1.大変、残念な計画です
遥か昔、種族間の激しい争いが絶えなかった名もなき世界は、ひとりの青年、デア=エルルケーニッヒによって平定され統一へと導かれた。
青年デアの圧倒的な強さによって統一された世界で、人々は今日も平穏な一日を過ごしている。
世界の名は、青年を称して『エルルケーニッヒ』と呼ばれるようになった。
エルルケーニッヒの中心、この世界を統治する者が住まう城で、日課の早朝自主鍛練をする男がいる。
男は、魔獣討伐隊隊長という肩書きを持つギルヴェルトだ。
大剣を振るう度に、ゴォッと風を切る音を唸らせ、ひたすら体を鍛えるギルヴェルトは、短く刈り込んだ金髪、2メートルを超える身長に肩や腕の筋肉は隆々と盛り上がっている。着衣で見えない腹筋や、脚の筋肉、全身が鋼のように鍛え上げられていると容易に想像できるほどだ。
そのような体躯に反して、整った顔立ちをしており、少したれ目の蒼い瞳が愛嬌を感じさせるはずが、顔の左側、額から頬にかけて抉られたような傷痕が強面に見せてしまっている。傷痕さえなければ、甘いマスクとも言えただろうに、と周囲は残念に思っていたが、本人は箔が付いたと喜んでいた。
そんなギルヴェルトに、魔獣討伐隊隊員の1人が声をかける。
「隊長ー、エンジがまだ戻ってきてませんー」
「ぁあ?まだって、あれからずっとか?」
「そうですねー」
「って暢気に言うな。もう3日にもなるじゃねぇか」
エンジというのは、この世界を治める陛下の騎竜の名前である。個体数の少ない紅竜を陛下が手なづけ、自身の愛騎としたのは良かったが、竜種は主人と認めた者以外の言うことなど聞かない生き物で、世話をする騎獣隊は苦労していた。
騎獣隊では各部隊が騎乗する魔獣を世話しているが、紅竜は勝手気儘に騎獣舎から脱け出す。これまでは脱け出しても、夜には騎獣舎に戻ってきていたのに、3日も帰ってきていないというのだ。
「騎獣隊の奴等はどうしてんだ?」
「なんかー、陛下が放っておいていいって言ったらしいですよー?んでもー、長過ぎるから魔獣討伐隊に相談に来てますー。どうしますー?」
「あ"あ"?」
ギルヴェルトは、語尾を伸ばして話す癖のある自分の部下に、若干苛立っていた。
陛下は必要な時には帰ってくるから、普段は紅竜の自由にさせてやれと言っているが、相手は唯我独尊を地でいく竜である。今は陛下によく従っていても、しっかり捕まえておかなければ、いつ此方を見限るともしれない、とギルヴェルトは懸念していた。
「どうせいつもの所だろ。ジェイク、お前ちょっと迎えに行ってこい」
「無理無理無理無理っすーっ!か弱い俺っちが北の森なんて行ったら死ねるっすーっ!」
紅竜がふらっといなくなって行く先は決まっている。
この城の北側にある『北の森』だ。北の森には強力な魔獣が生息しており、それなりに腕に覚えがないと危険な場所だ。
確かに、ギルヴェルトの目の前で必死に無理だと主張するジェイクに単身で行け、というのは荷が勝ちすぎるのだ。
「ちっ!陛下に伺いをたてる」
そう言うと、ギルヴェルトは鍛練を切り上げて、陛下の執務室へと足を向けた。
余計な仕事が増えた、とギルヴェルトはイライラしながら足早に城内を歩いて行く。それは、すれ違う者たちを撥ね飛ばす勢いだった。ギルヴェルトは、あとで騎獣隊の隊長に文句のひとつでも言ってやる、と怒りを滲ませて陛下の執務室へ到着した。
「陛下は在室か?」
「はっ!いらっしゃいます!」
ギルヴェルトが扉の前で警護する近衛隊隊員に問いかけると、敬礼とともに応えが返ってきた。
「紅竜の事で至急の報告だ。取り次いでくれ」
「はっ!お待ちください!」
待たされること数秒で、ギルヴェルトの入室が許可される。
