朝方、今日はクソへと変わるでしょう
◇
「――そんなわけでご指名ありがとうございます。あなたのアリスちゃんでーす。ッエーイ☆」
「死ね」
目元でピースするキ○ガイにそのままピースをブチ込んでやりたいこの衝動、どうしたらいいんだろう。もうゴーサインだろコレ。
気が付けばチョキになっていた手のひらを慎重にほぐしつつ、目の前の女を観察する。
ロクに手入れしていない猫っ毛の茶髪、猫耳を模したヘアバンド。目の色は髪と同色だ。
やたらヒラヒラのついた空色の改造制服を着ており、意外とその下の体は肉付きがいい。そこから繰り出されるパワーボムは幾度となく昔の僕を殺しかけた実績がある。
歳は今年で20だったか、見た目は確かに三年前に比べてほんの少しだけ大人っぽくなっている――が、それだけだ。
狂った思考回路、欠如した道徳アンド倫理観、痛々しい言動と、それ以外は何一つ変わっていない。
こんなのがリーダーをやれている辺り、【ムラクモ】も変わらずクソ溜めのままなようで何よりである。
「むー、相変わらずハルカはつれないなぁ。たまにはデレてくれてもいいじゃんかー」
「舌噛み千切れ。苦しんで死ね」
「ま、ハルカがツンツンしてるのは昔からだもんねぇ。アレかな、アレかな? 『変わらないキミが好きっ!』ていうアレなのかな?」
「シグレ。それで、今日来た用件なんですが」
「……敬語はいらない。今更だろう」
「そう……ありがと、助かる」
「わぁい辛辣ぅー! さすがに無視はヒドイんじゃないかなっ! え、というか扱い差があり過ぎない? シグレばっかりずーるーいー!」
「ホントきしょいなお前……」
言動がまるで幼稚園児のそれだ。とても成人した女性のものとは思えない。思いたくない。
げんなりとする僕を前に、シグレが腕を一閃させる。高速の腕刀がアリスの喉にめり込み、「グげェ」とかいうカエルが潰れたような声が上がった。
「……それで、用件は?」
「数年前の事件の資料が欲しい。保管はしてあるよね」
ラリパッパな組織とはいえ、一応は歴とした一つの組織だ。データベースと資料室――通称『図書館』はしっかりと存在している。
……どころか情報収集の類いが趣味のメンバーが好き勝手に拡張していったため、一般のものと比べるとかなり大規模だ。
どのくらい大規模かといえば、あまりにデータや資料の数が多過ぎるせいで、部外者はおろか管理している人間を除いた【ムラクモ】メンバーですら満足に情報を引き出せないくらいである。
僕がいた頃の管理人は氷室ともう一人だったのだが、ソイツは三年前に死んでしまっている。
今日ここを訪れたのはそれが理由で、顔が利くシグレかアリスに今の管理人を紹介して貰うためだった。
「だから、今の管理人を教えてくれ」
「……コノエ」
「はい、なんですか?」
シグレが呼ぶと、入り口付近にいたコノエが駆け寄って来る。
「……データベースの閲覧は可能か」
「ここ二十年のものであればほぼ完璧な状態で残っていますが……?」
「……案内を」
「すみません、その前にこの方との関係を聞かせて頂けませんか? シグレさんとリーダーは顔見知りのようですが……」
そういう彼の顔には、先ほどまでよりは小さいものの、未だ疑惑の影がある。
シグレによる『話しても問題ないか』という意のアイコンタクト。出来ればあまり知られたくなかったが仕方ない。『お好きにどうぞ』と竦めた肩で返答する。
「……コノエ、コイツが“ハルカ”だ」
「ハルカ……って、リーダーがいつも話してる?」
「……ああ」
あのキチガイ、日頃から僕のこと話してるのか。
……何でだろう。絶対聞かない方がいい気がする。
「あの、サンドバッグ系のドMツンデレでロリコンシスコン嘔吐嗜好、寝ても覚めてもリーダーのこと好き好きな――」
