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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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クズと少女とパンチと鼻血



「何をしたんですか」


 銃弾のような鋭さを持った声が、頭一つ分ほど真下から突き刺さる。

 その問いに答えるには、今も首を握り潰しかねない勢いで力を込めている手を離す必要がある――そんなことにも気が回っていないのが、汐霧の表情からは簡単に読み取れた。


 現在位置、我が家の玄関。時刻は夜中の三時半。遊びに遊んで帰ってくるなり、待ち構えていた汐霧から首への熱烈な抱擁を頂いた。

 激情を宿した視線を正面から受け止め、僕はへらへらと笑う。


「はは……どう、したの? 珍しく、マジギレじゃないか。ああ、はは、そんなに僕が朝帰りしたのが気に食わなかった? 大丈夫だよ、僕は妹一筋」

「――ふざけるなッ!!」


 怒声。絶叫。怒りと憎悪の塊。

 いつもの優しげだったり、不満げだったり、楽しげだったりという可愛らしさは鳴りを潜め、彼女の僕を見る目は今や完全に敵を見るそれそのものだ。


 まぁ、それも理解出来る。僕がやったことはそういう類のことだ。もし僕が逆の立場だったら……だったら、どうしただろう。この娘のように叫べたのだろうか。ねぇ、僕?

 そう考えれば考えるほど、へらへら、へらへらと。体の奥底から笑みが浮かんで、顔面を侵していく。


「っ、何を、何で!! 何であんなことをして、そうやって笑えるんですか!?」

「そりゃ、僕がそういう奴だから、かな。はは……ああ、ちょっと苦しいから、そろそろ首を離してくれる? 首が千切れても死なないかどうかは、まだ試したことがないんだ」


 笑いながら告げると、突き飛ばすようにして僕の首から手が離れる。

 背中を玄関の扉へと強かに打ちつけながら、僕はお礼を言おうと顔を上げて――飛んできた拳に頬を打ち抜かれた。


「ぶッ……!!」

「……ふざけるな、と、私はそう言いました」


 少し前とは打って変わって、底冷えのする恐ろしく静かな声。

 言葉をかけようと顔を戻して、今度は逆の頬を打ち抜かれる。


 ぷっと吹き出した鼻血が、白を基調とした玄関の壁を赤く汚した。


「あんなことをして、ここまで言って……それなのに何故、まだふざけようと、誤魔化そうとするんですか」

「……は、はは、それはね」


 今度は鼻面を真正面から殴り飛ばされた。鼻がかっと熱くなり、血がボタボタと、濁流のように落ちていく。


「づっ……く、は、はは。酷いな、話くらい聞いてくれてもいいじゃない。『あんなことをして』……それが実際にはどんなことだったのか、汐霧は知らないだろ?」

「ええ、知りません。知りたいとも思いません。……小さな女の子の精神(こころ)を折るような事情や行為なんて聞きたくもないです」


 ぐうの音も出ない正論に、僕はやっぱりへらへらと笑う。

 ――あの後、クロハは何とか正気を取り戻した。そしてその次の瞬間、彼女は気絶したのだ。


 考えられる要因としては極度の緊張状態による精神的疲労、またそこに僕という寄生主が現れたことち対する多大な安堵と開放感、そして――錯乱していた自分が誰を殴っていたか、それを理解したことなどだろう。

