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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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少年は性犯罪者ではなかったのだ



 ……クロハの部屋。

 僕の部屋と大きさは同じで、家具や内装は全く違う。ゲームやぬいぐるみのような年相応のものと武装や仕事用のパソコンといった年不相応のものが混在している――まるでクロハという存在を写し取ったような場所。


「入るよ」

「…………」


 返ってくる言葉は、ない。

 溜息を吐いて部屋に入ると、クロハは部屋の隅に蹲っていた。他には汐霧が作ったのだろう、机の上に料理のプレートが置かれているのが見える。


 どうやら一切手を付けていないらしい。食品サンプルのようなカレーライスと、コップの中のなみなみとした水が、誰も望まない自己主張に身を委ねていた。


「あれ、カレー残すなんて珍しいじゃない。確かお前の大好物だっただろ?」

「…………」

「しかもこれレトルトじゃなくて汐霧お手製のヤツじゃないのさ。可愛い女の子の料理を残すなんて駄目だよ? 今じゃまだ分からないかもだけどそのうち絶対そのありがたみが分かるからね。僕が保証する」

「…………」

「汐霧……そう、汐霧にちょっとアイツに怒られちゃってさぁ。クロハちゃんと話し合ってくださいーってボコボコに殴られてね。いやもう本当痛いのなんのって。お腹とか青アザだらけで……あ、脱ぐ? 脱いじゃう? 儚廻さん実は脱ぐとパないのよ?」

「…………」

「にしてもやっぱり勿体無いなぁ……食べないなら僕貰ってもいい? や、僕も晩飯食いっぱぐれちゃってさ。肉体的にはいらないんだけど精神的にキツくてねぇ。不便な体だよ全く」

