3.顔面凶器男と幼子
「オラっ!」
ギルヴェルトは掛け声とともに、狼擬きの魔獣、ワーウルフを切り捨てる。彼は陛下の命を受けて、紅竜を連れ帰るために北の森へと来ていた。
城からの徒歩では時間がかかりすぎると判断したギルヴェルトは、愛獣サーベルタイガーに跨がって森の中を疾走していた。ギルヴェルトの脚力であれば、騎獣を使わずとも2時間かからないくらいで到着する。だが、サーベルタイガーの全速力なら1時間程度だ。ついでに言えば、竜の飛翔なら20分くらいのものだった。
数人の隊員を率いて来てもよかったが、そうすると時間がかかりすぎて、残した隊員が訓練を怠ける。それならば、単騎で往復した方がよいと考えた。ギルヴェルトは隊長がいないと訓練を怠ける隊員を怒鳴り付けるために急いでいたのだ。
「よし、トゥーラいいぞ!このまま突っ走れ!」
ギルヴェルトの騎獣であるサーベルタイガーは、5年程前に南方へ魔獣討伐遠征した際に捕獲した魔獣だ。魔獣被害の報告を受け、向かった先でボスを張っていた通常の倍はあるサーベルタイガーを、ギルヴェルトが軽く降したのだ。当時、自分が騎乗できる魔獣がいなかったギルヴェルトは、嬉々としてサーベルタイガー捕獲に努めた。一般的な魔獣では、竜種でもなければ2メートルの巨躯を持つギルヴェルトを乗せることなど不可能だった。やっと自分の騎獣を手に入れた彼は、サーベルタイガーに『トゥーラ』と名付けて猫可愛がりしている。トゥーラも、自身より力のあるギルヴェルトには素直に従っていた。紅竜よりはましだが、主人と認めた者の言うことしか聞かない問題獣である。
ギルヴェルトとトゥーラは速度を緩めることなく、飛びかかってくる魔獣を切り捨てて進んで行った。襲ってくる魔獣がいなくなり、トゥーラの速度が落ちたことで、ギルヴェルトはエンジの影響下に踏み込んだことを覚った。
「もう着いたか。トゥーラ、無理をさせたな」
ギルヴェルトは愛獣の背をぽんっと叩いて労った。トゥーラは「ガウッ」と一声あげて、何てことはないというふうに返した。実際、ギルヴェルトはかなり無茶な走りをトゥーラに強いていた。木々の間隔が狭い森を、俊敏であるとはいえギリギリか、突き出している枝をへし折って全力疾走させていたのだ。怪我こそはないが、トゥーラの毛皮には枝や葉が絡まっていた。はっきり言って、見るも無惨な姿で可哀想である。
「戻ったらキレイにしてやるから、もう少し頼むな?」
そう言うと、ギルヴェルトはトゥーラから降りて先に立って歩きだした。竜のテリトリー、その眼前に暴走族よろしく突っ込むのは自殺行為だ。だから、歩いて近付くことで、エンジにギルヴェルトとトゥーラを気づいてもらう必要があった。
ギルヴェルトは面倒臭さを感じて、声を張り上げて自分たちが来たことを報せてやろう、と大きく息を吸い込んだ。
「おー…ぐはぁ!」
叫ぶ瞬間にトゥーラがギルヴェルトに乗しかかり、肺の空気が一気に押し出され、ギルヴェルトは息を詰まらせた。
(おもっ!ちょ、トゥーラ、お前何してくれんだ!)
