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9月9日 金曜日

 9月9日 金曜日


 昨日は眠れなかった。


 ただ時間だけがあり余り、久しぶりにゲーム機にも手を伸ばしたが、何故こんな物にハマっていたんだろうかと呆れるくらい面白くなかった。

 恵にも電話を掛けた。

 しかし電話に出る事はなかった。

 もう二度と取ってくれないのか?

 絶望しかけた。


 ――いや、それはない。


 そうは思わない。

 恵にはまだ大事なデーター取りの仕事が残っているからだ。


 どうしてもその前に確認しておきたい事があった。

 その方法を考えていて夜はほとんど眠れなかったのだ。

 時計はの針は8時30分を回った。恵が出社する時間を過ぎた。


 ――敵地に乗り込む時間が来たのだ。


 出勤時間帯は正門が大きく開かれ、門の横の詰め所には数人制服姿の守衛が立っている。

 ここを走り抜けて中に入ろうなんて野暮な事は出来ない。恵に迷惑を掛けてしまう。

「おはようございます」

 守衛の人は快く挨拶を返してくれた。

「おはようございます」

 スーツ姿の僕は、何処から見てもサラリーマン。

 普段からサラリーマンなのだが、私服で通勤しているとその事を度々忘れてしまいそうになる。

「企画開発グループマネージャーの日向さんと面会できるでしょうか」

 昨日手渡された名刺をさりげなく見せながら聞く。

「日向マネージャーでしたらまだ出勤していませんが」

「え、そうなんですか。ではここで待たせて頂いてもよろしいですか」

「ああどうぞ」

 門の端の方へ移動しつつ、会社内を見渡した。


 ゲーム会社の割に奇抜なキャラクターやポスターなどは貼ってない地味な建物だ。

 駐車場には沢山の車が並んでいる。

「あ、来られましたよ」

 守衛の一人がそう声を掛けてくれた。

「おはようございます」

 あいさつをしたのは守衛だ。

 全員が深く礼をしているのを見ると、日向の会社でのポジションがどの辺りかよく分かる。

「おはよう」

 挨拶を返している。

 守衛の人が僕の方を手で指すと、日向が振り向いた。

「おはようございます」

「……。おはよう」

 話をする為に来たのだが、どこでどうやって話そうかまで考えて無かった。

「ちょっとお話がありますが、よろしいでしょうか」

「着いてこい」

 正門入ると直角に曲がり、建物と全く逆の人気のない所へと連れていかれた。


 喧嘩をするなら上等だ。

 負ける気なんてさらさら無い。


「話しがあるんだろ。さっさとしろ。こちらも会議で忙しい身だ」

 ――ここでか?

 人は居ないが、大事な話をするような場所でもない。しかし時間は限られている。

 仕方なく口を開いた。

「昨日、恵に聞いた。プログラミングの為にデーターを取っているって事を」

 僕のデーターだ。

「ああ、仲橋はそう言っていたなあ。もうすぐ終わるそうじゃないか。それも聞いているんだろ」

「――ああ」

 だから今日ここへ来た。それからの事が知りたかったのだ。

「それが済んだら、恵をどうするつもりだ。彼女はあんたの為に辛い思いをした。それでもあんたの為に働きたいと言っている。今みたいな仕事を続ければ――いつかはまた閉じこもってしまう」

「仲橋は――配置転換する」


 全く予想していなかった答えだった。

 日向と違う部署へ変わるのなら願ったり叶ったりだが、――複雑だ。


「移動だと? どこへ」

「企業秘密だが――仕方がない。君には教えてやろう」

 回りを一度確認すると一歩近付いた。

 企業秘密と言っておいて、会って二日目の人間に話すなんて――何の企みだ。

「本社のクレーム対応室だ。そこで駄目なら退社を迫られる」

「――なんだと!」

 両の拳を爪を立てて握り締め日向を睨みつけた。

「そんな仕事、恵が今までやって来た事と全く関係ないじゃないか」

「君も、企業で働く一社員なら想像できるだろ。私一人の力ではどうにも出来ないのだ」

 腕時計を確認して続けた。

「仲橋が人工知能を開発してプログラミングするのは難しいと判断した。本人自身の感情が豊かじゃないからだ。他の社員との協調性も著しく欠けている。人の心が欠落している」

