『明日また、また明日と言えますように』
ないようがないよう
◇
「それで、まずはどうするつもり?」
早朝の住宅街。人もまばらなこの時間に寄せられた質問は、隣に伴って歩くゴシックロリータの塊から。
「最初は現状で気がかりなところから詰めていく。汐霧にはもう動いて貰ってるよ」
「気がかりなところ?」
「例えば藍染の横にいた結界使いの女。例えば現在の宗教の勢力図。例えば【トリック】の組織的概念。挙げればキリがないから絞る必要はあるけどね」
全てを調べ上げるには一週間という時間はあまりにも足りない。せめて一月、出来れば二月は欲しかったのだが……幾ら僕の右腕でもそこまでは望めなかった。割り切るしかない。
それに、全てが最悪というわけでもないのだ。
「今回は敵の正体に目星がついている。教団……あー、正式名称は……」
「……ピクシスよ。ピクシス教団。神話でパンドラへと贈られた箱を意味する名前ね」
「そう、それだ。何度聞いても笑えるね。『私たちはパンドラ様の供物です』――はは、ご立派な教義だことで」
逆を言えば、そんなものが流行るほど当時の東京はギリギリだったわけだが。
「パンドラを神の使いと称え、滅び行くこの世界を肯定する宗教。人類皆供物とかいう主張で何百人もの子供を誘拐し、儀式とかいう名目で多種多様な人体実験を行った……はは、思い出すだけで殺意が湧いてくる」
「…………」
「話を戻すね。目標が《神子》――お前で、やり口は児童誘拐。そして金で雇った傭兵にあの赤髪の女の子。これだけ揃ってれば間違いはないだろうさ」
「……そうね」
頷くクロハ。教団を僕よりも知っている彼女が頷くなら、丸きり僕の勘違いということもないだろう。
「ま、それでも今の僕らには情報がほとんどないからね。とにかく連中と繋がりそうな場所を洗っていくしかないんだ」
「ユウヒは何を?」
「現在の宗教的勢力図について調べて貰ってる。なんでも『汐霧』時代のパイプがあるって言うからそっちは一任している」
「じゃあ……私たちはどうするの?」
「まずは結界使いについて調べる。といってもアレの正体については大体分かってるんだ。突き止めるのはちょっと手間だけど、幸いなことに昔由来の伝手があってね。今から頼りに行くつもりだよ」
出来れば二度と関わりたくない相手だったがこの際仕方がない。頭痛の種を増やしに行くとしよう。
「……そう」
「なに、もう質問はおしまい? 聞かなくていいの? ――私が外に出ても大丈夫なのかってさ」
「っ」
核心をつかれ、息を呑むクロハ。僕は寄越していた目線を前方に引き戻し、へらへら笑って足元の石ころを蹴飛ばす。
あ、砕けた。
「……聞いていいなら聞くわ。さっきの話だと、私の体の中にあるのでしょう――発信機が」
「正確には発信機っぽいのが、ね。氷室の言うことだからほぼ確実だろうけど」
三年前、クロハを使うことを決心したとき、彼女の体は氷室に徹底的に分析して貰った。
その結果分かったのが異常なまでの再生能力ともう一つ、そしてこの発信機だ。
「発信されている情報はお前のバイタルと現在位置。お前を造ったときに教団の連中が仕込んだんだろうね」
「ごめんなさい。言われるまで全然気づかなかったわ……」
「お前に分かるようなら毟り取られちゃうかもしれないからね。ほら、お前は僕と違って心臓や脳すら再生するんだから」
といっても、その辺りにはしっかりと対策が為されていたが。
どんな構造なのかは分からないが、氷室曰く『下手に取り出せばこの娘の存在は保証出来ない』とのこと。
存在、という言い方から察するに記憶か人格か、はたまた彼女の能力に関する危険なのだろう。
何にせよ、僕らに手出しが出来ないのは変わらない。
「ま、別にそれはいいんだ。だからこそわざわざ大枚叩いてお家に特定の電波以外をジャムする仕掛けを取り付けたんだからね」
