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2.紅竜と幼子




黒みを帯びた濃い紅色の巨体で、大空を飛行する1匹の紅竜がいた。紅竜の名は『エンジ』という。

エンジが目指す先は、陽の光が届かない深い森にあって唯一光射す場所。エンジと、エンジが主と認めた男、デア=エルルケーニッヒの大切な想い出の場所に降り立った。

誇り高い竜種が主として従う男は、人間から陛下と呼ばれている。竜を凌駕する持ちながらも傲ることなく、周囲に甘すぎる態度に竜ですら呆れるほど優しく、己が信念を貫く心の強い男だ。男の心根に惹かれてエンジは彼に従うことを決めたのだった。

その男が自らに科した魔法で眠り続ける城から、エンジは時々この森へとやって来ていた。

エンジは時々と思っているが、城で竜を世話する人間は頻繁の脱走に困らされていた。人間の都合など、竜にとってはどうでもよいことであった。


想い出の地に降り立ったエンジは、そこで小さな生き物が背を丸めて眠っていることに気づいた。邪魔だと思ったが、簡単に丸飲みできるサイズの生き物が人間の幼子であり、その何となく覚えのある匂いに興味を惹かれた。


(…デアの子の匂いに似ておるな)


ふんふん、と鼻を鳴らして幼子の背中に鼻を押しつける。エンジは想い出の中の、数千年前の懐かしい匂いだと思った。もっとよく顔を見て確かめたいが、気持ち良さそうに眠る幼子を起こしたくなかった。せめて匂いをもう一度、と大きく息を吸い込んだ。鼻息のせいで寒かったのか、幼子はさらに小さく身を丸めるのを見て、エンジは卵を温めるように腹に包み込んだ。

幼子を翼で風避けを作りながら、エンジはデアに確かめようかとも思った。だが、似ているだけで違ったなら、デアを無用に悲しませるだけだと思い、報せることはしなかった。


(子が還ってきたなら、デアは騒いでいるだろうしな…)








エンジは幼子を抱え込んだまま、2日目の朝を迎えた。


(よく寝ておる。それにしても、寝過ぎではないか?腹は空かぬのだろうか?)


未だ眠り続けたままの幼子にエンジは心配になった。目覚めないことよりも、幼子の腹具合の心配であったが。もう起こしてしまおうかとエンジが考えていると、幼子が可愛らしい鳴き声をあげた。


「うにゅ〜」


エンジの腹に幼子は頬をすり寄せて、ざらりとした感触に随分と質の悪い枕だと思った。幼子が小さな両手で目を擦り、睡魔を追い払おうと一生懸命になっていると、濡れた生暖かいモノに背中を撫で上げられた。


「ひぁっ!」


目をごしごし擦る可愛い仕草に、思わずエンジは幼子を舐めあげていたのだ。エンジは幼子の驚いた鳴き声と、大きな瞳をさらに大きく開いた顔が面白いと思った。

エンジの黄金色の瞳と、幼子の菫色の瞳が見つめ合っている。端から見れば、捕食するモノと捕食される者の構図が出来上がっていた。エンジは可愛いものを愛でているだけで、幼子はエンジの体躯が大きすぎて竜だと解っておらず、黄金色が何かの生き物の瞳っぽいとしか思っていなかった。


「な、に…?」


ぱちぱちと何度か瞬きをして、幼子が目の前をモノを確認しようとしていると、エンジは近づけていた顔を離した。


「ふわぁ…おっきぃ!」


漏れでた幼子の感想は当然のもので、離れていったモノは幼子には見上げるほど大きい。黒みを帯びた紅色の鱗に覆われた面は、恐竜みたいな顔をだと思った。その顔から長い首を幼子の目が辿っていくと、その巨体が自分の真横にあり、触れていた暖かいモノだったことに気付いた。エンジの背から生えている翼は、幼子を隠すように広げられている。


えんじ(・・・)いりょの、竜…?」


(か、噛んだ!)


幼子は両手で口をおさえ、うまく舌がまわらず発音できなかった自分の言葉に恥ずかしくなった。幼子の顔が赤く染まる。黄金色の瞳に見つめられて、幼子は羞恥に堪えられなくなっていた。真っ赤な顔をエンジの巨体に押し付け隠して、ぐりぐりと鱗に顔を擦り付けていたら、幼子はぞわりとした感触に再び襲われた。


「うひゃぁ!」


がばりと幼子が顔をあげると、細められた黄金色の瞳と簡単に丸飲みできそうな大きな口が開かれていた。


(舐められた!また舐められた!味見?味見なの?食べられちゃう!?)


