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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
92/171

骨肉切らせて命絶つ



「アッハハハハハハハハハハ―――――!!!」


 人気のない閑静な住宅街に、人体を引き裂く壮絶な音が響く。

 肉の切れる瑞々しい音、血の噴出する粘着質な音、骨が割れる破滅的な音が混ざりに混ざって奏でられる。


 身の毛もよだつようなグロテスクな演奏を、それが福音か何かのように、赤髪の少女はけたたましく笑いながら聴き浸っていた。


「アハッ、アハハハハハハハハハ! 死んだ! 死ーんだ! あんな偉そうなこと言ってたのに! 強そうだったのに! 死んだ死んだ! 雑魚、雑魚、この雑魚! あっけない! 弱いから! ヒー、ヒー、アハハハハ!」


 少女は死体を嗤いながら、チェーンソーを真下に押し下げる。

 胃、はらわた、骨盤、性器――刃の進路上にあったものが原型を留めないほどグチャグチャに斬壊していく。


 やがて、胸の真ん中から股下までがミンチになった惨殺死体が出来上がった。

 そのあまりの無様さに、飽きることなく少女は腹を抱える。


 そんな、見るからに尋常でない少女に近づく影が一つ。


「殺せたか?」

「――見たら分かることを聞くのは馬鹿だけだよ、オジサン」


 ふっ、と。

 それまでの狂笑全てを消し去って、藍染の問いに少女は返した。


 事実、その通りだ。

 弱点の心臓、それが収まる胸部は徹底的に破壊されている。

 骨はやたらめったらに飛散し、血はドクドクと流れ続け、どうしてそうなったのか、右腕など右胸に突き刺さっていた。


 心臓など影も形もない。大方他の肉と混ざってしまい、ソーセージの中身のようになったのだろう。

 少女は言う。


「でもさオジサン。昨日も言ったけどさ、これ本当に頭壊さなくていいの? 確か脳みそも弱点なんでしょコイツ。一応やっといた方がいいんじゃない?」

「藪を突いて蛇を出す趣味はない」

「フーン。つっまんないの。なんだっけ、暴走の可能性だっけ?」

「禍力の制御機関である脳を破壊すると制御を失った禍力が暴走する可能性がある、というのが研究者の見解だ」

「ハッ、可能性かよ」


 鼻で笑う少女。藍染は応じず、身を翻した。


「詰めだ。行くぞ」

「はいはい。ああ、これも昨日言ったけど」

「『神子』を傷つけることはない。守りが汐霧憂姫一人ならどうとでもなる」

「それ破ったらどんな手使ってでも殺すから。んじゃ、とっとと護衛の魔導師ぶっ殺しに行こう」


 反応を待たず、少女はマンホールの闇へと身を躍らせた。

 藍染も後を追おうとして、……一度だけ振り返る。


 視線の先にあるのは、儚廻遥の物言わぬ残骸。


「……―――」


 何を思ったのか、藍染は一言だけ小さく呟いた。

 それきり興味を失ったように顔を背け、少女の後を追った。


 …………。

 …………。

 …………。


 人気が消えた深夜の住宅街に、どこかから吹き込んだ風の音が木霊する。

 もうすぐ夏だというのに、とてもそうとは思えないような冷たい風が吹き(すさ)び――


「……ッっっァあ! ゲブッ! ブビュ! があ、クソ、ッぷ! ゲホッ、ゴホッ!」


 ――僕は(・・)、溜め込んでいた生理的衝動をその場にブチ撒けた。

 逆流した液体と固体を全て吐き散らし、気道をどうにか確保する。生理的に浮かんだ涙がボロボロと零れ、血の海に波紋が幾つも出来た。


 あ、危なかった。あと数分奴らに居座られていたら、確実にバレていた……!

 というか、藍染にはバレていた節がある。じゃなければ去り際にあんなことは言わない。


 “――この程度で死ぬ男でもあるまい?”