 ……後ろ二つは自画自賛そのものな内容なので、人に話したりなどは絶対にしたくないが。


 ともあれ気を失ったクロハを自宅まで運び、彼女の寝室に突っ込んだ。汐霧はまだ帰ってきてなかったのでクロハを頼む旨の書き置きを残して再び市街へ。

 そうしてやるべきこととやりたいことを一通り済ませ、朝帰り――したところで汐霧に見つかった、というのがここまでの大まかな流れである。


「……だから、私は軽蔑します。それらが例えどんなものだろうと、どうせ最低極まりないものに違いないですから」

「はは、意外と鋭、ぶっ! ……は、はは、でも流石に手は出してないから安心していいよ。普通の暴力もそうじゃない暴力(・・・・・・・・)も、ね――がぁっ!!」


 メギリ、と僕の頭蓋骨と、それがピンボールのようにブチ当たった扉が僅かに歪んだ。

 ……はは、一応コレ、(アウター)の基地に使われている特殊合金と同じ素材で出来ているのに。全く、どんな力で殴ってるんだか。


 その昔『臭いから』という理由で大型洗濯機に放り込まれ、36時間回され続けた時とよく似た嘔吐感を催す頭に喝を入れ、立ち上がる。

 そのおかげで既に放たれていた剛拳は頬ではなく、腹の真ん中に突き刺さった。


「……!」

「っぇ゛、ごぽ、べぁ……は、はは、今のでない、内臓割れた……ったく、どんなパンチしてんだか。ゴリラかっての」

「……血、服に垂れてるんですけど」

「悪いけど自業自得だ……と、はい。捕まえた」


 笑い、今も右胸にめり込んでいる細腕に手を添える。ビタビタと口の端から溢れた血液が降り注いでいるが、まぁ仕方ない。


「離してください」

「ごめんね、却下だ。だってお前、ここで離したらまた殴るだろ?」

「当たり前です。あなたが自分のしたことの大きさを自覚するまで、私はあなたを殴りますから」

「だったら僕は殴られてやらない。時間の無駄だからね。殴打も痛みも僕は大好きだけど、時間の浪費だけは大嫌いなんだ」


 それはつまり、その分だけ妹の救済の時間をロスするということだから。

 千の糾弾も万の暴力も耐えられるが、それだけはどうしたって耐えられない。


「……だから何ですか。あなたの都合なんて知りません。私は私の為すべきことを為すだけです」

「その為すべきことっていうのはただ延々とサンドバッグを叩くだけのストレス発散でいいのかな? だとしたら大層お暇なようで何よりだ。羨ましいよ」

「……まさか、私にクロハちゃんを慰めろなんて言いませんよね」


 会話を先回りした汐霧の言葉。それはどこか、僕が否定することを期待しているように聞こえた。

 ……だとしたら、やっぱり現実は非情だ。死んだ神様には黙祷を捧げておこう。


「あは、ご明察。正確には慰めるだけじゃなく立ち直らせて、ついでに護衛もしてあげて欲しい」

「それ……本気で言ってますか」

「本気も本気さ。お前にならクロハを任せられるし、クロハもお前に懐いている。実力だって申し分ないから護衛にも適任だ。ほら、合理的だろ?」

「……。なら、もう一度言わせてください。――ふざけるな」


 声の温度が、更に落ちた。

 本気で怒っている――さっきまでもそうだったが今とは比べるべくもない。下手な殺気をも上回るほどの怒気が、真っ直ぐに僕へと向けられる。


「クロハちゃんには遥しかいないんです。頭のいい遥なら気付いていますよね。あの娘は昔の私と同じで。自分を守ってくれる人に依らなければ立てないってことくらい」

「……僕が頭がいいかどうかは置いておくとして、アイツとは長い付き合いだ。それくらいはね」


 汐霧の言葉の通り、クロハは今日までずっと僕に依存して生きてきた。それは僕がいなければ一人で外に出ることも出来ず、僕の道具を自称するようになるくらい、救いようのないほどに。

 咲良崎の話を思えば汐霧も似たようなものだったのだろう。心の根元の部分でそれを感じ取ったからクロハは彼女に懐いた。人間恐怖症のアイツにしては考えられないほどの短期間で仲良くなれた。


「それが分かっているなら――どうしてクロハちゃんを放っておけるんですか!? 私は遥がクロハちゃんを大切にしていると、そう思っていました! そう思えるだけあなたはクロハちゃんに優しかったんです!」

「…………」

「それは、嘘だったんですか!? 今までの日々は――私が好きな二人は、全部嘘だったんですか!?」

「それは……」


 流石に、言葉に詰まった。

 それは単に汐霧の剣幕に圧されたからでもあるし、彼女の言葉が何の根拠もないただの願望で、そのくせそう望んでしまいそうになるような尊いものだったからでもある。

 しかし何より、汐霧がこんなに取り乱すほどに今の生活を気に入ってくれていた――そのことが、伝わってきたから。


 それが、一番の理由だった。

 だから、僕は――


「……そう、だよ。嘘だ。ああ、嘘だったさ。お前の見てきたものは全部お前の願望だ。『そうだったらいいな』なんてくだらない色眼鏡越しのまやかしに過ぎない。そんなものに僕を巻き込むなよ」

「……っ」

「僕がアイツを大切にしていた? ハッ、それは全部、アイツが僕にとって必要な道具だったからだ。そうじゃなければとうの昔に捨てていたよ。道具(あんなの)でも一人の人間だ。維持費は決して安くない。何のメリットもないのに養い続けるなんてすると思うか?」

「そんな言い方……!」

「言い方が悪いのは認めるよ。でも事実だ」


 正直に、正直に心の暗い部分をブチ撒けていく。普通なら愛とか情とかが包み隠している、触れた者全てを不幸にする現実を曝け出していく。

 ――こういう時に僕が言えるのはいつだって、最初から最後まで明確な一つの事実のみ。

 それが、嘘が下手らしい僕に出来るたった一つの誠意の見せ方だ。


「お前の言うことは最もだよ。アイツに一番慕われているのは僕で、アイツの心を折ったのも僕だ。本当なら僕が責任を持ってケアをしなきゃならない。……そう出来たらどんなにいいか」


 口をついて出た言葉を上下の歯で切って落とす。感傷は不要で無用、足を縛る鎖に他ならない。

 そんなものは、邪魔だ。


「……。でも、今そんなことにかけられる時間はない。なにせタイムリミットはたったの一週間だ。今こうして話をしている時間だって惜しいくらいさ」

「一週間……何の話ですか……?

