戦火の咆哮 b
「おー、すんげえぶっ飛んだ……」
アリスは半ば自分でも驚きながら、手を翳して遥の吹っ飛んだ方向を見る。
爆破の魔力を直接叩き込んだとはいえ、せいぜい演習場の端くらいだと思っていた。それがまさか、優に飛び越して樹海エリアの方まで吹っ飛ぶとは。
「ま、いっかどーでもそんなこと。未来見つめて生きようぜっ」
うんうん、と一人納得してくるりと回る。
いつも通りに無表情の相棒、伸びているホタルとアイ、微笑を湛えたコノエ、こちらを睨みつけるクロハ、そしてその隣の――
「ユーウヒちゃんっ。ね、あーそびーましょっ」
「っ……!」
二丁の拳銃を携えた銀髪の少女へと笑みを向けた。
今にも飛び出そうとしていた憂姫は、見えない圧に襲われたかのように僅かに後退する。
「あは、ユウヒちゃんかーわいっ。にゃんにゃんみたいにゃー。にゃー?」
「……どういう、意味ですか?」
「そのまんまの意味だよん。レッツファイトヒャッハー!」
ばきゅーん、と銃の形にした手で撃つ真似をする。
憂姫は無視して、奥歯を噛み締めた。
「私たちが戦うことに何の意味が?」
「私が楽しい!」
「あいにく私は楽しくないです。私に乗るメリットがありません」
「え、あるよ? ユウヒちゃんハルカ好きでしょ?」
「……は?」
きょとん、と告げられた問いに憂姫は疑問符を浮かべる。先の提案とそのことに何の関係があると言うのか。
返答に窮する憂姫に、アリスはお返しのように首を傾けた。
「うん? あれ、違った?」
「……仮にそうだとしたら、なんですか」
「それがって、だって好きな人には死んで欲しくないでしょ? ……あ、ユウヒちゃんもしかしてサイコさんだったり? あー、そりゃ分かんないよねぇ」
「違います……とは確かに言い切れませんが、それでもあなたに言われたくありません。不快です」
憂姫は苛立つ心を抑え、平静を装って返す。
まるで幼い子どもを相手にしているかのようだ。要領を得ず、思ったことをそのまま口にしているだけ。それで実力だけは一級品なのだからタチが悪い。
「んー、ユウヒちゃんが相手してくれないなら私このままハルカを追うよ? さっきモロに私の腹パン喰らったわけだから、そうだなぁ……生きてたとして、最低あと三分は動けないんじゃないかなぁ」
「……!」
何の気なしに放たれた言葉は、憂姫の顔を硬ばらせるのに充分だった。
隠そうともしない脅し。遥を殺されたくなければ私と遊べ、とあの狂人は言っている。
「ユウヒ……」
「……心配しないで、クロハちゃん。私に任せてください」
心配そうに袖を掴むクロハにそう微笑みかける。自然な笑顔が浮かべられていたかは、少し分からないが。
憂姫は一歩前に踏み出し、戦闘態勢を取った。
「理解出来た? じゃ戦ろっか。あ、シグレはどうする?」
「……」
「そ。じゃ私一人だね」
つれなく首を振ったシグレに気を悪くした風もなく、アリスはにこにこと笑う。
シグレならそうするだろうことは予想出来ていたし、何よりこの若さでAランクに足を掛けた天才魔導師を独り占め出来るのだ。胸の内には歓びしかなかった。
「それじゃハルカが起きるまでよろしくねぇユウヒちゃん。大丈夫、ちゃーんと手加減はしたげるからにゃーん」
「……」
ふざけた様子のアリスに、憂姫は拳銃の引き金に指を掛けることで答えた。
明らかに舐められているが、事実アリスは格上だ。少なくとも自分の二倍は強い。
そんな難敵相手にどう時間を稼ぐか。答えの出ない焦燥に冷や汗が流れ落ち――
それが地面に吸い込まれた瞬間、幾つもの爆発と銃声が重なって轟いた。
◇◆◇◆◇
