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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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鉄屑模様の話し合い




 儚廻家、リビング。

 大きな机が一つ、それを囲うように置かれたソファが三つ。そのうちの一つに座ってテレビをつけて見れば、時刻は朝の5時ちょうど。

 にも関わらず、画面には特番の文字が大きく映し出されていた。


『それでは、この発表は軍の正式な決定ということですか?』

『はい、その通りです。我々【草薙ノ劔】は半年中に再び大規模遠征を決行し――またそれを成功させることをここに誓いましょう!』


 優男風味の士官さんの言葉に報道陣が大きく湧く。お仕事中とはいえ彼らも人の子、悲願達成の約束に喜ぶのも仕方ない。

 大規模遠征――東京コロニーを脅かす七つの異界(ダンジョン)の攻略、その約束には。


「……ハルカ、上がったわ」

「ん? ああ、長かったね。喉乾いたでしょ? 何か出すよ。トマトジュースでいいかな」

「うん……ええ、それでお願い」

「あいよ。あ、そこ座って待ってて」


 テレビを消して立ち上がり、コップにジュースを注いで戻ってくる。ついでに洗面所入ってすぐのドレッサーからドライヤーと櫛を取り、クロハの座るソファまで戻ってくる。


「はいクロハ、ジュース。あと髪やるからいつもみたいに流しといて」

「ん」


 言うとクロハは首の後ろに手を入れ、ぞんざいに後ろへと払った。腰ほどまである大ボリュームの黒髪がぶわりと乱れ、総じてソファの背もたれから垂れ下がる。

 いつも通りの、国宝級の芸術品でキャッチボールをするようなその仕草に僕はいつも通りに溜息を吐いて、ドライヤー片手に髪を梳いていく。


「お加減いかが、お嬢様」

「ん……心地いいわ。このまま眠ってしまいそうなくらい」

「赤ん坊かお前は。さっきまでずっと寝てたでしょうが」

「寝る子は育つと言うでしょう。十分な睡眠は子どもの権利よ」

「ああ言えばこう言うねお前も……」


 全く誰に似たんだが。汐霧か?


 何はともあれ、これだけ言える辺り調子は大分戻ってきたようだ。

 これなら少しシビアな話になろうと途中で壊れることはないだろう。


 この先の展開を予想しつつ、毛先を冷風で乾かしていく。髪の量が量なためすぐには終わらない……とはいえ僕だってコイツと暮らし始めて約三年、ほとんど毎日こなしてきたのだ。

 今から五分。それだけあれば、このどんな国宝にも負けない素晴らしい黒髪を完璧に仕上げられる自信がある――


「……いや、何でこんなことに自信持ってるんだ僕は」

「え?」

「や、何でも。ただ主従が完全に逆転してるなぁって……」


 ソファでくつろぐクロハとその髪を全身全霊で手入れする僕。

 ……この場を見ても僕を下僕と呼ばないのは、全世界を(さら)っても妹くらいしかいないだろうな。


「クロハ。アレな質問だけど、僕が明日からメイド服着て過ごし始めるのって想像出来る?」

「……。想像を絶するほどにアレな質問ね……」

「うん。どう?」

「…………、……。…………、……………………ありかなしで言えば、あり」

「誰もお前の趣向なんか聞いてねえですよ!?」


 しかも何だその間は。完全にガチなヤツじゃないか今の。


 そんな与太話……与太話? 人間関係に割とシャレにならないサイズのヒビが入る類の与太話をしている間に、髪の手入れが終わった。

 ドライヤーのスイッチを切り、諸々の器具を片付ける。粗方片付けたところで、クロハと対面のソファに座り込んだ。


「さ、そろそろ茶番は終いだ。ちょっとだけ真面目な話をしたいんだけど、いいかな」

「……ええ、そうね。構わないわ」


 途端、クロハの顔からそれまでの生き生きした表情が鳴りを潜めた。やはりというか何というか、相当に引きずっているらしい。

 自分のしたことの重さを受け止めながら、僕は口を開く。


「まず最初に、クロハ、お前には言っておかなきゃならないことがある。ちゃんと聞いて、そして忘れないで欲しい」

「……? なに……かしら」

「お前が謝ることなんて何一つないってことさ。今までにあったどんなことにも、これから起こるであろうどんなことにも、全部ね」

「…………なにを、言っているの?」


 その問いは、僕の言葉を正しく理解した上で発せられたものだった。

 つまりクロハは、僕に無理を言ったこと、迷惑をかけたこと、逃げ出したこと、錯乱している間殴り続けていたこと、ゲロをぶっかけたこと――そして彼女の生い立ちと過去について。

 その全てについて、『お前は何も悪くない』と僕が言ったことを正しく理解した。


 ――その上で、心底意味が分からないと答えたのだ。


「どうして……どうしてそんなことが言えるの? ハルカ、あなたは知っているでしょう? 私が何のために生まれて、何を食べて生きてきたか。それだけでもどうしようもなく罪深いのに、昨日の私はそこから救い出してくれたあなたに反抗して、暴力まで振るったのよ?」