 極々小さな声だったが、パンドラアーツの聴覚は一字一句逃さずに捉えていた。

 何故僕を見逃したか……分からないが、僕にとっては幸運以外の何物でもない。じゃなければ本当に殺されていただろうから。


 いや、もう、そのことはいい。


「追わ、ないと……!」


 僕が負けた以上、奴は汐霧たちの所へと向かう。そうなれば事前に言い含めておいた通り、クロハは自身を対価に汐霧の安全を保証しようとするはず。

 それが受け入れられるなら、いい。だが藍染たちにはその提案を受ける理由がない。どうとでも落とせる敵の話を聞く馬鹿がどこにいるというのだ。

 恐らくは提案を受けたフリをして、クロハを確保した上で汐霧を殺すはず。


 ……クロハが攫われるのは、もう仕方ない。敗けた僕が全て悪い。

 だが汐霧は、あの魔法の天才を喪うのだけは、何としてでも阻止しなければ……!


「ッ……!」


 だが、奮い立つのは心ばかり。体はどんなに力を入れても立ち上がることすら出来ていない。

 原因は分かっている。藍染の陽動により直撃を許した少女のチェーンソー、僕の弱点である心臓への一撃。


 ――それを避けるために、僕が僕自身に付けた傷だ。


 あの一瞬、僕が出来たのは笑うことと右腕を僅かに動かすことだけ。心臓のある場所を潰されるのは避けられなかった。

 だから、動かした(・・・・)。右腕を胸にブチ込んで、心臓を引っ掴み、『破壊想』――破壊のマガツで体内の肉、血、臓器、骨を消し飛ばすことで、心臓だけを動かし、刃の直線上から逸らしたのだ。


 普通の生物なら死ぬような行為だが、パンドラアーツは心臓と脳さえ無事なら生存出来るバケモノだ。

 あのチェーンソーの切れ味が凄まじいのもいい方向に転がった。あれだけ鋭ければ人体などチーズも同然だろうから、中身があったかどうかなど感触からは判断出来なかったはず。


 咄嗟の機転、敵の手抜かり、自前の悪運――諸々全ての要素を重ねて、僕はどうにか死を逃れることが出来た。

 ……だが。


「再生が、始まらない」


 破壊想。『操作』によりマガツと同レベルまで引き上げた破壊の力。その特性は触れたものを完膚なきまで破壊し尽くすこと。

 壊れたものは、もう二度と直ることはない。


 大半の血肉や骨、重要臓器を失って動ける人間はいない。そして僕の半分は人間だ。

 いくらパンドラアーツの身体といえど、心臓一つさえあるべき場所に収まっていない今の有様では、動くことすら叶わない。


 よって今の僕に出来ることは、自身の身体に叩き込んだ『破壊』を更に『破壊』すること。そうすれば再生能力も戻ってくるはず。

 だがそれには細心のコントロールが要求される。全力全開で振るえばいい、敵を殺すための使い方は出来ない。


 果たして、どれだけ時間が掛かることか――


「……先生なら」


 先生なら、どうする。

 あの、誰より強かったヒトなら。

 こんな時――一体どうするだろう?


