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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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飛べない彼女はただの人 a



 一度目はE区画。暴走した状態で戦った。

 二度目は訓練校。試合という形で戦った。


 単純な回数で言えばこれが三度目……しかし今挙げた二つは、お互いに全力どころか本気すら出していない。

 よって憂姫が遥と戦うのは、これが初めてと言っていい。


 しかし、だからと言って完全に初めてかと言われれば――少なくとも憂姫は首を横に振る。


 状況分析。

 こちらへ駆ける遥を前に、彼我の戦力差を冷静に比較する。


 火力。

 向こうの方が上。威力、範囲、射程において大きな差がある。撃ち合いは勝ち目が薄いと判断。


 耐久性。

 自分が圧倒的に不利。遥は無限再生能力に等しい力を持ち、対して自分はただの人間(なまみ)。一撃喰らえばそこで終わる。


 速度。

 論外、勝負にもならない。遥の通常速度に対して、自分は加速魔法による数瞬だけしか拮抗出来ない。


 戦闘技術。

 正面戦闘に限れば自分が数枚劣る。幼少期を暗殺者として過ごした自分と【死線】の元でひたすら対人戦闘術を仕込まれた遥。勝ち目がないとは言わないが、分が悪い。


 結論。

 戦力差は圧倒的。

 真っ向勝負では勝てない。絶対に。


 ならばどうするか。

 迫る遥に対して憂姫が選んだのは、迎撃でも防御でも回避でも降参でもなく、


「――煙幕弾(スモーク)閃光弾(フラッシュ)音響弾(カノン)衝撃弾(インパルス)――オールバーストっ!」


 逃亡だった。


 遥が吹き飛ばした弾丸が起動。煙幕を、光を、音を、衝撃を撒き散らす。

 一つ一つがパンドラだろうと昏倒させる高位の特殊魔法弾。それら全てが同時に遥へと襲い掛かった。


「!」


 遥はその場で防御体勢を取る。いくらパンドラアーツの体といえ、いや、だからこそこれらは有効だ。

 強化された感覚器官が、暴力的なまでの外圧に等しく歪む。


 ――遥と真正面から戦えば五手以内に詰む。


 何百何千と行ったイメージトレーニングで、その結果はどうあっても覆らなかった。

 ならば話は簡単だ。

 正面から戦わなければいい。


 遥の五感全てが封じられたその一瞬、憂姫は鬱蒼とした樹海へと後退する。

 ただでさえ一切の足音、気配を殺し切る暗殺者の歩法。今の遥に追えるものでは到底ない。


 結果、遥の感覚が回復する頃には憂姫の姿はどこにもなかった。


「……追って来い、ね」


 視界も足場も悪い樹海、そこで待ち受ける汐霧憂姫。

 それが意味することは明白だ。


 遥の独壇場である白兵戦を避け、自身が最も得意とする暗殺という舞台に引きずり込む。

 戦闘とは自分の得意分野の押し付け合い。それを正しく理解しているからこその戦術だ。


 ――なるほど。これは確かに、僕を相手にするなら一番正しい戦い方だ。


 内心そう思い、遥は樹海に足を踏み入れる。

 さてどこにいるかと見回すと、少し先にナイフで付けられたらしい傷が目に入った。目を凝らすと、更にその先にも同様の傷が。


 ……罠か?


 どう考えてもそうだが、この見通しの悪い樹海の中、完璧に気配を殺した暗殺者を見つけるのは遥とて不可能。

 つまり、憂姫の痕跡らしきそれを追って行くしかない。


「生娘が、なかなかどうして誘ってみせる」


 独りごち、しかし歩調に迷いはない。

 元来自分より彼女の方がずっと不利なのだ。ならばそんな彼女が用意した罠程度、蹴散らせずして何が示せると言うのか。


 そう、蹴散らす。

 目前に立ち塞がるなら、それが何であろうと。


「邪魔になるなら、容赦はしない」


 空気を掴んで右腕を振るう。それだけでその場の木々が根こそぎ弾け、吹き飛び、一帯の更地が出来上がる。

 彼女が弱者として策を張り巡らせるというなら、自分は強者としてその尽くを打ち砕こう。


 憂姫の姿は――ない。あの短時間で存外遠くまで逃げたようだ。


「……流石に一筋縄ではいかないか」


 苛立ちか、その逆か。

 口元に笑みを浮かべながら、遥は前進する。



 殺す気かあの火力馬鹿―――!?


