夕方、少女は泣いてクズは笑って
◇
咲良崎との面会を終え、少し遅めの昼食に適当なファミレスに入る。
一足先に食べ終えて携帯を弄って暇を潰していると、ふとクロハが心なし不機嫌そうにこちらを睨んでいることに気付いた。
「どしたの。ハンバーグ美味しくなかった?」
「別に……」
そう言ってフォークを口に運ぶクロハだが、その顔はちっとも何でもなくない。どうした?
疑問に思いながら携帯に目を戻す。チャットアプリに入っている通知は二件のみで、相手は藤城と汐霧だ。友達少ないのがバレちゃうね。
藤城の方の内容は……『今日どうした?』。簡潔に『へっどえいく』と返信する。昔から思っていたがアイツ結構マメなんだよな。見かけに反して。
「んで、もう一件は……おおう」
『学校サボって食べるご飯はおいしいですか?』という皮肉に塗れた文章。朝に無理矢理追い出したのが相当腹に据えかねたらしく、機嫌の悪さが窺える。
謝罪がてら『独りで食べるご飯の味には負けるよ! 汐霧が羨ましいな!』と返しておく。うん、帰った後が楽しみだ。
「む……」
「あん? なした」
「……なんでもないわっ」
頬を膨らませたかと思えば、ぷいと顔を背けてしまう。
こうもあからさまにかまちょされては流石に無視出来ない。面倒くささを押し殺し、溜息を吐いてクロハに向き直る。
「なんなのさっきから。僕が何かした?」
「何も。……ええ、本当に何も。私には何もしてくれていないわね」
「ヘイ、日本語喋ろうぜクソガキ」
「……別に。ただ、随分と楽しそうだと思っただけよ。さっきまでずっと、ずーっとつまらなそうだったくせして」
「そりゃガキじゃないんだからファミレスの食事をいちいち楽しんだりなんてしないよ……」
呆れ声を出すが、そういうことではないらしくクロハは膨れ面のままだ。
「……ふぅん。そう、そういうことを言うのね。なら教えて欲しいのだけど、大人はクソくだらない内容の返信をいちいち楽しんだりするのかしら?」
「あのねクロハ、お前も一応は女の子なんだからあんまりクソとか汚い言葉は……」
「ハルカにそれを言う資格があると思って?」
「……まあ、教育に悪い自覚はあるよ。それとその『クソくだらない内容の返信』とかは相手によるんじゃない? 相手が妹とか友達とかなら楽しいだろうし、逆にどうでもいい相手なら普通につまらないんじゃないかな。子どもとか大人とか関係なくね」
自分が大人とは思わないが、大切な相手とのコミュニケーションというのは年代問わずの娯楽だと思う。
そんな一般論を述べると、いよいよクロハの頬は風船のように膨れ上がった。
そして勢い良くテーブルから身を乗り出し――何をトチ狂ったか、ハンマーパンチを振り下ろしてきた!
「……ッ!!」
「あぶっ、ちょ、急にどうした!? というか周りの視線が痛いから少し勘弁……!?」
「……うぅぅぅ! うぅー!」
「いたっ、コラ暴れ、もっ、ばぶるッ!?」
「うぅぅぅぅう!」
「待っ、い゛、ご!? ダボスッ?!」
「うぅゥウオリャアァ!」
「オッ!! オ゛ッ……!?」
強制的に下げられた後頭部に何十コンボもの拳が叩き込まれる。
これがただの幼女であれば微笑ましいで済むのだがクロハが相手ではそうもいかない。事情は省くが、コイツの身体能力はそこらの成人男性の数倍を上回って余りあるのだ。
――そんな力で、しかも飯を食った直後に後頭部を殴打すればどうなるか。
それは考えるまでもない、火を見るより明らかな話。
「オ゛ッ……エ゛エエエエエエ゛エ゛エエエエエエ゛エッ!!!」
「うぅ…………う? ――うぎゃああああああああああ!?!?」
…………。
詳しいことは省くが、出禁になった。
◇
「……あそこ歩いてる連中片っ端からキスしてやりたい」
「その、私が悪かったから落ち着いて……」
そんなわけで当初の倍額以上の金を支払い、近場の公園まで這々の体で辿り着いた。
口の中に残る酸っぱい感覚をどうにかそこらの皆々様にプレゼント出来ないかと考え始めて約五分。未だ建設的な案は思いつかず、実行すると僕がマッハで豚箱に叩き込まれるような案しか浮かんでいない。
顔をしかめつつミネラルウォーターで口の中を流していると、隣に腰掛けるクロハにちょんと袖をつままれた。
……よし、次は鉄拳制裁も辞さんぞ。
「なに、クロハ」
「……その、ごめんなさい。さっきは興奮しすぎたわ……」
「興奮したら殴ってくるとかお前は猿か」
「ほ、本当にごめんなさい……。……でも、さっきのはハルカだって悪いと思うわ!」
沈んでいたかと思えばこちらを指差し立腹する。忙しいやっちゃな。
「へぇ、そのココロは?」
「だって、さっきの言い方だと私はどうでもいい相手って言ってるようなものだもの。酷いわ、失礼よ……」
「……あぁ、あの話ね」
