新入生起立
思い切り地を蹴った。
全身の筋肉を連動させて一気に加速。ただの人間と同等の身体能力であれ、亜音速で駆ける程度訳もない。
「ふ――ッ!」
一息で一投足の間合いに入り、鉤のようにした右手を振り下ろした。
アリスの顔面を引き裂く軌道のそれは、しかし同様に振るわれた彼女の右手と激突して弾き合う。
「――あはっ! 躊躇いなく顔を狙うなんて、相変わらずの外道だねぇ!」
「はっ――お前に言われたくねえよ!」
反転、回し蹴り。最小限のバックステップで躱される。
その間隙をついて展開されるアリスのサブウェポン――大型拳銃。
煌々と輝く銃身は、魔力の充填が完了していることを嫌でも理解させてくれる。
だから――だから、どうした!
一歩前へ。銃口に身を捧げるように、前へ。
無謀な突撃にも照準は一切乱れない。数瞬後には正確無比に僕の心臓を撃ち抜くだろう。
そんなことは知っていた。
ああ――知っているんだよ!
「【ショット】!」
手のひらに魔力弾を形成、収束。莫大な魔力を注ぎ込み、威力を底上げする。
発砲はほぼ同時だった。
二つの魔力弾がぶつかり合い――当然の結果として、僕の【ショット】が風船のように弾け散る。
そして、アリスの魔力弾が僕の胸に突き刺さった。
「ごぶッ……!」
衝撃。胸部の肉が数センチほどまとめて抉れ、圧搾された臓器が口腔へと血を送る。
だが、だが守った。生きている、死んでいない。
心臓も肺も、骨の一本すら損なっていない。
本来なら掠っただけでも致命の魔力弾は【ショット】とぶつかったことで、計算通りに大きく威力を削いでいた。
僕は衝撃に揺らぐ肉体を無理矢理動かし、更に一歩前へ。
血を撒き散らしながら、アリスの首を引っ掴む。
「あ、」
「沈めよクソが!!」
首を持ち上げ、体ごと顔からガヅンと地面に叩きつける。
下は乾いた土だ。そこそこに硬い。人の頭とどちらが頑丈か、一つ実験と行こうじゃないか。
一度。
二度。
三度、四度。
五度――叩きつけた瞬間、虚をつくタイミングで肘鉄を打ち込まれた。
額を打ち据えられ、大きく仰け反る。その隙にアリスは跳ね起き、地に手をついての風車のような回転蹴り。
ガードした体勢のまま吹き飛ばされ、彼我の距離が大きく開く。
「【踊れ愉しく三月ウサギ】!!!」
瞬間、アリスの拳銃からウサギ型の魔力弾が大量に吐き出された。
一発一発は非常に小粒、だがそれは魔力を破滅的なまでに圧縮した結果の産物だ。
当たれば、その部分が丸ごと消し飛ぶ。
僕は無様なダンスを踊るように地を転がり、這い、跳ねて――しかし合計42発の弾丸を躱し切ることに成功する。
「ヒュッ――!」
立ち上がりざまにナイフを八本展開、そのうち四本をアリス目掛けて投擲。一本を彼女の真上の空間に、二本を左右にそれぞれ投擲する。
偏差投擲。僅かなズレを持って飛来する刃は、回避しようとすれば確実に隙を作る。
計七本のナイフは秒を跨がずにアリスへと届き、
「あっは、甘いよハルカぁ!!」
次の瞬間、それら全てが同時に砕け散った。
神業めいた多重射撃。連射、速射にも関わらず威力、精度共に汐霧の銃撃に勝るとも劣らない。
これで拳銃は副武装、趣味武器だというのだから笑える戦闘能力だ。
だが。
だからこそ、布石の打ちようがあるというものだ。
「さぁもう一回い、―――ッ!?」
再び射撃体勢に入ったアリスが大きく体を反らす。
原因は先の投擲時、同時に放っていた吹き矢だ。ある程度訓練すれば筒が息の力だけでも飛ばすことが出来る。
線のように細いそれを察知し、躱したのは流石の直感だ。
だが少なからず意表をつかれたのか、必要以上の回避運動を取らせることが出来た。
これ以上ないほどの隙だ。
「シッ!」
鋭い気勢とともに残していた最後のナイフを投擲する。
狙いはアリス、ではなくその拳銃。彼女の右手は肉体より一秒ほど回復が遅れ――その先の拳銃をナイフが刺し貫いた。
互いにその場からバックステップし、一度仕切り直す。
「ニイィィィィィ……!」
アリスが獰猛な笑みを浮かべる。
彼女の十八番である中距離の間合い、彼女の本領である魔法。
二つの要素は再び僕の背を突き飛ばすのに充分だった。
再度加速……しようとした、その瞬間。
「――うんうんっ、小手調べはこれくらいかな」
そう止めたのは、意外にもアリスだった。
僕も同様に肉体を制止し、口を開く。
「どういう風の吹き回しだ? まさかこの程度で終わりと?」
「あははっ、まっさかぁ。言ったでしょ、小手調べはこのくらいって。つまみ食いはほどほどにしとかないとねぇ」
「…………」