「ふざけんな死ねクソウサギッ!!!」
「ヴァっ!?!?」
足元のアリスを蹴飛ばすと、彼女は水切り石のように跳ね飛んで行った。
……生きてるか。クソ、運のいいヤツめ。
絶対に許せないデマに殺意を漲らせていると、コノエはどこか納得したような苦笑を浮かべた。
「あー……やっぱり、違うんですよね?」
「当たり前だ。あのクソ女を抱くくらいなら睾丸引き千切って捨ててやる」
「そ、そこまでですか……」
お嬢さまや梶浦、藤城ですらあり得ないのに、よりにもよってアリスが好きなど冗談にもならない。
そも、僕が愛しているのはセツナだけ。他の人間はあくまで彼女を救うために存在している。それを愛するなんて想像も出来ないし、する意味がない。
「ま、まぁ一応、それとは別にもお話はたくさん伺っていますよ。リーダー、“ハルカ”さんの話をするのがお好きみたいですから」
「いい迷惑だ、是が非でも控えさせてくれ……っと、敬語が抜けてましたね、すみません」
「ああ、構いませんよ。元だとしても【ムラクモ】的には僕の方が後輩なんですから。僕のことはコノエとお呼びください」
「…………」
「……? 何か?」
「あ、いや……」
【ムラクモ】はおろか、学院ですら滅多に見ないレベルのマトモさに面食らっていた――とは流石に言えない。
「じゃあ、それならお言葉に甘えるよ。欲しい資料は五年前の『教団事件』のものだ。媒体は紙でもデータでも構わないから、出来るだけ詳細なものが欲しい」
「了解です。検索と出力に時間がかかるのでお渡しするのは明日以降となりますが、よろしいですか?」
「それで問題ないよ。出来たら連絡してくれ、1日以内には取りに行くから。金は受け渡し日に200をラヴィニアの口座に振り込んでおく」
ラヴィニアというのは【ムラクモ】の下位組織が運営しているホテル会社の名前だ。主に【ムラクモ】の資金繰りのために存在しており、こういった交渉事によく利用されてい る。
ちなみに名前から察せるだろうが、経営しているのは大半がラブホだ。
「ええ、ではそのように。シグレさん、今から作業に移るので本部に戻りたいのですが……」
「……構わない」
「ありがとうございます、それでは――ぐぇっ」
「はいストーップ。コノエはそのままちょびっと落ち着くにゃー」
いつの間に復活したのか、にこにこ顔のアリスがコノエの後ろ首をひっ掴んで持ち上げる。
身長の低いコノエは簡単に宙吊りにされてしまい、しばらくジタバタと抵抗していたが、やがて諦めたのか大人しくなった。
……諦めたのは抵抗か、それとも人生か。僕の角度からは分からないので、答えは神とイカレポンチのみぞ知る、と。
心の中で冥福をお祈りし、アリスに白けた視線を送る。
「……今度はなに? もうお前に用はないんだけど」
「ノンノンハルカ、ここは【ムラクモ】だよ? ここに来たからには存分に戦って殺ってヤッていかないと駄目じゃない」
気絶したコノエをポイと放り、アリスは演技ったらしい動作で指を振る。
「戦闘ならやっただろ。僕はアレで充分だ」
「あんなの小手調べも小手調べ、前戯みたいなものでしょう? ハルカ、腑抜けたフリはもうやめよ? そんなのつまらない。全然面白くないもの」
「お前みたいな戦闘狂と一緒にするな。僕は戦いなんて大嫌いなんだよ。諦めろ」
「あは、そんなこと知ってるよん。だから誘ってるんじゃん。――顔で笑って心で泣いて、それでも結局敵は殺す。私はそんなハルカが大好きなんだから」
凄絶な笑顔でほざくアリスに、僕は自分の心がどんどん冷えて行くのを感じた。
……ああ、コイツは変わっていない。良いところも悪いところも、本当に、何もかもが。
