表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

8月19日 金曜日

 8月19日 金曜日  


 今日もあの日と同じくらい暑かった。

 空にはポップコーンの様な入道雲が点々と浮かび、残暑見舞いの絵葉書みたいだ。


 下り坂の途中にあるレストランは昼過ぎのカフェを楽しむ人で賑わっている。

 カップル、友達同士、ファミリー、お一人様のおっさんも居る。

 外は暑いが中はさぞ涼しい事だろう。楽しそうで羨ましい限りだ。

 

 警察署が見えてきて、この日は――交差点に立っていた!


 目を疑った。


 遠くて顔までは確認できないが、カーキ色のロングスカートと白色のブラウス。スニーカーが確認できる。


 ――あの子だ!


 その場に立ち止まってしまう。

 慌てて耳からイヤホンを引き抜いて仕舞う。

 汗をハンカチで拭きながら、橋本さんの言っていた言葉を思い出し、復唱する。

「ええ、えっと、宇治市役所はどこですか……じゃなくて、どうでしたか?」

 市役所の感想を聞いてどうするんだ? いざ声に出してみると声の高さが定まらない。

「もしよければこれからお茶でもどうですか」

 これは言えそうだ。

 言えそうだが今から出勤するのにそんな時間あるわけない。誘っておいて、オッケーなら会社を休む……? 係長になんと説明すればいいんだ。

 うつむき加減でそんな事を考えながら少しずつその子の前まで歩いたのだが、どうもこの前と雰囲気が違う。

 

 長いスカートから出る足首は前より黒っぽい。日焼けをしている。

 ノンスリーブのブラウスから見える肩が少し大きい。ちょっと筋肉質だ。

 スニーカーのサイズが、あきらかに僕の靴よりも大きい。


 こちらを見ているようだが、慌てて視線を逸らした。

 最近の流行ファッションなのかも知れない。ファッション雑誌は自分で買って読んだ事がないから疎いのだ。

 明らかに他人の空似だった。

 まぎらわしい格好をしないで欲しいと心の中で強く思った。


「あの、宇治市役所はどっちに行けばいいんですか?」


「えっ?」


 ――運命の悪戯?

 こんな運命的な出会いは――一体どう対処すればいいんだ?


 この間の女の子と全く同じ服装をして、同じ事を聞いてくるなんて。

 思わず立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

 その女の子を見た瞬間、……本能的に恐怖を感じた。

 

 頬が少し赤い。赤いチークを塗っているのが分かるが、その奥はなぜか青い。

 顎の線が頑丈の二文字を物語っている。くるみ割り人形並みだ。

 そして汗が滲んでいる。

 身長が僕よりも5センチくらい高く、喉仏が動いている。


 テレビ以外で初めて見た。正真正銘のオカマだ。しかも、かなり出来は悪い。

 よく見るとスネ毛も剃っていないし、カツラだって乗せてるだけの感じだ。言っては悪いが、駆け出しのオカマ感が出ている。

「あの、宇治市役所はどっちに行けばいいんですか?」

 必死に女性の声を出そうとしているのが見ていて辛い。聞き苦しい。一気に緊張の糸が緩んだ。

「何してるんですか、橋本さん」

 たしか今日は、有給休暇をとって休みの筈なのに、こんな所を女装してウロウロしているなんて。

 これは運命の悪戯では無く――橋本さんのイタズラじゃないか!

「なんだ、バレたか」

 バレいーでか!