ギルヴェルトが入室した執務室の中には、2人の男がソファに向かい合って座っていた。黒髪を長く伸ばした若い優男と、白い髭を手で撫で付けて笑っている老年の男が朝食を摂っているところであった。執務室で食事など滅多にない状況、老年の男と一緒ということは秘密裏な会話中に邪魔をしたことを後悔しつつ、ギルヴェルトは優男の方へ向かって進んだ。
ギルヴェルトが向かった先、黒髪の優男が陛下だ。
外見は若く見えるが、その実年齢は5000歳を超えている。この陛下こそ、遥か昔に世界を平和に導いた青年『デア=エルルケーニッヒ』その人であった。
同世代に見えるギルヴェルトとデアだが、ギルヴェルトは258歳とまだまだ若い。平均寿命が900〜1000歳の世界に於いても、デアの年齢、そして何年経とうとも変わらない容貌は異常だった。異常ではあるが、それがデアの高い魔力を示している証だと言われている。
ギルヴェルトはデアの前で敬意をはらって膝をついた。
「どうした?」
食事の手を止めたデアは、見た目同様に若く張りのある声でギルヴェルトに問いかける。
いつも気怠い雰囲気をしているデアの、常とは違う声音にギルヴェルトは一瞬戸惑ったが、多少の事では動じない彼は気を持ち直した。
「紅竜が散歩に出かけて3日が過ぎています。捜索をしますか?」
ギルヴェルトは、本当は脱走、捕獲と言いたかった。しかし、デアの手前、言葉を濁した。
「ああ、そうか3日経つのか…。そろそろ、か…」
デアの「そろそろ」という言葉に疑問を持つが、彼の瞑目するような様子にギルヴェルトは待つことにした。この時、デアは紅竜と心話を交わしているが、離れていても会話できることをギルヴェルト知らない。しばらくして、ふっと微かな笑みをもらしてデアは頷くと、ギルヴェルトに訊ねる。
「捜索には誰が行くんだ?」
「ゴルドラを指揮に、魔獣討伐隊の若い奴等5〜6名くらい、ですかね」
ゴルドラというのは、騎獣の世話を任せている騎獣隊隊長だ。ギルヴェルトは、デアの騎竜もゴルドラの管轄なのだから、管理責任で捜索に行かせるつもりでの人選だった。自分の隊から若い連中をだすのは、ゴルドラの護衛と野外訓練も兼ねてやれば都合がよいとも考えていたからだ。どこまでも隊員を鍛えることに余念がないギルヴェルトの一面がでている対応だった。
紅竜自体は単体でも他に追随を許さない力を持っている。救助へ向かうのではなく、要は何が理由か不明だが、帰城しない紅竜を宥めて連れ帰るだけなのだ。北の森で魔獣に襲われても死なない戦力で向かえば問題ない、とギルヴェルトは考えていた。だが、デアはゴルドラが紅竜の捜索に行くことに難色を示した。
「……ゴルドラは駄目だ。ギルヴェルト、お前が行ってくれ」
「俺、ですか?」
「そうだ。北の森の紅竜の気に入りの場所にいるから、お前が迎えに行ってくれ」
ゴルドラのほうが、まだ紅竜が言うことを聞くのに何故だろう、とギルヴェルトは疑問に思った。しかし、陛下の命令であるからして、ギルヴェルトは否を唱えることはせずに従った。
「わかりました。すぐに向かいます」
言い終わるとギルヴェルトは踵を返して執務室を後にしたのだった。
執務室に残る2人には沈黙が降り立っていた。
耐えきれなくなって先に口を開いたのはデアだった。
「ロジー、そのニヤニヤ笑うのをやめてくれ…」
恨めし気に、ロジーと呼んだ対面に座る老人にデアは言った。
ロジーは齡999歳になるが、現役で城勤めをしており、城の図書館を管理する筆頭司書である。人の寿命から逸脱しつつある年齢は、デアと並んで異常だが、年相応の白髪と白髭が違和感を感じさせない。違和感がないのは、デアよりも年齢はかなり下だが、ロジーは人としての生を歩んできたからだった。
