馬鹿につける薬は
◇
――クサナギ学院、学院長室。
始業のチャイムが鳴る一刻ほど前のその場所で、僕は学院長と向かい合っていた。
要件は無論、僕が提出した退学届を撤回することである。
「……ふむ。つまり退学は撤回する、と? そんな勝手がまかり通るとでも?」
「ええ、まあ。だってそのための猶予期間ですよね?」
「そうだな……だが既にほとんど退学処理は済んでしまっている。それに掛けた分の時間を考えれば、簡単に認めるわけにはいかないな」
白々しく演技する学院長に、僕は内心舌打ちする。
この男、どうにか僕の復学に条件を付けて恩に着せようとしているようだが……さて、どうしたものか。
「落ちこぼれ、それも一週間後に消えるような奴に対して、結構な手の早さですね?」
「なに、そういう件については早め早めに済ませた方が利口だろう。これでも仕事が多い立場だからな」
「へぇ、僕には随分と貴方に引き止められた記憶があるんですが……アレは演技だった、と?」
「さて、何のことか記憶にないな。全く、歳は取りたくないものだね。そう思うだろう?」
「……ええ。ちょうど目の前に悪い例がいるのでね」
この場の限界ギリギリの毒を吐くも、それすら笑って流された。
悔しいが、やはり腹芸口芸では勝てそうにない。何を言ってものらりくらりと躱される上、言葉が出て来るまでの早さも負けている。
流石は東京コロニーを統括している最高評議会、その海千山千揃いの一員といったところか。
「……はぁ。降参ですこーさん。どうすれば復学認めて貰えます?」
「はは、そう面倒なことは頼まないさ。そうだな……こちらの書類に目を通してくれ」
貫禄のある笑いを浮かべながら、茶色の封筒に入った書類を差し出して来た。
封筒の表面に書かれてある文字は……『正規魔導士養成機関東京支部通達』など堅苦しい文字の羅列だった。
今日日教師陣すら使わないようなクサナギ学院の正式名称を使っているということは、つまりそれだけ正式な書類だということ。
意を決して封筒の中身を取り出すと、まず最初にある言葉が目に入った。
「……奨学金制度について? 何ですか、これ?」
「書いてある通りだ。奨学金制度については知っているだろう?」
「ん、まあ……」
奨学金制度とは、簡単にいえば魔導士候補生への援助のようなものだ。
前時代の制度との違う点は一つくらいで、所々違うものの大まかなところはほとんど同じになっている。
一つ、前制度と大きく違う点は、その流通度だ。
「いいんですか、こんな制度。貸されて返せる人がほとんどいなくて廃れ切った制度ですよ?」
今の時代殉学や殉職なんてものは全く珍しくない。それ故借りても返せない人間ばかり増え、今では消えかけている制度だ。
「こんなご時世だ、返って来ないのは少なくない割合で想定しているさ。それより君にはこれの二年間契約のテスターになって貰いたい」
「二年間契約……? 何でそんな……あぁ、そういう意味ですか」
二年間。それはちょうど、僕らがこの学院を卒業するまでの期間と同じだ。こんなものを用意した学院長の意図を遅れて理解する。
つまるところ、この狸ジジイは奨学金という“借金”を使って、人をこの学院に縛り付けようとしているわけだ。
「この奨学金の条件は『僕がクサナギ学院の生徒であること』。逃げたら犯罪者扱いにでもして魔導許可証削除――ってところですかねぇ?」
2222年現在、借金の返済に関する法律はいろいろと条件が厳しくなっている。意図的な金の借り逃げはもちろん犯罪行為。そして中途の契約破棄はそれまで借りた金額の数倍を返済――とかだったか。
とにかく、学生という身分の僕にはこれ以上ないほど合理的な借金だ。
「……ふむ、さてな? よく分からないが、逃げなければ問題ないのではないかね?」
……白々しい。この腹黒狸野郎め。
「……はいはい、仰る通りです学院長センセ。サインしますからペン貸して下さい」
「好きに使いなさい」
渡されたボールペンで契約用紙に自分の名前を記入し、僕は早々にソファを立った。こんな場所、早々に立ち去りたい。
「……よし、確かに受け取った。一限目には遅刻しないようにしなさい。私としてはもう、この場で君には会いたくないからね」
「あはは、言われなくとも。僕としては何処だろうと貴方と会いたくないですけどね」
負け惜しみの成り損ないを投げつけて、僕は自分の教室へと向かった。