『知りたい?』


 ……いいや、知っている。

 あなたの教えは全て覚えているから。


『それじゃあ、どうするの?』


 迷わない。

 障害があるなら、壊す。

 それだけだ。


『でも、時間がないのでしょう?』


 ああ。

 僕の禍力の扱いでは、どうしても。


『じゃあ、駄目じゃない』


 僕では、と言った。

 なら話は簡単だ。

 僕より上手くて、慣れてる奴に任せればいい。


『いるの? そんなヒト』


 ……聞くまでもないだろ、そんなの。

 いるよ。

 僕の中に。


 あの日喰った、最強のパンドラが。


『――あはっ』





 ジオフロント、その片隅。

 つい先ほどまで銃撃戦を繰り広げていたその場所には、今や奇妙なまでの沈黙が降りていた。


 原因は単純。

 ついに現れた、その男の存在だ。


「……師匠」

「…………」


 呼び掛けに、藍染は沈黙を崩さない。

 通路の真ん中に立ち、感情の失せた瞳を憂姫たちに向ける。


 一見して隙だらけの様相だが、憂姫に限って間違えるはずもない。

 攻撃した、その瞬間に己の首が飛ぶ。その光景が鮮明に浮かんだ。


 藍染は一言、呟いた。


「そこの『神子』を渡せ」

「……遥、……上に残った魔導師を……どうしたんですか」

「説明が必要か?」


 自分がここにいる。それが全てだ、と――そう言いたいのか。

 俄かには信じられない。だが、この男なら――


「どうでもいい。死にたくなくばそこをどけ」

「……クロハちゃんを攫って、どうするつもりですか」

「あのさおねーさん。いい加減立場わきまえなよ」


 声に目を向けると、いつからいたのか、藍染の横に立つチェーンソーを抱えた赤髪の少女の姿。

 以前遥が襲われたという話の、殺人鬼の少女か。


「ワタシはさ、ワタシはね? 妹を連れ戻すために来たんだよ。それを邪魔してピーチクパーチク……ほんっとなんなの。ちょっとは空気読めよ」

「……妹?」

「だーからさぁ、おねーさんに用はないって言ってんじゃんさ。もういい、お前殺して――」

「――やめて、お姉ちゃん」


 ふと、隣から声がした。

 見ると後ろに隠れていたはずのクロハが、憂姫の横に並び立っていた。


「クロハちゃん……!? 駄目です、隠れてて――」

「……ごめんなさい、ユウヒ」


 憂姫の制止を無視して、クロハは更に一歩前に出る。

 まるで、憂姫を守ろうとするかのように。


「お姉ちゃんの目的は私でしょ。この人に手を出すのは駄目。許さない」

「……ぁ」


 ふらり、と。

 熱に浮かされた足取りで、少女がクロハに歩み寄る。

 恐る恐る手を伸ばし、触れる寸前で躊躇うように止まった手を、クロハは掴んで引き寄せた。


「久しぶり、お姉ちゃん」

「……ああ、ああああ……! 生きてた……! ほんとの、ほんとに、生きてた……!」

「……うん。お姉ちゃんも、生きてて良かった」


 自身を抱き締めて泣き笑いを浮かべる少女に、クロハも優しい笑みを浮かべる。

 本当は、決して喜ぶべきことではない。彼女は遥の敵だ。その遥を傷つけたのなら、自分の敵ということにもなる。


「絶対に死んでるって、そう思っていたから……本当に、嬉しい」


 だが……彼女が大好きなのも、またどうしようもない事実で。

 だから、その生を嬉しいと思ってしまうのもまた、どうしようもないことだった。


 ……ああ、そうだ。

 彼女には伝えたいことがあったんだった。


「ねえ、お姉ちゃん」

「……なに?」

「私ね、名前付けて貰ったの。クロハって、そう、呼んでもらえるようになった」

「そう。それは……良かった。うん、そっか……本当に、良かったよ」


 知らず、少女の言葉には万感の思いが込もっていた。

 それがどんな意味を持つのか知っているから、喜ばしくて堪らない反面、死にたくなるほどの罪悪感を感じてしまう。


 謝罪の言葉が出そうになるのをぐっと堪えて、少女は言う。


「……クロハ。ワタシと一緒に来て」


 後に続く言葉はない。慰めの言葉も、安心させる言葉も、説明の言葉も、何一つ。

 それを見て、クロハは――ああ、きっと苦しくて嫌なことが待っているのだろうと、そう察する。


 だとしても、言おうとしていた台詞が変わることはあり得ない。


「……分かった。その代わり、ユウヒは見逃してあげて」

「クロハちゃん!?」


 何を言っているのかと声を上げる憂姫に、クロハは小さく首を振った。

 もう、こうする他ないから――と、諦感を視線に込めて。


「ありがとう。必ず守るよ。……オジサン、聞いてたよね」

「ああ」


 頷く藍染を少しの間睨みつけ、少女はクロハを抱き寄せた。

 憂姫はそれを止めようと、叫ぶ。


「【コードリボルバ】!」

「【瞬節】」


 ――ギィンッ!