「…………」

「そんなわけでいっただきまーす。………………あ、ゴメン吐く。―――ッッッ!」

「…………」

「……お、おー、おー、あー……あ、危うく床に垂れ流すところだったぁ……」

「…………」

「ん、ああ、ちゃんと服の中に出したからね。部屋は全然汚れてないから安心して……ってくっさ!? くっせえ!! ゲロみてえな臭いがプンプンしやがるぜェ!!?」

「…………ぅ、ぇ」


 鼻を刺す酸性色の臭いに、流石のクロハも無視出来なかったらしい。ピクリと小さく震え、ゆっくりと顔を上げた。

 体を張った作戦が功を奏したことを察して、僕はへらへら笑ってひらひら手を振る。


「や、おはようクロハ。起きた?」

「―――――……」

「いやぁゲロって偉大だよね。攻撃性癖強力目覚ましと何でもござれだ。世界救えるんじゃないかなコレ」

「―――……」

「ん? あ、ごめんね臭くて。でも大丈夫、そのうちこのサワーなスメルでスイートなエクスタシーにボディがウェットするよう自然になるからさ。うん、僕が保証しよう」

「…………ハル、カ?」

「おうともさ」


 ぐっと親指をグッドに立てる。……ぐっと、グッドに。…………ぐっと、グッドに。

 ……これ、世界獲れたな。世が世ならレッドカーペットだ。


 などとくだらないことを考えている間にクロハもすっかり覚醒したらしい。焦点を結んでいなかった赤目が大きく見開かれ、僕の姿を網膜に刻みつける。

 そして元から血の気の薄かった肌が更に白くなり、次第に青くなって――


「…………うぷっ」

「へ?」





 儚廻家、浴室。

 浴槽が普通のものより少しだけ大きいだけの、とっても一般的な浴室。


 おかしなところがあるとすれば、それは今から入る存在とその理由くらいだろうか。

 片や吐き気を催すクズ野郎、片や茫然自失の体の小さな女の子。

 片や内外問わずゲロ塗れになったせいであり、片やそんなクズ野郎に『どうせだから』と連れ込まれたせいである。


 ……うん。これは、アレかな。


「事案ってヤツじゃないかな……」

「…………」

「……うん、まあ、いいんだけどさ」


 どうせ誰にも見られていないし、一応は合意の上だし。

 ……言えば言うほどアウトな気がしてきた。さっき体を流したばかりというのに冷や汗が止まらない。


 一体何をやっているんだか、僕は……。

 溜息を吐いて浴槽に身を沈める。少し前に汐霧に時間がないと言ったばかりで、本当に何をやっているんだか。


「ねぇ、クロハ」

「……………………」

「はは、無視かーい」


 最も、ずっと小さな声で『ごめんなさい』と繰り返している彼女からマトモな返答があるとは思っていないが。

 服を脱がす間も、体を洗う間も、浴槽に放り込んでからでさえずっと謝罪を繰り返しているクロハ。


 光の消えた目で呟き続けるその姿にはなかなかにそそるものがある、が……うん、そこまで踏み外してはいないようだ、僕も。


 しかしどうしたものか。幾ら何でも風呂場で吐瀉するわけにはいかないし、そもそも今日は吐き過ぎたせいで胃液すら出るか怪しい。

 とはいえこのまま放っておいてどうにかなるとも思えない。本当、どうしたものか……。


 と、悩む家主をいい加減哀れんだのか、それともクロハに同情したのか。

 浴室の天井から水滴が一粒、クロハの額へとまっすぐに落ちた。


 冷えた水滴の感触に、クロハの体が小さく震える。


「……ぅ。……ハル、カ? ここは……」

「お風呂場だよお姫様。はは、いい加減寝飽きた?」

「…………ぁ、……え? なんで、お風呂……」

「一人で入るより二人で入った方が効率的だし、何より楽しいだろ? あ、勘違いしないでくれよ。別に僕がお前を無理矢理連れ込んだわけじゃ……ないこともない……けどそれには理由があって……その理由を作ったのも僕だけど……」


 今風呂に入っている主な理由は、クロハが正面から僕にゲロをぶっかけたから。

 では何故クロハがゲロったかといえば、それはまず間違いなく僕のゲロに釣られたからだろう。


 貰いゲロなんてのはよくある話だし、そもそもクロハの体調は病は気からの理論で絶不調も絶不調。

 そんな状態で新鮮な胃酸の臭いを嗅いだら……まぁ、十中八九こうなる。


「と、とにかくね、別にお前の裸を見たいからとかお前の体を洗いたいからとかそういう理由で連れ込んだんじゃなくて。適切オブ適切な措置で連れ込んだっていうかなんていうか――」

「……………………いや」


 零すよう呟かれた言葉に、言い訳を紡ぐ口を縫い止める。

 見守っていると、クロハは少しの間遠くを見るような目をして――


 そして、暴走した。


「いや……いや、いや、いや! 違うの、違うの違うの違う違う違う!! 私じゃない、あれは私のせいじゃない!! 私は悪くないの! 何も、何も悪くない! いや、だめ、お願いだから信じて……!!」

「おい、クロハ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! ハルカを殴るつもりなんてなかったの! ……違う、私は殴ってなんかない! 全部アイツらがやったのよ!! だって、だってそうでしょう!? 私はハルカの道具、道具が主人に逆らうわけない!! 逆らえるわけないもの! 逆らえないのだから逆らってなんかない!!」

「……クロハ」

「いや、やめて、ごめんなさい、お願い……! 捨てないで、何でもするわ、するから! 道具でいいから、何もいらないから!!」

「……クロハ」

「捨て、捨てられたら、死にたくなる(・・・・・・)! 死ねないのに、どうしようもないのに、どうしようもなく死にたくなるの!! あんなに辛いのはもう嫌……せっかく救ってもらえたのに、そんなのは、嫌なの……!」