にこにこと笑うアリスから視線を外し、シグレを見る。そのスイッチを切った機械のような様子に、僕は一つの確信を得た。
今の打ち合いでシグレは手を出してこなかった。今だって戦闘体勢すら取っていない。
他のことならいざ知らず、こと戦闘においてここまでシグレが動きを見せないのは……なるほど、何か意図があるということか。
ああ、自分の不出来な頭が本当に恨めしい。
「アイ、ホタル! 出てきていいよー!」
アリスがそう呼び掛けると、汐霧とクロハのすぐ近くの林から二人の人間が現れた。
クロハはびくっと肩を震わせ、それを汐霧がケアしている。
あの様子だと彼女も気付いていたらしい。流石は元暗殺者と言ったところか。
「ハルカは初めてだから紹介するね。こっちの男の子がアイでこっちの女の子がホタル。ちょっと前に【ムラクモ】に入ったの。ちなみに私が鍛えてるのはアイで、シグレが鍛えてるのはホタルね」
言われてアイ、ホタルと呼ばれた二人を見る。
まずホタルと呼ばれた少女。
両サイドの前下がり髪がかなり長い、ウルフカットヘアーを変則的にアレンジした藍色の髪。切れ長な瞳は一つしかなく、もう片方は無骨な眼帯で覆っている。
女性としては年相応の平均的な体格。背と腰に二本ずつ小太刀を差しており、一目で剣士と分かる出で立ちだ。シグレが鍛えているというのも頷ける。
そうやって観察していると、不意にホタルの眦がきろりと上がった。
「……ジロジロ見ないでください。気持ち悪い」
「あ、ごめん」
普通に僕が悪いので素直に謝る。そりゃ露骨に観察されたらいい気分はしないよな。
だが、何だろう。この少女から伝わる敵意はそれだけじゃない気がする。僕という存在が気に入らないとか、そういう根深い類の敵意だ。
うーん、初対面のはずなんだけどなぁ。
気を取り直して、次にアイと呼ばれた少、…………?
「おいアリス」
「なぁに?」
「コイツが男っての、本当?」
「えへ、可愛いでしょ?」
頬に手を当てて言うアリスに嘘は見られない。僕は改めてアイを観察する。
身長は160前半ほど。顔立ちは女性的だが男性にも見えなくもない。
来ている制服は可愛らしいアレンジが為されているが、それもお洒落な男性がやっていらと言われれば納得できる。
髪は右が金、左が白のツートンカラーで、ハーフアップに結われている。目も同色のオッドアイ。
武装は秘匿してあるのか、端目には分からなかった。
女装した男子、という訳ではない。
服装に依ることなく、このアイという人間自体がどこか女性的な空気を持っているのだ。
と、アイがにこりと微笑みを浮かべる。
「ご紹介に預かりました、先月から【ムラクモ】に所属することになったアイっていいます。お会いできて嬉しいです、ハルカ先輩!」
「…………」
言い、ぺこりと頭を下げるアイ。伝わってくるのは……好意? え、なんで?
……よく分からないが、この二人が見事なまでに正反対ということは分かった。とりあえずそう処理しておく。
「で、アリス。コイツらが何?」
「ふっふふー! なーんとですねぇ、ハルカには――今からこの子たちと戦って貰います!」
「……は?」
戦う?
コイツらと?
……いや、何故?
「んや、最初はハルカと普通に戦おうって思ってたんだよ? でもそしたらこの子達がどーーーしてもハルカと戦いたいってお願いしてきてねー?」
「……ふざけるな」
「で、よくよく考えたら私とシグレの教育どっちが上かはっきりさせるいい機会だなーってピーンとインスピっちゃったわけなのさ」
「ふざけるな」
「それにちょうど私たちの前座になるしいっかなーって。あ、ルールはなんでもありのデスマで気絶で負けね。そこそこ有望な子たちだからできれば殺さないであげて欲しいにゃー?」
「ふざけるな!」
こっちの意思をガン無視して話を進めるのはいつものことだが、話の内容が内容だ。
よりにもよって余計な戦闘を……いや、待てよ。
「……二つ条件がある。それを呑むなら、その話に乗ってやってもいい」
「ふぅん。なになに? 言ってみて」
「まず鋼糸を寄越せ。僕のは今諸事情あって使えない。確か前に僕が使ってたのがあったろ。ああ、それとも捨てたか?」
僕が【ムラクモ】を抜けたのはもう三年も前のことだ。ズボラな連中とはいえ捨てられている可能性はそれなりにある。
が、その心配は杞憂だったらしい。アリスは
「ううん、ちゃんとあるよ。勝手に捨てたりしたらミオが拗ねちゃうもの。だから部屋ごと昔のまんま。ふふっ、いつでもカムバックお待ちしてまーす」
「……。あと、前に言ってた教団事件のデータを渡せ。そっちの無理を聞くんだ。報酬の先払いくらいしてくれてもいいだろ」
