けてはいられないと思う。

 背伸びするわけではないが、僕も頑張らなくてはいけないと思った。

「柳君は柳君のままでいいんだよ、きっと」

 体育座りをして膝に顔を置き、こちらを向いてそう言ってくれる。

「仲橋さんに言われると、本当にそう思ってしまうから危ない。成長しないし出世もできないじゃない」

 安月給で一人暮らしをしているのだ。せめて同期入社の友達並みに出世しなくては。

「ふーん、出世したいんだね、男の人って」

「あったりまえじゃん」  

 握り拳を見せたのだが……?

「仲橋さんは出世目当てで仕事を頑張ってるんじゃないの?」

 さっきの言い方だとそういう意味になる。 

「うん。私は誰かの為に働きたい。誰かの為に働けるから自分の価値を見い出せるんだと思う」

 さ、さすが。

 次元が違うなあ。

 人の為に働いてこそ仕事……か。

 自分の為に働くと思うより凄くいい心掛けだと思う。

 僕も真似をして上司の為に働こう。そう思うと安月給でも頑張れる気がする。


 デートで仕事の話なんかしたいとも思わなかったのだが、仲橋さんと仕事の話をしていると率直なアドバイスが聞けたり、他の人から見た自分像が知れて凄く役に立つ。なによりモチベーションを高めてくれる。

 何気なくやっていた仕事に、楽しみや喜びを見出せるような事を飾らなく言ってくれる。

 これは上司に百回説教されるよりもよっぽど効果があると感じた。

 

 晩御飯は宇治橋通りの居酒屋に戻って食べる事に決まった。

 四条の洒落た店を幾つか探してはいたのだが、

「本当に近くの居酒屋でいいの? フランス料理とか、ホテルのビュッフェとかじゃなくて……」

「うん。居酒屋がいいの。柳君の行きつけの場所」

 と仲橋さんは譲らない。

 近くの行きつけの居酒屋だったらやっぱり焼き鳥屋かなあ。橋本さんにも何度か連れて行ってもらったし、同期の友達とも何度か行った店だ。

 家の近くで飲めば飲み過ぎても帰るのが楽だし、タクシーに乗ったとしても安い。

 夜を待たずして四条を後にした。


「へいらっしゃい」

 大将の威勢のいい声が響く。

「二人、いけますか?」

 僕と彼女をパッと見て、カウンター席の一番奥を指した。

「奥の方へどうぞ」

 カップルという事で気を利かしてくれたのかも知れない。入口側には常連客が開店直後だと言うのに赤い顔で話しこんでいる。

「飲み物何にしましょう」

「僕は生ビール。仲橋さんは?」

 聞きながら飲み物メニューをそっと前に出すのだが、

「私も生ビール」

 とメニューには目も落とさない。

「はいよ、生二丁!」  

 またしてもいい声が響くと、店の奥の方では返事が聞こえた。

「チューハイとかカクテルとかじゃなくてもいいの?」

「ああー、それが柳君から見た私のイメージなのね」

「い、いや、そうじゃなくって……うん。女の子って生ビールよりチューハイとかカクテルが好きなんだと思ってた」  

「それは間違い。私だけじゃなくて女子だって生ビール好きよ。……多分」

「そこは多分なんだ」

 言いきっておいて多分と付け足すのが可笑しかった。

 そう言えば前に橋本さんの彼女も生ビールを飲んでいた。4杯くらい飲んでいたのを覚えている――。

 生ビールが注がれたジョッキが運ばれてくると、二人で乾杯をした。

「初めての居酒屋に乾杯」

「乾杯!」

 乾いた喉に沁み渡る。

「か~!美味い!」

 年々おっさん化現象が進行してきている気がする。

「か~真夏の一杯はたまりませんなあ~」

 仲橋さんが言うと、一瞬大将の手の動きが止まった気がした。

「何焼きましょう?」 

 大将はメガネと鉢巻きが似合っている。

 この店は目の前で大将が焼き鳥を焼き、奥では焼き鳥以外の一品料理をどんどん作って持ってきてくれる。チェーン店でないのに品数が豊富で驚かされる。でも、とりあえずは王道の、