「バレなかった方が良かったですか? すごく気持ち悪いですよ」

 そこでハッとした。

 本当に女装癖があるのなら、傷着けてしまう言葉だ。

 今まで聞かされてなかったけれど、秘密にしていたのかも知れない。

「橋本さん、女装癖があったんですか?」

「ないわっ!」

 唾が飛んだ。本当に無いのだろう。安堵のため息が出る。


 ……いつも一緒に仕事をしている人がオカマだったら、色々考えないといけない。

 ……誰かに相談して良いのか悪いのか、非常に繊細で複雑な関係になってしまう。


「その服はどうしたんですか」

「ああ、彼女に借りた。お前の言ってたイメージ通りだろ」

 喉仏が動くのを見ているとがっかりする。あの子のイメージをこれ以上汚さないでほしい。

「まさか寮からその姿でここまで歩いて来たんですか?」

「そんな分けないだろ。近くのコンビニからさ」

 指差す方を見ると、赤色の派手な車がコンビニの駐車場に止まっているのが見えた。彼女が車の中で待っている。

「あまり、その恰好でウロウロしない方がいいと思いますよ。それじゃあ出勤しますので、また明日」

 その場を早く立ち去ろうとする。一緒にいると僕達は一体どう思われるのかが気に掛かる。

「なんだよ、せっかく元気付けてやろうと思ったのに」

「いや、全然元気つきませんって」

 もう一度橋本さんの全身像を確認する。

「先週あったお化け街道祭りの日を間違えた人がウロウロしているのかと思いました」

「ハハハ、お化け級か! この恰好は」

 どうやら橋本さんも自分の気持ち悪さに納得しているようで笑ってくれた。


 まったく、橋本さんの彼女もよく承知して服を貸してくれたものだと感服する。

 腰のホックは外しているし、シャツはピチピチで体の線がくっきり出ている。今にも破れそうだ。

 メイクがそこそこな仕上がりなのは彼女の仕事なのだろう。

「おいおい、あんまり見て惚れないでよね」

 よね?

 よねっのところで橋本さんは片目を閉じたのだ。

「うわー鳥肌出るくらいヤバいっす」

 そんな話で盛り上がっていた時だった。

「すみません」

 後ろから突然声を掛けられたのだ。

「あの、京阪宇治駅はどこですか?」


「――!」


 運命か偶然か――!

 忘れもしない、あの時のあの子だ!

 今度は嘘じゃない。正真正銘の本物だ!


 あの時のスカートとブラウス姿……?

 つまり、橋本さんが着ている服装とかぶっている。

 橋本さんも驚いたようで、二人して何を話していいのか分からず立ち尽くしていた。

「あの、お二人は友達ですか? それとも、恋人同士?」

 僕は顔が赤くなった。

 いや、いま赤くなったら駄目だ! 否定しなくてはいけないのだが声が出せない。

「ただの友達です」

 橋本さんが応対してくれた。ほっとする。

「こいつが今の俺の姿をした女の子にここで出会って一目惚れをしたって言ってたから、冗談で茶化してたのさ」

 カーキ色のスカートの腰に手を置く橋本さん。堂々たる姿で語る。


 んっ?

 ……橋本さんは今、さら~っと何と言った?

 ひ、ひ、一目惚れをしただって――!


 そんな事を簡単に言ったらダメじゃないですか!

 僕はさらに赤くなって何も言えない。しかし、この時赤くなったのは僕だけでは無かった。

「えっ! そ、そうなんですか……実は、私も前に声を掛けたのは、ちょっと素敵だったから声を掛けたの……」

 終わりの方は声が小さくなり聞き取りにくかったが、確かにそう言った。

 頬が少しずつ赤らんでいく。

「――え?」

 一気に体中の汗腺が開き汗が滲み出る。


 耳を疑った。

 もう一度言って欲しかったが、聞き直す勇気が無かった。

 ――本当に?

 本当にこんな事があってもいいのだろうか。僕なんかとは到底釣り合わない可愛い子だ。

 出勤するまでの時間が刻一刻と近づいてくる。

 蝉の声と車の音が今日はいつもに増して五月蝿い。

「あの、連絡先聞いてもいいですか?」


 え? 冗談や悪戯でなく、本当に?


 スカートのポケットからスマホを取り出してそう聞いてくる。

 もちろん女装している橋本さんのではない筈だ。慌てて僕もスマホを出した。

「ええっと、メルアドかなあ?それともライン?」

 画面をタッチする指が震えているのに気付く。スマホも震える。止めようにも止まらない。

「私、そういう通信アプリってあまり信じられなくて……。電話番号聞いていいですか?」

 意外だと感じた。

 前も確かスマホをじっと見ていた。

 使い方がまだ良く分かっていないのかも知れない。でも番号を教えてもらえた方が僕も安心出来る。

 冗談や遊びと違う一線を越えた感じがする!