「あ、それはダメ。逃げようったってそうはいかないにゃー?」
「……チッ」
まぁ、流石にそうか。
「……あー、逃げるつもりはないよ。だけど僕は前にこうも言ったはずだ。『一回だけなら気が済むまで付き合ってやる。それが僕に出来る最大の譲歩だ』って」
「…………あ、ああー!? そ、そうだよそうだそうじゃんか! あれ、それじゃ私戦えない!?」
「相変わらず都合悪いことは秒で忘れるのな……」
人生とても楽しそうな脳味噌だ。そうなりたいとは間違っても思えないが。
「あ、あー、じゃあ…………ハルカ、一回分まけて?」
「ふざけんな。……って普通なら言うところだけどね。さっきの条件を呑むなら特別にまけてやるよ」
「え、えー……だってそれハルカ絶対トンズラするでしょ?」
そうしたいのは山々だが、それで資料が手に入らないのでは元も子もない。
「だからお前との戦闘には別の条件をつける。それならどうだ?」
「ふむふむり。んーと、その条件って?」
「お前たちの一回分の命令権。もちろん無期限だ。直接命に関わらず、能力的に可能である内容に限り一切の拒否を禁じる。……どうだ?」
「……うーん……」
僕の提示した条件に流石のアリスも悩む様子を見せる。
それはそうだろう。要するところ僕と戦う代わり、一回だけ僕の言うことを何でも聞かなくてはならないのだ。
シグレは相変わらず何の反応もしなかったが、アイは目を大きく開け、ホタルは露骨なまでにこちらに敵意を送ってくる。
メリットとデメリットの差が大き過ぎる、明らかに不平等で不公平な条件。
このままでは例えアリスが了承しようと部下の二人が諌めてしまうだろう。
僕は、だから――
「その戦闘でもし僕が負けたら、お前の言うことを何でも一つ聞いてやる」
――だから、とても分かりやすいメリットを一つくれてやる。
僕の言葉にアリスがへぇ、と笑みを浮かべた。それを見て確信する――釣れた、と。
「今、 ハルカ何でもって言ったよね? それって例えば――【ムラクモ】に戻ってくる、とかでも?」
「『死ね』以外だったら何でも聞いてやるよ」
「撤回は認めないよ」
「二言はないさ」
あはぁ、とアリスが笑みを濃くする。
よし、交渉成立だ。
「まずは前座だ。その新人共と戦ってやる」
「うんっ、じゃあ私とシグレは待ってるね。――コノエ」
「ここに」
ふっと赤毛の少年の姿が新人二人の隣に現れる。遮断系の隠密魔法を使っていたのだろうか。
コノエは僕に向かって手のひらを差し出してくる。もちろん、握手などではない。
「こちらでお間違いありませんか?」
「……早いな」
「そうでもありません。事前にリーダーから言われていましてから」
「ああ、なるほどね。ありがとう」
礼を言って束にしてまとめられた鋼糸を受け取る。
どうやら彼が先ほど行っていた『お使い』とやらはこの鋼糸のことだったらしい。この流れはアリスにとってもある程度読み筋だったということか。
まぁ、今となってはもうどうでもいい。
今はこの鋼糸を手に馴染ませることの方がよほど先決だ。
この鋼糸は氷室の元で修理中のものとは違って特別な機能はない。ただとにかく頑丈なだけだ。
よって【キリサキセツナ】や【ソクバクセツナ】など魔法、また魔法陣による補助は一切使えない。
だが――ああ、だが。
この感触。数え切れないほどの命を奪った【ムラクモ】時代、僕が人間だった頃の象徴であるこの感触は、どんなものにも代えられない。
「さ、始めよっか。アイ、ホタル、いけるー?」
「はいっ」
「……」
「よーし、それじゃ頑張ってね! ハルカも! 死んだらちゃんと燃やして埋めてあげるからねー!」
手をぶんぶんと振り回して離れていくアリス、その後に続くシグレ。
そして演習場には、僕、アイとホタル、そしてコノエの四人が残される。
……コノエ?
「お前もやるのか?」
「ええ。これもリーダーからの指示です。よろしければお手合わせを」
「あそ。いいよ」
新人とはいえ【ムラクモ】、全員が全員同年代の魔導師が束になっても敵わないような実力者だ。
そんなのが一人増えるのは面倒だがーーこれ以上問答するのもそれこそ面倒くさい。
前座などにこれ以上時間をかけていられるか。
「みんな準備はいいね。よーし、それじゃあーーあはっ」
その一瞬、全ての音が消えた。
一人、口の端を吊り上げたアリスが拳銃を掲げ、叫ぶ。
「ーー戦闘開始ィィィ!!!」
号令、次いで号砲が響く。
こうして一対三の戦闘が始まった。
そして一秒後、僕は勢いよく宙を舞った。
次話あたり多少暴力表現が入るかもしれません
作者自身苦手ですので恐らくかなりライトなものになるとは思いますが、一応ご注意下さい