実際、そのおかげで教団の外道共もクロハの所在を掴めなかったのだろう。最近だと汐霧の110番も未然に防げたし、無駄な出費だと思ったことはない。
ともあれ僕はクロハを徹底して外に出さないようにしていたし、彼女もトラウマのおかげで勝手に外に出ることはなかった。
だが――つい最近になって、それが破られたのだ。
「覚えてるかな。先月のクーデターで僕はお前の協力を要請した。その結果、お前は家の外に出た」
「……ええ」
「正直、捕捉される危険はないと思ってたんだけどね。仮にも東京全体がヤバかったんだから、何年も前の発信機の反応なんて拾えるとは思わなかったんだ。……宗教家の執念を甘く見た僕の失態だよ」
「ハルカは悪くないわ。あのときは他にどうしようもなかったもの」
「だとしてもね……。ま、そこは今言っても仕方ない。今は置いておこう」
隙あらば自罰しようとする恥知らずな思考をブッ叩き、現在に引っ張り戻す。
「お前の反応はあれで明らかになった。ただあっちにも余裕がなかったんだろうね。僕の家まで特定はされなかったんだから」
もしそこまで知られていたならとっくの昔に正面衝突している。不幸中の幸いといったところか。
「で、結局連中に分かったのはお前が生きていること、C区画周辺に住んでいること――そしてクーデターの最中、スカイツリーへ汐霧憂姫と乗り込んだことだけだった」
クーデターの震源地であった東京スカイツリー、それを解決した汐霧憂姫。彼女の現在地が常に分かるならC区画から一気にスカイツリーまで移動したことも分かったはずだ。
あの日あの時あの場所にいた理由――それを汐霧と絡めるのは当然の思考と言える。
「藍染たちが汐霧を狙っていたのも、わざわざ殺害じゃなくて確保を命じられていたのもそれが理由だと思う。汐霧からお前の居場所を聞き出そうとしたんじゃないかな。僕なりに裏付けも取れている」
「裏付けって?」
「昨日の交渉だよ。藍染たちは汐霧の名前を全く出さなかったし、興味すら向けなかった。そりゃそうだ。もうお前の存在も居場所も確認出来たんだから」
用が済んでしまえば、わざわざAランク魔導師なんて人間兵器に拘る必要はない。
藍染を雇ったのもその辺りが関係しているのだろう。汐霧憂姫という強力な魔導師を殺さずに勝利出来る人間――そんな化け物が何人もいるはずない。
また、連続児童誘拐事件とかいうのもクロハの所在を掴むための行動だったのではないだろうか。
クロハを探す傍ら、自分たちで起こした事件を餌にして汐霧を呼び寄せる。軍にお仲間がいる可能性が高いことを考えれば出来ない話ではない。
「とまぁ、長々話したけど結論を言うとだ。もうあっちにお前の居場所は割れているんだから部屋に引きこもる意味は欠片もない、むしろ万一に備えて僕と一緒にいてくれる方が安心出来る――ってわけ。どう、納得してくれた?」
「……………………」
「……? どしたの、ぼーっとして」
「…………いえ、その。やっぱりハルカは探偵になれると思うわ。結構本気で」
「はは、あと一週間早く今のが推理出来てたら真面目に目指したんだけどねぇ」
寝る間を惜しんで考えて出した結論は、結局は既に手遅れというもの。事件はもう起こり、来たる衝突を回避する術はない。
加えて言えば犯人はお前だと指差したところで、ドラマやアニメのように止まる犯人でもない。
こんな無能な探偵、仕事が来ないどころかどこかで恨みを買ってデッドエンド。過ぎた背伸びは身を滅ぼすという好例だ。
「……事情は分かったわ。足手まといにならないように頑張るから」
「それは是非とも頼むよ。あ、ストックはちゃんと持ってきた?」
「仔細ないわ」
「なら僕が心配することはないかな。よし、それじゃ元気良くしゅっぱーつ!」
クロハの手を取り、元気よく気勢を上げる。
――クロハが連中に攫われるまで、残り6日と半分の朝のことだった。
◇◆◇◆◇
――東京コロニーの中心とはどこか?
