悔しい、でも
○○しちゃう!
◇
正規軍【草薙ノ劔】の中央基地は、その名前の厳しさとは裏腹に多数のビルとタワーで構成された高層施設である。
もちろん演習場や訓練場は数多くあるがそれ以上に多いのは会議室や資料室、管制室といった類だ。
これは正規軍が常に人員不足に悩まされており、中央基地の人員のほとんどが作戦指揮官級の高級士官であることに起因しているらしい。
「人種のクローンが公式的に解禁されれば話は別だがな」
そう言い、梶浦は自動販売機のボタンを押した。ガコン、と二つの缶が吐き出され、そのうちの片方を僕へと投げてくる。
『柚子の天然水』……配分を異様にケチった粉のスポーツドリンクのような、超々薄い柚子風味の天然水だ。
僕のほとんど存在し得ない好物の一つである。
「サンキュ。僕これ大好きなんだよねぇ」
「知っている。いつも飲んでいるくらいだからな。……そんな味の付いているんだか付いていないんだか分からないものを好む気は知らないが」
「はは、そんな言わないでも……ま、人の好みはそれぞれってことで」
事実、これくらい薄味でなければ飲んだ分の倍の量のゲロをペットボトルに吐き戻す羽目になる。
幾ら僕がゲロ好きだからと言って、そこまで迂遠な真似をしてまで拝みたいとは思わない。正味、腹を殴ればいいんだし。
「それで? どうして僕はこんなところに連れ出されたのかな」
薄く笑い、聞く。レンガ敷の地面に大きな噴水、紫陽花に青々とした実を茂らせる梅の木となかなかに風情のある庭園。この中央基地の中庭にあたる場所だ。
問いに梶浦は苦笑を浮かべた。
「……こんなところ、とはまた嬉しい呼ばれ方だな。これでもそれなりの金をかけているのだが」
「そう聞くと素晴らしい場所に見えてくるものだけどね。残念ながら軍の庭園ってだけでマイナス100点だ。二度と来たくないね」
それに同じ庭園でも塔の最上階の《楽園》エリア、お姫さまの心を映した庭園の方がよっぽど綺麗だった。
「ま、そんなことはどうでもいい。話を戻すよ。どうして僕をここに呼び出した? 汐霧の報告は終わったのに、わざわざ僕だけを?」
「…………」
――二時間ほど前。
この施設に到着した僕たちは梶浦に会い、殺人鬼や現状の話しても差し支えない部分を報告した。
報告自体は順調に終わり、いざ帰ろうとしたところで梶浦に呼び止められた。汐霧とクロハを先に帰し、案内のままにこの中庭へと連れ出されて現在に至る。
梶浦はコーヒー――ではなく栄養ドリンクの缶を一気に傾け、やがて口を開いた。
「……お前が柄にもなく酷い顔をしていた。それが少し心配になった」
「は、僕の顔は鏡じゃねぇよ」
数日ぶりに見る梶浦の顔は、明らかに以前より疲弊していた。
人前で表情を崩すことすら滅多にしないコイツが僕の前で栄養ドリンクなど飲んだのが立派な証拠だ。
「もう何日まともに寝てない? こんなお喋りする暇があるならベッドで寝ることをオススメするよ」
「そうしたいのは山々だが、E区画に大規模発電所とどこぞの阿呆が暴れ回ってくれたおかげで処理すべき雑務が山のようにある。寝る暇などない」
「じゃあその仕事を片付けろって。僕の心配なんか最後の最後、部屋の掃除とゴミ捨てが終わった後でいいからさ」
「そういうわけにはいかないだろう。俺が学院にに通っている理由、まさか忘れたとでも?」
「……はは、まさか」
文武に秀で、何年も昔から軍人として戦ってきた梶浦。学院で学ぶ内容などとっくに修了し切っている。
そんな彼が学院に通っている理由。それは――
「狂人集団として知られる【天ノ叢雲ノ剣】、その歴代でも最強と名高い第八期の元一員――監視もなしに未来ある士官候補生の中に紛れ込むには、些か危険過ぎる」
「……迷惑掛けてる自覚はあるよ。僕が毎日平穏に学院へ通えているのはお前のおかげだってちゃんと分かってる。感謝してるよ」
「いいさ。これは正式な任務だ。感謝されるようなことじゃない」
この言葉の通り、梶浦が必要もない学院に通っているのはひとえに僕の――元【ムラクモ】メンバーの監視のためだ。
僕自身は僕が監視に値する人間ではないことをよく知っているが、同様に上の方々は【ムラクモ】の危険性をよく知っている。故に監視を置く必要があった。
そこに梶浦が選ばれたのは僕と同い年であること、実力者であること、本人の希望、そして何より彼の父親の獅子の如き教育方針によると聞いた。
将来を期待されている身として揉めに揉めたらしいが、詳しくは知らない。
ともあれ梶浦は僕の監視に就くことになったわけだが、入学以来僕の行動を制限しようとは一切しないでいてくれた。
そもそも危険人物認定された僕がこの学院に入れたのも梶浦が諸々手を回してくれたからであるわけで、これで感謝するなという方が難しいだろう。