世界が歪んでいる。眼球が飛び出し掛けてるからだ。
平手で無理矢理押し込むとぎゅぽんっ! とかいう意味不明な音を出して引っ込んだ。
目立ちたがり屋さんなんだな。僕に似ず。
「あ゛ー……」
突き刺さっていた木の枝から体を引き抜き、落下。すぐに地面に叩きつけられて――ビタンッ! 水風船のように臓器やら肉体の破片と血が跳ね飛んだ。
まるでもんじゃ焼きだ。ハカナミモンジャ。美味しそう。誰か食べておくれ。
「あ゛ー……」
腹を見るとヘソやら腹筋やらはなく骨と臓器がコンニチハ。割と綺麗な色だったので安心だ。トキワみたいにヤニやってたらどうなっていたことか。
辺りに散らばったはらわたをぎゅむぎゅむ押し込んで、立ち上が……ろうとしたら貧血と急激な体重変化の合わせ技にやられて顔から倒れ込んだ。
「……あ゛ー」
立ち上がれない。膝が割れたか。よくあることだから仕方ない。
取り敢えず明日から糖質制限……ではなく、今からアリスとシグレを倒さなければ。
というかなんだこれ喋り辛いな。さっきから完全にゾンビだぞ僕。クロハに見つかったらロケランで殺されかねん。
ゲームはどうも目がしぱしぱしてくるから苦手なんだよなぁ……でも、なくて。
「ぁあ゛っ」
口を開き、力を振り絞って喉に突き刺さっていた木の枝を引き抜く。目からビーム、口から炎が出るかってほど灼熱が走るがそれも一瞬。
抜けた枝をぽいと放り投げる頃には、泥のようだった空気が泥水くらいにはマシになっていた。
そのまま少しの間酸素のありがたみを噛み締めていると、地面とキスしている腹に電撃的な痛みが走る。感触的に……ああ、虫か。
このままだと喰われちゃうよな、これ。
払い落とさなきゃ。
「ふんっッッヴボォバパパ!!!」
力加減をミスって自分のはらわたを握り潰すというミステイク。胃に製造途中のウンコが逆流するという奇跡のスカトロプレイが発生し、口から愉快な音が飛び出た。あと血とか壊れてとろとろになった内臓の残骸とかも出た。
その脳味噌が裏返るような衝撃で、ようやく頭に掛かっていた靄が晴れる。
「……」
うつ伏せに倒れたまま辺りを見回す。自分が刺さっていた木、吹っ飛んできた僕がへし折ったのだろう木、そして木、見渡す限りの木、木、木……なるほど樹海エリアか。
腹がごっそり抉れているのはアリスの腹パンを喰らったから。それでも僕が生きているのは、直撃の寸前に魔力解放を行ったから。
溢れた魔力とアリスの爆撃が激突し、その衝撃でここまで吹き飛ばされた。多分そんなところだろう。
まぁ、どうでもいいんだ。そんなことは。
「……よい、しょっと」
腰に鈴なりに繋いでいた注射器を一本取り、抉れた腹に直接打ち込む。
シャブでもやったような酩酊感。痛みと肉が体内で膨れ上がり、全身を駆け巡って増殖、増殖、再生、再生。
鼻と目から流れていた血が勢いを増す中、ぼんやりとぐらぐらの世界を眺める。
どうせ動けるようになるまではもう少しかかるのだから、さっきのことについてでも考えていよう。
さっきのこと――アリスの攻撃を喰らった原因。
まぁ、端的に言うとだ。
「……僕が馬鹿でした。まる」
これ以外に言いようはないだろう。
僕が【ムラクモ】を抜けてからもう三年も経っているのだ。僕が成長したならアリス達だって成長してても何らおかしくない。 そのことに思い至らなかった僕が悪い。
「……いや、違うな」
上っ面はどうでもいい。根本の理由まで思い至れ。浅ましく愚かしいバケモノなりに、もっと深く考えろ。じゃなきゃ死ぬぞ、今度こそ。
アリスは言った。『そういうのが欲しかったんじゃない』と。そういうの、とは何だ?
