昼方、罪人は淑やかに笑うでしょう
◇
「……これは夢かしら」
「残念ながら現実だよ」
家を出てから早十分。最寄りの駅へと向かう道中にて。
もう五度目となる呟きを零すクロハに、僕は半ば機械的に返事を返した。
「もう、そんなに信じられないなら頬でも抓ろうか? 今なら身内のよしみでフルパワーでやってあげるよ?」
「……是非ともお願いしたいところだけど、朝から往来を汚すのは忍びないわ」
すげなく断られる。まぁ流石に今の物騒な東京でも往来に生首が転がっている、なんてことはそうそうない。ただしE区画は除いて。
「……ハルカ。いくら考えても分からなかったから、率直に聞かせて」
「はいはい、なんざんしょ?」
「どうして……私を外に出してくれたの? この前は取り付く島もなかったのに」
確かに先日の僕はクロハを家の外に出す気は全くなかった。――いや、それどころか僕が死ぬまでずっと家に押し込めておく気でさえあった。
だがそれはコイツを外に出すと非常に危険度の高いトラブルに見舞われるからで、そこにはデメリットしかなかったからだ。
この数日で目まぐるしく変わった状況に照らし合わせれば、今彼女を連れ回すメリットは十二分にある。
無論、そんなことは言えるはずもないけど。
「そりゃ当然、可愛い可愛いお前とデートしたくなったからさ。もっと自分に自信持って生きようぜ」
「嘘。あなたは『先生』のような女性が好みのくせに」
「エロい目で見るならね。好みは今も昔も妹一択だよ」
「……ほら、やっぱり嘘じゃない」
残念そうなのは、そういう可能性を少しでも期待していたからだろうか。
これが他の女の子ならとても嬉しいのだが……相手はクロハ。彼女がこうなってしまった原因を考えると嬉しさなどなく、むしろ心苦しいばかりだ。
「はは。まぁ、一応それだってまるきり嘘ってわけじゃないよ。最近全然お前に構えてなかったのは事実だしね」
「……本当よ。ユウヒが来てから、ハルカはずっと彼女に夢中だったわ」
「それは勘弁して欲しいな。あんな才能前にしたら誰だってそうなる。下手すると僕より強くなるよ、彼女」
「…………。嘘でしょう?」
「あは、残念ながら事実です〜」
とはいえ今はまだ大人と子どもほどの差があるのも事実だ。
いざという時はサクッと摘めるのだから、こんな優良物件もない。
「さて、話が逸れたね。どうしてお前を連れ出したのかだっけ?」
「ええ。正直に答えて」
「はは、信用ないなぁ……いいけどさ」
全ては身から出た錆。もう少し誠実に生きたいものだ。
「簡単な話、ちょっと用事と試したいことがあってね。両方ともお前が必要不可欠だった。だから連れ出した。これでいい?」
「……。前者はともかく、後者は嫌な予感しかしないのだけど」
「いい勘してる、とだけ言っておこう。お前にとって愉快なことにならないのだけは確かだ」
「……帰りたいわ」
「別にいいけどもう無駄かな。それにお前、ここから一人で帰れるの?」
「う……」
ゆっくり歩いて来たとはいえ約十五分の道のりだ。平日だろうが人と会うことは避けられないだろう。
クロハはちょっとした事情により大の人嫌いで、それ以上に人間恐怖症だ。そんなコイツがその道のりを耐えられるとはとても思えない。
「そういうわけで今日一日は付き合って貰います。その代わりお前がやりたいことには極力口出さないし、この前言ってた『調べたいこと』について調べるのも別に止めない。それでいい?」
「……いいも何も、私に選択肢はないでしょう?」
「は、そんなことはないさ。今ここで限界超えればどうとでもなる」
「それが出来れば苦労はしないわ……」
どんよりと溜息を吐くクロハ。人間諦めが肝心、とはよく言ったものだ。
「もういい、もういいわ。建設的な話をしましょう。今どこに向かっているかを教えて」
「快い同意ありがとう。そんな気張らなくても最初の目的地は滅茶苦茶安全だから安心していいよ?」
「……どこ?」
「刑務所。正確には医療刑務所かな」
「―――……」
公的機関、それも規模の大きなものということで人の数はかなり多い。彼女には辛いところだろう。
しかし我らが先人はこういうときにピッタリな言葉も創り上げている。人生の先達として、クロハにはこの言葉を送ろう。
「『死ななきゃ安い』ってね。さ、元気よく行こう!」
「……私たちにはシャレになってないわ、それ……」
◇
「儚廻様、ですね……はい、はい。確認が取れました。あちらの職員が案内をしますので付いて行ってください。ああ、くれぐれも逸れないよう注意を。なにせ複雑な上に大きな建物ですから」