「…………」

「ハルカは本当に、本気で……そんな私に罪がないと、そう言うつもりかしら」

「だとしたら?」

ふざけないで(・・・・・・)――と、そう答えましょう」


 決して強くはない、弱々しい……しかし芯の通った声でクロハは言う。

 ――そこだけは絶対に譲れない。そんな彼女の言外の意思が、否応無しに伝わってくる。


「……そうだね。だったら大人しくその言葉を受け止めておくとしよう」

「ハルカ……」

「何度でも言うよ。お前が謝らなきゃならないことなんてこの世界のどこにもない。あるのは反省すべきこと、そして認めるべきことだけだ」

「……やめて。お願い」

「そう、それが反省すべきことだ。お願いすれば何でも聞いて貰えるのは幸せな人間だけだもの。そうしていても生きることを許して貰える、他人の幸福を吸ってぶくぶく太り肥えたクソ人間だけだもの」


 ――違うだろう、クロハ。

 お前は、そうじゃないだろう。


「三年前、お前は僕と一緒にいることを選んでくれた。その選択を変える気は?」

「ないわ。それだけはあり得ない」

「ありがとう。でもね、だったら賢くならなきゃ。愛とか情とかいうあやふやなもの頼りの“お願い”じゃなくて、利と得に拠って立つ“依頼”を選ばなきゃ。じゃなきゃ僕みたいなクズは決して動かない。…………って何で謝りに来たはずなのに説教してんのさ。もちっと考えて喋れよなぁ……」


 ガリガリと頭を掻き毟る。そういえば妹にも注意されたっけな。兄さんはノリと勢いで突っ走るからついていくのが大変だーって。


「ごめんね、話を戻そう。僕はお前が謝ることなんて何もないって言ったけどさ、そもそもお前が僕を殴ったのも、それほどに錯乱したのも全部僕のせいなんだよ。お前の身を勝手にチップにした僕の責任、要は自業自得なんだ」

「……ごめんなさい。言ってる意味が分からないわ」

「はは、自分のアレな所業を話すのって結構効くんだけどなぁ……」


 笑って、僕は汐霧に話したのとほとんど同じ内容を話す。

 また取り乱すかと内心身構えながらの説明だったが、意外なことにクロハは最後まで落ち着いていた。


「……そう。ええ、話は大体理解したわ」

「なら良かった……けど、随分落ち着いてるね? こちとらいつまた暴れるかってドキドキだったのに」

「……? 暴れるも何も、その要素がないもの。だって今の話、要するにハルカが私を交渉のダシにした、そのための行動を取った――ということでしょう?」

「簡単にまとめるなら、それで間違いはないよ」

「なら私が怒ったり悲んだりすることは微塵もないわ。だって私はハルカの道具だもの。――主人に必要とされて、主人の思うように使われる。それが一番の幸せなのだもの」


 恐らく本心からの言葉なのだろう、クロハは淀みなくそんなことをのたまう。


「……は、だったら何でさっきまでダウンしてたんだよ。お前の心は確かにヤワだけど、幾ら何でも追いかけられた恐怖くらいでああはならないだろうが」

「それはもう言ったはずよ。主人に逆らって、あまつさえ暴力を振るった。そのことへの自己嫌悪、捨てられるかもしれないという恐怖。……顔が熱くなるわね。ただ、自分で自分を壊しかけていただけなのだから」

「……だから僕は悪くない、と?」

「ええ、その通り。私の命はとうの昔にハルカに捧げたもの。どんな使われ方をされようと恨むことなんてあり得ないわ。もし思うところがあるとすれば……そうね、そのことをハルカが信じてくれていなかったことくらいかしら?」