 昨日、確かに友達はいないと言ってはいた。だが、

「そんな事はない。良く気が効くし冗談だって分かる。一緒に居て楽しいし、人の気持ちも良く分かっている。心が欠落しているなんて言うな!」

「それは君の前で恋人を演じるプログラムに沿って行動をしているからそう見えるだけだ」

 恵が言った事と同じ事をいいやがる――。

「彼女と付き合っているのなら見たかね。大きなパソコンを」

「ああ、分けのわからないデーターをいつも打ち込まされていた」

「彼女が赴任する時に持ってきたのはそのパソコンだけだ。今時の女の子の様な可愛さも華やかさも何もない人間だった。スーツも古びたデザインの物。恐らくは母親の物だ」

「――そんな筈はない」

 いつも今風の服を着てきた。

 部屋には女の子が好むような可愛い小物や食器が溢れていた。

「先週、彼女は一度も残業などせず、寮に必要な物を買い揃えていた。女の子の部屋がどういったものかを会社のパソコンで必死に調べていた。君が部屋に来た時に違和感なくデーターが取れる準備をしていたのだ」

 データー取りの準備だと? 一週間で揃えた?

 フライパンや食器は確かに新しかった。

 昔から使っていた愛着ある物なんかは見当たらなかった。

 就職が決まって引っ越しをしたから全て新しいものを揃えたと思っていた。

「私もいくつか助言した。パジャマのサイズや色などをな」 

 目の前が暗くなるような錯覚に陥る。

 勝ち誇ったような日向の言葉。

 恵のあの悪戯はこいつの助言に従っていたのか?


 デートでの気の利いた言葉や仕草。面白いと思った冗談。可愛いと思った服装。

 それらが全て、こいつが協力していたと言うのか――!


 一度大きくため息をつくと、顔に片手を当てて日向は続けた。

「彼女が途中採用で合格した真実を教えてやろう」

「真実? なんだそれは」

 不正かコネでも使ったのか?


「面接官の目の前でこう言ったのだ。

『日向さんの下で働けなければ生きていく価値はありません。この場で死にます』

 そしてポケットから小さな片刃の剃刀を出して腕に当てて見せたんだ。仲橋は!」


 ――何だって!

 ――剃刀?


「嘘だ! そんな事、恵がする筈がない」

 する筈ないだろ……。

「面接会場が一瞬の静寂のあと、パニックになった」

「――それで、どうしたんだあんたは」

「そんな事を言い出す人間を採用していたら、会社の面接会場はこれから血の海に変わるだろと怒鳴りつけてやった。そうしたら顔と耳を真っ赤にして剃刀を落として座り込んだよ。その隙に押さえつける者と剃刀を片付ける者とでその場は治まった。仲橋はもう抵抗しなかったから怪我人も出なかった」


 ――知らなかった。

 恵は憧れている会社に入れたとだけ僕に言っていたのに……。


 ――何でそんな大事な事を言ってくれないんだ!

 日向の事がそんなに好きなのか? 

 人を道具のようにしか思ってい冷徹な奴のどこがいいんだ!


「どうせ脅しだと分かっていたが、流石に切ってみろとは言えなかった。万が一と言う事もあるからな。彼女の眼は光を失っていた。ややこしい事になるのは分かっていたが……採用すると言ってやった。ロボットを作る為に仲橋のようなのが役に立つかもしれないとも考えた。その時は――」

「だったら何で移動なんてするんだ」

「我々に求められているのは会社のマネージメントであって、社員のメンタルヘルスではない。私らは医者やカウンセラーじゃないのだ。社員の健康や生活よりも企業の売上、存続を第一に考えねばならん。私だけの権限で一人の社員を無駄に雇っていられないのだ。他の管理職や彼女の同僚から批判の声が相次げば、一人の社員ですら守ってやれないんだ」

 メガネの奥が光った気がした。

 この野郎、――日向は悔しがっているのか?

 恵の事を本当はどう思っているのだ?