 そう叫びたい心地を必死に抑え、憂姫は息を殺す。

 五秒前まで自分がいた場所一帯がそのまま更地に変えられた。もし自分があの場にいたらどうなっていたか、考えるのも恐ろしい。


 早鐘を打つ心臓を鎮め、呼吸を整える。

 ……何を焦る必要がある。これは予想していたこと。むしろ範囲までほぼ読み通りだ。

 日夜暇を見つけては行なっていたイメージトレーニングは、決して無駄ではなかったのだ。


 そう自分に言い聞かせ、憂姫は魔力を練り続ける。


 ――自信を持て。事が理想的に運べば必ず勝てると、想定に確信を抱け。

 自分の位置から遥は見えている。死角も取れるだろう。だがまだだ。

 やれることは全てやれ。敵の全ての行動を想像しろ。それら全ての対策を創造しろ。


 逆に、それさえ出来れば。

 負ける要素など、どこにもないのだから。



「これもハズレか」


 五発目となる拳圧が辺り全てを浚うも、やはり憂姫の姿は見えない。

 よほど上手く逃げ隠れしているのか、それともそもそもこの辺りにはいないのか――前者であることは感じ取れるが、それも憂姫本人にまでは至らない。


 汐霧憂姫は戦闘において、一歩自分に劣る。しかしそれは才覚や鍛錬、または時間の問題ではない。

 単に自身の師である【死線】が無類の戦闘者であったこと、それ以上に自分が彼女から対人戦闘術を学んでいる間、憂姫は暗殺術を学んでいたという違いが出ているだけだ。


 こうして彼女のフィールドに降りてみるとよく分かる。

 彼女の暗殺、またそれに関連する技能は、自分のそれと比べて数枚上手(うわて)だ。


「だが、それも決定打にはならない」


 こうして逃げることは出来るだろう。だがそれでは何にもならない。

 逃げる能力は立派な力だと遥は理解しているが、生憎と今の自分たちに必要なのは反対のベクトルの力だ。


 それに、その逃げるのだっていつまでも続けられるわけではない。

 追われる立場というのは体力、精神力共に大きく消費する。体力において無尽蔵、精神力においても似たようなものである自分に対して、憂姫はただの人間だ。いずれ限界が来る。


 だから彼女は、きっとその前に仕掛けて来るだろう。

 そしてそれは――多分、もうそろそろ。


「……さて、どう来る」


 憂姫が正面戦闘を避けること、その選択が出来る程度に愚かでないことは分かっていた。

 ではどうするか。古来より、強敵と打ち倒さんとする人間が取る手など決まっている。

 即ち――質を高めるか、数を増やすか、案を巡らせるか。


 あの真面目な少女ならば、そのうちのどれを選ぶだろう……などと、そんなことは考えるまでもない。

 全部だ。そうに決まっている。


「大方これはその時間稼ぎか」


 であるならば、律儀に付き合ってやる義理もない。

 視界に映るのは木々だけで、憂姫の姿など影も形も見えないが、構うものかよ。


 ブチ壊す。

 何もかも。

 跡形もなく。


「……――幻想再現」


 居合のような構えを取る。半身を引き絞り、右腕を腰の後ろまで持って行って力を溜める。

 この技は、かつて【ムラクモ】時代に修得した戦技。その斬撃で世界すら容易く断ち切る剣神から盗み取り、自分用にアレンジした紅雛の業。


 紅雛流刀術――参式。


「『三日斬月』」


 ただ、振り抜いた。

 空気との摩擦で燃え上がった右腕が、虚空に紅の軌跡を描いて駆け抜ける。


 発生した莫大な衝撃波が、地平線までの視界前方にあるもの全てを吹き飛ばした。


「……弱いな」


 オリジナルたるシグレと比べるべくもない。範囲こそ身体能力の恩恵により勝るかもしれないが、一番肝要な威力において圧倒的な差がある。

 絶対切断とまでは行かずとも、せめて斬撃の形すら保たないとは。


 それに――


「っ……」


 激痛を発する右腕を見る。技の反動で骨肉ともに圧し潰れ、黒焦げとなった右腕。

 たった一度の行使でこの有様。苦もなく連発していたシグレとは、やはり比べるべくもない。

 素手と刀の差、ではない。単純に技術の差。それに尽きる。


「やっぱり、クズだなぁ」


 へらへらと笑い、振り返る。

 見通しが良くなった前方に憂姫はいなかった。ならば幸運にももう半分、後方に隠れているのだろう。


 クズな自分のクズな技だが、もう一発放てば炙り出すくらいは出来る。

 再生を終えた右腕を再び手刀の形に変え、遥は構えを取る。


「……幻想再現」


 紅雛流刀術、参式。



 不味い不味い不味い不味い不味い―――!


 こちらへと向き直った遥が取った先ほどと同様の構えに、憂姫は顔を蒼ざめさせる。

 あの技、恐らく【ムラクモ】でシグレが見せた『三日斬月』を基にした技だ。


 威力や速さ、鋭さは負けているも、範囲は相当に広くなっている。一度放たれてしまえば躱せる代物じゃない。


 ……仕掛けるか?


 あの技を放つ前、遥は隙とも言えるほど大仰な構えを取っている。

 【コードリボルバ】で加速して特攻すれば、放たれる前に勝負を決めることも出来るのではないか?


