戦火の咆哮 a
――そこは正に死地だった。
「疾」
白刃が舞う。刀はたった一本のはずなのに、迫る斬撃はその十倍でも数え切れない。
世界そのものを断ち切るような斬撃――否。ような、ではない。
それは正しく世界を断ち切る斬撃だった。
「ッ!!」
バックステップを刻む。胸のすぐ前を白刃が通り過ぎていき、しかしそこにはまだ斬撃が残っている。
空間切断。シグレにとっての通常攻撃。魔法でも何でもない、尋常ならざる技量に基づく戦技。
そんな代物を一息に十も二十も放ってくるのだ。これを死地と呼ばずして何と呼ぶ。
更に、敵はシグレだけじゃない。
「【さあお茶会を始めよう!】」
魔法名を叫ぶ声が青空に響く。アリスの声だ。
見上げると、中空に飛んだアリスが右手を掲げている。それと呼応するかのように、空を埋め尽くすほどの魔力の球体が輝いていた。
一つ一つは拳大の大きさの球体――だがそれらは全て爆弾だ。衝撃で起爆し、同時に魔力衝撃を撒き散らす。巻き込まれたら骨も残らない。
アイツの主武装である爆弾。その本領である質量爆破。
効果範囲は演習場全域。逃げ場などどこにもない。
「チッ!」
「八重霞」
舌打ちする僕と、小さく呟くシグレ。一瞬刹那刀身が霞み、シグレの周囲に斬撃のドームが出来上がる。
八重霞。シグレの使う紅雛流刀術、その剣技の一つ。自身の周囲に霞のような極小の斬撃を展開する防御技。
「僕はどうする」
魔力解放を使うか? いや、あれは自身にもダメージが残る諸刃の剣、奥の手だ。まだ早過ぎる。
それに、この程度なら――!
「あっははいっくよー! はいドーーーン!!!」
笑い声。振り下ろされる右手。
直後、爆弾の流星群が演習場目掛けて降り注いだ。
太古に隕石によって絶滅したとされる恐竜種はこんな気持ちだったのだろうか、などと場違いな思考がふっと過ぎった。
「うおおおおッ!」
生存本能が思考より先に肉体を突き飛ばす。
僕は円舞のように回る、廻る。両手の鋼糸が複雑怪奇な軌跡を描き、それをなぞるように爆発が連鎖していく。
この鋼糸は先日壊されたもののように特別な機能こそないが、頑丈さにおいては大きく秀でている。
故にいくら爆発を直に食らおうが壊れることはない――が。
「ッヅぁあ……!!」
左右の腕に伝わる、ズドン、ズドンという衝撃。爆発自体は僕まで届いていないものの、鋼糸を操る両腕は別だ。
爆発に逆らって鋼糸を上空に展開し続ける負担、爆発の威力がモロに伝わる負担。どちらも凄まじい。
このままではあと十数秒も経たないうちに、真ん中からめきりとへし折れてしまう。
――問題ない。
爆弾の総量と僕が処理する必要のある数、そして処理した数から予測するに、あと三秒で爆弾は尽きる。
そしてアリスなら、きっとそのタイミングで――
「……!」
予測通り、きっちり三秒後に鋼糸から伝わる手応えが消えた。
爆風と土煙が巻き上がり、視界を埋め尽くす。だが、その中を突き抜ける影が一つ。
歪んだ笑みを浮かべ、魔力を纏った手刀を額へと突き込んでくる。
「死ィィイねええええええええ!」
「チッ!」
舌打ちし、頭を傾ける。充分に躱せるタイミング――しかしアリスは僕と違って身体強化魔法を纏っている。手刀の速度は銃弾よりも速く、そんな代物を生身で躱せるはずもない。
結果、アリスの右手は僕の頬を真っ直ぐに抉って行った。
血の尾を引いて擦過する手刀。ヤスリに掛けられたかのような痛みと熱を持つ右頬。しかし、僕にはそのどちらも気に掛ける余裕などなかった。
――来る!
「閃」
「シグレもかっ!」
「うわちょっあっぶなぁ!?」
空間ごと断ち切る斬撃を辛うじて躱す。目の端ではアリスも転がるようにして避けていた。
知ってはいたが連携などする気は皆無らしい。二対一というよりはそれぞれと一対一で戦っていると思った方が良さそうだ。
地を蹴り、一息で最高速度まで加速する。
アリスが体勢を立て直し、攻撃して来るまで五秒ほどの猶予がある。つまりシグレとの純粋な一対一だ。
――首胴手足どこでもいい。その間に一撃を入れる!
