……ここから
本当にそれだけしか思わなかったのか、不快げな顔で藤城は言う。
超音速以上で迫る相手を殴り飛ばしたというのに、手に異常どころか痛みさえ覚えていないようだった。
――刹那、一気に戦闘が加速する。
拳と拳のぶつかり合いで、幻想のように狂い咲く火花。衝突のたびに爆発じみた余波を撒き散らす。
空中で何十何百と交わされる打撃の応酬は、身体能力に圧倒的な差があるにも関わらず、完全な拮抗を保っていた。
いや、どころか。
流石に、見間違いだと信じたいが。
藤城の方が押している……!?
「ふッ!!」
「――ガッ!!」
徒手空拳の乱舞を見切り、カウンターの正拳を腹に叩き込む。
遥は幾つもの建物の残骸を突き破って吹き飛び、見えなくなった。
「……ん、やっぱ力と速度は負けてるか」
何でもないことのように言うが、憂姫には両者に大きな差はないように見えた。
藤城が身体強化の魔法を得意とする、と言われているのは憂姫も知っている。
だが常時ここまでの強化率を誇る術式、それを常時発動し続ける魔力量、耐久性となると――あり得ない、と断言したくなるところだ。
更に言えば、戦闘開始から今に至るまで、藤城の魔力を憂姫は一切感知出来ていない。
身体強化は体内で完結する魔法だ。完全に、完璧に魔法を行使すれば、理論的にはそうなるかもしれない。
だが自分は元より師ですら不可能極まる芸当を、こうも軽々と見せつけられてしまうと、流石に現実を否定したくもなるところだった。
アレは本当に魔法なのか。もっと別の、例えば遥のような理外の力だと言われた方が、よほど納得出来てしまう。
「というか、那月お前、オイ。サボってないでお前も働け」
「……そう。あなたごと凍らせてもいいと、そういうことね」
なら遠慮なく、と。
五指を広げたユズリハの周囲一キロメートルが、丸ごと凍りついた。
意図的に外したのだろう、憂姫と何らかの手段で守ったらしい藤城を除く全てが氷結している。
直後、硝子が砕けるような音。街のどこかにいた遥が氷結を打ち破ったのだろう。
藤城が口元を歪めた。
「ハッ、破られてやんの」
「別に。場所さえ分かれば、こうやって」
ユズリハの手のひらが白く輝き、それに呼応した魔力の球が渦を巻く。
その魔力球は天へと登り、上空を飛行。やがて先ほどの音源近くまで移動して――真下に極大の光線を撃ち放った。
数十条の衛星砲にも似た砲撃が、街の一部を文字通り削り取った。
「直撃なし、掠り傷四。……あなたがサボっていたせいよ、藤城純」
「小せえ女だなぁお前。死ねよ」
辟易と吐き捨てる藤城、怜悧に無視するユズリハ。
次の瞬間、双方が動く。
それが超高速化された近接戦闘の果てなのか、どこか遥と似た挙動で絶拳を放つ藤城。
威力も範囲も速度も馬鹿げている魔法を百や二百、息一つ切らさず放ち続けるユズリハ。
驚くべきは、互いが互いの役割を適宜入れ替えているところだ。
ユズリハの方が距離が近くなれば彼女が氷刃片手に打撃を捌き、藤城は距離を詰めつつ衝撃波を撃ち放つ。藤城が接近すれば適材適所、打撃と魔法が遥を追い詰める。
二人の連携が特別優れている、というわけではない。
単純に、二人の戦闘能力が高過ぎるだけだ。
今の遥でさえ――あるいは今の遥だからこそ。
魔力と身体能力の暴力という、ある種の意趣返しじみた攻勢に、次第に押されていく。
そして、ついに。
懐に入り込んだ藤城の掌底が、遥の体を空高く打ち上げた。
「今だ那月!」
「……!」
即応して魔力を解放するユズリハ。呼応した魔力が空から下り、空中の遥を呑み込んで地面に突き刺さる。
光と煙が弾け、その場の全員の視界が寸毫ゼロになる。
やがて光が収まり、煙が晴れた、その場所には。
口角泡を飛ばし、額に血管を浮かべ手足を動かそうとして――しかし微動だにすることのない、全身を氷に覆われた遥の姿があった。
そんな遥にユズリハは歩み寄り、唯一氷に覆われていない頭部を掴んで、呟く。
「【インスタントスタンガン】」
断末魔じみた絶叫。目を見開き、ガクガクと震える遥。
数秒も紫電を保っていると、意識が飛んだのか、遥の体から力が抜けた。
それを見ていたユズリハは、ふと今の光景に既視感を覚える。
そういえば、以前学院で遥と戦ったときも似たような終わり方だったか。二人の役割が真逆ではあったが。
間違っても傷つけないように威力の低い魔法を選択しただけなのだが――図らずも意趣返しのようになってしまった。
……どうでもいいと片付けて、彼女は言った。
「こんなものね」
「ま、こんなもんだろうな」
原因は定かではないが、遥の暴走は比較的軽度。幾分か理性が残っていたようにも思えた。ならば気絶させれば元に戻るだろう。
家電の電源コードを引っこ抜くような乱暴な処理だが、相手を考えればちょうどいいのではないだろうか。
目的を達したことで、二人は踵を返す。正反対の方向に、綺麗に別れる形で。