「それにハルカ、私が今の【ムラクモ】のリーダーだってこと忘れてない? 本来そういう資料を部外者に渡すなんてタブーもタブー、私がダメって言えばそれっきりなんだよ?」
「……そういうところばかり頭が回るのも相変わらずか」
「あは、もっと褒ーめて♪」
「死ね」
しかしアリスの言っていることもあながち間違いじゃない。本来機密に当たるものを元同僚のよしみで見せて貰おうというのだから、リーダーであるアリスに拒否されればどうしようもないのだ。
必然、僕は彼女のご機嫌取りをする必要があるわけで――
「…………一回だけなら気が済むまで付き合ってやる。それが僕に出来る最大の譲歩だ」
「んふ、そうこなくっちゃ! あ、でも安心して? 何も今すぐ始めようってつもりじゃないからさ」
それじゃ勿体無いもんね、とアリス。
「だから三日後。三日後の水曜日、またこの時間にここに来て。そしたら思いっきり遊ぶんだ。一回だけしかないなら、その一回で満ち足りるくらいの濃厚な時間を過ごすの。ね、ステキでしょ?」
「……答える気はないよ」
「ふふ、ほーんとつれないんだからぁー」
知った顔で笑うアリスに背を向け、歩き出す。もうこの場に留まる意味はない。
かくして三年ぶりの古巣への挨拶は、日曜日の終わりを心底鬱にさせる結果に終わった。
そんな僕を嘲るように、懐の端末がピリリと鳴く。
表示された名前は――
「……もしもし?」
◇◆◇◆◇
「そんなわけで今日は学院をサボろうと遥くんは思います」
「どういうわけか知らないですが、そういうのはダメだと憂姫ちゃんは思います」
注釈すると、上が僕で下が汐霧の台詞だ。
何かと物騒だった日曜日の翌日、つまりは月曜日の朝。事は登校時刻にも関わらず制服に着替えていなかった僕を汐霧が見咎めたことに始まる。
というか地味にノッてくれたな今。どんどん臨機応変に育ってくれてお兄さん嬉しい。
「えー、別に一日くらいいいじゃない? 最近いろいろあったしさ、たまの自主休講くらい許してくれても……」
「じゃあ、それで遥は何をするつもりなんですか?」
「ごめんね、それは言えない」
「……なら、私も一緒に行きます」
「駄目だよ。学校行かない学生なんてただのニートでしょ?」
「どの口が言うか……」
真面目な話、今日の用件に関して汐霧は邪魔にしかならない。藍染の襲撃の可能性を考えれば学院にいてくれるのが一番安心出来るのだ。
そも、どうして汐霧は狙われたのだろう? 敵の正体はある程度絞り込めたが、そのうちのどれだとしても汐霧が標的になるとは思えない。
むしろ、狙われるとすれば――
「なにを朝から騒いでいるの……ふわ」
……寝ぼけ眼を擦りながら僕の背にひっついてくる、このアホだろう。
「おはようございます、クロハちゃん」
「おはようクロハ。今日は早いね」
「ええ、昨日はハルカとほとんど会えなかったもの」
「ああ、まあ、昨日は結構遅くなったからねぇ」
結局あの後、細々とした野暮用を片付けていたから家に帰ったのは深夜となってしまった。そのためクロハと話せたのは朝起きてからの数分程度だ。
「それで、何について話していたの?」
「ん。僕が疲れたから学院サボるって言ったら汐霧が『ヤダヤダ遥と離れたくないですー』って駄々こねてね」
「……。もう、それでいいですけど」
あ、面倒くさくなったなコイツ。
「あのですね、休む理由が本当に疲労だったら私も何も言いません。遥がわざわざ下手な嘘なんて吐くから見逃せないだけです」
「嘘? そんなの吐いてないけど?」
「ダウト」
「……。女の子には及ばずとも、男の子にだって秘密の一つや二つあるのです。主に欲求不満なときに行く場所とかね!」
「ダウト」
「や、でも汐霧じゃ確実に18禁な場所じゃ弾かれちゃうしさ。年齢確認される恥ずかしさってヤバイよ? 一ヶ月はその店立ち寄れなくなるからね、僕が保証する」