首だけ回してギルヴェルトが睨むと、トゥーラは若干怯みはしたが、「ギャウギャウ」と小声で訴えていた。いつになく必死な様子に異変を感じたギルヴェルトは、腕の力で地面から上体を浮かし聞き返した。
「ぁ?大声出すなってことか?」
ブンブン音がするほどトゥーラは首を縦に振る。凶悪な魔獣でも近くにいるのかとギルヴェルトは思ったが、竜のテリトリーで竜以上に凶悪なモノもないだろとも思う。そうはいっても、トゥーラが言うのであれば用心したほうがよいと頷いた。ギルヴェルトが大声を出さないのを確認して、トゥーラは身を離した。
トゥーラには、エンジから『騒がしくするな(騒ぐと殺す)』と魔獣同士の魔力通話が送られていたのだ。
トゥーラが先導するように再び歩きだした。ギルヴェルトは黙って付いていくことにした。10分も歩かないうちに、トゥーラはギルヴェルトを振り返り、この先にエンジが居ると合図を送る。
エンジのお気に入りの場所、北の森の中で唯一、陽の光が指す場所だ。暗い森で射し込む太陽に目を細めて、ギルヴェルトはエンジの前へと進み出た。
「おい、エンジ。さっさと城へ帰るぞ」
ギルヴェルトは時間を無駄にしたくない、と単刀直入に言った。エンジは、はるか上から1人と1匹を見下ろす。全く動く様子を見せないエンジに、ギルヴェルトは眉をひそめ、エンジの翼が不自然な角度になっていることに気づいた。ギルヴェルトはエンジが翼の内側をチラリと覗いて、何かを気にしている様子を見逃さなかった。
(ああん?怪我でもしてんのか?)
竜はプライドが高い魔獣である。怪我をして弱ってる姿を晒したくない、と意地を張っているのかと思った。
「どうした?怪我して飛べないのか?」
ギルヴェルトが気遣わしげに問うが、エンジに返された鼻息で馬鹿にされたことを感じた。エンジは幼子が起きるまで待つつもりでいただけなのだが、滅多なことでは傷つかない竜種が怪我をしていると考えるなど愚かな奴だと正しく馬鹿にしていた。お互いに馬鹿にしている、されているという部分だけ一致しており、ギルヴェルトの短気に火がついた。
「んだよ!人が心配してやってるのにっ!!」
「ふぇ…っ!」
ギルヴェルトの怒鳴った大声に、場違いな声が返された。耳がおかしくなったかとギルヴェルトは思ったが、続く「うぅ〜ん…」という声に、エンジの翼の下に何かいるのを察した。
エンジが何を隠しているのか確認するために近付こうとすると、威嚇の唸りをあげられ、ギルヴェルトは一瞬怯む。そんな自分が情けなくて舌打ちしていた。
エンジは寝ていた幼子を無粋に起こされて、すこぶる機嫌が悪くなっている。
(こいつはデアに何を聞いて来たのだ!)
エンジはギルヴェルトが幼子を迎えに来たと思っている。それなのに、幼子の眠りを妨げる配慮のなさに憤っていた。対して、ギルヴェルトは幼子のことなど一切説明されておらず、彼はエンジを迎えに来たのだ。自分の預かり知らぬことで威嚇されたギルヴェルトは不幸であった。
エンジはギルヴェルトが近付いて来ないことを確認すると、翼の下でぐずる幼子の様子を窺った。その隙をギルヴェルトは見逃さずに、ダッシュをかけてエンジに肉薄する。
「グラアアアアアッ!!」
翼の下へ潜り込もうとしたギルヴェルトにエンジが吼えた。エンジの咆哮に全てが凍りついたように固まった。翼の手前でギルヴェルトは微動だにできず、大人しく待っていたトゥーラは尻尾を股に挟み畏縮している。幼子ももれなく体を硬直させていた。泣き出していないのが奇異なくらいだった。
(びっくりした!びっくりした!びっくりしたーっ!すさまじい目覚ましだよっ!)
幼子はエンジの咆哮で完全に目が覚めた。硬直はしていたが、ギルヴェルトやトゥーラのように恐怖を感じたのとは違っていた。本気の恐怖で動けないのはトゥーラだけで、ギルヴェルトは少し驚いたが彼は自分よりも強者に向かっていく胆力は持ち合わせているという自負があった。今回は相手が陛下の紅竜だから、動きを止めたのだと。
エンジは大きな瞳をこれでもか、というくらい大きくした幼子を視界に入れ、最終的に起こしたのは己だと落ち込んだ。幼子が泣いていないことに安堵して、べろりと舐めて謝った。
「ふえぇぇぇぇ…」
今日も舐められた、と幼子は情けない声をあげる。間近で声を聞き取ったギルヴェルトは、エンジが隠しているモノが人であると解った。エンジが翼の下へ顔を潜らせ、舐め続ける様子を唖然として見ていた。デア以外にエンジから接触するという状況に、ギルヴェルトの理解が追いついていなかった。
「やーっ!もういーのぉ!」
甲高い声で抗議して、幼子はエンジの翼の下から逃げ出した。勢いよく飛び出た先で、硬い2本の柱と衝突する。
「ぅ〜…いちゃい…」
跳ね返され転げた幼子は、ぶつかった顔面と転んだ拍子に打った肘が痛かった。痛みに自然と涙が浮かんでくる。
ギルヴェルトの目が驚愕に見開かれる。よもや、こんな小さな子供が出てくるとは思わなかったのだ。
(ガキだと!?なんで北の森に…?)