◇
僕が教室に着いた時、既にほとんどの生徒は登校していた。
時刻は始業の五分前ほど。流石は真面目で詰まらないのが売りの我がクラスである。
自分の席に鞄を置き、ぐったりと座り込む。その時ふと、一つ前の席が空いていることに気付いた。
お嬢さまめ、今日はお休みらしい。
「あんにゃろ、人に学院辞めるなって言った癖して……」
人に何か説教するならまずは自分がお手本にならなきゃ駄目なのだ。
何処かから『お前が言うな』と電波が入ったが、所詮は電波。やれやれ、と自分のことを棚上げして肩を竦める。
――キーンコーンカーンコーン。
始業のチャイムが鳴ると同時、ガラガラと扉が往復運動。筋骨隆々の教官先生、通称ゴリラが現れた。
「では朝のホームルームを始める。気を付け、礼!」
お願いします、なんていう気持ちの伴わない挨拶とともに、今日も一日が始まった。
◇
四時間目の科目は魔導学。これは魔法やパンドラについての科目で、今日の内容は今までのおさらいらしい。
僕と学院長以外知らないとはいえ、復学早々に怒られるのも馬鹿らしい。教官の言ったことを書き写すべく、ノートを広げる。
授業はちょうど、パンドラについての説明に移ったところだった。
「諸君も知っていると思うが、我々が使う魔法は魔力によって構成されている。その魔力の基となったものこそ、諸君が敵対するパンドラの肉体を構成するものであり諸君が最も警戒するべきもの……それが、禍力だ」
――禍力。
パンドラだけが操る災禍の力を表す言葉だ。触れたものを破壊し、汚染し、陵辱し、蹂躙する力。
魔力とは反発する力のため、魔力を持つ人間ならある程度レジスト出来る。とはいえ、禍力を纏った攻撃をマトモに喰らえば、どんな天才でも無事ではいられないが。
ちなみその昔、これも魔力と呼ばれていたが、人間が使う魔力とは厳密には真反対のため、区別するために現在の名前になった歴史がある。
「禍力はパンドラの核――人間で言うところの心臓で生成される。パンドラは核を破壊しない限り何度でも再生する。逆に核さえ破壊出来れば、それがどんなパンドラだろうと消滅させられる」
この説明を聞いた誰しもが思う考えがある。核を潰すくらいなら楽勝だろう、と。
そしてそんな油断を逆手に取られて死んだ奴は数知れない。
今まで観測されたパンドラの中には核を高度100メートル上空に浮かべていた、迷彩のように透明にしていた、なんてタイプもいた。
生きることにおいてパンドラは賢く、戦いにおいて人間は愚かだ。油断して勝てる道理はない。
「核がどこにあるかは個体によって千差万別だ。だから決して奴らを甘く見ないように。奴らと相対する時、周りの全てを疑ってかかれ」
教官がそこまで言った時、ちょうどチャイムの音が鳴った。彼はもうこんな時間か、と呟き足早に教室を出て行った。
「ふー……やぁっと昼休みか」
退屈な時間ほど長く感じる。今日の午前はまさにそんな感じだった。
教科書の類を机の中に適当に突っ込み、立ち上がる。昼はいつも梶浦と藤城の二人と食べているので、いつも通り声を掛けようとした、その時。
教室の扉近くが、突然ざわざわと騒がしくなった。
「………あー………」
聴覚、次いで視覚でその原因を特定する。
今から逃げられないかなぁ、なんて思うもこの教室は後ろの席になるにつれて高くなる段々型。扉は一つしかないため、脱出はまず不可能。
いや、まだ目的が僕だって決まったわけじゃない。ただの自意識過剰な可能性だって全然ある。昼休みをゆっくり過ごせる可能性は、まだ潰えてい――
「なに一人で独り言してるんですか。気持ち悪いです」
「……一人じゃなきゃ独り言じゃなくね?」
二人以上で交わされる独り言の応酬。割と今の状況を指してるような気がしなくもない。
予想が的中したことに心の中でさめざめと涙しながら、僕は口を開いた。
「で、何の用かな、汐霧? 僕これから友達とご飯なんだけど」
「……あなた、友達がいたんですか?」
「失礼な。現在形でいるわい」
「ですか。まあどうでもいいですけど。それより話がありますから食堂まで来てください」
……すっげえ面倒そうな予感。
「断……あ、でもやっぱりご飯奢ってくれるならいいよ」
「……このクズ」
「ああうん、それでいいから奢って――」
「ハルカ飯行くぞー……あん?」