エンジは幼子が己が名前を覚えていた、やはりデアの子だった、と嬉しくて笑っていたのだが、竜の笑顔が幼子には判るわけもなかった。当然、幼子は竜の名前を知っているわけでも、覚えていたわけでもなく、ただ単に竜の体の色『臙脂色』を口にしただけだった。だから、幼子は間近で睨まれ、牙が見えることで食糧認定されたと硬直していた。

急に動かなくなった幼子を不思議に思い、エンジは鼻先でちょんっと突いた。エンジは軽く押しただけで、ぽてっと転んでしまった幼子に驚いた。


(なんと!?ちょっと小突いただけで転ぶとは!うぅむ…。腹が減って弱っておるのか!)


竜に押された幼い子がそうなるのは普通なのだが、エンジは空腹のせいだと思ったのだ。エンジは幼子の腹を満たしてやらねば、と急いで食べられる果実を採りに飛び立っていった。

残された幼子はエンジがはばたいた風圧で、二転三転と転がされて、唖然とした顔をしていた。


エンジが去っていったあと、食糧となる危機を脱したと幼子は思い、自分の置かれた状況を考えることにした。竜が戻ってくるかもしれないという考えにはいたっておらず、一先ずの安全にほっとしていたのだ。





うんうん、と幼子は唸ってはいるものの、思い出させることは何もなかった。

さっきの生き物は、ファンタジーでいうところのドラゴンだろうし、自分の手足を見れば、小さい子供だということも解っている。では、なぜ小さい子供である自分が、保護者のような人も周りにおらず、1人で誰もいない、森のような所にいるのか。身に付けているものは、貫頭衣のような生成色の服と左足首に填められているアンクレットだけ。そのアンクレットを外そうとしても繋ぎ目はなく、ぴったりと填まっていて取れなかった。


(知識はある。でも、自分のことは覚えていない。これって記憶喪失?)


幼子は、その見た目からは想像できない、落ち着いた思考をしていた。その思考すらもと幼い外見と乖離していることに気づいていない。それも、この度の転生があらゆる偶然に彩られているからであったが、生憎、幼子には転生した自覚がない。


本来ならば、魂が持つ魔力を使い切って、新しい生を受け、日々の生活で魔力を使い、貯めて、また輪廻の輪へ戻るのである。だが、幼子の前世は、科学が発達した魔力を一切必要としない世界だったため、転生時の魔力が有り余っていた。故に、普通なら保持できずに全て消えてしまう記憶の一部が残った。そして、今回の転生先の世界が、幼子の魂の記憶に深く刻まれていた"還りたい場所"であるのも影響していた。新しい世界に魂を馴染ませる魔力が殆んど必要なかったことが、母胎で過ごす行程を省略せしめ、魂の記憶にある姿を型どって転生に至っていた。


斯くして、幼子は転生したことを知らず、親とは何らかの事情で別たれたか、あるいは捨てられたか、と考えていた。知識の中で小さい子供がする考え方ではない、と何となく理解しているが、泣き喚いたところで答えがでないのであれば、無駄な体力を消費するだけだと思っていた。

全くもって幼い子ではありえないことであったが、幼子は人を見つけて助けを求める方針でいこう、としっかり決めていた。




ぐぅ〜


幼子の腹の虫が主張をし始めた。


「おにゃか空いた…」


両手をお腹に当てて幼子は呟いた。幼子が空腹を意識すると、ぐぅぐぅお腹の主張が激しくなっていった。

幼子は何か食べられる物を探しに行こう、と立ち上がって歩きだした。靴を履いていないのが心配だったが、じっとしていても腹は満たされないのである。


「グルァーッ!」


頭上から聞こえる獰猛な咆哮、大きな影が幼子に落ちてきた。


(あ、竜が戻ってきた…)


エンジは足に掴んでいたモノを投げ捨てて、幼子の行く手を塞ぐように降り立ち、さらに吼えた。竜が降り立った地響きで幼子は尻餅をついて、耳をおさえて大きすぎる竜の声に耐えていた。


「グググルルァッ!!」


エンジは慌てていた。幼子に食べさせる果実を採って戻ってみれば、歩いてどこかへ行こうとしていたのだから。森を1人でふらふらすれば魔獣に襲われるし、迷子にもなってしまう、と子を叱る親の心境であった。

ちなみに、1度目の咆哮は「待てっ!」で、2度目の咆哮は「なぜ大人しく待っておらんのだ!」である。

そんな竜語が幼子に通じないことは気にもとめず、踞ってぶるぶる震える幼子を見てエンジは後悔した。


(ちと強く叱りすぎたか…)


竜が戻ってきたことに幼子は一瞬恐怖したが、いつまでたっても襲ってくる気配がないことに顔をあげる。恐竜顔が困ったような表情をしている気がして、こてんと首を傾げた。

エンジは幼子が顔をあげたことをこれ幸い、と降り立つときに放り出した猿のような魔獣に寄って来るように促した。竜では果実を採って運べないので、幼子に食べさせる果実を持たせていたのだ。猿擬きは腕に抱えた熟れた果実を幼子とエンジの間に置いて、エンジを見上げて「キャキャキャッ」と鳴くと去っていった。


