9月10日 土曜日
9月10日 土曜日
「ああ――ごめん。途中で分けの分からない奴に捕まってさ。困ったよ」
手摺の手前と向こうとで向き合った。
さりげなく手摺を触って確認する。飛び越せない高さではない。
「そっち、行こうか」
首を横に振ってそれを阻止された。
「危ないからダメ」
簡単に阻止された。恵の発言に絶対の力がある。
「そっか。それで、どうしたんだ」
本題に入る。
ここからは守衛の建物や正門は見えない。遠くのビルと月の光で青白くお互いの顔が確認出来る。
「今日ね、朝、会社に来てたでしょ」
唾を飲む。嘘をついても仕方がない。
「……ああ。見てたのか」
「うん。日向さんと話してた。私も呼んでくれたら良かったのに」
淡々と話す恵の瞳はしっかり僕の目を見ている。
いつも通りだ。僕が可愛いと思った恵のまんまだ。つまり、
――プログラムに沿って行動している。日向が言った通り、近づけば無条件に飛び降りる気だ。
「ごめん。どうしてもあいつに……日向さんに聞きたい事があってな」
話を濁そうとするが恵は濁さない。その瞳の色と同じように。
「じゃあ、私の事も全部聞いたね」
「――」
返事に困る。胸が苦しくなる。
見てもいないのに面接会場の場面が脳裏を駆け巡る。
剃刀の刃が落ちる所まで映し出される。
「ああ。聞いた」
すっと恵が息を吸った。
「ああー良かった。私の事、全部知って貰えて」
「えっ?」
安堵の笑顔を見せた。
「私は私なりに迷っていたのだよぉ。別れのデーター取りをしないといけないのに、敦司が別れたくなかったらどうしようかと……。それで、本当の私の事を話したら、優しい敦司君でも私の事を嫌いになれるって気付いちゃったの。プログラムしなくていいから迷う事なんて全然無かったのよね」
楽しそうに坦々と喋る。
「そんな事なんかで嫌いになんかなる分けないだろ」
「なるわ」
今までにない少し強い口調だった。
一度口を閉じて続ける。
「本当の私はプログラムで動いているような可愛い私じゃないもの」
僕に背を向けて話し始めた。両手を後ろで軽く繋いでいる。高所に恐怖を微塵も感じていなかい。
「パソコンの前でロボットのプログラムを作っている私。会社のパソコンでネットを使って調べ物ばかりしている私。作ったプログラム通りに行動できると嬉しくて、バグがあると苛立つ私」
急に振り向く。
「私はプログラムされたロボット。心無い人間にプログラムされた心無いロボット。家電製品のようなもの。――そんな私が心のプログラムなんて作れるわけ無かったのよ」
――目に一杯の涙を浮かべて話す君を、誰がロボットなどと思うだろうか――。
「日向さんと話したんでしょ。あの人、私と違って心があったでしょ」
心?
冷徹な奴だとしか思わなかった。
だがさっきの赤い目を見て分かった事がある。
自分の不甲斐無さが悔しくて堪らない。
僕のような小僧に託さなければならない自己嫌悪と嫉妬。
最後の希望。
全てを託したのだ。
恵の事が大切でたまらないのだ。だから採用して自分で何とかしてあげたいと思ったのだろう。
その心に応えない分けにはいかない。
恵をこんな所で失ってはいけない――!