そんな受付のお姉さんの指示に従い、どう見てもカタギに見えない職員さんの後を追うこと約十五分。
案内されたクリーム色の扉をくぐり、僕たちはその病室に入った。
清潔感のある内装、普通のベッドに点滴の管と普通の病院と大差のない室内。しかしどこか薄暗く、また窓に格子が嵌めてあるところが医療刑務所たる所以だろう。
僕たちがここに来たのは、今もベッドの上に横たわっているこの病室の主に呼ばれたからだった。
その人物は気配で僕らが来たことに感づいたのか、薄く目を開いて――
「……お久しぶりです、儚廻様」
この閑静な空気にそっと混ぜるかのように、掠れた声でそう言った。
咲良崎咲。
元汐霧家の侍女兼秘書。
先のMB事件で僕の前に立ち塞がり――僕がこの手で排した女の子だ。
咲良崎は緩慢な動作で、ゆっくり、ゆっくりと静かに上体を起こしていく。激しく痛むのだろう、包帯でぐるぐる巻きの顔を僅かに歪めながら――。
やがて上半身を背もたれに預けた彼女に、僕はへらへらと笑って応えた。
「や、久しぶりだね咲良崎。お元気そうで何よりだ」
「そう……見えるのでしたら、それはよほど目が腐っているのでしょう……。それで、ああ、そちらの方が……」
「ああ、お前の命の恩人様だ。ほら、自己紹介」
言い、背後に隠れているクロハを引っ張り出す。クロハは恨みがましい目で僕を睨むが、観念したのか渋々と口を開いた。
「……クロハ。私はクロハよ」
「咲良崎……咲です。先日は……ありがとう、ございました……」
「別に……私はただ、ご主人様のためにやっただけだもの」
――先月、スカイツリーで僕が汐霧父と殺し合っていたときのこと。
『混ざり者』の足止めに徹していたクロハだが、その途中で上手いこと塔の防衛装置を起動したらしい。管制システムはダウンしていたが、その類に詳しい彼女のことだ。恐らく手動でどうにかしたのだろう。
そうして階下の『混ざり者』の進行を押し留め、僕の援護のために《楽園》エリアへと向かっていたのだが、その途中で僕が倒した咲良崎と遭遇。
虫の息だった彼女に応急処置を施し、見事死の淵に引き留め切ったのだ。
「いえ……それでも、お礼を言わせてください。あなたがいなければ……今頃、私はここにいなかったでしょうから……」
「……そう」
「儚廻様も……ありがとうございます。まさか、こんなに早く叶えて頂けるなんて……」
「どういたしまして。お礼は体でお願いするよ」
そもそもここに来たのもそのためだった。
――昨日【ムラクモ】から帰ろうとしたとき、携帯に二つの連絡が入っていた。
その片方は咲良崎が意識を取り戻したという内容のもので、そして僕とクロハに会いたがっていると記されていた。
本当なら目覚めた翌日に面会など考えられないが、彼女の持っている情報を軍が喉から手が出るほど欲しがっていること、取り調べに応じる代わりに上記の条件を提示したことなどに理由があると考えられる。
常識や法律に照らせばあり得ないような対応だが、倫理や人権より体面と情報に重きを置くのが今の軍の本質なのだ。
「……ユウヒは、どうしていますか?」
「元気だよ。こないだも肝臓ブチ抜かれた。コイツとも仲良くしてるし。ね?」
「……ええ、まあ、そうね。彼女は優しいわ」
「それは……よかった。やっぱりあの娘には幸せになって欲しいですから。……あんなことを言った身で何を、と思われるかもしれませんが……」
「『パンドラの血』を使ったんだ。むしろアレくらいで済んでたのが驚きなくらいだよ」
禍力による性格面への影響というのはかなりデカい。昔の僕が今の僕を見たら、きっと即座に首を掻き切るだろう。
そういった意味で、あのとき理性を捨て切っていなかった咲良崎は素直に賞賛に値する。
そんな僕の言葉に咲良崎はああ、と頷いた。
「そういえば、あの力……あなたも、パンドラでしたね……」
「違う。僕のアレはパンドラアーツだからだ。くれぐれもパンドラ共と同じにしないでくれ」
「ちょっと、ハルカ……!?」
「大丈夫、心配いらない。人払いは済んでいる。この会話を聞いてるのは僕らだけだ」
法律が形骸化しかかっているこの時勢、金さえあれば大抵のことは通せる。流石にカメラまで止めるのは出来なかったが。
「それにコイツにはもう見せてる。今更取り繕っても時間の無駄だよ」
「そんなこと言って、もしこの女が誰かに話したら……!」