北の森は、大人でも1人で踏み入れることを躊躇する危険な場所だ。ギルヴェルトが率いる魔獣討伐隊ですら、最低3人で行動させている。子連れで来るなど言語道断だった。ありえない、と単騎でやって来た自分のことを棚にあげて思う。まさか、エンジがどこからか拐って来たのか、と眉間に皺を寄せてエンジを仰ぎ見た。見なければよかった、とギルヴェルトは後悔した。傲岸不遜を闊歩するエンジが、長い首を右へ左へ動かして、幼子の様子を窺っていたのだ。オロオロしている、という表現がぴったり当てはまる姿に、奇怪なものを見たとギルヴェルトは顔をひきつらせていた。
(う〜、いったい何にぶつかったんだー?)
顔面を覆っていた手を下ろし、幼子が見たのは使い込まれたブーツだった。特大サイズのブーツから、にょきっと足が生えている。その先を上へと辿っていくと、太くがっしりとした大腿、さらに上へと視線を上げていく。筋肉の塊のような腕、服を押し上げる胸筋、太い首に凶悪な顔が乗っていた。
ギルヴェルトの蒼い瞳と、幼子の菫色の瞳が合った。
ぎゃん泣きされる、とギルヴェルトは身構えた。自慢ではないが、ギルヴェルトの顔面は凶器だ。街を歩いただけで、ギルヴェルトを見た子供は泣き出し、悪夢で魘されると言われている。子供は魔獣に対して臆することない男の弱点だった。
なかなか泣き出さないが、すでに幼子の瞳は涙を溜めている。いつ決壊してもおかしくない状態に、ギルヴェルトは戦々恐々としていた。
(おお〜。強面のお兄さんだ。あの傷痕、古そうだけど痛かっただろうなぁ)
びくびくするギルヴェルトの心境はお構いなしに、幼子は「ヤ」のつく職業も逃げしそうな顔だと思っていた。幼子は、見た目で相手を判断するなかれ、という教訓じみたものを知識の中に持っていた。だから、顔が凶悪だろが、凶器だろうが、そんなことは関係なかった。ただ、抉れたような傷痕が痛そうで、古傷だと解っていても眉がへにゃっと下がってしまう。その瞬間、ぶつけた痛みで溜まっていた涙が流れ落ちた。
「ひぃっ!」
弱点を突かれた男の憐れな悲鳴が聞こえた。いつもなら、回りにいる隊員がフォローをしてくれるが、今日は1人だ。時間を惜しんで単騎で来たことを悔やんだ。助けを求めてエンジを見ても、さっきよりもオロオロに拍車がかかっている。
(エンジが拐って来たんだろうがっ!くそっ!誰か他にいないのか!?)
急に挙動不審になって辺りを見回すギルヴェルトを、幼子は不思議そうに見ていた。幼子が何か大変なことでも起きたのかと思っていると、ギルヴェルトは藁にもすがる思いで愛獣の名を呼んだ。竜ほどではないにしろ、巨大な魔獣に幼子が怖がるとは考えないようだ。
「トゥ、トゥーラっ!!」
エンジが大事そうにしている幼子を、ギルヴェルトが泣かせている状況で呼ばれるなど、トゥーラは堪ったものじゃなかった。呼ばれたらギルヴェルトの側に行かなければならない。「だが、断る!」とばかりに、トゥーラは首を横に振った。ギルヴェルトが「早く来い」と叫んでいるが、イヤイヤと拒否しながら幼子の様子もチラリと覗き見る。間の悪いことに、幼子がトゥーラを視界に捉えた瞬間と一致してしまったのだ。
「トラしゃん…」
ぽそりと呟く幼子。
ピキリと固まるトゥーラ。
子供の興味がトゥーラに向いた、とガッツポーズするギルヴェルト。
そして、幼子の気を惹いたのがトゥーラだったことにショックを受けるエンジには誰も気づかなかった。