ぐぅ〜〜〜


幼子の小さい体に似合わず、大きな腹の虫の音が静かな森に響いた。幼子の視線は、目の前に置かれたリンゴのような果実に釘付けである。エンジは「グルッ(食べろ)」と一声鳴いて、ぺたりと顎を地につけ、幼子をじっと見つめている。

幼子は動かない竜と果実を交互に見る。早く食べたいと催促してくる腹の虫に負けて、両手でやっと持てる大きさの赤い実を1つ手に取った。


「食べていーの?」


たぶん食べてよい物だと思っているが一応の確認である。幼子が問いかけると、エンジはゆっくりと瞬きをした。その仕草を食べてよいと解釈した幼子は、かぷりと齧りついた。見た目はリンゴだったが、皮は軟らかく幼子の歯でも破ることができた。一口咀嚼するとモモのような食感がする。甘くて果汁の多い果実で、渇いていた喉も潤されていった。懸命に果実を食べる幼子を、エンジは昔を思い出しながら眺めていた。


(おお、おお、そんなに口回りをベタベタにして…。変わらずリコの実が好きなのだな)


芯だけ残して食べ終わった幼子は満足していた。もっと食べろとエンジは思うが、満たされた顔をしている幼子を見て、腹が空けば食べるだろう、と果汁で汚れた顔と手を舐め取ってやった。


三度目の竜からの舐め攻撃だったが、幼子には食べられてしまうという恐怖は、もう沸かなかった。それどころか、綺麗な鱗だなぁ、と思わず手を伸ばして竜の鼻の頭に触っていたのだ。冷たい鼻先が気持ちよくて、幼子は抱きついていた。特に嫌がられる様子もないと知ると、大胆な行動にでた。

たしたしと竜の鼻面を叩きだしたのだ。怖いもの知らずの行動であるが、エンジはじゃれつかれているようにしか感じていなかった。今度はぐいぐいと小さい体で押してくるから、ふんっと鼻息で相手をしてやった。不意の竜からの仕返しで吹き飛ばされた幼子は、怒らせてしまったかと見上げる。竜は吃驚したように目を大きく見開いていた。

エンジは、あれごときの鼻息で吹き飛ぶとは思ってもみなかったのだ。


(なんか可愛いぞっ!)


幼子は竜の意外な表情に楽しくなり、声をあげて笑っていた。この頃には幼子は竜の表情の変化を感じ取れるようになっていた。エンジも幼子の笑い声に気を良くして「グルグル」と喉を鳴らしている。

しばらく、じゃれあって遊んだあと、エンジは片翼を持ち上げて幼子に眠るように促した。幼子も大人しく竜の腹に寄り添い、すぐに静かな寝息をたて始め、そのまま深い眠りに落ちていった。





エンジが幼子と出会って3日目の朝、気持ち良さそうな寝顔を見ていると、エンジの主であるデアから心話が届いた。


『エンジ、うちの子は起きた?吃驚した?』


デアはエンジの驚きがどれほどだったか、黙っていた悪戯の成果を確かめた。


『おお、やはりお前の子か』


しかし、ほぼ最初からデアの子である、と確信していたエンジは然程の驚きをみせなかった。やっぱりそうだったかという納得はあった。デアは、もっと驚いてくれてもいいじゃないか、とぐちぐち溢していたが、お構いなしにエンジが言う。


『一度起きたが、今は寝ておる。デアよ、なぜ子を放っておる?』


『ちょっと!人聞きの悪いこと言わないで!放ってるんじゃなくて、いろいろ都合があるんだよ。だから、そろそろ連れて帰って来てくれない?』


『ふむ。連れて帰りたいのはやまやまじゃが無理じゃ。背に乗せるにも我に登れそうにもない。掴むと、潰してしまうぞ?さっさと迎えに来い』


デアはエンジが背に乗せて帰って来ればよい、と考えていたのだが、幼い子が竜の背に登れないと失念していた。エンジが拾ってきて、エンジが手放さないから、デアが一緒に育てることに仕向ける予定が狂った。初っぱなから問題が生じたため、誰か行かせるしかないと計画の変更を余儀なくされた。

どう考えても、デアがエンジを迎えに行って幼子を保護する方が、すんなり子供を手元に置けそうなものなのに。


『俺は行けないから、…ギルヴェルトを向かわせる』


『ふむ。ギルヴェルト(傷痕の)か、子が怖がらぬか?ゴルドラ(獣狂い)の方が我も世話になっ『ギルヴェルトしかいないの!』…そうか』


エンジのもっともな意見は、デアによって途中で遮られた。結局は誰が迎えに来ても構わないし、エンジはデアの子ならギルヴェルトでも多少恐がろうが大丈夫だろうと思っていた。


『今から行くから、着くまでよろしくね?』


『わかっておる。可愛い寝顔を眺めておるさ』




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