「焼き鳥の盛り合わせを2本ずつと鶏刺しの盛り合わせを」

 盛り合わせを頼んで美味しい物をまた注文する。それが鉄則だ。

「おまちどう」

 目の前に置かれた焼き鳥の盛り合わせに仲橋さんの目が輝く。

「ああ、あこがれの居酒屋の焼き鳥!」

 一番初めに手にしたのがレバーだったのが、らしくて笑える。

「んんんん! 焼きたて熱々の焼き鳥美味しい!」

 喜んで食べてくれるのが、自分の手柄の様に嬉しい。大将に頭を下げてお礼を言いたい。

「レバーも美味しいけど、ハツも美味しいよ」

 そういってハツを食べる。そしてビールを飲む。間違いない。仲橋さんもハツを食べた。

「あ、これも美味しい。初めて食べたけど一位二位を争う美味しさかも」

「それは鶏の心臓なんだよ。僕も一番好きかなあ」

 砂ずりも捨てがたい。軟骨も忘れちゃ駄目だ。

「この盛り合わせ、凄く美味しい。自慢の5本で勝負賭けてるってのが伝わってくる」

「うんうん。でも鶏刺しも凄いよ」

 次に出てきた鶏の刺身の盛り合わせを見る。

「え、鶏肉を生で食べるの?」

「うん。だから鶏刺し」

 説明はほどほどに僕はムネ肉を頂く。

 目を閉じて食べたら魚の刺身と言われても分からないかも知れない上品な味だ。

 仲橋さんの箸が肝と砂ずりの上を数回行き来するのがもう笑えてくる。 

 やっぱり肝の上で止まった。恐る恐る口へと運ばれる。

「あ、これ、焼いたレバーと全然違う食べ物だ」

 全く同感。

 初めて食べた時は生と焼くとでこんなにも味が変わるとは思ってもいなかった。

「そうなんだよ。焼いたのも美味しいけど、生はもう別格でしょ」

「うん。箸が止まらない」

 砂ずりも食べてみてと言いたいのだが、肝刺しに取り憑かれてしまったようだ。

「僕のも置いといて」

「う~ん、自身ないかも~」

 こればっかりは美味しいと感想を言うのも忘れて食べている。肝だけが先に無くなってしまった。

 思い出したように僕を見る。

「焼き鳥屋さん超楽しい! 柳君だけ何回も来ててずるい!」

 ずるいって申されても――そればっかりはどうしようもない。

 でも謝る。

「ごめん。その分また何回も来よう」

「絶対だよ」

 気が付くと仲橋さんの顔はほんのり赤色を帯びていた。


 仲橋さんはメニューをチラチラ見て食べてみたい物を品定めしている。

 メニューが多すぎると全部試すという分けにもいかない。

「豚ペイって何かしら?」

「ああ、豚肉とキャベツを焼いて卵で巻いてあるのさ。鉄板焼き屋なら良く見るけど、焼き鳥屋ではあまり見ないかも知れないなあ」

「じゃあ長いも短冊って?」

「長いもをこう、短冊切りにしたやつ」

 手の上で短冊切りを表現する。

「ワカサギの天ぷらも食べてみたいかも」

「それは食べた事なかったなあ。頼んじゃおうか」

 仲橋さんが食べたい物を次々に注文し、二人で食べていく。

 気が付くと僕だけ生ビールを4杯くらい飲んでいた。

 彼女とお酒を飲むのがこんなに楽しいなんて。いや、楽しいなんてもんじゃない。仲橋さんはいつも以上に奇麗に見えるし、食べる物は美味しいし、まさに夢見心地だ。

 でも何よりそれが現実なのが信じられないくらい嬉しい。

 仲橋さんといると嬉しいのだ。

   