そう聞かれれば僕は迷わずこの場所の名を答えるし、他の誰だってもそうするだろう。
コロニーの創成期から現在に至るまで、この場所は名実共にその中心として在り続けてきたのだ。
東京コロニー最大の建造物。
新東京スカイツリー。
その威容から人々に『塔』と呼ばれる、この場所は。
「……行くか」
隣のクロハにも聞こえない声量でひとりごち、正面広場からその内部へと歩を進める。
666という階層を誇るだけあり、視界の限り広がる広大なフロア。壁に沿うようにして、コロニー中から寄せられる多種多様な用件に対応した受付窓口が設置されている。
僕はその内の一つへと歩み寄り、中で職務に励む人物へと声を掛けた。
「すみません。今よろしいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。本日のご用件は何で――…………ハルカ、くん?」
「ご無沙汰しております。央時さんもお変わりないようで」
にこやかに挨拶すると、央時と呼ばれた優しげな眼鏡のお兄さん――といっても確かもう三十路だったと思うが――は目をぱちくりと瞬かせた。
「……失礼。本当にハルカくんですか?」
「はは、敬語が似合わない自覚はありますよ。ご自分の目を信じてあげてください。疑わないでも正真正銘ハルカくんですよ」
「よほど【死線】の君と言ってくれた方が信じられますが……どうやら本物のようですね。第二次会戦の後に【ムラクモ】を抜けられたと聞き及んでましたが……?」
「ええ、やりたいことが出来たので。ついでに言うならあんなイカレポンチ共のお守りを押し付けられるのも御免でしたから」
「なるほど、そうですか。何にせよ元気なようで良かった。『塔』に属する一人の人間として、あなたの無事を大結界とこの地に生きる全ての命に感謝しましょう」
そう言って微笑む彼の顔は本当に穏やかで、けばだっていた心が不思議と落ち着いていく。
央時陸。僕の知る限り最も人を見る目に長けた男性。学院長とは違った意味で会話術に長け、どんなに頭のブッ飛んだ人間だろうと口先一つで落ち着かせることが出来る。
発情したアリスを宥められる人物、といえば少しはその凄さが分かるだろうか。
「それで、ハルカくん。キミがここに来たということは……」
「『明日また、また明日と言えますように』――ええ、お察しの通りの用件ですよ」
「……ありがとうございます、本当に。少々お待ちください。すぐにパスを発行しますので」
言い、手元の端末を操作する央時。程なくして空色のカードが機械から排出され、それを受け取った。
「十三基目のエレベーターをお使いください。そのパスを使えば660階まで直接行けます」
「ありがとうございます。……あ、それとこの娘預かって貰えますか? 用が終わったら引き取りに来ますから」
「え……? え、え……!?」
後ろに隠れていたクロハを持ってくるりとターン。目を白黒とさせているクロハに構わず、背を軽く押す。
「な、ちょっと、ハルカ!?」
「大丈夫、この方は僕の知ってる中でも最上級にマトモな人だから。……そういうわけでお願い出来ますか?」
「ええ、任されました。責任を持って預かりましょう」
「勝手に決めないで、私の意見を――!」
「まぁまぁ。心配しないでも用事が終わったらマッハで迎えに来るからさ……それじゃらよろしくお願いします」
「行ってらっしゃいませ。私のことは気にせず、どうぞごゆっくりと」
「待ちなさいっ、この……! ハ、ル、カぁ―――――!!」
恨みがましい少女の声をBGMに、僕は歩き出した。
◇
言われた通りに660階でエレベーターを降り、そこからは先の事件でも使った大階段を上がっていく。
コツ、コツという自身の足音以外に何の音もない静謐に満ちた空間。コロニーにおける最重要エリアということで人の気配はおろか、機械の気配すら一切ない。
ただただ硬質の壁と階段が延々と続く、人の色が極限まで薄められた場所。
自分がちゃんと進めているのか、果たしてあとどれほど歩けばいいのか――そんな不安を踏み殺し、ひたすら歩を進めていく。
そして――
「到着っと」
巨大な扉に手をかけ、開く。広がる光景は数え切れないほどの培養槽と、そこに浮かぶ大結界を維持するのに必要な老若男女。
東京スカイツリー665階。565階から続く、事情を知る者からはバッテリー保管庫と揶揄される階層の頂点。
最上階である666階――『結界装置』の御座す《楽園》へと繋がる唯一の階層だ。
「前のときは咲良崎がいたんだっけな」
懐かしい……そう時間も経っていないはずなのに妙に懐かしく感じる。大体一年ぶりとか、そのくらい。