「……ああ。熱い人だな。恵が惚れても仕方ないと思ったよ」
少し頬が赤くなった。
血の気が引いたがいつものそれでは無かった。
「日向さんはロボットに心をプログラムする事に本気で着手してた。ロボットに心をプログラム出来るような凄い人なら、人にも簡単に心を教えてくれるんじゃないかって勝手に期待をして……それで面接を受けたの。どうしても日向さんと一緒に仕事をして、私にも人の心をプログラムして欲しかった」
「心の……プログラム……」
「うん。そんな憧れの日向さんは私を可哀そうな目で見て言ったわ。とりあえず誰かと付き合って別れ、恋愛をして相手のデーターと自分の感情のデーターでも取ってみろって。それが会社の為、日向さんの為になると信じていたのに……」
手摺を掴む手に力が入る。
「日向さんの為じゃ無かった――全部、私の為だったなんて……」
「恋愛なんてした事が無かった。だから最初の部分は日向さんが作ってくれた」
奥歯を噛みしめた。
恵の瞳が優しく僕を見る。
「それで声を掛けたのがあなた。最初のプログラム通りに私に応えてくれた」
『宇治市役所はどっちに行けばいいんですか?』
『市役所はこの坂を真っすぐ上がっていけば右手の方に見えてきます』
――そんな最初の出会いから日向のプログラムだったのか。
「日向さんが求めているプログラムなんて作れなかった。あなたの行動をデーターにしてきただけ。データーを取る為に必要なプログラムを作って覚えただけ……」
つまり――、
僕じゃ無くても――良かったんだ……。
日向の言われた通りの恋愛のデーターが取れれば、誰でも良かったんだ……。
――それを運命の出会いだなんて舞い上がっていたとは――。
手摺を放してしまう。
このまま――帰ってしまおうかという絶望感すら覚えた。
もう、捕まえるタイミングを見定められない。
誰でも良かったなんて考えていた彼女に、なぜ僕はこんなに真剣になっていたのだろうか……。
手摺に背を向けた。
別れのプログラムが……完成してしまう……。
それでも――。
恵は全てを語ってくれた……。
偶然声を掛けただけだったとしても、そんな僕に恵は全てを語ってくれた……。
それに対しては自分も全て語っておかなくては……何か不公平だよな。
上から目線は駄目だって前に誰かに言われた事があった――から。
足を止めた。
「恵に声を掛けられて。正直、嬉しかった。奇跡だと思った。日向の作ったプログラムで、もし恵が本当はロボットだったとしてもその時の嬉しさは変わらなかったと思う」
恵の表情は見えない。
見無くても分かる。どんな顔で聞いているか分かる。
「一緒に居て楽しかった。ずっと一緒に居たいと思った。プログラムを完成させたいのなら――」
一瞬言葉が喉に詰まる。
「別れる事すら覚悟出来た」
「……敦司」
「恵と付き合ってきた時間は僕の人生の宝物だった。初めて他の人に自慢出来ると胸を張って街を歩けた。自分の全てに自信が持てた。そして恵と一緒になれた時、もうこれ以上の幸せは無いのではと怖くなる自分がいた」
気が付くと、また手摺り越しに恵と向かい合っていた。ポタポタと手摺りに水滴の跡を付ける。
恵との距離は1mも無かった。
捕まえようと思えば捕まえられた。でも体を捕まえても駄目なんだ。
心を捉えなくては意味がないんだ。
「そうね。あの時、敦司、気持ちいいって言ってたもんね」
「ロボットなのにね。心無いロボットが相手なのにね」
そんな言葉に、まだ心の距離がある事に気付く。
「恵だって……真っ赤になっていたじゃないか」
――命懸けの賭けに出る。
もう後戻りは、出来ない――。
「恵はいつもプログラムで動いてたなんて言うけど、たまに耳まで真っ赤にしていたよな」
恵の顔は少しずつ赤みを帯びていく。
「僕は、その時が一番可愛いと思っていたんだ。そんな恵が一番大好きだった」
最初はペットボトルを回し飲みした時だった。
自分が口を付けたペットボトルに直ぐ口をつけて飲まれるのが恥ずかしかったんだ。
手を繋ごうと言っておいて、いざ繋いだ時の感覚まではプログラムに出来てなかった。
繋いで初めて気付いた事に驚かされたんだ。
キスするかも知れない時もそうだった。
するかしないか分からない自分に気付いて戸惑った。
二人が泊まるのを確認し合った時もそうだった。
あの時は僕も赤くなった。
赤くなる癖を見つけたって話をした時もそうだった。
鎖骨を隠しながら赤くなっていた。
胸以外にの所にまで興味を持たれているなんて思ってなかったんだろ。
耳まで真っ赤にしていた。
「今でもしっかり覚えている。真っ赤になって顔を少しだけスマホで隠していた君の姿を」
恵は無意識のうちにポケットからスマホを出して顔の所へ持って行く。
「耳まで赤くなるなんて、プログラムされてないだろ。それはバグなんかじゃない! ――心で動いてる証拠だよ」
恵の耳はもう真っ赤だ。
「恵は頭がいいから全部頭で考えるけど、どうしていいか分からない時だってあった。でもそんな時はちゃんと心で動いてたんだよ。それでちゃんと最高の対応をしていたじゃないか」
顔の前にスマホを持って立ち尽くしていた。
手摺を飛び越えて恵の隣に立つ。
「心が無いなんてあり得ないよ。恵は心ある僕の一番大切な人だ。だから一緒に帰ろう」
別れるなんて――ありえないんだ――!