「いいよ、○○○―だよ」

 読み上げると、彼女も番号を言った。

「私は○○○―です」

 ワンコールしてくれれば良かったのだが、まだ慣れてないのだろう。

 ……番号を橋本さんも聞いていたのがすっごく気になる。そんな目で見てしまったのか、橋本さんが首を横に振っている。

 スマホに震える手で番号を入力していく。

「そう言えば、名前まだ聞いてなかったけど……」

「私は仲橋恵、お恵みの恵。漢字一文字です」

 恵ちゃんか、いい名前だ。僕にとって本当の恵だ。

「僕は、柳敦司」


 話したい事や聞きたい事は沢山あったのだが、仕事の時間なのでそれを告げた。

「今日は十一時まで仕事だから、それより遅くなるけど、電話しても大丈夫かなあ」

「うん。いつも二時くらいまでなら起きてるから大丈夫」

 軽く手を振って、京阪宇治駅の方向へと歩いて行ってしまった。

 歩きスマホは危ないよって言ってあげれば良かった……。

 

「お、お前、やったじゃん!」

「や、やった! やりましたよ!」

 彼女が見えなくなると、橋本さんと喜んだ。

 ガッツポーズなんてしたのは何年ぶりだろう。

 気が付くと笑いながら橋本さんと肩を組んで喜んでいたものだから、それこそ周りの人からはどう思われたか分からない。


 周りからの視線なんて全く気にもならなかった。



「やっぱり早速今日電話して誘うのが筋じゃないか?」

 その日の夜、橋本さんが僕のアパートに来ていた。

 僕は会社の寮生活にどうしても馴染めず、会社近くの安アパートを借りて一人暮らしをしていた。それをいい事に橋本さんは門限に間に合わない時や暇を持て余している時にちょくちょく来る。

 以前であれば格闘ゲームや落ちゲーを朝日が昇るまでやっていたのだが、今日の話題は彼女の事ばかりだった。

「でも最初は電話で話をしてお互いの事を知りあってからじゃないと、何話していいか分からないんですけど」

 心配なのだ。

 二人っきりで会って沈黙が続いたり、面白くない人だと思われたりするのが。

「でも電話で話して面白く無かったらそれこそどうにもならないんじゃねーの?」

 買ってきた缶ビールを口に運び橋本さんがそう言う。

 通話中に無言は確かにまずい。顎に拳を軽く当てながら考えていた。

 今日の感じだと、そんなに自分から話をするタイプではなく真面目で大人しいタイプだ。

 スマホを操作する爪の長さとネイルなどをしていないところから勝手に想像していた。

 時計の針が0時を過ぎようとしている。こんな時間に電話して迷惑ではないだろうか。

「明日電話した方がいいんじゃないですかねえ。土曜日だし」

「駄目。それだったらわざわざ彼女が二時まで起きてるなんて言わないだろ。もし電話がかかってくるのを心待ちにしていたら今この一時間だってロスタイム……いやアディショナルタイムなんだぞ」