「柳君、顔少し赤いよ」

「仲橋さんもだよ」

 二杯しか飲んでいないが、チークとは違う赤さが頬を染めている。そっとそれをスマホで隠そうとしている。

「それじゃ顔、隠れないって」

 ちょっと耳も赤くなってきた。

「仲橋さん、恥ずかしい時にいつもスマホで顔を半分くらい隠すよね」

 真っ赤になった。そんな所が一番好きかも。

「癖みっけ」

 すると仲橋さんも負けてはいなかった。反撃――? に出たのだ。

「私も柳君の癖見つけてるもん」

 ほほー。僕の癖? 初めて聞くかもしれない。

 なかなか自分の癖を指摘してくれる人はいない。

 聞いたら直して、それは癖なんかじゃないよと否定してしまおう。

 

「チラチラ胸見てる。……エッチ」


 ――なっ、――なんだって!


 茹でダコくらい顔が赤くなったんじゃないだろうか。

 顔から火が出るとはまさにこれだ。

「いっいや、そんな事していないよ。断じて違う。癖じゃないったら!」

 胸元を手の平で隠してどことなく勝ち誇った顔をしている。何と弁解したら良いのだろうか。いや、実際にそれほど胸ばかり見ていた記憶なんてない。

「ほら、恵ちゃんの顔をこの角度で見てたらその――胸元に目がいっている様に見えるだけだよ」

 ただでさえ今日のワンピースは少し襟元が広く、奇麗な鎖骨が見えているのだ。

 見ていないと言い訳するけど、やっぱり意識してしまう。

 嘘ついてもバレる。

「ああ、また見てる」

「だから、違うって! 今は――鎖骨を見てただけだよ。恵ちゃんの鎖骨って奇麗だなあって」

「えっ! 鎖骨?」

 恵は急にまた耳まで赤くなっていった。

 鎖骨を何とか隠そうとするが、襟元を伸ばしても上手く隠れない。鎖骨を隠すのを諦めてスマホでまた顔を隠した。

 また笑ってしまった。

「大丈夫、奇麗な鎖骨だし」

「――敦司君のエッチ」

「え?」

 初めて下の名前で呼ばれた。

「いま、敦司君て呼んだよね」

「うん。駄目?」

「全然オッケー。敦司って呼び捨てて欲しいくらい」

 恵はすうっと息を吸う。


「敦司」


 うわーヤバい。今日一番の喜びが込み上げてくる。焼き鳥の煙が目に沁みる。

「じゃあ、僕も仲橋さんの事、恵ちゃんって呼んでいいかい?」

 お互い名前で呼び合いたいのだ。

「さっきから敦司君、恵ちゃん恵ちゃんってずっと言ってるよ。だから私も敦司君って呼ぼうと思って」

「え、ええ? そうだっけ?」

 気が付かなかった。

「じゃあ、……恵」

「なあに、敦司」



「――好きだ」 


 どさくさに紛れてとか、お酒の力を借りてとか言われたくないが、気持ちを伝えたかった。


「……私もだよ、敦司」


 大将の顔までもが茹でダコの色を超えていた。


 時計の針は十一時を過ぎた。

 6時頃から店に入ったから、5時間もの時間が過ぎていた事に驚く。

 気が付くと他のお客は殆ど居なくなっていた。

 大将にお礼を言って店を出た。

「どうも、ごちそうさまでした」

「毎度おおきに! またよろしく」


 店の外は真っ暗だった。

「今日はごちそうさまでした」

「こちらこそ。本当に楽しかったよ」

 さり気無く手を出すと、恵もさり気無く繋いでくれる。

「今日は遅いから、寮まで送るよ。と言っても歩きでだけど」

「ええ? いいよ。敦司君の家まで遠くなるでしょ」

「ちょっと運動してお酒抜かないと。明日は仕事だし」

 恵が腕を絡めてきた。

「じゃあお願い。私ももう少し敦司と一緒に居たい」

 頭まで腕にくっ付けてくると、酔っていても恵のいい香りがふわりと漂ってきた。


 夜とは言えまだ暑かった。

