8月21日 日曜日
8月21日 日曜日
電気を点けたまま眠ってしまっていたようだ。
時計を見ると12時を過ぎていた。
寝返りを打ちながらスマホでメールを確認しようとした時、壁紙を見て忘れていた事を思い出した。
「しまった!」
飛び起きた。
こんな日に限って誰もメールや電話をしてこないなんて。スマホで着信を確認するが、仲橋さんからの着信履歴も無かった。
慌てて電話を掛けた。
トゥルルル…。トゥルルル…。
コール音を聞きながらハッとした。お昼をどこで食べようかとか何も考えていなかった。
かと言って、もう引き返せない。
トゥル、
『はい、仲橋です』
「もしもし、柳ですけど」
一度唾を飲み込み喉を潤わす。
「ごめん遅くなって。ついウッカリ眠ってしまったんだ」
正直に言って謝りたかった。
「仲橋さんは仕事してたって言うのに、ホントにごめん」
電話の向こうでクスクス笑っているのが聞こえる。
『謝らなくっても全然大丈夫だよ。私だって柳君が仕事してるときに寝てる時あるんだから』
僕が二交替で働いているのを気遣ってくれている。凄く優しい。
「それで、明日の……今日のお昼ご飯、どこがいいか調べてないんだけど」
『じゃあ、お寿司が食べたい。私の会社近くの回転寿司』
「え、回転寿司?」
意外だと感じた。
女の子の好きなランチってパスタとかフレンチとかカタカナだと思ってた。
『もしかして、お魚嫌いだった?』
「いや大好き。実家が海の近くだったから殆ど毎日ハマチの刺身食べてた」
祖父ちゃんが好きだったのだ。本当に毎日食べていた。
「でも意外だと思って」
『あ、また勝手に私のイメージ決めちゃってる』
多分ぷうっとホッペを膨らましている。
『回転寿司って楽しいじゃない。でも一人で入るのはちょっと抵抗あるでしょ』
「分かる! 分かるよ。僕もラーメン屋とか牛丼屋とかなら一人で入れるけど、レストランとか喫茶店とか……あと居酒屋もまだ一人じゃ無理かな」
『私も。あ、でも喫茶店はいけるよ』
「え、そうなんだ。僕はどうしてもあの一人で待ってたりするのが苦手だなあ。ソワソワする」
あまりコーヒーの味とかにもこだわりが無いし。
『じゃあ今度一緒に行こうか。居酒屋さんも』
「え、居酒屋も行きたいの?」
『うん。居酒屋さんっていう独特の雰囲気のお店にはまだ行った事ないの』
男が集まり大騒ぎしてお酒を飲む場所だと思っていた。
女の人は嫌々着いて来ているのかとも思ってた。
じゃあ焼き鳥とかスジの煮込みとかを仲橋さんと二人で食べてお酒を飲むって事か。
それ以上に楽しい事がこの世の中にあるのだろうか。
「仲橋さんお酒飲めるの?」
『もちろん。私だってお酒くらい飲めるよ。二十歳もとっくに過ぎてるし。一人じゃ飲まないけどね』
今日聞いたのだが、仲橋さんと僕は同い年だった。
楽しみの予定が頭の中を埋め尽くし溢れてしまいそうだ。
お昼の予定を決めて電話を切ろうとした。
「じゃあ12時頃に会社の前でいいんだね」
『うん。おやすみ』
「おやすみ」
……。
お互い相手が電話を切るのを待つのだが、なかなか切れない。
「もしもし」
『なあに?』
当然のように聞いてくる。
「切れないじゃない」
『切れないね』
「じゃあ、いっせいのうで切ろうか」
『うん。わかった』
「「いっせいのうで」」
……。
ああ、切れない。
楽しい事に終わりを告げられない。昨日はこんな気持ちにならなかったのに。
通話時間だけが過ぎていく。
ドラマや小説とかで読んだ事があるが、まさか本当に自分も同じ事をするなんて!
――誰もが悩んだ事なのか?