「……そうだね。もうこうなっちゃったし、話した方が早いかな」


 決心して、話した。僕がクロハをダシにして藍染と交渉をしたこと。その際の内容と状況、そこから考えられる可能性。それら全て、包み隠さず。

 全て話し終えた時、汐霧はやはり僕のことを睨んでいた。


「その話が本当なら、今は猫の手も借りたい状況なはずですよね」

「まあね。本当なら今すぐにでも動きたいくらいだ」

「……なら、何故私に何も言わないんですか。確かに私は遥や師に比べると弱いです。でも、少なくともいないよりはマシなはずです」

「言っただろう。藍染が契約を破る可能性は充分にある。その備えとして――」

「それなら不要です。師は絶対に契約を守りますから。それだけは断言出来ます」


 僕よりも藍染を知っているコイツがそこまで言うなら、きっとそれは事実なのだろう。

 だが、だとしても。


「……だとしても、やっぱりクロハを一人にしてはおけない。今のアイツにはケアと拠り所が必要だ。そうじゃなきゃ壊れてしまう」

「なんだ、やっぱりクロハちゃんが大切なんじゃないですか」

「話聞いてた? アイツは僕にとって大事な道具で、今壊れられたら困るんだよ」

「そういうことにしておきましょう。それに、だとしてもその仕事は私のものじゃありません。それはやっぱりあなたの仕事です、遥」

「重ねて言うよ。話聞いてた? そんな暇がないからこうやって」

「それは全てを一人でやろうとした場合です。私も言いますね。話を聞いていたんですか? って」


 その、微笑みながらのささやかな意趣返しに、一瞬言葉に詰まる。

 その間に汐霧は僕の腹から拳を離して、代わりに少し背伸びをして、両手で頬を包んだ。

 柔らかな手のひらの感触に、熱く冷め切っていた心が常温に戻っていくのを感じる――。


「私が手伝います。調査でも、諜報でも、使いっ走りでも構いません。代わりに出来ることならどんなことでも十全にやり遂げますし、一緒に出来ることなら二倍以上の成果を出します……だから」

「…………」

「だから、お願いです。クロハちゃんと話してあげてください。私なんかに任せないで、きちんと自分の言葉で慰めてあげてください。……クロハちゃんを救えるのはきっと、いつだって――遥一人だけなんですから」

「………………はは、そっか」


 言われたことを合理的に、合理的に思考する。

 汐霧の言うことは正しい、のかもしれない。一人でやるより二人でやった方が効率的で、その二人目が汐霧憂姫というとても優秀な女の子なのだから、それが今為せる最善手なのかもしれない。


 対して、僕は何だ? 汐霧を遠ざけようとしたのは何より汐霧に危険が及ぶのを恐れたためだ。最上級の才覚を持つ彼女という道具が、間違っても壊れないようにするためだ。

 ……認めよう。認めるしかない。僕は『汐霧憂姫』の損壊を恐れるあまり、その使い所を誤っていたことを。


 そう思うと、少しだけ笑えてきて、笑ってしまった。


「……僕の指示には、例えそれが明らかに人道に反するものだとしても従うこと」

「はい」

「あらゆる戦闘行為を避けること。もし突発的な襲撃に遭ったら第一に逃走、次いで僕への連絡を優先すること」

「はい」

「決して、決して命を賭けないこと。命は懸けるもので賭けるものじゃない。全力を尽くしても死力は尽くさないこと」

「はい」

「……。さっきはああ言ってたけど、クロハとは暇を見て遊んでやること。せっかく仲良くなれたんだから、その縁を蔑ろにしないこと」

「はい」

「あと、今度の定期テストで赤点取っても僕を恨まないこと。テスト前の授業を一週間もサボるんだから、諦めて補習を食らうこと。以上五点、守れる?」

「はい」

「だったら……」


 そう、軽やかに答えていく彼女に、心からの苦笑を向けて。

 僕は、言った。


「頼むよ。僕を手伝ってくれ」

「……はいっ」

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