「それは無理というものです。300年ぶりに本物の陛下とお会いできたと思ったら、もう眠る必要がないと仰る!嬉しくてしかたありません!」
「そうか…。でも、その笑いは、違うところからきてないか?」
「いえいえ、気のせいでしょう?」
とぼけた様子で答えるロジーの笑顔が、デアの指摘が正しいことを物語っている。
「はぁ…。あんなに可愛かったロジーが、こんなクソジジイになるなんてな…」
深いため息を吐いて、デアは昔を思い出していた。
デアは己れの愛した者のためだけに、その力でもって日々激しくなる種族間の争いを鎮圧した。そして、愛した者の願いのために、自らの生を引き延ばしてきた。
いくら強い魔力を持つデアでも、本来ならば1000年ほどで終わる人生を変えることはできない。ならば、過ぎ行く時の流れから自分の身を分ければよい、と【無限牢獄】に身を投じていたのだ。
愛した者との最後の約束を守るために。
【無限牢獄】は、死すらも赦されない罪人を囚える魔法。その中では時が進むことはなく、輪廻から隔絶され、囚われた者は永遠に自らの罪を悔やみ続けるしかない。行使されれば解除不能な極刑である。
囚われた者が脱走する術はないが、デアは魔法を使う際に条件付けを行うという、誰も思いつかなかった方法を用いていた。デアの付けた条件は、"術者自らの意志でのみ牢獄からでられる"というシンプルなものだった。もっとも、この条件付け魔法は、やたらと魔力を消費するため、使えるのはデアくらいだが。
故に、何百年かごとに出てきては身辺の、主に城内の様子見を行っていたのだ。では、誰も陛下の不在を訝しまなかったかというと、そこは姿を真似ることができる特殊なスライムを影武者にして誤魔化していた。そして、デアの影武者をするスライムは、適宜デアに城内の情報を提供していた。
ギルヴェルトの感じた雰囲気の違いは、それであった。
その秘密を知っているのは、いつも1人だけ。城の図書館で筆頭司書を勤める者、今はロジーに引き継がれていた。
2人は約900年前に出会った。図書室の本を片っ端から読み漁る変な子供がいる、という噂に興味を持ったデアが会いに行ったのだった。そんな本好きのロジーは、憧れの陛下との出会いに天にも昇る想いでいた。その時、戯れにデアが言った「筆頭司書になれ」という言葉を心に、本当に筆頭司書なるべく努力し実現させたのだ。
あんなにも自分を慕っていた子供が、数百年会わないうちに老獪な爺になってしまった、と嘆くデアだった。
デアの「クソジジイ」発言に、ロジーは「ほほほっ!」と楽しげに笑う。
「ゴルドラを嫌がったのは、彼が人から好かれやすい顔立ちをしておるからでしょう?その点、ギルヴェルトなら傷痕のせいで子供から泣かれることが多い。なんとも浅慮なことで…」
ロジーに図星を指されたデアはむくれた顔をした。
寸分の違いもなく、ロジーが言ったことはデアの思考の末だった。
(眠っていても城内のことを掌握しているのに、どうしてこうも残念な臭いがするのか…)
ロジーは陛下の残念思考にため息を吐いていた。
ギルヴェルトが向かった先には、デアが待ち望んだ者がいる。デアは、鳥の雛のように最初に出会った人間に懐かれるのが嫌だった。柔和なゴルドラなら一も二もなくあり得ると危惧して、傷痕のせいで顔面凶器と化したギルヴェルトに行くよう強要したのだ。
「それなら、陛下が赴かれればよろしいのに」
「あの子は短すぎる輪廻から解き放たれて、新しい生を受けた。俺が関与すれば自由を奪うかもしれん。いや、確実に奪う自信がある!」