「その対策ももうしてる。コイツには精神汚染をかけてある。『僕の言うことは何でも聞く』『僕の体のことを誰にも話せない』『もし無理に話そうとすれば舌噛んで死ぬ』。そういう内容のね」
精神汚染。禍力の持つ作用の一つで、主な効果は対象を異常な恐慌状態に陥らせること。
恐怖や狂気など負の感情を増大させるのが本来の効果だが、『操作』のマガツをもってすれば洗脳の真似事も充分に出来る。
スカイツリーから引き上げる際、彼女が生き延びていたと分かったときにこっそりと仕込んでおいたのだ。
「ああ、そういうわけだから気を付けてね。変に抵抗すると死ぬから」
「大丈夫、です。元より【クサナギ】の方々に話すつもりなど、ありませんから……」
「ならいいよ。さ、世間話もほどほどにしてそろそろ本題に入ろう。どうして僕とクロハに会おうとした?」
僕の後ろでクロハもこくこくと頷いている。やはり人の目の多い場所に連れて来られたのは辛かったらしい。
対して咲良崎は、困ったように笑うだけだった。
「どうして、と申されましても……ただ会いたかった、ではいけませんか?」
「は、そんな間柄じゃないだろ僕ら」
「ですが、本当にそれだけ……ああ、いえ。あとは今、外がどうなったか、どうなっているか……それが知りたくは、ありますね」
「汐霧父は死んだ。汐霧家は滅んだ。汐霧はぼっちだ。太平天国、世はこともなし。世界は何も変わらない」
「そう、ですか。……」
咲良崎は黙り込む。……本当に会いたかっただけ? そんな馬鹿な。
「……本当に会いたかっただけだとして、何故だ? クロハはまだ分かるけど、僕と会いたいなんてあり得ないだろ」
「それは――私をこんな体にしたからですか?」
言い、咲良崎は病衣と包帯を捲る。その下から覗くのは程よい肉付きの肢体――
では、なく。
「―――っ」
「……はは」
息を呑むクロハと、へらへらと笑う僕。
咲良崎の体には、幾らかパーツが足りていなかった。左膝から先がなく、右足も力が入らないのか一切動いていない。左腕も肩口から先が欠損している。
脇腹にはクレーターのように抉れた痕があり、ケロイド状に変色した醜い肌が覆っている。ここまでの惨状だと、もう二度と元の綺麗な状態に戻ることはないだろう。
今の時代は魔法や薬学の進歩により医療技術が大いに発達している。
にも関わらずここまで傷跡が残った。理由など簡単だ。それほどに大怪我だった、それだけである。
「左腕、左足の欠損。呼吸器の一部破損。声帯の損傷。脊椎損傷による右足の機能停止。計三箇所の内臓破裂……全部棚に上げて言わせて貰うけど、よく生きてたね」
「運が……よかったのでしょう」
「……そうかもね」
――あの日あの時あの場所で。
咲良崎に喉を掻っ切られた僕は、パンドラアーツの全能を解放した。満身創痍の肉体を一秒で全快させ、次の一秒で彼女の肉体を全壊させる――つもりだった。
足を払う。
宙に浮いた横っ腹に拳を叩き込む。
パンドラアーツの身体能力であれば人間など掠っただけで挽肉に出来る。幾ら『パンドラの血』で強化されていようとそれは変わらない。
回避も防御も許さない絶殺の二行程。事実、咲良崎は全く動けていなかったと思う。
だけど、彼女はそれで終わらなかった。
文字通りの足払いにより体勢が崩れる中、故意にか偶然にか体を動かして――打撃の衝撃が全て背後に突き抜けるように受けたのだ。
意識も血肉も盛大に散らし、しかし命だけは繋いだ。運か実力か、どちらか一方でも欠けていれば成立し得ない偉業。
咲良崎は汐霧のことを天才、自分のことを普通と評していたが実際のところはどうなんだか。知らぬは本人ばかりなり、と。
さて、そろそろ彼女の問いに答えよう。
「ああ、そうだよ。その体は僕のせいだ。僕がやった。多分二度と立って歩くことも出来ないだろうね」
「ええ」
「でもね、僕はそれを何とも思ってない。お前がこれからどんなに苦労しようが鼻で笑って前を向ける。当然だよね。僕の前に立ち塞がったお前が全部悪いんだから」
「ええ」
「で、だ。咲良崎、お前は自分をそんな体にしたクソ野郎に会いたい? 自分をどうでもいいと吐き捨てるようなクズ野郎と話したい? ――自分を殺そうとしたバケモノを、お前は許せるのか?」
「ハルカ、落ち着いて」
「ありがとうクロハ。でも大丈夫、僕は冷静だよ」
何故なら冷静じゃない奴が自分のことを冷静だと言えるはずがないから。
だから僕はとても冷静で、落ち着いていて、コイツが心配するようなことは何もない。ああ、ないんだ。
「答えろ、咲良崎」