 そう言われると焦る。

 缶ビールを飲んでいる場合ではない。酸っぱいゲップが上がってくる。

「どうしましょう?」

 目尻を下げて情けなさそうな顔をしながら橋本さんは答えてくれた。

「とりあえず明日……いや明後日でもいいからどこか行こうかって聞け。どこでもいいって言われたら平等院と即答しろ。決断力ある男っぷりを見せるんだ」

「彼女が行ったことあるって言ったらどうするんです?」

「僕が行った事ないから行きたいって言えばいいだろ。あそこら辺なら店だって知ってるだろうし、塔の島の鵜を見に行ってもいい。時間を潰しながら話も出来るだろ」

 そこまで言って缶ビールを飲み干した。

「何してるんだ?」

「え、メモです」

 橋本さんが空き缶を握ったまま畳の上でズッコケると、缶から残ったビールが数滴こぼれ落ちた。

「ああ、もう汚い」

 急いでティッシュで拭こうとしたのだが、

「そんな事より早く電話しろよ!」

 気のせいか酒のせいか少し怒っている。

 メモを片手にスマホで『仲橋恵』を表示させると、その文字を見るだけで飲んだビールが上がってきそうになった。

「メモに頼るなって仕事でも言ってるだろ」

「その割にはいつもメモとれメモとれって言うじゃないですか」

 都合がいいんだからこの人は。

 恐る恐るスマホをタッチすると、通話が始まる。

 もう後戻りできない。首筋から胸元にかけて汗が流れた。


 トゥルルル…。トゥルル、


『はい、仲橋です』

 落ち着いた声。

 昼間の交差点とは違いハッキリと声が聞きとれる。

「もしもし、あの…柳です」

 さっきは仕事であまり話ができなくてごめんね。心ではそう言っていたのだが、言葉に出来ない。

 橋本さんはもう一本缶ビールを冷蔵庫へ取りに行っている。

「あの、明日って暇……ですか?」

『ええっと、うん……暇だよ』

 だよ。

 だよっていうのが凄く親近感があっていい。

「じゃあ、一緒にどこか行かない?」

 必要最小限の事ばかり話している気がする。

『うーん、じゃあ、平等院に行きたい』

「え、平等院?」

『うん』

 一瞬視線を橋本さんに向ける。

 手でグーのサインを顔の前で出しながらビールを飲んでいる。

『私、最近引っ越ししてきたばかりだから行った事ないんだ』

「あ、そうなんだ。僕もそう。あの……あれっ」

 僕は引っ越ししてきて何年目だっただろう。とっさに考えるのだが、答えが出てこない。慌てて指を折って考えるのだが焦ってしまう。

「……高校卒業してからずっとこの辺に住んでるけど、まだ行った事なかったんだ。近くまでなら何度もあるんだけど」

 道案内ならまかしておいてと言いたかったのだ。

『じゃあどこで待ち合わす?』

「うーん、土日は駅も人が多いからなあ。仲橋さんはどこから来るの?電車?」

『ううん。駅なら歩いて行けるよ』

 割と近くに住んでいるのかも知れない。

「そうか、じゃあ、今日会った所で待ち合わせする?」

 そうする事で今日の……いや今日までのドキドキ感が再現できる特典も付いてくる。

『うん、分かった。何時かな。朝早いのは苦手だけど』

「じゃあ、10時にしようか。土曜日の朝10時」

 僕は時間と場所をメモにしっかり書きながらそう言った。

『え?明日って今日の事なの?』

「え?」 

 時計を見ると、もう12時をとっくに過ぎていた。仲橋さんは12時を過ぎれはそれは今日扱いになるみたいだ。

「ええっと、今日だと都合悪い……よね。じゃあ日曜でいいよ」

 あわてて予定を変更しようとする。どうせ僕はどちらも暇だ。

『ううん。今日がいい。私も今日の方がいい』

 それなら良かった。

 話したい事は沢山あるのだが、橋本さんが酒のツマミに聞いているのも嫌だし、仲橋さんも僕の隣に誰かいると知ったら気にしてしまうだろう。

 それどころか仲橋さんは今日僕たち二人の事を恋人ですかと聞いてきたんだ。もし同じ部屋に居ますなんて知ったら……無用の誤解を招いてしまう!

『それじゃ、楽しみにしてるね』

「うん。僕も。おやすみ」

『おやすみなさい』

 耳元でささやかれたような錯覚に陥りまた胸が躍り出す。

 通話が切れた。


 おおよそは全て聞いていた橋本さんにガッツポーズを見せる。

『やりましたよ。橋本さん。これはデートですよデート』

「おお、良かったな。それじゃあ乾杯しよか」

 冷蔵庫から今度は缶ビールを2本出してくる。

 朝10時ならまだ飲んでいても大丈夫だ。

 二人でささやかな祝勝会をした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