「データー取りを辞めさせたかったら自分から言いたまえ――。私が指示して止めさせても意味がない。つまり――」

 大きく息を吸う。

「彼女が私の指示通りや、自分で作ったプログラム通りに動き続け、データー取りを完成させる為に君と別れたら君の負けだ。逆にそれに背いて君と付き合い続けたら君の勝ち。つまりは私の勝ちだ」

「何だそれは!」

 ――お前の負けだろうが!


「プログラムを実行しないロボットなどありえない――それが心だ――。プログラムを無視しろというのも所詮プログラムに変わりはない。私が言ってどうこうするのでは無く、仲橋がどうしたいかが重要だ。その時こそ彼女は自分が心ある人になれたと実感する。彼女自身が気付かねばならんのだ!」


 腕時計をもう一度見ると置いていた鞄を持ち上げた。

「ここの正門は仲橋が仕事している所から目が届く。次からはもう少し考えて行動しろ」

 建物へと去って行った。


 歯の奥を噛みしめた。  

 言いたい事は言った。

 聞きたい事は聞けた。


 どうするか決まった。

 何が何でも恵とは別れない――。

 たとえ彼女が別れのデーターを一生取り続ける事になってしまっても絶対に。

 別れ話を切り出したとしても。それでお互いが傷つこうとも絶対に別れるものか――。



 23時。

 今日の仕事が終わった。

 一日が長く感じられた。

 橋本さんは何も話かけてこなかった。僕の表情がそれをさせなかったのだろう。

 更衣室で着替え終わった時だった。


 タリラリッチャン。

 ターリーラリッチャン。


 聞き覚えのある着信音が鳴り響いた。

 鞄から取り出して画面を確認すると、『仲橋恵』と表示されている。

 恵から電話を掛けてきたのはこれが二回目だ。

 スマホを握る手がこわばる。


 タリラリッチャン。

 ターリーラ…。


「はい」

『……もしもし。仲橋ですけど』

 それは分かる。表示されている。

『敦司?』

「うん。……どうしたの」

『……今から会えるかなあ』


 ――きた!

 ――こんなにも早く。

 二の腕から脇にかけて汗が滲む。


「会えるよ。……どうしたの」

『今日さ、ちょっと会社で辛い事があって……。まだ会社に居るんだけど、正門のところでいい?』 

「わかった。歩きだからちょっと時間掛かるぞ」

『大丈夫』

「会社の中で待ってるんだぞ」

『うん。わかった』

「すぐ行くから」

『うん』

「じゃあね」

『じゃあね』

 恵は通話を切らなかった。

 二人で決めたルールを忘れてしまっている。

「今日は恵が掛けてきてくれたから、恵が切る番だよ」

『あ、そうか。そうだったね。じゃあ切るよ』

「うん」 

 通話が切れた。

 それと同時に鞄を会社のロッカーに投げ入れ、走って更衣室を出た。

 恵に何が起きたのかを想像する。


 移動を告げられた?

 プログラムを完成させる為に別れ話の準備が出来た?

 いつも通りに僕に会いたくなった?


 こんな時間に恵の方から会いたいなんて言ってくるのだから、よほどの理由だ。

 流れる汗を気にせず会社を走り出た。


 タクシーか? このまま走った方が早いか?