「……」
力強く手を出して指を開くと、恵の手が少し動いた。
喉の奥から感情が押し寄せ、恵は嗚咽を上げて――泣いた。
子供が怪我をした時のような……あどけない泣き方だった。
恵の心は中学のあの日から成長しなかったのだろう――。
それを誰にも悟られたくなかったんだ――。
自分をプログラムで動いている事にして、誰にも知られたくなかったんだ。
手を伸ばして恵の手を取ろうとした時、恵の視線が一瞬僕から外れた。
不意に恵の視線を追ってしまった――。
――遠くから赤色のパトライトが近づいてくるのが見えた。
視線を戻すと、恵の体がゆっくりと手摺の反対側へと倒れて行った。
――え、何で?
心が伝わったはずなのに――?
ゆっくりと倒れたお陰で無意識のうちに出た僕の右手が恵の手に届いた。
間一髪のところで間に合った!
良かった!
その手を引き寄せる時、反対の手は手摺りに届かない所にあった。
建物の屋上から抱き合って落ちた――。
抱きしめた。
恵の頭を胸の前でしっかりと抱きしめた。
恵の口が動く。
「敦司の……心」
声は僕には届かなかった。
地面に恵の持っていたスマホが叩きつけられ、液晶が割れて跳ね上がる。
「開けえ!」
怒号が聞こえるのと同時に二人の落ちる先でブルーシートが勢いよく張られた。
――が、
そんな物で重力加速度を完全に止める事はできず、僕と恵はシートを突き破り地面に激突した。
左の肩から鈍い音が腕全体と頭に響く、次の瞬間、恵の重さが胸にドンとのし掛かる。
一瞬の出来事であった。
日向と守衛の人が駆け寄ってくる。声が……聞こえない。
別にどこも痛みを感じない。
口も動かない。
声も出ない。
視線の前で恵が日向に捕まれていた。
また口元を隠して真っ赤になっている。
スマホが無くて顔が半分も隠れていない。
へへ、どうしていいのか分からないんだな。
こういう時は、泣いて駆け寄ってくるとか、大声で叫ぶとか、それくらいプログラムしておけよ。
真っ赤になって日向に捕まってしまって……一安心……か。
チクショウ――。
何度もビルから落ちる夢を見て、体がビックと動いた。
目が覚めると、自分のアパートでは無く、全体がぼんやりと白く明るい部屋の中に居た。
部屋と同じ色のベッドに寝かされていた。
嫌な夢を見た。シャツが汗でベトベトになっている。
起き上がろうとするが上手くいかない。
特に左手が全く動かない。
前にもこんな事があったなあ……。
あの時は確か、左手で恵を腕枕していて完全に痺れていたからだ。
左手を見ると、恵は居なかった。
恵の代りにまっ白い物が肩から腕全体に巻きつけてあるのが見えた。
「あ、起きた。おーい。俺が分かるかー」
何とも感動の無い声の掛け方だ。
顔の前で手をヒラヒラ振る。
「……? どうしたんですか、橋本さん。こんな所で」
「それは俺の台詞だって。お前こそバカな事して」
昨日の事がすぐに思い出せない。
それどころか昨日で良かったのかも定かでないのだが、少しずつ思い出してきた。
「お前、彼女の会社に忍び込もうとして塀から落ちたんだろ。それで鎖骨と腕の骨を折って……」
「へっ?」
そんな事だったっけ?