ロジーの真っ当な意見に、デアは可愛がりすぎて束縛してしまう、と握り拳を作って力説している。
実をいうと、デアは既に子供に会いに行っていた。
エルルケーニッヒに子供が転生したことを知ったのは5日前のことだった。愛しい我が子の小さな魔力を感知して、デアは【無限牢獄】の中で驚喜した。気が狂ったと言われても仕方がないほどの喜びようであったが、幸いにもデアは独りであったため、誰にも知られることはなかった。
転生というのは、新しい親から産まれ、新しい人生を送るものだ。だから、デアは我が子であって我が子でない、と会いに行きたかったのを我慢していた。たっぷり1時間だけ。
デアは散々葛藤を重ね、ひと目その姿を見るだけ、と自分に言い訳して子供の元へと飛んでいった。文字通り魔法で飛んでいった先にいたのは、産まれたばかりの赤子ではなかった。そこにいたのは、北の森で1人すやすやと眠る幼子だった。通常の転生とは異なる状況にデアは困惑したが、還ってきた我が子に、そんなことはどうでもいいと抱き締めていた。
(ああ、あったかいな。小さい。あの頃もこんなに小さかったかな?こんなに小さくて可愛いとか、どうしよう。もう、連れて帰ってもいいかな?新しい親いないみたいだし、いいよね?だって俺の子だし。俺の…。ああっ!駄目だ!俺の子だって解ったら、また呪われるかも…。そうだ!呪いを跳ね返す魔法いっぱいかけて、誰にも見せないように閉じ込めたら…って、俺は馬鹿かーっ!閉じ込めてどうするんだよぉ。ううううう…。誰か他の人に育ててもらう?いやだぁああああっ!近くでいたい!成長みたい!どうしようどうしようどうしよう…。人間に見つけさせると近くにいられないかもだし。城に連れて来させる方法を……はっ!紅竜に見つけさせて、育てさせるか!紅竜なら俺の子だって気づいても、他の人間にバラしたりしないし。というか俺以外としゃべれないし。よし!紅竜に城へ連れてこさせよう!あー、でも紅竜も吃驚させてやりたいな。この子をあの場所で眠らせといたら、紅竜どんな反応するかな?うちの子見たらデレデレになってしまうよね!きっと構い倒しちゃうんじゃないかな!ふふふっ)
何とも残念極まりないデアの思考であった。
今のエルルケーニッヒには、曾てのようにデアに怨恨の念を向ける者はいない。ましてや、デアに敵うような力を持つ者もいない。突然幼い子供を連れ帰れば驚かれはしても、デアが考えたようなことは起きない。しかし、デアの斜め上の更に上をいった思考に、待ったをかける人間が側にいなかったのが禍した。
紅竜が2日とあけずに北の森に来ているため、デアは眠りの魔法を幼子にかけて、紅竜が来る前に幼子が起きて移動してしまわないようにしていた。もちろん、魔獣に襲われないよう十二分な対策も忘れなかった。
我が子のため、と北の森に泣く泣く置いて帰って来たデア。そわそわとデアの落ち着かない様子を問い質したロジーは、事の次第を聞いて呆れ返ったのが今のことだった。
可愛がりすぎて束縛する、と断言するデアにロジーは苦笑を返しつつ、「それでもよいではありませんか?」という言葉を飲み込んだ。
デアにはデアの、他人が計ることのできない想いがあることをロジーは知っていたから。
ただ、いま行こうが行くまいが結局は同じことだ、とも解っているロジーは最後に一言返した。
「大変、残念な計画ですが、お好きにどうぞ」
特に気にする必要もありませんが、年齢については現実年齢の10倍値と考えてください。
以下、年齢と現実に換算した見た目の年齢です。
デア父ちゃん:5280歳くらい=28歳くらい
ギルヴェルト:258歳=26歳くらい
ロジー爺ちゃん:999歳=100歳くらい
デア父ちゃんは、牢獄で寝てる時間込みです。