「ダウト」
……信用ねぇな僕。最後のとか全部本当なのに。
そう、アレは12歳の頃、【ムラクモ】で行われた賭けトランプ大会の罰ゲームで……。
…………。
……………………。
…………………………よし、次会ったらアリスと氷室ブッ殺そう。
「……と、とにかく! 僕は今日やることあるから学院は休みます! 汐霧はちゃんと学院行って授業聞いてきて、そんで後で僕にノート見せること! ほらテスト近いし! 今度国語と日本史教えてね! オーケー!?」
「あ、ちょっと、そんな押さないでくだ……!」
「あと何かあったらちゃんと連絡入れるように! ハンカチとティッシュは? 携帯と定期は? よしちゃんと持ってるねそれじゃさっさと行ってらっしゃーい!」
「この、遥、待っ……!」
ガチャリ。汐霧を押し出した瞬間に鍵を掛け、ジャッ。速攻でチェーンを引っ掛ける。
汐霧は諦め悪くしばらくの間玄関を叩いていたが、やがて諦めて学院へと向かったようだった。
……ふぅ。
「成し遂げた……」
「……悦に浸ってるところ悪いけど、最後ただのゴリ押しだったじゃない」
「目的は達成出来たからいいんですぅー。勝てば官軍死人に口なしなんですぅー」
「その口調やめなさい。無性に殴りたくなるわ」
寝起きで機嫌が悪いらしく、クロハはじっとりと睨んでくる。
あの外に出たいと言った日の夜以降、ロクに話せていなかったから心配していたが……普通に元気そうだった。安心安心。
「それで、本当はどうして学院を休んだのかしら」
「ん、ちょっと至急行きたいところがあってね……って、お前まで信じてなかったんかい」
「態度で簡単に分かるわ。ハルカ、隠し事はともかく嘘はドヘタクソなのだから」
「ど、ドヘタクソ……」
そりゃ自分でも得手ではないと思っていたが、こうもストレートに表現されると流石に落ち込む。僕の両親は大得意だったというのに、どうしてその才能は受け継がれなかったのか。
黙り込む僕に、一転してどこか得意げな表情のクロハが追い討ちを掛ける。
「それにハルカ、学院には大切な大切なお友達がいるのでしょう? ハルカの性格上、彼らとの交流より自分の事情を優先させるなんてそうそうないもの」
「あー、まあ……そう、かな?」
「ふふん。つまり犯人はあなたよ」
ズビシと人差し指をこちらに向けるクロハ。誰が犯人じゃい。
「さ、犯行がバレた犯人は何もかも自白するのが世の常よ。白状なさいな」
「さてはお前、昨日は推理モノのゲームやってたな?」
「……。ハルカは名探偵になれるわ」
「世界中の探偵に謝れ」
ニート云々でいえばコイツが一番それに近いのでは? いや、事情があるのは分かっているが。
「いい加減徹夜でゲームするのやめろって、昼夜逆転生活なんていいことないんだから。ちゃんと成長出来なくてもいいの? お前将来シオギるよ?」
「な、なにかしら、そのおぞましい造語……?」
シオギる:汐霧みたいな成長を遂げるの意。大体の女性には死より残酷な結末を迎えることを意味する。一部の変態は喜ぶ。
「ま、そんなことはどうでもいい。それよりほら、飯温めとくからさっさと準備してきてくれ」
「……準備? ごめんなさい、何の準備かしら」
「そりゃお前、服とか化粧……はまだ早いか。とにかく外に出る準備だよ。ああ、寝巻きで出たいって言うなら別だけど?」
「外? ……それ、って……」
信じられない、とばかりのクロハ。まぁ数 日前、あれだけキツめに否定したのだから仕方ないか。
今日は僕の用事に、僕の事情で付き合って貰うのだ。その責任に、せめて僕の口から伝えよう。
今日を世界一クソな一日にするぞ、と。
「クロハ、デートしよう」