「やめてくれよ。誰かを信じることなんか僕に求めるな」

「あら、これはうっかり。申し訳ございませんわね、ご主人様」


 おどけて頭を下げるクロハ。僕は笑おうとして、笑えない。

 ――予想以上だった。まさかここまで、これほどまでに自身が道具であることを受け入れられている、なんて。


「……それはそれで、嬉しいことなんだけどね」


 正直、僕はクロハが人間だろうが道具だろうがどうでもいい。僕の求める役割を十全に果たしてくれるなら何だっていいのだ。

 だが……いや、だからこそクロハをこのままにしてはおけない。その役割に必要なのは何があっても壊れないことで、今のコイツにそれを期待するのは博打が過ぎる。


 だって、コイツは、クロハは――


「お前はまだ、人間だから」

「……信じてとは言わないわ。でも本心よ。本心なの。ハルカのためならどんなことだって出来るし、やってみせるわ」

「ああ、違う違う。そういう話じゃなくてさ。だってそうだろ? 昨日公園で赤髪の殺人鬼について話したとき、お前は自分の願いを口にしたじゃないか」

「……!」


 万感を排して使役される道具として、それはあまりに似合わない。

 そのことを伝えるとクロハは口ごもった。それが何故かは簡単に分かる。口先だけでも嘘とは言えない――それほどに大切な願いだからだ。


「道具という生き方と個人の願いは決して両立し得ない。きっとどこかで致命的な破綻をきたす。昨日のお前みたいにね」

「……選べと言うの? あの人とあなた、どちらか一つを」

「はは、言いたいけど出来ないでしょ? 無理を押し付けるつもりはないよ」


 クロハのことは長い間見てきたが、あのようなワガママなど一緒に暮らすようになってから見たことがない。

 さっきの言動から彼女が道具として完成しつつあるのは疑いようがない、にも関わらずあそこまで強い“願い”を抱いているということは――あの女の子がコイツにとってそれだけ大きな存在ということだろう。


「あの赤髪の女の子の存在はお前の中で(くさび)となっている。何があったかは知らないけど……それを清算しないことには何も始められない。僕はそう考える」

「…………そう、なのかしら」

「はは、さぁ? 僕がそう思っただけだから、否定したいならどうぞお好きに」

「いじわるね……相変わらず」

「男の子だからね。好きな娘には意地悪したくなっちゃうんだ」


 へらへらと笑って言うと、クロハもクスリと笑みをこぼした。

 そして、訥々と話し始める。


「……いいえ、きっとそうでしょうね。一番辛かった時期に助けてくれたのが彼女だったから。蔑ろになんて絶対に出来ない」

「その気持ちが変わることは?」

「多分、ないわ」

「決まりだね」


 多分と言いながら断言するあたり、これはほとんど確定事項だろう。

 面倒極まりない……が、方針が一本に固まった。そもそもこうして話しているのはクロハに謝罪するため。それを考えれば全くもって悪くない答えだ。


「昨日の話を丸ごと撤回しよう。お前が前に進めるよう、あの赤髪の女の子を救ってみせる。僕の名に……じゃ塵ほどの価値もないから、妹の名にかけて約束しよう。それでいいかな?」

「私としては願ってもない話だけど……その、いいの? 昨日はあんなにもはっきり拒否してたのに……」

「あれは僕に利のない“お願い”だったからね。今回のは僕にもちゃんとメリットがある……とまぁ、現実的な理由はこんな感じ」


 それを抜けた先に人か道具、どちらかとして完成するクロハがいる。

 ならばそのために払う労力は、至って妹を救うために必要なものに他ならない。


「そう。じゃあ、そうじゃない理由は?」

「……おまけ程度だけどね。僕にだって人並みの感性くらいあるんだ。妹の救済から逸れ過ぎない限り、好きな娘の頼みは出来るだけ聞いてやりたいんだよ」


 それは僕の中では最も優先度の低い、しかしどうやっても捨て去ることの出来ないロジック。

 そう思ってしまい、なおかつそれを口に出してしまう自分を、僕は心の底から恥ずかしく思う。


 案の定、クロハの目は細められ、その視線は湿度過多なものへと変わり果てていた。


「……ずるいわ。ハルカはずるい。散々あんなこと言って、最後にそんなことを言うのだもの。ひどい人ね。ええ、本当にひどい人」

「人って点以外なら自覚はあるよ。好きなように罵ってくれて構わない」

「それ、あなたが喜ぶだけじゃない。本当にもう……」


 どうやら僕の趣味趣向はしっかり把握してされているらしい。クロハは深々と溜息を吐いた。


「……それも全て、あなたの言う『役割』のためなの?」

「そうだよ。そのためにお前には強くなって貰わなきゃならない。分かってくれるよね」

「…………ええ。認めたくないし、そんな未来を想像するだけで死にたくなるけれど」

「でも間違いなく確定事項だ。備えを怠るわけにはいかない」

「………………そうかもしれない、けど」


 いやいや、渋々というのがよく分かる渋面を作るクロハ。

 僕だって出来ることなら考えたくない未来だが、したくないやりたくないで何かが変わる世界なら、僕はそもそも妹を喪っていない。


「忘れるなよ。曲がりなりにも僕がお前を守ってきたのは全部そのためだ。お前に優しくするのも、望みを叶えるのも、結局は全部それに尽きる」

「……言ったでしょう。私の命はハルカに捧げた。どんな命令でも聞くわ。――例えそれが、あなたの死んだ後に意味を成すものでも」


 こちらを睨みつけながらのクロハの言葉に、僕は薄い笑みを浮かべる。

 一応、確認をしておくか。


僕は近い将来(・・・・・・)間違いなく死ぬ(・・・・・・・)。――お前の役割は?」

あなたの後継者(・・・・・・・)。ハルカの後を継いで、あなたの妹を救うこと」


 満点だ、と僕はへらへらと笑った。

 クロハは何も言わず、ただこれまでで一番悲しげな表情を浮かべていた――。

ようやく面倒な部分が終わりました…!

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