休めない休日の過ごし方
「ごめんなさい。今日、少しだけ付き合ってくれませんか」
汐霧が家に来てから早数日。
何だか久方ぶりの休日は、朝食後のそんな言葉から始まった。
男女の交際の話? とでもほざいたら風穴を開けられそうなので、僕は素直に続きを促す。
「付き合うって……何処の話?」
「汐霧の本家です」
………………。
…………、……………………。
「……うん。なんか面倒そうだし、断っちゃダメ?」
「ダメです」
「……だよねえ」
がっくりと肩を落とし、嘆息する。要件を聞くまでもなく嫌な予感しかしない。
「因みに、如何な要件で?」
「私も詳しくは知りませんけど……部隊の件を報告したら、連れて来いとだけ」
「……それ、滅茶苦茶怒られるヤツじゃないか?」
十中八九僕が吹っかけたのが原因だろう。間違っても一学生に払うような金額じゃないからなぁ。
金持ちなら金銭感覚狂ってると思ったのに、どうやらアテが外れたらしい。
その時洗い物が終わったのか、蛇口を捻る音がして今日は珍しく早起きしたクロハが戻って来た。
丁度いいので僕は声を掛ける。
「クロハ。今日ちょっと用事が出来たから調べ物頼みたいんだけど、いいかな」
「私に出来ることなら構わないけれど……?」
「ありがとう。と言っても別に大したことじゃなくて……」
僕は二、三の指示を出す。クロハは少し考え込んでからこくりと頷いてくれた。
「ええ。それくらいなら多分問題ないはずよ」
「じゃあよろしく頼んだ。あ、なんかお土産で欲しいものある?」
「そうね……楽しいお話でも聞ければそれでいいわ」
「了解。あちらさんの要件次第だけどね」
「ええ、期待して待ってるわ」
手をひらひら振り、自室に戻って準備を始める。
といっても必要な物は特に思いつかない。そもそも呼び出された理由すら聞かされていないのに、一体どうしろと言うのか。
となると後は来て行く服くらいだろうけど……。
「別に普通でいいか」
考え方によっては知り合いの家に遊びに行くわけだし正装やら制服やらを着る必要はないだろう。何より、面倒くさい。
そんなわけで適当に動きやすい服に着替え、万が一の時のために幾つかの物をポケットに突っ込んでいく。
「……その万が一がありませんように」
祈っておいてアレだけど、多分無駄になる気しかしなかった。
◇
玄関へと向かうとそこには、既に準備を済ましたのだろう汐霧の姿があった。
身支度に時間の掛からない女子は好感が持てる。僕は待つより待たせる派でありたい。
「準備は出来ましたか?」
「一通りは一応ね」
「それなら早速ですが行きましょう。クロハちゃん、後のことはお願いします」
「ええ。それとハルカが阿呆なことを戯れたら無視するのが一番効くから、試してみて」
「ありがとうございます。その時はそうしますね。では、行って来ます」
「え、あ、ちょ――」
バタン。背中を押され、あれよあれよという間に締め出された。
「……そういうのって自分で気付いてこそだと思うんだ……」
「なにをブツブツ言ってるんですか。ほら、行きますよ」
背中を再び押される。思った以上に不快なので振り払い、歩き出す。
「……というか、もうすっかりクロハと仲良くなったみたいだね。いつの間に?」
さっきも仲良く準備してたみたいだし、初日の険悪さはどこへ行ったのやら。
汐霧は澄ました顔でさらりと答える。
「『他人と最も共感出来る話題とは共通の知人の陰口である』――共通の話題の愚痴がありましたので」
「……。それ、誰のこと?」
「さぁ? 身に覚えがあるなら間違いないんじゃないですか?」
「…………すいません」
◇
「そういえばなんだけど」
「なんですか?」
歩き始めて早数分。早々に攻めて来た退屈感を紛らわせるために、僕は話を振った。
「呼び出すならそっちで足くらい用意してくれてもよくない? 金持ちの癖してさ」
思っていたことを正直にぶつけてみる。
話題が話相手のお家批判っていうのは……せっかくの休日に呼び出した向こうが悪いってことで一つ、許して貰おう。