 タクシーなら駅の方向。恵の会社とは逆方向に行かなければならない。

 このまま走ろう。途中でタクシーを見たら呼び止めよう。

 恵は歩きで構わないと言ったが、それを真に受けて歩いて行ける分けがない。

 今すぐにでも会いたかった。

 昨日の別れを最後の別れなんかに出来る筈が無かった。


 トゥルルル…。トゥルルル…。


 ポケットでまたしてもスマホが着信を告げる。

「今度は誰だ!」

 走りながら画面を確認する。

 見た事もない番号。一体何だこんな時に。

 知り合いだったとしてもつまらない理由なら一生着信拒否にしてやる。

「もしもし、誰ですか。今忙しいから切りますよ」

 すぐ切ろうとするが、聞き覚えのある声だった。

『私だ。大変な事になった』

 低くて重い男の声。

 声の主とは今朝話したばかりだ。

 冷静沈着を思わせるこの世で唯一の敵。

 その男が大変な事と言ってくる事の重大さ。

「日向? 何の用だ。今忙しいんだ。それにどうやって番号を知ったんだ!」

『そんな事はどうでもいい! とりあえず早く来い。会社の正門だ!』

 丁度今からそこへ行こうと思っていたとは言わない。なぜ恵と同じ所で待ってるんだ。

 意味が分からないのと怒りで混乱しそうだ。

『いいか、一秒でも早く来るんだ。分かったな!』

「待てよ。恵に何があったんだ」

 ハア、ハア、通話しながら全力疾走なんて出来る筈がない。

 少し走るのを緩めた。

『彼女のプログラムを見て私が勘違いをしていたのが分かったのだ。とにかく急げ、歩くな!』

 通話が強制的に切られた。

 歩くなだと? くそっ!

 また足を速める。

 何台か車に追い越されたが、その中にタクシーは無かった。


 恵の会社は真っ暗であった。

 夜勤で働く人が居ないのであろう。

 正門の所へ辿り着くと、腕を膝に置いて立ち止まった。


 ――はあ、はあ、はあ、はあ。

 マジできつい。

 マラソンを走り抜いたランナーの気分だ。

 シャツが貼り付き。髪が額にへばり付く。恵はどこだ。

 守衛の中から飛び出してきたのは、最後に電話を掛けて来た男だった。

「遅いぞ!」

「うるせー、お前なんかに会いに来たんじゃねーよ」

 日向は激しく肩で息をしている僕に顔を近づけてくる。小さいがハッキリ聞える声で告げる。

「彼女のプログラムを今日確認した。私は完全に勘違いをしていた」

 さらに肩を掴まれ顔を寄せてくる。

「彼女のプログラムの別れは、恋人どうしの別れでは無く、ロボットでいう廃棄。つまり死別だ」

「――はあ?」

 今、何と言った?

 聞き捨てならない事を日向は言った?

「もう私の指示を全く聞かない――。とにかくお前は建物裏の非常階段から屋上へ急げ」

 日向の声は試合直後の野球部員のようにかすれていた。

「間違っても今の仲橋を困惑させるんじゃないぞ!」

「何を言っている」

 日向のネクタイと首筋を掴む。

「恵を困惑させてるのはお前じゃないか!」

 掴まれたままで日向も首筋を掴んできた。

「そう言う意味じゃない。よく聞け。彼女のプログラムに無い事を言うなって事だ。彼女がフリーズしてしまうのを君も見てきた筈だ。耳まで真っ赤にして立ち尽くす姿を!」


 ――な、何だって! フリーズ? 


 恵の赤くなった顔が目に浮かぶ。

 あれば恥ずかしがっていただけじゃ無かったのか?


「プログラムに無い事を言われるとどうしていいのか分からなくなるのだ。今の彼女はプログラムと心が混乱している。どうなるか分からないぞ」

「くそっ」

 日向を放したが、日向はまだ放さなかった。

「それと、一メートル以内に絶対近づくな。絶対にだ! とにかく時間を稼げ、稼いでくれ!」

「――分かった」

 暗くてよく見えなかったが、日向の目は充血していた。

 ここから建物の屋上を見上げるが、恵の姿は見当たらない。

 息を整えると、建物裏へと走った。


「守衛! 救急車を呼んでくれ。サイレンとパトライトは絶対に点けるなと念押ししておけ」

「わ、わかりました」

 守衛の返事が後ろから聞こえた。


 建物うらの鉄製の螺旋階段を一段飛ばしで屋上へ上がる。

 ゴーンゴーンと上る音が響く。恵にも聞こえてしまうだろう。

 屋上へ上がった。


「恵!」

 端の方で何かが動いた。

 大きく息を吐きだした。そうしないと息が吸えなかった。

 足が固まる。吐き気を覚える。

 脱水症状になるかと思うほど汗を流している。

 恵は建物の端、屋上の手摺の外側でスッと立ちあがった。

「遅い。敦司君遅いよ」


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