僕がクロハと一緒にいるときはつまらなそうにしている、とかいう話だ。
参ったな。言ってるようなものも何も、そういうつもりで言ったのだが。
「あー……はは、そんなわけないじゃない。僕はちゃんとお前を大切だと思ってるよ」
「……嘘じゃない?」
「僕は嘘がドヘタクソなんでしょ? 自分の感覚信じなよ」
「…………」
未だ疑わしげなのは僕がへらへらと笑っているからか、それとも常日頃の行いか。イコールが成り立つので両方か。
……もっと自分の感覚を信じればいいのに、ねぇ。
「さ、そろそろ移動しよっか。折角のデートなんだし付き合いたての中学生でもないんだ、いつまでも公園にいたって仕方ない。どこか行きたい場所はある?」
「ん……今は特に思いつかないわ」
「あれ、何か調べたいことがあるんじゃなかった?」
「今はどうしようもないから。それに……あの時はほとんど勢いで言っただけで、調べるアテはないの」
考えてみれば万年引きこもりのコイツが外にアテを持っているのもおかしな話か。
「その調べたいことって?」
「……それは」
「あ、言いにくいなら当ててあげようか。連続魔導師殺害事件の犯人の、赤髪の女の子のことでしょ?」
「っ……!?」
紅目を大きく見開き、クロハは驚きの表情を作る。相変わらずポーカーフェイスの出来ない奴だな。
実のところカマをかけただけだったので、当たっていたようで何よりである。
「どうして……分かったの? 私、何も話してないのに」
「金曜日、僕が襲撃されたせいで遅くに帰ってきて、お前が外に出たいって相談してきた日だけど。お前、僕と汐霧の話聞いてただろ?」
遭遇した赤髪の少女。チェーソーを使い、暗殺者ではない。汐霧の予想では何かのカモフラージュに動いている殺人鬼。
その話をしていたとき、コイツはリビングから扉一枚隔てた部屋で聞き耳を立てていた。本人は気配を消していたつもりだっただろうが、クロハ程度が僕の聴覚から逃れられるわけがない。
「その話をした直後に“外に出たい”だ。加えて言えばその少女は両脚を切断しても瞬時に生えてくるほどの再生能力を持っていた。僕らのような――いや、お前のような、ね」
「……朝も言ったけど、やっぱりハルカは名探偵になれると思うわ」
「は、高校程度で落ちこぼれてる馬鹿に何言ってるんだか」
身体能力は確かに隠しているが、学力についてはほとんど全力だ。それで学年で中間くらいの成績なのだからお察し願いたい。
「……そうよ。私は彼女に会いたい。会って、話をしたいの。だから今どこにいるのか、何をしているのかが知りたかった。……黙っていてごめんなさい」
「いいよそんなの、どうでも。それよりそこら辺の話を詳しく話してくれる方が嬉しいね」
「……それもごめんなさい。話せないわ。だって、多分、話したらハルカは彼女のことを殺そうとしてくれるだろうから」
妙な言い方に引っ掛かりを覚える……が、今は置いておこう。
「……はは、本当に信頼されてるなぁ。でもお前は知ってるだろ? 僕は」
「『人は生かして活かすモノ』でしょう? ええ、知ってるわ。その言葉の意味も、ハルカが優しいことも、人殺しを嫌っていることも知っている。――でも、だから、断言できるの。ハルカは彼女のことを絶対に殺してあげようとするし、それができてしまうって」
そう言って、クロハは僕の目をじっと見つめてくる。
僕が優しいから――それが事実かはさておき――あの少女を殺してしまう。普通なら訳が分からないだろうが、それがどういうことか僕には理解出来た。
つまり、昔のクロハと同じなのだ。あの少女は――
「なるほどね。確かにそれなら、僕は喜び勇んで彼女を殺そうとしちゃうかもしれない」
「ええ。だから」
「そんなに大切なんだ? はは、人嫌いのお前にしては珍しいね」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。お前は僕の道具だけど、同時に人間なんだから。自由意志まで縛る気はない」
彼女を道具扱いしている僕が言うのも変な話だけどな。
「で、クロハ。お前はどうして欲しい? そんな話を僕にしてさ」
「救って欲しい」
即答だった。
「救って、言ってあげて欲しい。あの日の私みたいに、生きててもいいんだって、間違いなんかじゃなかったって。この世界は残酷で、どうやったって地獄の有様だけど、それでも生きる意味はあるって教えてあげて欲しい。……お願い、ハルカ。私の一生のお願いだから」
迷惑を掛けることを恐れ、自分を道具だと律するコイツとは思えない言葉の数々。
それだけで、あの少女がコイツにとってどれだけ大切な存在かが分かるというものだ。
……でも、だからこそ。僕は言わなければならない。
「却下。断る」
この瞬間、クロハが浮かべた表情を僕は生涯忘れないだろう。
