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9月12日 月曜日

 9月12日 月曜日

  

 真夜中にスマホに着信があった。

『公衆電話』

 と表示されている。誰だか分らないが大事な用事なのかも知れない。 

 着信拒否せずに放っておくと簡易留守電に切り替わる。

 音声だけをそっと聞いていた。

『俺だ。前に言っていたよな。何かあったら電話するって。あったぞ』

 橋本さんの声だった。

『今日、あの交差点に15時に来いよ」

 ツーツーツー……。

 電話が切れた。

 それだけだった。

 


 左腕の痛みを我慢して出勤した。

 出勤早々、係長が休憩室で待っていた。

「不法侵入じゃなくて何か怪我の口実は作れんのかね」

「ええ?」

「他社の塀から落ちて怪我したなんて――管理職に言える分けがないだろ」

 ああ。そう言う事か。

「だったら、人命救助とかどうでしょうか?」

「もっと現実味のある理由じゃないと駄目だ」

 それが現実なんですとは言えない。

「アパートの階段が滑って手摺を握ろうとしたら引っかかって複雑に折れたとかは……」

「よし、それでいこう。誰に聞かれても階段から滑ったと言え。分かったな」

「はい」

 30秒で話が片付いた。

「おはようございます。柳、腕は大丈夫か」

 橋本さんがいつもの時間に入って来た。 

「ええ、アパートの階段から落ちて骨折しましたけど大丈夫でした」

 係長と僕の顔を交互に見る。

「わかりました。じゃあそれで」

 それで悟ったようだ。


 仕事を終えていつもの踏切を渡ろうとした時、踏切が鳴り遮断機が下りた。

 普通電車と快速電車が右から左、左から右、そしてまた右から左、左から右……。

 遮断機が上がる頃には自転車と歩行者が列を作っていた。

 踏切を抜けていつもの交差点に差し掛かる。

 そこには一人の女性が立っていた。


 見覚えのあるカーキ色の長いスカート。


 ――恵だ!

 

「恵!」

 ぎこちなくギブスをした左腕を振って走る。

 急がないと消えてしまうかと思った。


 恵はどうしていいか分からない表情をしていた。

 でも近くまで駆け寄るとちょっと怒りだした。

「遅い。今日は待った。本当に待った。1時間は待った」 

「え? 何それ、聞いてないけど」

 すると恵は下を向いて謝った。

「ごめんなさい。私、敦司に会う資格なんてないよね。でも謝らないといけないと思って」

 腕に巻かれたギブスをこわばった顔で見つめている。

「ああ、こんなの治るからいいよ。それより僕は恵の方が心配だった。電話も出ないし。本当にもう別れのデーター取りが終わってしまったのかと思ったよ」


 必死に平気なふりを装った――。


 あの事故を『芝居』で片付けてしまおうとしている日向の度胸が凄いと感服する。

 心臓は初めて出会った時よりも強く脈打っていたのだが――、

「……私は大丈夫だよ。プログラム修正すればいいだけなんだから」

「え――?」


 ――死にそうになったのに、プログラムの修正なんかで平気だなんて――


「……」

 言葉を飲み込んだ。

 これが仲橋恵――愛して止まない僕の彼女だ!


 ふーっと息を吐き出す。

「便利だなあ。恵のプログラムって」

「うん。そうなの。ロボットのプログラムって言うのは便利になる為に作られているのよ」

 ロボットって聞くと、今は少し可笑しかった。

「ははは、でも人前でロボットって言ってて聞かれるとやばいよ」

「そうだね、やばいね。中二病とかマジで言われるかもだね」

 そっと右手を出すが――恵は一瞬ためらった。


「敦司、私なんかで良かったの? 痛い子だよ……」

 言葉が痛かった――。


痛い子なんて、この世に存在しないと言いたかった。


「……恵と別れる方が痛い。心が痛いよ。それより、恵こそ僕なんかで良かったの?」

 そっと手を繋いでくれた。

「良かった。敦司じゃないとダメだった……」

 大きな瞳が潤っていた。

 手の温もりが傷ついた心を安堵させてくれる。

 暖かかった……。

 いつもより強く握り合っている。


「そう言えば、どうして電話に出てくれなかったの?」

 ちゃんと答えは準備してある筈だからあえて聞いてみる。

「うん。壊れてた。私のスマホ、木っ端微塵に」

「ああ。それでか」

 深くは勘ぐらない。

 今は修理中で代替え機を使っているそうだ。

 連絡先等のデーター移動が出来なくて番号が全て消えてしまったらしい。

「じゃあ、今日はどうして待っててくれたの?」

「昨日、橋本さんから電話があったの」

「えっ?」 

 ――橋本さんは何も言っていなかった。

「敦司君に何かあったって。私、敦司君が救急車で運ばれたあと、何があったか分からなくて。まさか怪我してたなんて知らなかった」

 あんな落ち方をして怪我くらいしてなきゃおかしいだろ。

 それにもし無事だったら救急車だって乗せてくれないよ……あえて言わない。

「ん、ああ。ちょっと演技にしては日向さん練習不足で……落ちた時に折れたんだ」

 恵が赤くなる。耳まで赤くなる。

「えっ! ――これ骨折してるの?」

「うん。ギブスだよ。でももう痛くない。痒い」

 拳でコンコン叩いてみせる。実はまだジンジン痛い。

「全然無事じゃないじゃない。日向さん、『彼なら練習不足でズッコけただけだから気にするな』って言ってたのに」

 ははは――はっ!