もっと重大な事だったと思ったけれど。
「塀から落ちてずっこけて骨折?」
塀なんて登っていない。手摺を飛び越えたのは思い出した。
いや、――その手摺を左手が掴めなくて恵と落ちたのも覚えている。
その前のやり取りもしっかり全て覚えていた。
――橋本さんは誰かに違う事をふき込まれているんだ。……たぶん。
「馬鹿か? 向こうの会社のお偉いさんに見つかったから内密に処理してもらえたらしいけど、警察とかに通報されてたらクビになるぞ」
本当に心配してくれている。
部屋に時計があった。昼の2時を指している。
喉の渇きに気付いた。
近くの机にペットボトルの水が置いてあるのだが、体のあちこちがギシギシ歪むように痛く、上手く体を動かせない。
それに気付いた橋本さんがペットボトルを取ってくれた。
キャップを開けて一口飲んでから僕の方へ出す。
……何か、嫌だ。
「ん? 水が欲しいんじゃないのか?」
「いえ……水ですけど、何か嫌です」
恵の飲みさしであればともかく……。仕方なく飲んだ。
話声で気付いたのであろうか。
彼女が入ってきた。
「柳君起きたの。ああ良かった。無事で」
「来てくれてたんですか。ありがとうございます」
ポッチャリした女性。橋本さんの彼女だ。
「電話で聞いてビックリしたんだから。若いからって無茶な事したら駄目よ」
「す、すみません」
橋本さんの横に肩を並べて座る。本当に仲が良さそうだ。
「係長もさっきまで居たけど、命に別状が無いって聞いたらさっさと帰ってった。ちょっと怒ってたから月曜日に出勤出来たらちゃんと謝っておけよ」
謝る?
僕が?
何か納得できないなあ。
「そりゃそうだって。よその会社に不法侵入して、怪我までして……。夜中にうちの会社の守衛を通して係長に連絡が入ったんだから、怒るだろう普通」
「……そうですよねえ」
事実がすり替えられているのだが、まさか本当の事を言えない。
考えないようにした。
今思い出すと言葉が詰まり、橋本さんに――バレてしまう。
「念のためにCTも撮られて頭は大丈夫らしいから、退院する前に電話しな。車で迎えに来てやるから」
「ありがとうございました」
「お大事にね」
橋本さんと彼女は椅子から立ちあがって部屋を出て行った。
病室は一人部屋でレースのカーテンから夏の風が流れる。
体を起こして、ゆっくり立ち上がってみる。
体のあちこちが痛いが、左腕以外は問題なく動いた。
月曜日から出勤出来れば会社に迷惑を掛ける事もない。
いつも通りに仕事は出来ないだろうが、資料作成くらいは出来そうだ。
机に置かれたスマホを見た。
液晶に縦に1本ヒビが入っていた。
タッチすると動作には影響ない。やれやれ、春に買ったばかりのお気に入りだったのに。
着信履歴を見てため息をつく。
係長、橋本さん、見慣れない番号……日向の番号だ。
仲橋恵は無かった。
『仲橋恵』を表示し通話を押す。
何を話していいのか分からないが声が聞きたかった。
ツーツーツー…。
やるせなかった。
怪我をしても音沙汰なし。連絡も通じない。
何もかももう終わったのかと思ったが、気持ちは変に渇いていた。
夕方に日向が見舞いにフルーツの盛り合わせを持って来た。
そのカゴには会社名が書かれた紙が貼ってあった。
「元気そうでなによりだ」
「どういたしまして」
どこを見て元気だと言うのだ。悪意を込めて返事をする。
「そんな事より恵はあれからどうなったんです。大丈夫なんですか?」
「ああ、寮へ送っていった。君と違って割と平気そうな顔をしていたよ」
恵が怪我をしなかったのは幸いだった。
「心配……してなかったんですか。僕のこと」
「――心配そうにしていたから、別れのデーターを取る為に君とこっそり協力して一芝居打ったとだけ言っておいた。真に受けていたよ」
「……」
あんな芝居ができれば――俳優になれるだろう。