「……それ、私に話すことですか」
「はは、そこはほら、苦を現在進行形で共にしている仲だし?」
「私は歩くのが苦ではないのですが。あなたみたいな軟弱者と同じにしないでください」
家を貶されたのが癪に触ったのか、いつもより口調が厳しい。
「ごめんごめん。けど実際車くらい普通に出してもおかしくないだろ。他のところじゃそうだったし」
すると、汐霧は何故だか微かに沈んだ顔を浮かべた。
「……私は母様に良く思われていませんから」
「へぇ……」
察するに、金持ち特有の地雷ってところか。明らかに何かあるような風味が場の雰囲気に加味される。
味わうほど冒険好きな舌は持ってないから、日本人らしく回避の方針で。
「……あ、じゃあ僕はそのとばっちりってことになるわけだ?」
「それは呼び出されるような理由を作ったあなたの責任です」
「はは。違いないね」
「……というか」
区切り、はぁ、と聞こえるように溜息を吐かれる。
失礼な奴め、と十八番の棚上げを駆使してみるも自分の臆病さに敗れ、難なく霧散。
……心底どうでもいい。大丈夫か、僕の脳味噌よ。
「自分で言うのも何ですが、こういう複雑な話を茶化して返すなんて……人格を疑います」
「あ、それ妹にもよく言われてた」
過去を懐古しながら回顧すると、浮かび上がるのは妹に軽蔑されながら罵られる記憶。
冷蔵庫のプリンの話だったナァ、なんて温かな家庭を演出してみる。特に意味はない。
「妹さんがいるんですか?」
「ちょっと遠い場所にだけどねぇ」
アイツ、今も元気にしてるかな。直に面倒を見れないのが歯痒くて仕方が無い。兄の名折れだ。
「遠い場所?」
「んー……とにかく遠いんだよ、今の僕には」
あっちから訪ねて来るならいざ知らず、こっちから会いに行くのは少し難しい。
胸を張って堂々と会いに行くにはもう少しレベルを上げてからじゃないと、ね。
「……すいませんでした」
「え? いやいや、何で?」
昔は良かったなぁー、なんてぼんやりしていると突然謝られた。訳分からん。
「…………ごめんなさい」
「えっと……汐霧?」
何事か勘違いして黙り込む汐霧と、それに付随した気まずげな空気。
無力な僕は、こめかみを刺激しながら歩くことしか出来なかった。
◇◆◇◆◇
2222年現在、都からコロニーへと変わった東京は、大きく四つの区域に分かれている。
まず一つ目は、都庁、議事堂、皇居や研究機関、地下巨大シェルターなどが並ぶ北区。
落ちればコロニーが終わるとまで言われるほどに重要で、『東京の頭脳』とも言うべき区域。因みに夜間の平均人口が他の区と比べて一番少ない。
二つ目は旧東京タワー、新東京スカイツリーと旧東京スカイツリー跡などが代表的な東区。
大部分が東京湾に沿って広がっており、ライフラインの多くがここに集中している。
三つ目は軍事施設やクサナギのような学院施設が林立する南区。
主に軍事施設と学院施設で大体二分されている。
また学院生用の娯楽施設も充実しているため、昼夜問わず学生が闊歩している。ついた俗称は『学園街』。東京で最も人気の多い区画である。
そして最後の四つ目。
コロニー最大の地区である西区。居住地区と呼ばれることが多い場所だ。
SからEまで六つの区画で構成されており、裕福な順にS、A、B……と分かれている。
一番裕福なS区画はコロニー有数レベルの資産家が集う高級住宅地となっている反面、E区画は前科持ちや無戸籍者、貧民層の人間が集まるスラムとなっていたりする。
因みに僕が住んでいるのはC区画。やっぱり人間、満ち過ぎず乾き過ぎずが丁度いいのである。
さて、今回僕らが訪れる“汐霧”の家は言うまでもなくS区画にある。
屋敷は勿論、芝生の品質や土の質にまで拘る連中だ。故にどんな物があっても驚かない心意気で来たのだが――
「うっわー……」
げんなりと、どんよりと。視界に入る光景に、僕は辟易とした声を漏らした。
汐霧家の敷地の眼前、これでもかと存在感を撒き散らす荘厳な門。