「……いや本当、迷惑掛け過ぎでない? ちょっと僕クソ過ぎない……?」
「何を今更。昔からだろう」
「うぐ。……い、いやでも昔の迷惑具合ならお前だって負けてないからな! 忘れてないぞ、七年前に精神論と選民思考拗らせて僕に突っかかってきたときのこ――」
瞬間、パァンッ! と叩きつけるような勢いで、僕の口に手が置かれた。
目をカッ開いた梶浦が、言う。
「昔の、話は、するな」
「アイサー!」
一も二もなくぶんぶんと頷く。僕はまだこの世に未練がいっぱいなのだ。
梶浦はなおも鬼のような表情で僕の目を覗き込んでいたが、やがて満足したのか解放された。
生理的反射で咳き込む僕に溜息を吐き、言う。
「全く……その定期的に藪をつついて蛇を出そうとするのは癖だったか?」
「はは、そう……なのかな? ああ、周りがいい反応してくれるのばっかだから調子に乗ってるのかも」「俺もその一員、か。……怒る気にもならん」
「はは、カルシウム不足じゃないようで何よりだ……さて」
軍関係とは思えない居心地の良さに忘れそうになるが、僕がここに来たのはコイツの協力を得るためだ。
少しだけ駄目押しついでの確認をしておこう。その目的もあって梶浦も外に連れ出したんだろうしな。
「もう一回聞いておくけど、内通者の心当たりは本当にないのか?」
「心当たりはある。が、多過ぎて絞り込めん」
「要するに分からないと。ま、そりゃそうか」
話したその日に都合よく見つかるはずがない。もし見つかったなら、それは間違いなく罠だろう。
なお梶浦には敵がピクシス教団であること、敵が大規模発電所を襲撃した殺人鬼と繋がっていること、【トリック】が絡んでいること、7日後に襲撃されること――などなどほとんどのことを詳らかにしてある。
隠したのは敵の狙いがクロハであること、クロハが教団でいうところの『神子』であること。あとはパンドラアーツ関連のことくらいか。
そういうわけで僕たちの間では狙われているのは汐霧、ということになっている。まぁ丸切り嘘というわけでもない。
「おおよそ二、三百人と言ったところだろう。佐官、尉官クラスの士官も数人いると考えられる」
「それだけいるとなると、ひとまず表面上は平常通りを保たなきゃね。疑心暗鬼に陥るわけにはいかないもの。相手が動きを見せるまではこっちも変に動かない方がいい」
「ああ。とはいえ、お前たちの調査で何かが分かる可能性は……」
「うん、あんまり高いとは思えない。なにせ相手の組織の規模も拠点も分かってないんだ。受け身になるのは避けられない」
だが、もし敵が五年前の規模通りであれば、クロハと汐霧を守るのはかなり難しいだろう。
ただでさえ藍染の相手だけでもギリギリなのだ。数の暴力から二人を守れるとはとても思えない。
「当日にはこちらから部隊を回す。家の住所に変わりはないか?」
「入学資料に書いたやつのまま。……出来れば家の中には入らないで欲しいんだけど」
「安心していい。大方対人トラップでも張っているんだろうが、魔導師の家においそれと踏み込む考えなしは軍にいない」
「あー……まぁ、そんなところ。そう、はは、ありがとう」
それもあるし、何より地下室の存在を知られるわけにはいかない。
あそこでは妹を救うための研究を行って来た。その中には人体実験も数多く含まれている。
仮に露見した場合、逮捕は免れないだろう。
「細かいところは残りの日数でどれだけ情報を掴めるかで詰めていくとしよう。梶浦、お前5日後は空いてる?」
「……何とかしよう。それまでにも出来るだけ小まめに報告と連絡を小まめにしてくれ。こちらの方がお前たちより何かを掴める可能性は高い」
「分かった。こっちは……そうだね、ちょっと別の切り口を考えてみようと思う。たった二人だから小回り利くしね」
「ああ、了解した」
残り数日では出来ることがそもそも少ない。その中で最善を尽くしていくしかないだろう。
さて、話もひと段落したそろそろ帰るか。
「それじゃ僕は帰るよ。汐霧といろいろ話し合ってみようと思う。梶浦も適当に時間見つけて休みなね」
「そんな顔で言われても説得力がないが、心に留めておくとしよう。遥も帰ったら少し休んでおけ」
「……そういえばさっきも言ってたよね、酷い顔だって。顔が酷いじゃなくて?」
後者なら直近で散々言われたが、前者は本当に身に覚えがない。仮に疲れていたとして、それを顔に出すような無様が許される教育は受けていない。
しかし梶浦は心底呆れたような表情で、言った。
「ああ。焦り、急いているのが一目で分かる酷い顔だ。その顔は良くない。いずれどこかで致命的な息切れを起こしてしまう。――そんなに狙われている汐霧が心配か?」