「――」
そんな僕の意図に気付いたのか、シグレは静かに向き直って瞑目。刀を大上段に構える。
その予備動作が何を意味するか――知っているが故に、僕は全力で真横へと跳んだ。
「三日斬月」
直後、僕がいた場所を何かとんでもなく鋭く、疾いものが通り過ぎて行った。
それは刹那のうちに遥か後方まで届き、背後の木々が吹っ飛ぶ音が重なって鳴り響く。
斬撃波、射程距離のある斬撃。ホタルが使っていたものと術理は同じ――だがそれだけだ。
今放たれたものは威力も範囲も桁が違う。
三日斬月。
先ほどの八重霞と同じくシグレの扱う刀術の一つ。
射程は最大一キロ、威力はビル一つを根本から両断するほど。更には通り過ぎた空間に数秒斬撃が残留するというおまけ付きだ。
空間斬削技、僕たちはそう読んでいた。
――一秒。
「疾」
そんな最上級魔法に匹敵する技も、シグレにとっては何ら制限もなく切れる手札の一つに過ぎない。
秒を跨がず刀を構え直し、今度は真横に切り払った。
「ッ!」
その場に足を叩きつける。瞬間、足元に埋まっていた地雷が爆発して僕は空高く飛び上がった。
ここの地雷は元より障害物として設置されているわけではない。変幻自在な戦闘を行うための加速器だ。
地面に埋まった地雷の位置を察知し、爆風と同速で行動する程度、Cランク以上の魔導師なら誰でも出来る。
――二秒。
僕の足の数センチ下を斬撃が通り過ぎる。一撃目よりも盛大に鳴った斬裂音に後ろを振り向きたくなるのを堪えながら、僕は中空を吹き飛んだ。
シグレを追い越し、その背後で着地。振り返りざまに腕刀を一閃するも、同じく振り返りざまの上段蹴りに弾かれた。
「……!」
「……」
視線が交錯する。光なき黒色の瞳。ゾッとするほど何も感じ取れない。
禍力を解放したときの僕の右腕によく似ていると、そう思った。
――三秒。
「うおおおおおおッッッ!」
弾かれた勢いを利用し、僕は攻勢に転じた。
パァン! と両手を打ち鳴らし、鋼糸を周囲に展開。十二条の閃光が翻り、僕自身もまたシグレへと攻撃を仕掛ける。
右正拳突き、左フック、右目潰し、右肘打ちをフェイントに両手での打ち下ろし、左ボディ右ボディ左正拳突き右フック左肘打ち右目潰し左アッパー打ち下ろし――とにかく殴る、殴る殴る殴る!
シグレの攻撃は絶対的な威力を誇る。防御は望めず、回避以外に択はない。その上手数も疾風の如くだ。そんなもの、いつまでも捌けるわけがない。
故に攻める。攻めて攻めて攻め通す。僕の武器は拳だ。超々至近距離の戦闘において、取り回しは刀に勝る。
「――!」
シグレの手元が霞む。刀と拳が翻り、拳打の嵐が正確に捌かれていく。
シグレは相性的な問題もあり身体強化を使えない。よって行動速度で負けることはないが、そもそもの戦闘技術が尋常ではないのだ。
今も、一撃で骨を砕く打撃を片端から打ち落としていく。
――いい。それでもいい。
防がれても、当たりさえすれば、それで!
――四秒。
「おおおおおああああああッッッ!」
乱打、乱打、乱打乱打乱打する。獣のように咆哮し、最大効率で四肢を回転させる。
あと一秒、いや、半秒でアリスが襲ってくるだろう。もう攻撃体勢に移っているのが気配で分かる。
間に合うか――いや、間に合わせる!