 お互いに腕には汗を掻いていたが離れたいとは思わなかった。

 歩きでは少し遠いかと思った距離が、今は倍以上の距離があって欲しかった。

「今日はご馳走様。送ってくれてありがとう」

 とうとう恵の会社の寮に着いてしまったのだ。

 うちの会社の寮に比べると、まるで高級マンションだ。監視カメラとエントランスには暗証番号式の自動ドアがセキュリティーの高さを物語っている。

 カードの様な物を通し、暗証番号を入力すると、自動ドアが静かに開いた。

「本当はもっと一緒に居たかったんだけどなあ」

 明日は7時からの出勤だし、恵も仕事だ。時計の針は今日を終え明日になりかけている。

「うん。また今度遊びに来てよ」

 ――! それはつまり恵の部屋にという事でいいのだろうか?

「えっ? 恵の会社の寮って、男が入ってもいいの?」

 恥かしそうに頷く。

「じゃ、じゃあ、もしかして、今も入っていいの……かなあ」 

「――今日はダメ。部屋まだ片付いてないし。見せられない」 

「そうか、残念だなあ」

 鼓動が高鳴っているのを知られたくなかった。

「それに、今日のデーターを入力しないといけないから――」

「えっ? 今日のデーター?」

 恵の顔が一気に赤くなった。

「あ、私、酔ってる――」

 それは知っている。でも、今日のデーターと言うのが引っかかった――。

「仕事って一段落したんだよね」

 今日も僕が居ない時……例えばトイレとかに行っている時にはスマホをずっと操作していた。

「うん、ついデーターって言っちゃったけど、私、実は、日記をつけてるの……スマホに……」

 耳まで赤くなって恥ずかしがっている。


 ――なんだ日記か。

 ホッと吐く自分の息にアルコールが交じっているのを感じていた。


「そんなに恥ずかしい事じゃないじゃない。みんな自分のブログとか書いてるんだから」

 恵のブログ……見てみたいような……。

 僕の事が書かれたりしていて、見たくないような……。

 

「土曜日だったら――いいよ」


 落ちついた鼓動がまた早まる。

「――え、本当?」

「うん」

 僕の顔も真っ赤になった。

 早い鼓動が聞こえてしまいそうで――どうにもならない。


 この一週間は絶対に何があっても、死ねない!

 横断歩道は手を上げて子供みたいに、歩いてやる!

 仕事の時だって安全第一で指差呼称を、徹底してやる!

 そんなバカな事を考えていた時、


 恵がそっと僕を抱きしめて唇を重ねてきた。

「――!」


 この世の時間が一瞬止まったと錯覚するような時間が流れた。

 お互いの顔がこんなに近づき、その距離が今は無くなっている。

 今まで一緒にいたけど繋がってはいなかった……それが今繋がった。


 どれだけの時間が流れたのだろう。一瞬か永遠。

 そっと離れて奇麗な瞳を見せると、

「おやすみ」

 後ずさりで自動ドアの向こうへ歩いて行った。

「あ……」

 おやすみと返せなかった。それをみて恵は笑う。

「気を付けて帰ってね」

「……ああ」

 そのままエレベーターへと消える恵を見送る。

 ふとエントランスの角に監視カメラがあるのに気が付いた。もし今のを録画してたなら、欲しいなあとかぼんやり思っていた。

 キスをした喜びが込み上げてくるまで数分を要した。

 恵みの瞳は潤んでいた。

 僕はピュアだと誰かが言っていた。

 でも今日、この瞬間まで僕がピュアで本当に良かったと心から思った。


 帰りはタクシーを拾った。


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