そして、そう思いながらも更に言葉を重ねる自分へのこの感情を、僕は死んでも引きずっていくのだろう。
……なんて軽い罰なんだか。大方周知の事実だが、神様とやらはとっくの昔に死んでいるらしい。
「お前は知ってるから話すけどね、僕は妹を救うために生きている。寄り道や脇道を楽しんでいる暇はないんだ」
汐霧を助けるのも、友達と仲良くするのも、今日までクロハを大事にしてきたのも、全てはそのため。セツナを救う過程で、もしくは救った後に必要となるからこなしているだけ。
無論、そこに幸福を感じないと言えば嘘になる。お嬢さまや梶浦、藤城とはいい友達でありたいし、汐霧を見殺しにはしたくない。クロハのワガママを叶えるのだって楽しんでやっている。
けれどその根底にあるのは、どうしたって妹の救済なのだ。
「あのクソ……もとい、赤髪の少女は強い。戦ったから分かるよ。あれだけの殺意と狂気を持つにはそれ相応の経験をしてきたんだろうね。あらゆる痛苦を刻まれ、何千回と死神に足を掴まれたてきたんだろう」
壊され、犯され、喰われ、灼かれて。あの狂気は毎日のようにそれを繰り返してきたことの証左に他ならない。
――僕もそうだったから、分かる。分かってしまう。心の根深いところで彼女を同族と認めてしまう。
「そんな相手を救う? は、馬鹿を言え。アレのトラウマはそこらのクソ野郎共のようなファッションじゃない。僕みたいな何も知らないクズが、簡単に剥がせるものでも壊せるものでもない」
「でも……私は、あなたに救われたわ。だから……!」
「それはお前がその程度だったってだけだ。言っておくが僕はお前に何かした覚えはない。お前を助け出した日だって、僕はあの外道共を存分に殺していただけだ。それでお前が助かったのは運命でも何でもない、ただの偶然だよ」
「…………!」
クロハは僕に救われたと言う。昔からずっとそう言って、僕に無上の親愛を寄せてくれる。
だが僕は彼女に何かした記憶は一切ない。何の気なしの行動で彼女が救われていたとして、僕の知ったことじゃない。
ただ、その僕以上の再生能力を持つ体が。もう一つ、マガツの劣化版とも言える能力が魔法の実験に便利だから。
だからずっと家に押し込めて、何の危険もないよう守ってきたに過ぎないのだ。
「………………そう。覚えてすら、くれていないのね」
ぽたぽたと、顔を俯けた先のぎゅっと握られた手に滴が数滴零れ落ちる。
彼女の言葉が何を指していたかは分からない。ただ、彼女にとって本当に大事なことだったというのは分かる。――そして、それを踏みにじられた彼女が、どんな想いを抱くかも。
……予定とは異なるが、丁度いい。仕上げといこう。
「話をまとめようか。僕はお前の“お願い”を聞かない。損にしかならない投資、徒労にしかならない苦労なんてするつもりは毛頭ない。僕にとってクロハ、お前は道具だ。この前も言ったよね? 僕は道具のお願いを聞くほど暇じゃないって。……ねぇ、クロハ」
言いながら、クロハの首に静かに手を置く。
周りからは分からないように、彼女の艶やかなな黒髪に紛れるように――首の骨を折れるような位置に。
「お前、殺してあげようか?」
その一言が決め手となった。
クロハはきっと顔を上げ、僕を突き飛ばす。そしてその場でひっくり返る僕に構わず、脇目も振らず公園を走り去った。
周りで「ママー、あのお兄さん」「しっ、見ちゃダメ!」なんて心温まる会話がなされる中、僕は上下反転したままの姿勢でその後ろ姿を見送っていた。
「……頭が甘ったるいのは変わらずですこと」
あれだけヒントを並べて気付かないのであれば、もうどうしようもない。これ以上はアイツがどうにかするべき問題だ。
――泣けば何とかなる、お願いすれば叶えてくれる。
そんな微笑ましい思考の子どもは、僕とは生きる世界が違い過ぎる。
ッシャオラ、と勢いをつけて起き上がる。予定を大幅に前倒した分、ぐずぐずしてはいられない。諸々の調整にすぐにでも動かなければ割とシャレにならない事態に陥る。
それでは苦心してこの状況に持ち込んだ努力がパァ、それこそ骨折り損のくたびれもうけだ。
「さてさて、お魚さんはパクパクしてくれますかにゃー」
言ってから、アリスの口癖が感染っていることに舌を噛み切りそうになり。
携帯のマップ機能を起動しながら、僕は公園を後にした。
方針が固まったためこれからの更新は高速化出来ると思います。
長らくの更新停止、誠に申し訳ありませんでした。
次の更新はTwitterと活動報告で告知するつもりですので、よければ覗いてみてください。
……それと祝2600pt!ありがとうございます!一週間ほど前の記憶のため下がっているかもしれませんが!
だとしても自業自得ですので甘んじて受け入れようと思います。
これからも東京パンドラアーツをよろしくお願いします。