 加速した憂姫と藍染が激突する。

 【コードストライカ】の銃身とナイフの刃が鍔迫り合いを演じ、火花が散った。


 憂姫は衝撃を叩き込もうと引き金を引いて――瞬間、【コードストライカ】が微塵に刻まれる。

 驚く暇もないまま、両肩の付け根に灼熱じみた激痛が走った。


 黒塗りのナイフが突き刺さっている――その痛みに気を取られた一瞬に蹴飛ばされ、真横の叩きつけられる。

 同時にナイフが飛来し、両手両足を貫通。コンクリートの壁に縫い付け、憂姫を磔にした。


「ぎっ――ぃいああ……!?」


 重量と自重で体が下に引っ張られ、手足の肉と骨がガリガリ、ゴリゴリと削られていく。

 痛みが痛みを呼び、逃れようにも標本にされた昆虫のように身動きが取れない。


 藍染は憂姫に近づき、足先を貫いているナイフの柄を――ガッ。蹴り込んだ。

 足に突き刺さったままの刃が僅かに上下し、肉がピリピリと裂けていく。


「くっっ……うう、ああ……!」


 気が狂いそうになる中、憂姫は必死に痛みを耐える。

 神経の集中する体の端を削られる地獄に彼女が耐えられていたのは、かつて受けた対拷問用の訓練と憂姫自身の精神力によるもの。


 それら全てを嘲笑うように藍染は柄を蹴り込む。先ほどよりも、僅かに強く。

 柄が、連動した刃が、大きく動いた。


 パキンという骨の割れる音。肉を抉る瑞々しい異音。血が溢れ出す。

 そして、憂姫の足の指が真ん中から裂けて六本になった。


 ぷちん、と何かが切れる音が聞こえた気がした。


「ッッぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァッ!!!」


  憂姫は叫ぶ。涙を流し、涎を垂らし、声の限りに絶叫する。

 その様子は到底魔導師などではなく、醜い獣のそれだった。


 藍染は振り返り、事もなげに言う。


「ユウヒ!?」

これ(・・)が正気を取り戻す前に、さっさと『神子』を連れて行け」

「……やり過ぎだろ。間違って殺すなよ」

「加減はしている。心配は無用だ」

「…………。暗殺者数人借りてく。行こうクロハ」


 その言葉を最後に、クロハと少女がジオフロントの闇に消えた。後を追って数人の暗殺者もいなくなる。

 残ったのは暗殺者が五人と藍染、そして磔にされた汐霧の七人だった。

 最も、虚ろな瞳で泡を吹き、言葉にならないうわごとをブツブツと呟いている今の彼女を人と扱うべきか、判断に困る――


 ――そう思わせるのが彼女の狙いだった。


「……フゥッ!」


 無音の気勢。憂姫はバッと顔を上げ、口から極細の針を撃ち放つ。

 仕込み針。視認すら難しいその暗器は、常日頃から彼女が口腔に隠している最後の武装だ。


 絶叫も、醜態も、全てこのための演技。


 強力な麻痺毒を内包する針が藍染の首筋へと真っ直ぐに飛翔する。突然のことに、攻撃した憂姫以外は誰も気付いていなかった。

 少なくとも、藍染の後方に控える暗殺者達は、憂姫が放った針に反応すら出来なかった。


 暗器が当たる――


「当たるか、そんなものが」


 その直前で、藍染の人差し指と中指に挟まれて止められた。

 パキン、と小気味いい音と共に針が折られる。

 憂姫の最後の抵抗の結末としては、酷くあっさりとした音だった。


「いちいち顔を上げるな。効果が激減するとしても敵に見破られないことを優先しろ。息も強過ぎる。針が肌に突き立つ最低限を超えるな」

「…………っ」


 かつての師による模範解答(・・・・)を聞き流しながら、憂姫は活路を必死に探る。

 ――最初から、この師がクロハとの約束を守らないことなど分かっている。


 藍染は契約を守る。守るが、それは仕事の話だ。利にならず、どころか後の禍根になりかねない自分を見逃すなど、どうして信じられるだろうか。


 事実、静謐な殺気は未だ収められていない。

 何かないか、まだ、まだ、この状況を打開する、何かが――


「諦めろと言っている」

「ッッッ、ぁ!!!」


 更に一本。いや二本。

 両腿にナイフが突き立ち、血が溢れ出す。大量の血を失ったことにより、視界が酷く暗くなった。


 これは、もう、詰みか。

 憂姫は首を振ってその思考を打ち消す。痛みと苦しみに苛まれている精神は、まだ生きることを諦めていない。

 まだだ。まだ、諦めるな。考えろ、考えろ、考えろ――!