決まっている――小賢しく、魔導師らしく戦う僕のことだ。
【ムラクモ】にいた頃の僕とは似ても似つかぬ戦い方。それはそうしなければ生き残れず、殺せなかったから。無様でみっともない雑魚だったから、そうせざるを得なかった。
でも、そんな僕を【ムラクモ】の連中は褒めた。その痛々しい在り方を愛していると言った。言ってくれた。
……応えなくてはならないと、そう思う。
もちろん、僕は【ムラクモ】の連中は軒並み嫌いだ。他人に迷惑を掛けるタイプのキチガイや感情その他諸々人間らしさを葬った機械人間なんぞ好く方がおかしいだろう。
けれど、こんな僕に期待と信頼を寄せて、あまつさえ好きだと言ってくれるなら。
「……応えないわけには、いかないよね」
それすら出来ない僕なんて、ただでさえ糞のような今よりももっと劣った唾棄すべき何かだろうから。
自然に浮かんだ笑みを素直に貼り付け、僕は手を地につけて起き上がる。
腹の再生は八割方終わっている。血と腸は未だ出続けているが、なに。移動してる間に治るだろう。
目や意識、喉や膝など諸々機能に異常が生じているが、気持ちいいので問題はない。
さあ、あの頃を思い出せ。先生との日々を想起しろ。
限界を超えるのが前提で、あらゆる手を尽くして最後に運までをも味方につけなければ死んでしまう、あの授業の毎日に立ち帰るのだ。
そうだな。まずはその第一歩として――産声を上げてみようか。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!!」
さようなら、僕。
こんにちは、僕。
口が裂け、弧を描いた。
◇◆◇◆◇
オオオオォォォォォォオオオオオオォォォォ……!
出血で朦朧とする意識の中で、憂姫はそれを聴いていた。
恐怖と高揚で体が芯から震え出す。あらゆる感情と衝動が体内で渦巻き、涙が出そうになる。
それは清濁併せ呑む、ひたすらに圧倒的な咆哮だった。
……綺麗だと、そう思った。
誰の声かは分かっていたから、余計にそう思えた。
「私の……勝ちです、ね……」
「…………」
全身から痛々しく血を滲ませながら、息も絶え絶えに。それでも憂姫は勝ち誇る。
その相手にして原因であるアリスは何も言わない。悔しがっているのか――そう思ったが、彼女の顔を見た瞬間にそれは違うと直感する。
「…………ぁ……」
呆けていた。
自分を無傷で傷だらけに出来るような人間が、そうとは思えないほど無防備な棒立ちで、呆けていたのだ。
一秒、二秒とそのまま時が過ぎ。
やがて無色透明の表情に色が宿っていく。
「……きた。きた、きた、来た……!」
熱に浮かされた様子で、アリスは――バッ! 勢い良く振り返る。
瞬間、その正面に一つの黒い影が激突し、アリスの体を吹き飛ばした。
――少しだけクセのある黒髪。同色の瞳に、中性的な顔立ち。身長こそ高いものの、格好さえ整えれば女性と見紛うほどの線の細さ。
至る所に穴の空いた制服からはピンク色の肉が覗いており、そうでないところも大方血で汚れている。
まるで死体が無理矢理動き出したようなボロボロの体。
一方で眼球はギラギラとした光を湛え、口元には凄絶な笑みが張り付いている。
それはちょうど、憂姫が救われたときのような。
そんな儚廻遥の姿がそこにあった。
「…………」
遥が肩越しにチラリと振り返り、憂姫と視線が交わる。
ありがとう。助かった。憂姫はそう言われた気がした。
だから憂姫は、どういたしましてと唇を動かした。
そして、遥はアリスとシグレへと視線を向けて――叫ぶ。
「ウウウゥゥゥゥアァァァァァァァァァァァッ!!!」
退屈で生温い前哨戦の終わりを告げる、戦火の咆哮。
次いで、再びアリスの腹に拳が突き刺さった。
今度は骨の折れる音が響いた。
次回キスシーン