藤城からすれば那月ユズリハは不倶戴天の敵だし、ユズリハからすれば藤城純は一方的に因縁をつけてくる面倒な男なのだから、仲良くなどするわけがない。
梶浦たちの部隊もようやく――もしくは、というかほぼ間違いなく空気を読んで――こちらに到着するだろう。
その時に自分たちがいれば面倒なことになるし、遥については梶浦が何とかするはず。彼も何らかの思惑があって遥に近付いたのだろうから、口止め出来ない状況にでもならなければ庇い切るはずだ。
最早ここにいる意味はない、と二人は足に力を入れて――寸前で挟まれた声に、踏み止まった。
「待って、ください……!」
見れば、息を荒げてこちらへと駆けてくる銀髪の少女の姿。安定しない、危なっかしい体勢を見るに未だ体調は芳しくないらしい。
治した者の責任として、ユズリハは口を開いた。
「じっとしていなさいと、そう言ったはずよ」
「その、前に、一つだけ……!」
「何だよ。オレぁとっとと帰りたいんだが」
言いながら、藤城は話を聞く姿勢を見せる。
面倒だからと先ほどは見殺しにしようとしたが、実は彼女には一つ借りがある。憂姫自身気づいてもだろうが、それなら知らないうちに返しておくのが良しか。
そんな藤城の内心など知る由もなく、憂姫は言葉を紡ぐ。
「その、二人は……遥のことを、どこまで知っているんですか……?」
「さてな。それを明らかにすると下手をせずとも大戦争になっちまう。知らぬが仏が適当だろうさ」
「……そうね。やめておいた方がいいわ」
はぐらかして答えるが、憂姫には懸念があった。
今の遥を見ても驚かない辺り、最悪彼の禍力についてまで知っている可能性もある。
ないとは思うが、もしかして、もしかすると――。
「まあ、今のは答えになってねえからノーカンでいいよ。他に何か聞きたいことはあるか?」
「……。二人は、遥のことを見張っていたんですよね……?」
「ん、その解釈で間違ってはねえよ」
含みのある答えだが、今はいい。
それより、憂姫が聞きたいのは――
「何で、遥を助けてあげなかったんですか。本当に、本当に友達だって言うなら、どうしてこんなになるまで、放っておいたんですか……!」
「…………」
「……あー」
二人分の沈黙が返ってくる。その雰囲気に憂姫は違和感を覚えた。
答えに窮している、というわけでは全くない。
どう言ったものかと道理を知らない子どもに対して言い方を探る、気まずげな雰囲気だ。
「……一般論としては仰る通りか。いや、そうだな。それが正しい。ハルカを大切に想ってるなら、例え多少理不尽でも、そうやって怒るのが普通だ。だからユウヒちゃんにそう言われたら反論のしようもねえよ」
憂姫の言葉をそう認め、肯定し、しかし「だがな」と藤城は続ける。
「そうやって助けたら、オレはハルカに貸し一つと考えるし、アイツは借り一つと考えるだろうよ。友情愛情諸々の根底に“相手を利用する”っていう魂胆があるからな、こればかりは仕方がない」
別に友誼がないわけではない。むしろそこらの有象無象よりはよほど固いと思っている。
しかし、これだけはどうしようもないのだ。彼らにとって『友達』という関係性は、そういうものなのだから。
……否、正確には、そういうものとして『友達』になったのだから、か。
「オレ達は互いを対等だと思っている。それが今の関係でいるための条件だ。だから貸しも借りも発生する。してしまう」
「……それに、もし相手が頼んでもいないのに勝手に助けて、勝手に貸したりしたら貸し借りの価値は暴落してしまう。それは私も遥も望んでいないこと」
「チッ……っと、そういうことだ。納得しろとは言わんが理解はしておくべきだな。これからアイツと付き合っていくなら尚更だ」
それだけ言って、返答も聞かずに藤城は姿を消した。質問には答えた、それ以上の義理はないと、そういうことだろうか。
ユズリハもユズリハで姿を消そうとして――その前に、一つだけ言っておくべきだと思い、立ち止まる。
「……汐霧憂姫。あなたは弱い。総合的に見れば、この子の周りの誰よりも弱いかもしれない」
「…………」
憂姫は痛みを堪えるように沈黙する。
違う、そうではない――伝えたいのはそのことではない。
「――でも、きっと強くなる。理由を、戦い前に進むための理由を手に入れた時、今よりずっと強くなれる。私より、藤城より、遥より――誰よりも、きっと」
「……。え?」
「それだけ。一週間は安静にしてなさい」
そうして、ユズリハも姿を消した。
あまりに衝撃的な展開の数々に、今見たものが、聞いたものが末期の幻覚か何かに思えてきて……しかし、そうでないことくらいは分かっている。
……クロハちゃんを失ってしまったけれど。
……自分も、遥も。手酷くやられてしまったけど。
それでも、生きている。
「……ここからです」
憂姫は誰一人聞く者のいない廃墟の中で、そう誓った。