「……ふむ」


 更に、二本。

 また更に、二本。

 痛覚神経を嬲るような、それでいて絶妙に死なない部位にばかり次々と突き刺さる刃。


「い、あぁっ……ぁ、あぁ、ぁあああああ!!? あ゛! あぁ……あ゛ーっ! あ゛あ゛―――っ!! ――アアアアアアアッ!!?」


 一本ごとに襲いかかる壮絶な苦痛に、鼓膜を突き破るかと思うほどの絶叫を上げる。

 今度こそ演技でなく本心から溢れた涙が視界をぼやけさせる中で、それでも憂姫は正気を強く保つ。


 藍染はそんな憂姫を――彼を知る者からすれば非常に珍しく――僅かに驚いた様子で見ていた。


「……まだ保つか」

「フーッ、フーッ、フーッ……!」


 荒い息を抑えることもせず見返す憂姫。ハリネズミのように全身から刃を生やし、血を流す姿は誰がどう見ても瀕死の重体だが、その眼光だけは一切損なわれず、生きている。

 意識が保つことは別に不思議ではない。そのように彼女を訓練したのは藍染自身だ。


 だが、この状況で未だ諦めず、戦意を損なっていないのは――


「何故、本気を出さなかった」


 口から出たのはまた別の疑問。

 憂姫が藍染の元で学び、実際に使っていた武器はナイフだ。拳銃は、なるほど【カラフル】と相性が良いのだろうが、本来得手とする武器を一切使わなかったのは何故か。

 まだしも戦闘になったかもしれないのに、その可能性を捨ててまで。


「……は」


 対して、憂姫は嗤う。

 そんなことも分からないのか、と嗤う。

 ……何か、変な癖が感染(うつ)ってしまったかもしれない。あの、いつもへらへらと笑っているどこかの馬鹿から。


 憂姫は嗤ったまま、答える。


「……そんなの……勝つ、ために、決まってるじゃ、ないですか……」

「勝つ?」

「あなたに教わった、技術だけじゃ……あなたは、超えられません。……ちょっと、考えれば……分かること、です」


 それでこの有様じゃ、世話ないけれど。

 でも、私は。守るために、勝つために、生きるために、戦った。

 だからきっと、この決断は間違いじゃないのだと――そう思う。


「そうか」


 藍染は馬鹿にすることも、嗤うことも、呆れることもなかった。

 ただ一度頷き、ナイフを一本抜き放つ。


 それが今までとは違う、トドメを意図しての一撃だということを、憂姫は理解していた。

 理解していたからこそ、彼女は動いた。


「――魔力、解放」


 ズドン、と地下空間が震撼した。

 両腕、両足から噴き出す大量の魔力。指向性を持たない怒涛があらゆるものを破壊する。


 本来なら憂姫の持つ魔力全てを掻き集めても、ここまでの威力にはならなかっただろう。

 だが、今の憂姫には遥に注がれた膨大な魔力がある。その魔力をほぼ全て使い切ることで、憂姫は己を縛り付けるナイフを破壊し、藍染を後退させるに成功した。


 地面に叩きつけられた憂姫は、魔力解放によりズタズタになった手に全霊を込めて、取り落とした加速器を握り締める。


「コード――」


 なけなしの魔力を、己の生命力さえも注ぎ込み、銀銃が輝きを放つ。

 この一瞬に、憂姫は全てを賭けた。


「【コードリボルバ】ぁッ!!!」


 加速魔法。

 獣のような四足歩行で、血塗れの手足を執念で動かして。