『じゃあ、今日は柳君が掛けてきたから柳君が切る番ね』
「え?」
『一回で切らなかったら一意気地無しで、二回で切れなかったら二意気地無し。三意気地無しで御飯おごるなどの豪華罰ゲームを獲得するってどう?』
「ああ、それなら切れる。切らねばならぬ」
罰ゲームはともかく、意気地無しと言われるのは嫌だ。
『じゃあね』
「うん」
覚悟を決めた。
「「いっせいのうで」」
ツーツーツーツー。
切った。
今までの高いテンションが一気に地に落ちた感じがした。
今日、あの交差点で別れを惜しんだのを思い出した。
また会えるのに、また別れないといけないと思うと、仲橋さんの事が本当に好きな気持ちに気付く。
大切にしたいと思った。
お昼前に仲橋さんの会社の正門前で待っていた。
アパートから歩くと20分くらいかかる所にあるのだが、丁度いい運動になる。
「遅くなってゴメン」
正門の前で一人立っている僕を見つけて小走りで来てくれる。
「こんにちは」
「こんにちは。まだ時間より10分も早いよ。僕のほうこそ早く来過ぎてごめんね」
「ううん。会社の窓から見えたから出てきたの」
今日はベージュのズボンにボーダー柄の半袖。落ち着いた風に見える。
「ああ、お腹空いた。12時にはまだ早いけど、もう行く?」
「もちろん。今日は朝ご飯食べてないからお腹ペコペコだよ」
お腹を押さえながら仲橋さんが情けない顔を見せる。
「あ、僕もそう。お昼の為にわざと抜いてきた」
小さくガッツポーズを見せた。
当然のように手を繋ぎ、回転寿司屋へ行くため会社前の歩道を歩いた。
「あれ、会社の近くで堂々と手を繋いだりして大丈夫? 誰か見てるかも知れないよ」
「大丈夫。日曜日はほとんど誰も出勤してないもん」
すっとこちらを見る。今日もバッチリ可愛い。
「それに、誰に見られたって平気だよ。柳君かっこいいから」
「え、ええ? 僕が?」
凄い勢いで赤くなったと思う。そんな言葉、親からも言われた事無かった。
自分の服装を確認する。昨日と同じジーンズにスニーカー。シャツは違うが、アイロンもかけてないから少しシワがある。
御世辞にも格好いいとは思えない。
「柳君、自分のイメージも自分で勝手に決めちゃってる?」
「……うん」
今までモテないのはセンスの無さもあったと思っていた。
雑誌や店頭のマネキンと同じ服を着ても、橋本さんにはセンスが無いとよく言われた。
「じゃあ、橋本さんはセンスあるの?」
「ある。いっつも違う服を着こなしてる」
仲橋さんは少し笑った。
「じゃあ、柳君はいつも同じような服装してるんだ」
「同じじゃないけど、……ジーンズしか持ってない」
ジーンズは高いのを2本もっているのだが、どちらも青色で色落ちもしていない。
「じゃあ今度、服買いに行こうよ。私風にコーディネートしてあげる」
自信満々に右手の人差し指を立てる。
「あ、嬉しいかも。仲橋さんが選んでくれたら何だって着るよ」
それがもし変わった服装だったとしても、堂々と着ていられる。
着ぐるみでも平気かもしれない。
また楽しみが一つ増えた。
12時前だと言うのに店はほぼ満席になっていた。
「いらっしゃいませ。何名様ですが」
「二人です」
ピースしている分けではない。
「カウンター席なら空いてますけどいいですか」
チラッと仲橋さんを見ると、オッケーサインを出している。僕達はその席へ案内してもらった。
「ああ、久しぶりの回転寿司! テンション上がる!」
目を輝かせている。
コップを取りお茶を作ると、仲橋さんは早速一皿目に手を伸ばした。
「何それ」
白色のイカみたいでイカでない物がシャリの上に乗っている。
「うーん?」
――え?
知らないのに取ったの――?