その門は単なる敷地の入り口でしかないようで、更に上り坂が続き、数百メートルほど先に屋敷が見える。
「……まだ歩かされるのか」
「え?」
「いや、こっちの話」
まさか敷地に入る前から心を折られるとは。恐るべし、汐霧家。
何はともあれ、なけなしの気力を振り絞りながら坂を登っていくと段々と屋敷が見えてきた。
予想以上に大きい。全体像としては、格式たっぷりのいかにもな日本式の屋敷だ。瓦屋根、池と数多の錦鯉。そして幾つもの離れ。
素人目にも金が掛かっているのが見て取れる。
「……憂姫お嬢様、ですか?」
と、ここまで来てようやく一人のお手伝いが駆け寄って来る。
艶のある黒髪に深い色の黒目、そして高級そうな着物、といかにもな日本美人。年は僕と同じか少し上くらいだろうか。
ここの当主さんとは上手い酒が飲めそうだなんて考えてみるも、僕の舌事情を鑑みるにそれは不可能だと思い直す。
炭酸で瀕死な僕が、酒が大丈夫な理屈はない。
というか、その前に僕は青春真っ只中の高校生。未成年の飲酒は法律で禁止されています。
「ただいまです、咲」
「お帰りなさいませ、憂姫お嬢様。お帰りになるこの時を一日千秋の心で待ち望んでおりました」
深々とお辞儀をする少女、他称咲。
見るに汐霧のことをとっても慕っているご様子だ。
汐霧もどうやら実家の人間全員に嫌われているわけじゃないらしい。少し安心……出来たら僕も真人間を名乗れるのかな。はは。
「……いえ、今日は帰って来たわけではありません。それから、こんなのとはいえ客をいつまでも放っておくのは駄目ですよ?」
こんなのとはどんなのだ、コラ。
「あ……すみません、少し興奮してしまいまして、お見苦しいところをお見せしました。私はこの屋敷で使用人を勤めるさせていただいている咲良崎咲といいます」
「あ、ご丁寧にどうもどうも。儚廻遥っていいます、以後よろしく」
ぺこりとつむじを見せ合い礼儀の交換に勤しむ。トレードの基準には一応達していたようで、僕の分はつつがなく受け取って貰えた。
「それで……お帰りでないのなら、今日はどのようなご用件で?」
「用件は私も知りません。ただ来い、と言われただけですから。多分この男絡みの話なのでしょうけど」
「僕は悪くないんだけどなぁ」
「……なるほど、つまりこの方がお嬢様が話していた人物ですか」
「は?」
「いえ……」
口元に手を当て隠す仕草をする咲良崎。これ以上は喋らない、というアピールだ。
追及してもきっと無駄なので適当に流す。
「ありがとう。さ、足疲れたからそろそろ案内してくれ」
「……何様ですかあなたは」
持論だが、我儘が効く環境なら全力でそれに甘んじるべきだと思っている。
それが駄目な環境は自分自身で率先して変えていくべきだ、とも。
◇
「応接間はこちらです」
応接間に通されると、僕は真っ先にソファに座り込んだ。脱力し、背もたれに首をだらっと乗っけてみる。
そんな僕に侮蔑の眼差しを向けながら、汐霧が隣に腰を掛ける。使用人としての立場があるのか、咲良崎は立ったままだ。
あー……それにしても本当にふっかふかだな、このソファ。
「もう二度と動きたくない……」
「儚廻様。これから来るのはこの家のご主人様です。失礼のないよう……」
「人が来たら流石にちゃんとするから、っと」
噂をすれば何とやら。第三者の足音に僕はのろのろと背筋を伸ばす。
「あぁ、どうやら待たせてしまったみたいだね」
やがて姿を現したのは、線の細い身体つきに柔和な顔立ちの男だった。
三十路少しすぎほどの外見年齢。着ているものがスーツなのも合わせてセールスマンのような風貌だ。
「私は汐霧泰河。そこの汐霧憂姫の父だ。以後、お見知り置き願おう」
そう言って汐霧父は名刺を差し出して来た。適当に頭を下げながら受け取る。
名刺には『東京コロニー正規軍軍令部、汐霧泰河中佐』。
佐官となるとかなりのお偉いさん、是非ともお近づきしたいところ――とは何故か思えなかった。何故だろう?