「……でも」


 懸念。遥だってそれに気づいていないわけがない。よしんば一撃を喰らわせられたとして、それが頭か心臓を外せば当たっていないのと同じだ。

 ……リスクが高過ぎる。ここはやはり、当初の作戦通り魔法の完成を待つべきだ。


 だが、間に合うか。間に合ったとしてあの技に巻き込まれてしまえば意味がない。

 あの技が放たれる前に魔法を完成させ、先制を叩き込まなければ。そして、そんな時間は恐らくない。


 どうする――どうする。どうする、どうする、どうする。どうするどうするどうするどうするどうする。

 時間にして僅か一刹那、憂姫は加速した思考で逡巡に逡巡と逡巡を重ねて重ねて重ねて――


「……………………。あ」


 気付いた。

 とても単純な、それでいて恐らく唯一の解決法に。


 必要なことは二つ。魔法を完成させることと、遥の技を発射前に止めること。

 なら、簡単な話だ。


 即ち。


 魔法を作りながら(・・・・・・・・)

 技を止めてやればいい(・・・・・・・・・・)


 どちらも必要なことなら、どちらもやってしまえばいいのだ。


「―――」


 自分の何倍も強い相手と戦いながら、憂姫をして完成に時間のかかる超難度の魔法を完成させる。

 それぞれが全神経を集中させて、それでようやく成功率が半分程度と言ったところ。

 言うに及ばず、半分以下の集中では成功などするはずもない。


 人間が同時に二つの物事を思考し、進行させるのは不可能とされている。


 ――ならば思考を切り離せばいい。同時に二つの情報を処理するのだ。そうすれば百パーセントずつ集中出来る。

 その程度出来なくて何がAランク魔導師だ。何が遥のパートナーだ。


「――……行きます」



 遥が三日斬月を放とうとした、正にその時だった。

 銀色の閃光が瞬いた。


「――シィッ!」

「っ!」


 首筋を掻くナイフを躱し、脳天に撃ち込まれる銃弾を三日斬月をキャンセルした左腕で払い飛ばす。

 遥にとっては予想通り。まんまと炙り出せたと、冷静に超近接戦闘を仕掛けていく。


 コンパクトに放った掌底を、紙一重残像を撃ち抜かせて憂姫は躱した。

 如何にパンドラアーツの動体視力でも、緩急をつけて動く亜音速の物体を完璧に捉えられるわけではない。


 遥はこの隙に憂姫が森の中に逃げると思っていた。

 行動速度で大差ある自分相手に正面戦闘は愚の骨頂。ヒットアンドアウェイが彼女の狙いに違いない、と。


 ――そう思っていたから、憂姫が放っていた『二撃目』の斬撃を、ほとんどマトモに喰らっていた。


「っ……!?」


 心臓の数センチ手前まで切り裂かれた胴体が血飛沫を上げる。

 右腕を真横に払って牽制。その衝撃波に乗るようにして後退する憂姫へと、一気に加速して追い縋る。


 何故こんな戦法を選んだか、何故魔法の一つも使わないのか。気にはなるがどうでもいい。

 確かに不意は突かれた。攻撃を喰らった。それは認めよう。賞賛もしよう。


 だが、そんな特攻さながらの突撃は――幾ら何でも、少し無謀過ぎるんじゃないか。


 跳躍し、憂姫の真上に到達。近づかせまいと弾丸をばら撒くが、こうまで不安定な射撃体勢では話にならない。

 この距離、回避も防御も共に不可能。

 憂姫はただの人間だ。挽肉にならないよう加減はするが、当たれば意識を保ってはいられまい。


 これで詰み。終わりだ。


 遥は脚を振り下ろす。

 踵は辛うじて憂姫を外した。先の射撃の反動で辛うじて直撃コースから外れていたらしい。なるほど、これを狙っての射撃だったか。

 だが、発生した衝撃波までは躱せない。脚から下方へと放射状に広がるそれは、少し動いた程度で逃れることは不可能だ。


 ――いや違う!

 今の射撃の意図はそれだけじゃない!


 憂姫の持つ拳銃、その銃口から伸びる細い光に遥は気付いた。

 同時、憂姫の姿が慣性も重力も無視した動きを見せる。急激に横へ(・・)落ち、衝撃波の射程圏から紙一重逃れた。


 やがて憂姫は大木の幹に足から着地し、体勢を立て直す。

 ――鋼糸弾(アンカー)。それが憂姫の銃口から伸びた細い光の正体。

 先の射撃の折、幾つもの通常弾に紛れて背後の木へと撃ち込んでいたのだ。今の一撃を躱すため――それ以上にこれからの戦闘で有利に立ち回るために。


 何より、鋼糸を得手とする遥に意趣返しするために。


「……上等ォ」


 得意とする瞬間加速(コードリボルバ)を使わないということは、今なお以って憂姫は何らかの魔法を作っている最中なのだろう。

 それはつまり、身体能力で圧倒的な差がある自分に対してナイフと体術を用いた超近接戦闘で時間を稼ぐということ。


 出来るというならやってみせろ―――!

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