「……そう、ですね。それでは、その前に一つ……質問を、よろしいですか?」
「どうぞ。なんでも聞いてくれ」
「どうして……儚廻様は、あのとき私に……トドメを、刺さなかったのですか?」
「……はぁ?」
問いに絶句する。それは別に、答えに窮したからじゃない。
その問いが信じられないほどに愚問だったからだ。
「決まってるだろ。その必要がなかったからだ」
「でも、私は敵でした。そして……儚廻様の、禁則事項を知っています。クロハ、様の……言う、ように」
「だとしても必要ない。その程度どうとでも手は打てるし、前も言ったけど僕はお前がそこそこ好きなんだ。殺さないでいいなら殺さないよ」
何より『人は生かして活かすモノ』という先生の教えがある。加えて汐霧に咲良崎を頼まれていたから、なんて理由もあった。どうでもいいところを挙げれば、僕が人殺しが好きじゃないから、というのも。
それら全てを無視してまで殺すほど、彼女には価値がなく――彼女にはその価値があったのだった。
「なるほど……それなら、分かるでしょう?」
「何が」
「前に、言いました。私はあなたのことが嫌いではない……と」
「……言ってたかもね。そんなことがどうした?」
「そんなこと、では……ありません、よ。私は小さい頃から、根がひねくれていますから……みんな、嫌いでした」
その“みんな”とは、汐霧や汐霧父を除いた“みんな”のこと。即ち彼女がこれまでに出会った、彼女より恵まれて育ってきた人間たち。
そんな彼ら彼女らを思い起こすように、咲良崎は辿々しく言葉を重ねていく。
「ですから、少しの好きな人と……たくさんの嫌いな人。儚廻様は、その間で……だから、会いたかった。話したかった。許せるかどうか、きちんと考えたかった。だから……です」
「……なら、その結果は?」
「好きでは、ありません。でも……嫌いでも、ありません」
「戯言を」
「お互い様……でしょうに」
言い合い、互いに小さく笑い合う。
と、そこで携帯が震える。画面を見ると『五分前です』の文字。面会終了の時間のようだ。
咲良崎も病み上がりでいい加減キツイだろうし、この辺りでお暇しよう。
ああ……そうだ、その前に。
「咲良崎。後日お前に頼み事をすると思う」
「それは……命令、でしょうか」
「そんなところ。お前に拒否権はない」
「……最低、ですね」
「はは、僕に負けたお前が悪い。ああ、何もタダ働きさせようってわけじゃないさ。きちんと報酬も出すから今からその内容を考えておくといい……クロハ、帰るよ。先に出てて」
「ええ……」
咲良崎が気になるのか、チラチラ窺いながらクロハが立ち上がり、部屋から出て行く。
そんな彼女を見て、咲良崎はポツリと呟いた。
「似ていますね……あの子、私と……」
「へぇ、分かるんだ。そういうの」
「見ていれば、大体は。……ね、儚廻様」
「うん?」
「あの子は――私と同じ、ですか……?」
じっと目を合わせ、問われる。
その問いの意味するところは何か――考えて、僕はへらへらと笑った。
「はは、まさか。僕はアイツを見捨てるつもりも使い捨てるつもりもないよ」
「ふふ……そうですか。なら、あの子は、幸せ者ですね」
「……どうだろうね」
僕なんかに何となくで救われて、そのせいで自分を道具と言い聞かせて。そんな生き方のどこに幸福があるというのか。
……誰かを救うとはどういうことなのか、その授業料は決して安くなかったというわけだ。反省しろよ、僕。
「じゃ、また来るよ」
「ええ……お待ちしております」
穏やかに、柔らかに咲良崎は微笑む。
包帯塗れの傷だらけ。だけどやっぱり、それはちょっと見たことがないくらいに――綺麗な笑顔だと、そう思った。
『そして赤く染まり行く』作者の藍染三月様にイラストを頂きました!
http://ncode.syosetu.com/n7924cl/
夜闇、拳銃、銀髪紅目ととてもかっこいいですね!
家宝にします…
次にこちらは『machine head』作者の伊勢周様に頂いたイラストです!
http://ncode.syosetu.com/n4400dk/
シャーペン特有の味のある絵ですね!目つきが鋭く大人っぽいのも個人的に大好きです!
最後にこちらは作者がシャーペンで描いた【ムラクモ】のアリスとなります
服は面倒だったので手抜きです。そもそも技術がないのですが…
イラスト、ファンアートは大いに励みになっております!
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