最初に取ったくらいだからよっぽどの好物だと思ったのに。
メニューの書かれているシートから同じ物を見つける。
「これはつぶ貝ね」
早速醤油をつけて口へと運んだ。
「美味しいの?」
「う~ん、コリコリしてる」
そう言って皿に残された一貫をこちらへ押す。食べてみてという事だろう。
「ああ、本当だ。コリコリしてる」
イカとは違ったコリコリした食感が美味しかった。
次に彼女が取ったのも同じような白色で、つぶ貝みたいでつぶ貝では無かった。
「これは……ろこ貝よ」
またメニューで確認していた。
「貝が好きなんだね」
ちょっと変わってるなあと思いながら僕はブリを取った。
「これもコリコリしてる。つぶ貝とは微妙に違うけど微妙ね」
また一貫残してこちらへ押してきた。
僕がブリを一貫食べて彼女を見ると、箸の先っちょを少し口に入れて物欲しそうに僕とブリを交互に見る。
「ブリ食べる?」
「うん」
待っていましたと言わんばかりに残ったブリを食べた。僕はろこ貝を食べた。
「うーん。ブリは間違い無し!」
ブリはってところが聞いていて可笑しい。
「美味しいって事でいいんだよね。ろこ貝は間違い有りって事でもいいんだね」
「あはは、美味しいんだけど、ブリには敵わないかな」
確かにそうだ。
確かにそうなんだが――だったら何故ブリを取らなかったのか不思議に思う。
「こうやって二人で食べるといいね。色々食べられて」
「そうだね。倍の種類の物が食べられるし、初めて食べて新しい発見もあるし」
仲橋さんはイカの足がグロテスクなゲソを取っている。僕はサーモンを取る。
「女の子って変わったネタが好きなんだね」
「うん。だって、食べた事ない物を食べた方が新発見があって楽しいじゃない」
ゲソが僕の前に運ばれ、サーモンが一貫姿を消す。
もっと食べたければまた取ればいいのだが、仲橋さん的にはそれはタブーなのかも知れない。
少し乾いた寿司が回ってきた。
回転寿司の開店の時から回っていたのだろう。白色の身が少し反ってしまっている。
仲橋さんは気付かづにそれに手を伸ばした。
「それ乾いてるから注文したら?」
そうすれば握りたてのが食べられるだろう。
「ううん。これでいいの。だって可哀そうじゃない」
「可哀そう?」
食べられずに回っている寿司はどうなるのか。店員が食べている? 捨てられる? 何かの餌になる? よく知らないが、勿体無いじゃなくて可哀そうと言う彼女に何かしら心を動かされた。
「優しいんだね」
「そんな事ないよ。だって乾いてても食べたくない物は取らないもの」
大葉に乗せられた白身の寿司はエンガワであった。
「ん~わさび~効く~」
足をパタパタさせている。オーバーリアクションがこれまた愛おしい。
僕が残った一貫を当然のように口に入れた途端!
ゴッホ、ゴッホ!
むせてしまった!
口を押さえて吐き出すのをかろうじて抑える。
――何だ! ワサビの量が半端じゃない。罰ゲームだったのかと錯覚してしまう。涙がチョチョぎれる。
「辛いでしょ、ビックリしたよね」
「んん」
口を押さえた手に鼻水が付いてしまったのだが、仲橋さんにそれを知られる分けにはいかない。僕は一人修羅場を向かえていた。
「あっ」
バレてしまった! どうしたらいい。
恥ずかしくて空調の利いた室内で冷や汗が背中を伝う。
「はいティッシュ。鼻出てるよ」
鞄からさり気無くポケットティッシュを出し、一枚手渡してくれた。
「あ、ありがとう」
「ううん」
にこやかに僕が鼻水を拭くのを見守ってくれる。見ないで欲しいのだが、汚いとか言わないでくれて本当に助かった。
「エンガワあなどれないね」
「うん、甘くて美味しいんだけど、わさび入りは油断禁物だな」
今まで食べた事が無かったネタはほぼ網羅したのではないだろうか。
カニみそやウニは小さい頃は美味しいとも思わなかったが、今食べてみるとこれはこれで美味しいと感じることが出来たのは新しい発見だった。
それと仲橋さんが新しい発見好きってのが今日の一番の発見であったかも知れない。
「ここは奢るよ」
「ごちそうさまでした」
にっこりほほ笑んで僕の提案に賛成してくれた。
会計の伝票を持ってレジで支払いを済ませ店を出た時だ。
「割り勘でいいよ」
そっと半分の千五百円を渡そうとしてきた。
「いいって、僕の方が食べた皿も多いし」
お金を仕舞おうとしない。
「だって、お寿司食べたいって誘ったの私だし……折角の休みなのにデート出来なかったし……」
うつむき加減でそう言って、また大きな瞳で見つめてくる。
「美味しいものこれからも一緒に食べたいから」
お互い無理をせずに割り勘にしようという提案に納得の二文字しか無かった。
レジでそれを言わなかったのは、僕を立ててくれようとしていたのかも知れない。
「わかった。ありがたく受け取るよ。また回転寿司も来ようね」
「うん」
会社の前まで二人で歩き、そこで別れた。
会社内は車の行き来が少ない。
歩きスマホをしているが、別に声を掛ける必要はないか。
僕の会社では怒られるんだけどなあ……企業理念ってやつか?
デートは出来なかったが今日も十分楽しかった。