「昨日、仲橋に移動の話を告げたら急に寮へ帰ってしまった。それで自分のパソコンのハードディスクを持って来て会社のパソコンに繋げてこう言ったのだ」
――私が中学の時から打ち込んできた全てです。人工知能作成に役立てて下さい――
「プログラムを調べたら大したものだと思ったよ。その膨大な量がね。ただ、そこには彼女の弱い部分が浮き彫りになっていた。嫉妬やねたみといった複雑なプログラムはまだまだ作れそうにもない」
前に恵が言っていた。
データーを入力し続けても本当の人工知能は作れないと。
「仲橋は会社のパソコンでプログラムを完成させて欲しいと私に託した。未完成の別れのプログラムを見た時、しまったと思ったのさ。恋愛の別れがこの世の別れで作成されようとしていた……想定外だった」
両の掌を上に向けてやれやれと言った顔をする。
「そのせいで死にかけたんですよ。責任とって下さい。僕にじゃなくて恵に!」
「ああ分かっている。今回の件で仲橋は当分移動はしない。休職届も承認されている。長引けば辞めるかもしれん」
「何だって!」
身を乗り出すと、体のあちこちから痛みが走った。
「会社としては問題を起こす社員を置いておきたくはない。かといってクビにも出来ない。本人が働けないなら休職をして回復を図り、駄目なら退社してもらう」
「あんたの本音じゃないだろうな」
窓の外を向いていた日向はそのまま答えた。
「――当たり前だ。もしそうなら最初から採用などしない」
「……そうだよな」
こちらを向いて続ける。
「君には負けたよ。私には妻子が居る。あんな無茶は出来なかった」
急にどうした。
「礼を言われる筋合いはない。恵を助けたい一心でやった事だ。それよりも、ブルーシートよりマシな物は無かったのかよ」
「フン、会社の備品倉庫など入った事も無かった。守衛と懐中電灯で探して無我夢中だった。まさか本当に落ちてくるとは思わなかったが、実のところ間一髪だった」
あの時、日向のスーツは汚れ、靴には大量の泥が着いていた。走りまわっていたのだろう。
「もう彼女のプログラムは成長しない。ハードディスクが会社にある限りデーターが蓄積されて行く事もないだろう」
「恵は心あると気付いてくれただろうか……」
あの時、僕の差し出した手を掴めないでいた。
「難しいな。もしそうなら今ここで君が私と話をしている事なんて無い筈だからな。連絡しても繋がらない。一体どこに居るのやら……」
日向はメガネを一度触り、そのまま出て行った。
寮には居ないのか?
一体どこで何をしているんだ。
どうして会いにも来てくれないんだ。
まさか、また会社の屋上に居るのではないだろうか。
こんな所に長くは居られない。
明日はもう退院しようと荷物を片付けた。
病院で寝ていると色々考えてしまって逆に病気になりそうだ。
夜になっても恵は来なかった。
眠れずに昨日の事を考える。
僕の手に向かって手を伸ばしたのは、心が通じた筈だった。なのになぜ飛び降りてしまったのだ。
一つの疑問が浮かぶ。
――ロボットや人口知能が、本当に心を欲しがっているのだろうか――
心があるから辛い思いをする。辛い思いをさせてしまう。
それが分かった時、自ら心を持つ事を拒絶するのではないだろうか。
役に立つ為に生れて来た物が、悲しみを招く事を望むだろうか。
心のプログラムなんて分からない。
ロボットに人間の心は分からない。だが、人間にだってロボットの気持ちなんて分からない。
心が無いのでは無く、無いと決めつけて理解しようとしていないだけではないだろうか。
恵は人の心は分からないと言っていた。気付いていないだけだと思った。
でも逆にロボットの気持ちが多少なりとも分かるのだろう――。
ロボットとして僕と付き合い、どうしたらいいかを考え、それ故に別れに悩んでいたのかも知れない。
日向さんの下で一日でも長く働きたいと思っていた筈だ。
人でもロボットとしてでもいい。
これ以上、辛い思いだけはして欲しくなかった。