 疾駆する。


「グウァアッ!!」


 憂姫は藍染の足の腱に噛み付き、噛み千切った。

 ブチン、というおぞましい音が鳴った。


 肉片と血が宙を舞う中、憂姫の加速が終わる。


「げぽ」


 次の瞬間、憂姫は腹を蹴り抜かれて吹き飛んだ。

 再び壁に叩きつけられ、喀血して咳き込む。折れた肋骨が内臓に刺さったか――後から後から血が溢れてくる。

 下手をすれば致命傷――しかし憂姫は、藍染を見て笑みを浮かべた。


「……ほら、一()、報いましたよ……」

「…………」


 憂姫の揶揄に僅かに瞠目し、今度こそ息の根を止めようと迫る藍染。

 憂姫は壁を支えに立ち上がろうとして……失敗して倒れ込んだ。


 手足に力が入らない。

 体がぶるぶると震える。

 地面がふわふわだ。

 見えるのものが酷く遠い。


 ……立ち上がれない。

 ……ここまでか。


 突っ張っていた手足が折れ、崩れ落ちる。

 うつ伏せのまま、明滅する意識の中で、近付いてくる男の姿をせめてもの抵抗で睨みつけて――


「……?」


 ふと、その音に気付いた。

 何かの壊れる音、何かが叫ぶ音――何者かが近付いてくる音だ。幻覚などではない。

 見れば藍染や後方の暗殺者達も憂姫から視線を外し、音がどこからかと辺りを見回している。


 その音は段々と大きくなる。この場所に近付いている――否、この場所を目指しているらしい。

 その瞬間、憂姫は理解した。その正体が何か、一切根拠も何もないけれど、何故か分かった気がした。


 ……ああ。

 ……なんだ。

 ……心配して、損した。


 やっぱり、生きていたんじゃないか。


「……遅いんですよ……ばーか」


 次の瞬間、憂姫が天井を崩したことで通路を塞いでいた瓦礫が吹き飛んだ。

 乱れ飛ぶ瓦礫に混じって、何かの影が凄まじい速さで過ぎて行き――


「死イィィィィィネェェェェェェェエ!!」

「――ッ!」


 一直線に、藍染へと激突した。

 手刀とナイフが火花を散らし――一瞬の均衡の後、ナイフが砕け散る。


 影が拳を振るう。速く、鋭く、力強い一撃。新たに武装を展開する暇もなく、受けるのはどう見ても不可能。

 藍染はナイフの残骸を投げ捨て、即座に跳躍して後退。その残像を拳が打ち抜き、直線上にあった壁に大穴が空いた。


 ……先ほどの戦闘時より、更に威力が向上している。

 静かな分析とともに、藍染は乱入者に視線を向けた。


「そのザマで、まだ戦うか」

「…………」


 言葉を向けられた影――儚廻遥の形をしたモノは不気味な沈黙を保ち、何も応えない。そもそも人の言葉を解するほどの正気があるようにも見えなかった。

 ――白目を剥いて血走った、灼熱に染まる瞳。蒸気のように血霧を漏らす口。浮き上がってはブチリと切れるを一秒ごとに繰り返す額の血管。


 人ではない。

 あれは――人の形をした化け物だ。


 分析を終え、藍染は周囲の暗殺者に指示を出す。


「総員撤退。殿(しんがり)は俺が務める。……追いつかれたら死ぬと思え」


 即応して散開する【トリック】。藍染はただ一人その場に残り、新たなナイフを両手に展開した。