声に振り返ると、そこには空気を読まない(読めない、ではない)ことに定評のある藤城と、空気になることに定評のある梶浦の姿が。
どうやら昼のお誘いらしい。出来ればもう少し早く来て欲しかった。
因みにこの二人、どちらも顔が良く強いので、今も周りの女子がキャーキャー騒いでいる。僕一人の時は何もなかったというのに。
人間普通に不平等。福沢諭吉を告訴したい気分だぜ、チクショウ。
「……梶浦謙吾に藤城純、ですか」
「汐霧憂姫か」
「ん、ユウヒちゃんか。どうした」
「あれ、お前ら知り合いだったの?」
汐霧って意外と男と接点あるんだな。イメージとしては『男の人なんて穢らわしいです』くらい言いそうなものだけど。
「……汐霧ビッチ説浮上」
「偶然こんなところにハバネロ素材の調味料があるんですけど」
「!?」
ひょいっと掲げられたジップロック。その中身を見た瞬間、サッと全身から血の気引く音がした気がした。
「ああ……そういえば、奇遇にもこれからお昼ご飯の時間ですね」
「……な、なんでもありませんでございます、マム」
「よろしいです」
あんなの昼飯にぶち込まれでもしたらショック死する。この予想、自慢じゃないが外す気がしない。
恭順の姿勢を見せる僕に満足したのか、汐霧はにっこりと満面から目を引いた部分で笑顔を作った。
……舌が弱い云々は黙っていた方が良かったかもしれないな。弱みを握られた気がしてならない。
「……ユウヒちゃんが笑うとはな」
「私だって人間ですから。それとその憂姫ちゃんはやめてと言ったはずですけど」
「別にいいだろうが。感情否定してたら魔導師出来んぞ」
「話が逸れているぞ、藤城」
割と手遅れな気がするも、何とか梶浦が軌道修正してくれた。なるほど、こういうクールなところが女子にモテるのかもしれないな。まあ、僕がそれを見習えるとはとても思えないが。
僕のような奴が梶浦の真似しても、結果はクールではなくただのコミュ症ぼっちになってしまう。
性格を選択するには一定以上の顔が必要。例え壊れた世界であっても、コレだけは永久不滅の真理なのだ。
「……というか何の話だっけ、これ」
そもそも汐霧が何で訪ねて来たのか、そこから話が拗れ始めた気がする。
「俺らはいつも通り飯食いに行こうぜー、って話」
「私は例の件の関係です」
「例の件……? ああ、《部た――あだっ!」
バチンッ! と勢い良く口を塞がれた。汐霧から睨み付けるようなアイコンタクトで『話すな』と伝えられる。
何故かは分からないが……聞いたらまた殴られそうなので、こくこくと頷いて承諾。ゆっくりと口元から手が外される。
「……とまあ、そんなわけで今日は遠慮させて貰うよ」
「いや、どんなわけだよ……っまさか!」
「うん?」
「まさか……新しい女……!?」
「…………は?」
眼球というシアターがくねくねしなを作るチャラ男なんていう、正しく地獄を上映してしまう。
瞬間、食欲が半分くらい吹き飛ばされた。
「最近つきあいが悪いとおもったら、こんなことになるなんて……!」
「…………っ」
今風のギャルか何かなのか。裏声で複雑な巻き舌を駆使する藤城に、汐霧が何かを飲み込むような音を発した。
これは藤城の(気持ち)悪い癖で、本人曰く体質らしい。時々脈絡すらなく、影響を受けたものの真似を始める。
大方、昼ドラでも見て影響されたのだろう。多分に悪ノリも含まれている感は否めないし否まない。
この野郎、人間には精神的な限界ってものがあるというのに……。
そんな僕の内心を知らない藤城はいい気になって、汐霧にビシッと指を突き付けた。
「きぃい! この泥ぼ――」
不味い。吐く。
「梶浦」
「【スタンピートスタンガン】」
――バチンッ! ビクンッ、ビクンッッッ!
強めの護身魔法を喰らい痙攣する藤城。そんな彼をドン引きした目で見る僕らとクラスメイト。
「……迷惑を掛けたな」
「いや、こちらこそ……なんか、ごめん」
「気にするな。……ではな」
粗悪で大きなゴミ、略して藤城純を担ぐ梶浦。僕が女の子だったら惚れてたかもしれないほど、カッコ良く彼は去って行った。
残されたのは、沈黙した空気と僕達のみ。
「…………」
「…………」
微妙な雰囲気の中、僕と汐霧は顔を合わせ、同時に溜息を吐いた。
「……じゃ、行こっか」
「……そうですね」
何だかどっと疲れた。そんな感覚を共有しながら、僕達は食堂へと歩き出した。