「ふむ……なるほど」
よく分からない感覚に内心首を傾げていると、汐霧父が当てていた口元から手を外し、唐突に柏手を打った。
「よし、では単刀直入に言わせて貰おう。憂姫、彼に払う金はない。その契約とやらは早急に解消するように」
「なっ……!?」
瞬間、汐霧がソファを蹴って立ち上がった。
数秒かけて呼吸を落ち着け、彼女は口を開く。
「……何故ですか?」
「何故、か。ならば逆に聞こう。学院程度の成績で最下位。どこかの資産家の生まれというわけでもない。そんな人間に払う金があると、本気で思うかい?」
「それは……」
否定しようとして、否定材料がないことに気づいたらしい。……おいコラ、そういう中途半端なフォローが一番クるんだぞ、現実。
僕の内心の哀切を捨て置いて、汐霧父の言葉は続く。
「まぁ、義理とはいえ仮にも汐霧の人間が目を付けた人物だ。一目見てから判断しておこうと思ったわけだが……」
言葉を切って、頭を掻く。
どう言えばいいのか、少し逡巡した様子で、汐霧父は僕に視線を移した。
「儚廻君、だったかな? 君からは、いわゆる覇気が一切感じられない。将来大成するような雰囲気が、未来において歴史に名を残すような有望性が、全く感じられないんだ。他にも多々あるが、一番の理由はこれに尽きる。納得は出来ずとも理解くらいはして欲しい」
「……あ、はい?」
歯に絹着せない、なんてのを実行出来る日本人がいることに溜息が出てしまった。……いやあの、冗談よ?
本当は礼儀を欠いた真摯と紳士に意味はあるのかなー、なんて考えていたところに同意を求められて驚いた……なんて、もっと言えないな。
因みに結論は意味ないでFA。別に真摯は嫌いじゃないが紳士は好きではないし。
好きじゃないものが劣化したら、それは嫌いと同義だろう。
くだらない思考をぶった切るためにも、とりあえず僕は口を動かすことにしてみた。
「要約すると取り柄のない凡人馬骨は邪魔だから引っ込んでろ、と。合ってますか?」
「それは穿った見方をし過ぎというものだ。ただ、そちらの要求が対価に見合っていないと言いたいだけさ。お金の話さえなければ学院で組む部隊なんかに口は出さない」
「なるほど……」
でも、それだとあの狸という名の学院長(逆か?)相手に高い買い物した意味がない。
骨折り損もくたびれ儲けも慣れてるけど、率先してしたいわけじゃないからな。
「つまり要求にあった対価を支払えればいいんですかね?」
「あぁ、そうだが?」
汐霧父の弁によると実力、資産、家柄、将来性か。
まず資産、要するにお金。むしろこっちが要求してるのが現状だ。無い袖は振れないので却下。
家柄はごくごく普通の地元民。来世に乞うご期待だ。もちろん却下。
将来性。自慢じゃないが十年後まで生き残れる自信はあんまりない。
というかあんなに真っ向から両断されたのだ、人間関係じゃないんだからマイナスをプラスにするのは多分無理。却下だ。
となると残るのは実力……も、割と絶望的な気がする。でもまぁ、他のは生まれ直さないと不可能なレベルだし、比べてみればまだマシな部類か。
よし、決ーめたっと。
「質問ですが、あなたの中で金を払う魔導師の基準ってどのくらいですか?」
「それはどういう意図があっての質問だい?」
「ただの興味本位なのでお気になさらず。それで?」
「……そうだね。金を払うというのはつまり雇うということだ。この場合は護衛としてになるから、少なくとも娘と同じかそれ以上の実力を持つことが前提だな」
「あ、ならちょうどいいですね」
そう言うと、汐霧父は僕の言いたいことを察したのか胡乱な目を向けて来た。
「……もう一度聞こう。それはどういう意図があっての質問だい?」
「一戦試合わせて貰えませんかってことですよ。簡単なお話、あなたと戦って認めて貰えればいいんですよね?」
「は……!?」
幾ら何でも無謀だと思ったのだろう、心底驚いた様子の汐霧を左手で制する。
実際、この提案は悪いものでは決してない。正規軍の中佐ともなればAランクくらいは相当するはずだし、試合ということにすれば死ぬこともない。
ノーリスクハイリターンの典型だ。
「ふむ、それは私と君の間に存在する差を理解しての提案かい?」
「えぇ、まぁ」
「そうか。……君は少し現実というものを知った方がいいみたいだね。発言に実感がまるで伴っていない。まぁ学生なのだし仕方がないか……」
溜息とともに、汐霧父の視線の質が変わる。
正気かどうかを懐疑する視線から、哀れむような、微笑ましいものを見るような、明らかな侮蔑視線へと。
彼はゆっくりと立ち上がり、穏やかに言い放った。
「いいだろう、来なさい。学生には授業がつきものだからね。私が直々に、現実の授業をしてあげようか」
直後、視界を閃光が灼いた。