 じゃあ、入院していたのも聞かされていなかったのか――?

 どおりで恵がお見舞いに来てくれなかった分けだ。

 病院も病室も伝えていないのでは?


 ――やられた!

 あの野郎、私の負けだとか何とか言ってたが、果たしてどっちが負けた事やらだ!

 恵に変な心配やプレッシャーがかからないようにそうしたのだろうけど……。

 次に会った時には絶対に文句を言ってやる。


「すっかり仲直り出来てるじゃん」

 後から声がして振り返ると、橋本さんが社服姿で立っている。

「橋本さん。昨日、恵に電話したんですか」

「うん。した。何か喧嘩してそうだったから呼び出してみた」

 いとも簡単に――。

「恵が仕事中だったり、僕が残業していたらどうしたんですか」

「あ、そうか。どうしようか。あんまり考えて無かった。つうか、恵ちゃんなら柳に何かあったら仕事そっちのけで来ちゃうよね。いい子だから」

「はい」

 少し赤くなりながら答える。

 はあ……やっぱりかなわないなあ。橋本さんには。

「じゃあ、俺はコンビニ寄って帰るから。あんまり喧嘩するなよ」

「してませんって!」

 笑いながら歩いて行った。

 

 言われてみると、付き合ってから喧嘩をした事は無かった。

 したいなんて思わない。ただ、喧嘩もしないカップルなんて存在しない。それはカップルじゃない。喧嘩をしても仲直り出来きてこそ真のカップルだと思う。

「ねえ、敦司君これから暇?」

「え、ああ。別に暇だけど」

「じゃあさ、うち来る?」

「うん。行きたい」

 破れかけていた胸の傷が暖かく少しずつ包まれていく感じがした。 

 目頭が熱くなった。

「じゃ、行こ」

 繋いだ手をぐいぐい引っ張って恵が歩く。

 手から早く早くと気持ちが伝わってくる。



 恵の部屋に入ると、懐かしさに驚かされた。

 初めて来た時とは比べられないほとリラックス出来た。

 すーはーすーはーと新呼吸したい気分だ。

「はい、お茶をどうぞ」

 ティーポットから紅茶を淹れてくれる。

「ありがとう」

 紅茶のいい香りを口の中で楽しむ。

 入院中に一人で考えついた事をそっと言った。


「恵、プログラムを止めてもいいよ」

「え?」


 ティーカップを持ったままこちらを向いた。

「いや、だから……。僕の前だからって別に恋愛上手でいる必要もない分けだし、自然のまま、いつものままの恵でいいから。パソコンやっている時が本当の恵なんだったら、そんな恵も好きだから――」


「僕の前では……せめて僕だけの前では恵に本当の姿で居て欲しいんだ」


「――うん。わかった」

 ティーカップを置いてパソコンの電源を入れた。

 パソコンが立ち上がる特有のメロディーが流れる。

「――ん? そう言えば、そのパソコンの中のハードディスクを外して会社に持って行ったんじゃなかったの?」

 ハードディスクがなければコンピューターは動かない筈だ。

 日向の言葉を思い出した。もう成長する事が無いと言っていた。

「うん。でもそれは二つの内の一つだけ。ミラーリングで常に二つのハードディスクには同じプログラムとデーターが入っているのよ」

「つ、つまり。まだまだプログラムは成長していくって事?」

「うん。プログラムも人の心も成長していくものなのよ」

 ああ、なるほど。恵が言う言葉が成長している。

「僕も成長しないといけないなあ」

「じゃあさ、僕じゃなくて俺って言ったら? 男らしく成長出来るかもよ」

「え、お、俺?」

 何か大人ぶっていて恥ずかしい。

「おかしくないか? 俺」

「全然おかしくない。俺の方がかっこいい」

 俺か、うーん、はたしてこんな事が成長って言えるのだろうか。


 恵は絨毯の上にペタッと座ってパソコンを始めた。

 前に見た時と同じ姿だ。

 仕事の為にパソコンをしているイメージと全く違う。


 お気に入りの曲を気持ち良く奏でるピアニストの様に見える。

 目を閉じたり、想いを巡らせたりしながら至福の一時を楽しんでいるようだ。

 

 しばらくその姿に見とれていたのだが……。やってみたい事があった。

 俺……はその恵の太ももの上に頭を乗せて寝転がった。

「あー、ここ最高」

「ちょっと、重たいでしょ」

「限界がきたら言って。直ぐにどくから」

「――もう」

 しばらくはいいようだ。顔がほんのり赤い。

 この角度から見る恵は新鮮で、柔らかい枕は暖かく居心地がいい。病みつきになってしまいそうだ。

 そして横を向くと……。


「……電池ボックスあるかなあ」


 そおっとシャツを捲ろうとすると、恵がパチンと軽くホッぺと耳の辺りを叩いた。

「……エッチ」

 キーンと小さく耳鳴りしたのが心地よかった。


 パソコンの画面端には、


 10 REM NAKANAORI

 20 ■


 と文字が入力されていて、カーソルがいつまでも点滅を続けていた。


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