「…………」

「たすけて――たすけてたすけてたすけてたすけてたすけて!! 誰か、誰でもい、違うよくない! 私をたすけて、ハルカ! あのときみたいに、わたしを―――!」

「うん、もうストップだクロハ」


 恐慌するクロハの頭を掴み、精神汚染の禍力流し込む。

 対象の精神を狂わせるというこの力だが、面白いことに狂っている人間に使うと精神を安定させる作用があるのだ。


 ……本当は精神汚染の『操作』による【染脳】で心を犯してしまうのが理想なのだが、アレは心の弱い人間に使うと精神崩壊を引き起こしてしまう。クロハはもちろん、汐霧にだって怖くて使えない。

 そんなものを咲良崎に使ったのは、彼女の心が弱くはなかったから……そして何より、もし壊れても僕が困ることのない人間だったから。


 ……なんという傲慢極まる考えなんだか。はは、反吐が出るね。


 回る思考と裏腹に、体は錯乱した人間に対する処置の基本を淀みなく施していく。

 目を覆い、背をさすり、呼吸を促し、禍力を注ぐ。それを数分間、肩の上下が小さくなるまで続けて……


 ……よし、そろそろ充分か。


「どうかな、クロハ。落ち着いた?」

「…………えぇ、ごめんなさい。苦労をかけたみたい、ね……」

「ん、それでいい。安心したよ」


 口調がいつも通りのカッコつけたお嬢様チックなものに戻ったことに、密かに胸を撫で下ろす。

 うん、良かった。染脳や破壊装に頼るような事態にならなくて、本当に。


「何があったか、覚えてる?」

「ええ、余さず覚えているわ。……ハルカを突き飛ばして逃げ出したことも、その途中で追いかけられたことも、それで怖くて、訳がわからなくなって、ハルカを殴ってしまったことも…………そ、それと、げ……を吐きかけてしまったこと、も……」


 かぁ、と真っ青だった顔色が普通程度に持ち直す。ゲロ、という言葉を口に出すのが恥ずかしかったらしい。

 まぁ、一応は女の子だしそりゃそうだ。僕だって同じ年齢の頃はおっぱいという単語を恥ずかしがっていた……ような。どうだったっけ?


 とりあえず閑話休題、と。


「うん、それで大体満点だ。けどちょっと抜けがあるから、その辺りも含めてちゃんと話を……っと、そろそろ上がろっか。逆上せちゃうし、何より結構大事な話になるんだ。お互い全裸じゃ締まらないものね」

「そうね。全裸じゃ………………えと、全裸? ……―――――なっ!?!?」


 ……まさか、今の今まで気付いてなかったのか?


「全部覚えてるんじゃないのかよ……」

「し、知らないわ知りたくないわ知るわけないでしょう!? へ、部屋で、気づいたらハルカがいて、その、それで……は、吐いてしまったのまでは、覚えているけど……」

「そのショックで意識が飛んでた、と。はぁ……」


 すっかり瞬間湯沸かし器と化しているクロハを冷めた目で見る。

 今更、裸程度で照れる間柄でもないだろうに。こちとらお前の大腸の中身まで散々に見せつけられているんだ。

 そうでなくとも【ムラクモ】ではずっと世話係だったのだし、本当にどうして今更……ああ。


「なるほど思春期……」

「……は?」

「何でもないよ。それじゃ頑張れお年頃。僕は先出てるから出来るだけ早くね」

「は、はい……じゃなくて、え、ええ。善処するわ……」


 未だ興奮冷めやらぬクロハを置いて立ち上がり、浴室の扉を開ける。

 そしてそのまま部屋を出て、扉を閉めようとすると……その寸前でふと「……あら?」という言葉が耳に届いた。


「……待って、待ちなさい。私が湯船に浸かっていたってことは……体は洗ってあったわけで……まさか……ハルカ、あなたまさか――!?」


 最後まで聞かず、叩きつけるように扉を閉めた。

 ――思春期って面倒くさい。今度先生たちのお墓参りをするときは、ちょっと高めのお菓子を用意しよう。


 僕はそう思った。

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