 目的は撤退――しかしそのためにはこの化け物の攻撃を捌く必要がある。奴の速度を考慮すれば、最低でも五回。


 五回防いで逃げ切るか、その前に化け物の攻撃が届くか。二つに一つ、他はない。

 これは、そういう戦闘だ。


「…………」

「…………」


 触れれば破裂するような、嵐の前触れのような沈黙。場の緊張だけが加速度的に高まっていき、


 そして、爆ぜた。


「グゥアァァァァァァァァアッ!!!!」

「ッ――――――!!」


 耳をつんざく絶叫と、目を疑うほどの速さ。魔法を起動する暇はなく、藍染はその戦闘技術だけで全てを防ぐことを選択する。


 一合目、化け物の爪と藍染のナイフが衝突し(左手人差し指と小指を脱臼)、

 二合目、顎を狙った蹴り上げを辛うじて回避(右鼓膜を損傷。真上の天井が崩落)、

 三合目、瓦礫を蹴って上に逃れた藍染に化け物が肉薄、手刀をナイフで受け止め(刀身破損。両ナイフ損失。右腕脱臼)、

 四合目、地上に飛び出し、両手を組んでの打ち下ろしを化け物の腹を足場に跳躍することで躱し(半径50メートルの建造物が軒並み崩壊)、

 五合目、追撃の右拳を左腕で巻き取り、巴投げの要領で投げ飛ばす(左腕を粉砕骨折)。


「ッッ……!!」


 これほどか―――!

 加速の魔法を構築しながら、藍染は胸中で驚愕を禁じ得ない。


 攻撃自体は先ほどよりもずっと単調だ。理詰めで戦っていた頃よりよほど読みやすい。

 だが、この速さ。この威力は。戦闘技術や先読みで処理出来る範疇を優に超えている……!


「【瞬節・一秒恋歌】」


 自身の持つ最高速度の加速魔法を発動する。目標は既に達している。これ以上、何の準備もなくあの化け物と戦うのは得策ではない。

 夜闇に身を投じた藍染が最後に見たのは、壊れた街並みの中心で叫び狂う、儚廻遥の姿だった。


「……アレがお前の後を継ぐ者か。なぁ、【死線】よ」


 続く言葉を、鉈で切って落とすように口を閉じて封殺し。

 藍染はその場を後にした。





「ガアァァァアァアァァァァアア」


 右腕を振るう。民家が吹き飛ぶ。

 左腕を振るう。道路が割れる。


 破壊を撒き散らす化け物は、しかしその結果に何一つ満足していなかった。


 違う。

 これじゃない。

 壊すべきは、壊さなければならないのは、こんな無機物では断じてない。


 どこだ、どこにいる。

 アイツは、どこに逃げた。


「ガアァァァアァァァァアアァァ」


 ……アイツ? アイツとは誰だ? 何だそれは。

 人だったような気がする。きっと人だ。人間だ――憎くて憎くて憎くて憎くて憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い人間だ。


 人間は、どこだ?


『いたぞ! ヤツだ!』


 硬質な足音。

 人間の集団。

 軍服を纏っている。


 そういえば、さっきアイツらとは戦ったような気が。

 なら、彼らが探している人間なのでは?


「…………二イィィィィィィィィィィィィィ」


 口元が弧を描く。

 見つけた。


 壊してやるから、みんな死ね。

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