へらへらとひとりごち、転移装置に触れる。軽く魔力を流して起動。贅沢に使える時間がないのもそうだが、何よりこんな階層には一秒だって居たくない。
装置の中に刻まれた人工の転移陣が起動し、目の前の光景が光に包まれる。
そして、光が晴れた、そのときには――
「――『明日また、また明日と言えますように』」
色とりどりの花々が咲き乱れ、遥けき蒼穹に囲まれた世界。
《楽園》という名前に恥じない光景に見惚れる暇もなく、僕の耳元でその声は歌うように囁く。
「その昔、ある男の子と交わした素敵な約束。また明日遊びましょう。そのまた明日も遊びましょう。女の子は気に入って、それは二人の合言葉になりました」
くすくす、くすくす。
「退屈知らずの女の子。けれど退屈していた女の子。遊んでくれるその男の子はぶっきらぼうで無愛想、優しく尊く唯一無二のひとりだけ。彼女は恋に落ちました、彼女は愛に覚めました」
鈴の音のような透き通った声。その色は嗤うように、その内容は泣くように。
「毎日楽しく明日が楽しみ、きっとこのままいつまでも。女の子はそう信じて疑いません。――それが儚観、たんぽぽのように吹けば飛ぶとは思いもしません」
まるで自分自身がそうだと主張するかのように、声の主は虚空をたゆたう。
「男の子は知りました、男の子は決めました。自分の為すべきことひとつ、自分のやりたいことひとつ。女の子など眼中になく、その思慕情愛にも知らんぷり。女の子は泣きました。泣いて泣いて、泣きました」
僕の周りを舞うように飛んで、かと思えば首に手を回してひっついて。
その様子は猫じゃらしに戯れる仔猫のような、幼く無邪気な印象を受ける。
「男の子が姿を消して、交わした約束空まわり。ひとりぼっちの女の子に明日は来ません。――だって男の子のいない明日なんて意味がないから。今日の延長線に価値などないから」
そして歌が――いや、彼女の回想が終わった。
くるくる、ふわふわと戯れ続けた声の主は、ようやく僕の正面へと現れる。
女の子だ。僕より二つか三つ下の――そう、ちょうど妹と同じ年の頃の女の子。レースが幾つもついた白色のワンピースを着ている。仔猫や子どものように無邪気な悪意を宿す黒目と、長い、クロハよりも更に長い黒髪が特徴的だ。
しかし、何より特徴的なのはその身体。絶え間なくふわふわと浮いており、しかも向こう側の景色が透けて見える。柳の下にでも出れば、十人が十人幽霊と断言することだろう。
しかし――そんなことはどうでもいい。
彼女という人間を語る上で、以上のことは本当にどうでもいいのだ。
「ふふ、うふふふふ! そんなに熱心に見られたら喜んでしまうわ、嬉しくなってしまうわ。だって私のことを考えてくれてるのが分かるもの、私だけのことを想ってくれてるのが分かるもの! ね、そうでしょ、お兄様?」
最後の単語が耳に入った瞬間、自分の顔がこれ以上ないほど歪むのを感じた。
……ああ。お嬢さまって呼ばれたときのお嬢さまもこんな感じなのかな。
「……昔も言ったはずだよ。僕はお前の兄じゃない」
「そうね、それはその通りね。でもやっぱり間違いよ。お兄様がいなかったら私は生まれなかったもの。いいえ、生まれたとしてももっと後だった……違うかしら?」
「違わないさ。でもそれはお前が僕の妹になる理由にはならない。その論法じゃ人類皆兄弟だ」
「うふふ、とぼけちゃって。そいうい意味じゃないのは分かってるくせに。変なところで可愛らしいのは相変わらずなのね。嬉しいわ、安心したわ」
「相変わらずなのはそれこそお前だろうに。違うか――なぁ、『結界装置』?」
お兄様呼びの仕返しとばかりに吐き捨てると、目論見通りに少女の顔がみるみるうちに曇っていく。
「……そんな呼び方はやめてちょうだい。悲しくなるわ。寂しくなるわ。声を上げてえんえんと、小さな女の子みたいに泣いてしまうわ」
「みたいも何も、小さな女の子そのものだろうがお前は……」
「あら、私のことを女の子として見てくれるのね。嬉しいわ、ええ、嬉しいわ。今日を祝日にしちゃおうかしら」
「やめろ。お前が言うと洒落にならない」
「くすくすくすくす――はぁい、分かったわ、お兄様」
「…………はぁ」
そう、悪戯っぽくにこにこと笑う彼女に溜息を吐く。
――東京コロニーの生命線たる大結界を編む者。この《楽園》の中心で眠りにつき、そのまま生涯を終えることを約束された人柱。
そんな威厳や悲哀の付いて回る肩書きを無理矢理押し着せられた、壊れた世界が産んだ悲劇のヒロイン。
それこそが『結界装置』。
今も僕の目の前で笑っている少女の、名前と呼ぶべきものだった――。
そりゃ懐かしいですよね。一年以上前の内容なんですから