全霊を込めた二十九発目、右の正拳が堅牢を誇ったシグレの防御を抜けた。
反射速度に秀でるシグレは首を傾けて直撃を避けるも、拳が頭部を掠める。
「……」
素早く跳んで後退するシグレだが――ふらり。上体がほんの僅かに揺らいだ。
擦過した拳により神経系を圧迫されたことによる麻痺状態。極めて軽度の上一瞬しか持たないが、僕にはこれ以上ない好機に他ならない。
だが、そう易々と事が運べるわけもなく。
「無視するなああああああ!!」
横合いから殴りかかってくるアリス。身体強化によるスピードもさることながら、その手に凝縮された空色の魔力が何よりも恐ろしい。
爆破の魔力をこれ以上ないほど圧縮した拳撃は、RPGの直撃にも等しい。
絶好の好機を前に、僕は跳躍して退避する。見ればシグレはとっくに回復しており、アリス同様中空の僕へと技を放つ秒読みだ。
逃げ場のない空中であの二人に攻撃されたら、もうどうしようもない。
しかし僕の足が地面に着くまであと一秒は必要で――それだけあれば、あの二人なら僕を三回は塵に変えられるだろう。
好機一転。
絶体絶命の危機に、僕は――
「魔力解放ッ!」
躊躇いなく、切り札を切る。
背中の真ん中で爆弾が爆発したかのような衝撃。莫大な魔力が奔出し、僕の体が空中で跳ね飛ぶように軌道を変える。
だが、僕が二人の手札を知っているように彼らもまた僕の手札を知っている。
魔力による不規則な変化故に事前に軌道読まれる事こそなかったが、放出した魔力の量や位置を見れば話は別だ。瞬時に僕の体が描く放物線の頂点を見極め、照準を修正する。
その間、僅か半秒にすら届かなかっただろう。
絶体絶命の窮状は何も変わっていない。生存本能が暴走し、目に映るもの全てがスーパースローになる。
シグレが攻撃の動作に入り――アリスが右腕を構えて――僕の体が上昇を止め――シグレの刀が翻り――僕が両手を固く握って――
何かを切り裂く音。
次いで、鮮血が舞った。
「ぎっ……ぐ、あ……!!」
苦悶の声を上げる僕……では、ない。
背中を真一文字に切り裂かれた、アリスだった。
「……」
これまでずっと無表情だったシグレの眉がぴくりと上がった。
何を思ったか、アリスの血塗れの背をじっと見つめ……次いで僕に、そして自身の右手に視線を移す。
刀ごと極細の鋼糸が絡めていた、右手を。
「……そうか」
淡々と呟き、右手を払う。その勢いで鋼糸が外れたので、僕は手首を返して回収した。
……流石だ。
自分が仲間を斬ったことを欠片も気にかけない冷徹さも、僕がやったことの種に気付く観察力も。
汎用人型決戦兵器の宝庫だった第八期【ムラクモ】において、理外の強さを誇った先生とその盟友だったトキワを除いて最強と謳われただけのことはある。
――あの乱打の目的は周囲に鋼糸を撒くことだった。
シグレほどの相手に気付かせぬまま鋼糸を絡ませるのは不可能だ。だから打撃により生じた力を利用して、敢えて周囲に撒くだけに留めた。
そして五秒目、シグレが一瞬麻痺した瞬間に撒いた鋼糸をまとめて舞わせる。
あとは魔力解放の勢いで体ごと鋼糸を動かし、シグレが斬撃を止められないタイミングで引き絞る。
結果、斬撃の軌道が変わり、彼の前にいたアリスに当たった。
僕の介入のせいで著しく威力が落ちていたため両断こそ出来なかったが、大ダメージを与えることが出来たのだ。
「はぁっ、はぁ……は―――」
荒れに荒れた呼吸を整える。思い出したように滝のような冷や汗が浮かび、絶対零度の悪寒が背筋を刺した。
今、僕は何回死に掛けた? 何度命をベットにサイコロを振るった? それを想うだけで神への感謝が尽きない。
……神さま、死んでいてくれてありがとう。
おかげで僕は生きれています。
「…………はぁーあ」
ふと、可愛らしい溜息が耳に届く。
この死地に似合わない、感嘆と失望を混ぜこぜにした少女の溜息。
それを発したアリスは、だらりと垂らしていた顔をゆっくりと上げる。
いびつな笑顔が常のその顔には、しかしこの時ばかりは何とも浮かなげな表情が張り付いていた。
「なるほど、なるほど。……うーん。強くなったんだねーハルカも。まさかこんな形で一撃入れてくるなんて……三年前とは別人みたい」
「……成長期なんでね。男らしくなっただろ?」
「んー、ノーコメント。ただまあ魔導師っぽくはなったと思うよん」
……あれだけの重傷で、まだ余裕か。
タフネスなのは知っていたがこうも平然としているとは。それとも予想以上に斬撃の威力を落としてしまっていたか……どちらにせよ、そう都合良くはいかないらしい。
「不意打ちの能力も戦術を考える頭も三年前とは大違い。うん、強くなったよ。強くなった。ちゃーんと努力してるんだね。偉いよハルカ」
「何様だよお前」
「おねーさま。……んーと、でもね?」
次はどう攻める? 今の手はもう使えない。
とすれば、ここは地雷を利用して逃げながらの防戦に徹するのが上策か。アリスといえど恐らくは人間なのだから、出血が多くなればなるほど動きも鈍るはず。
そこを狙ってまずアリスを撃破、その次にシグレを攻略する――
「――そういうのが欲しかったんじゃないんだよ」
「え?」
一瞬。
一瞬だった。
警戒はしていた目でも追えていたアリスが仕掛けてくるのは分かっていた攻撃予測も済んでいたそれなのに。
「私たちがやんなかったとはいえさ、ウォークライの一つも使わないってなに? 舐めてんの?」
アリスは目の前で拳を振りかぶっていて。
爆破の魔力が凝縮されたその拳が致命となることが分かりながら、僕は防御も回避も出来なくて。
「そこんところ、しっかり反省してきてね」
拳が振り抜かれた。
そして、僕は吹き飛んだ。