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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
遥けき空に
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二人の少女


「――というわけで。今日からこの汐霧憂姫さんが一緒に暮らすことになりました~拍手!」

「…………」

「…………」

「……もっとこう、テンション上げていかない……?」


 返答、無言。針の筵に座った苦痛を精神的なのに置き換えると、多分こんな感じなのだろう。


 今の時刻は僕が金的を喰らって気を失ってから二時間後。いつの間にか日は沈んでしまったらしく、空は仄かに蒼い黒の色。

 世間一般では家族で食卓を囲む時間帯であり、同じくその世間に含まれる我が時刻家も夕飯の時を迎えていた。


 ――で。


「何でこうなってんのさ……」

「…………」

「…………」


 返答、やっぱり無言。ちょっと泣きたくなった。

 テーブルに置かれたコンロの上の牛肉たちが、ジュージューと虚しく鳴き声を上げている。


「僕が気を失ってる間に何があったんだか……」


 いい加減痛み出したこめかみを揉みながら呟く。


 ……まぁ、クロハが汐霧を敵視するのは分からないでもない。彼女の事情を鑑みれば致し方ないと納得出来る。

 が、汐霧がクロハを敵視する理由はないはずだ。そもそも僕が気絶したのだって、コイツを心配した汐霧のせいなわけだし。


「まさか、恋?」

「……そんななわけありませんから」


 分かっているからそんな人を殺せるようなガンを飛ばさないで欲しい。

 と、そこでそれまで黙っていたクロハに服の袖を引っ張られた。


「なに、クロハ。話してくれる気に――」

「ハルカ。その女、捨ててきなさい」


 ……突然何を仰りやがるんだ、この娘。


「あなたのことだからどうせ金にでも魅了されたんでしょう。不快よ」

「いや不快って……というかお前、僕のこと何だと思ってるの?」

「銭ゲバの外道」

「合ってるけどさぁ」


 せめてもう少しだけオブラートに包んで貰えないだろうか。

 いやまあ、そんな評価を得るに至った過去の僕が悪いんだけど。


「大丈夫よ。私は愛してるから」

「取ってつけたようなフォローをアリガトウ。……はぁ」


 段々分かって来た。大方クロハの奴、汐霧にもこんなことを直接言ったのだろう。

 この現代社会、素直さは美徳とされていても歓迎されているとは限らない。言われた方は当然、不快だ。


「汐霧、何言われた?」

「別に。せいぜい“邪魔”、“出て行け”、“穢らわしい”と言われたくらいです」

「……うわぁ」


 そんなのをほぼ初対面の奴に言われたらそりゃキレるな。それが例え相手が一回り下のガキだとしても。


「あー……はは。そこはほら、無理矢理転がり込んで来た汐霧が悪いってことで」

「信用の無い儚廻も同罪だと思います」

「こりゃ手厳しい」


 へらへらと笑い、場を和ませようと試みる。

 この件について一番悪いのは雇われる時に詳しい条件を気いて置かなかった僕なのだ。本当のところ、二人はただの被害者でしかない。


 その責任代わりに、一応この場を収めるくらいはしておこう。

 クロハに会話を聞かれないために、僕は汐霧の耳に口を寄せた。


「……なんですか。セクハラで訴えて勝ちますよ」


 荒れてらっしゃった。と思ったら普通の対応でもあった。……じゃなくて。


「あー……うん、そう、クロハは恥ずかしがり屋の上に人嫌いなんだよ、そういうお年頃で。悪いけど怒らないでやってくれ。頼む」


 誠心誠意、頭を下げる。


「…………………そうですね、少し大人げありませんでした」


 こっちもある程度頭は冷えたのか、意外に素直に頷いてくれた。一応こっちはもう大丈夫だろう。

 さあ、今日一番の難所だ。


 僕は面白くなさそうな顔をしているクロハに向き直る。

 ……それにしてもコイツ、今日は表情がコロコロ変わるな。

 いつもはむすっとした無表情で、本当にたまに笑うくらいなのに、今日は怒ったりむくれたり嫉妬したり。人生楽しんでるようで何よりである。


「……その女、そんなに大事なのかしら」

「ああ。何と言っても名家の令嬢様だからね。金は入るし魔法だって見れる。学院には行かなきゃいけないけど……メリットの方が断じて大きい」

「なら、攻略はどうするつもり?」

「そのための仲間集めとでも思えばいい」

「……けれど」

「クロハ。あんまり言いたくないけど、汐霧憂姫を受け入れろ(・・・・・・・・・・)これは命令だ(・・・・・・)。オーケー?」


 それは彼女にとって、絶対に断る事のできない魔法の言葉。

 案の定、不承不承といった体でクロハは頷いてくれる。


「……あなたがそこまで言うのなら」

「よし、いい子だ」

「子ども扱いしないで頂戴」


 それだけ言って、彼女はふいっと顔を逸らした。

 やっぱり人嫌いは直ってない……どころかどんどん悪化しているっぽい。まぁ、今気にしても仕方ないか。


 二人の気が変わらないうちに、二人の機嫌が悪くならないうちに。

 僕はこのくだらない一幕の締めに入る。


「同じ家で暮らす以上僕らは運命共同体だ、だから仲良くやっていこう……とはまぁ、無理だろう言わない。ただ、家の中でいがみ合うのはやめてくれ。二人もそれくらいは問題ないだろ?」


 言葉はない。けれど頷いてくれた。今はそれで充分だろう。


「ではでは気を取り直しまして。退学祝い改めて汐霧憂姫を歓迎して、乾杯っ」


 掲げたグラスにぶつかる物は皆無で、汐霧もクロハも相変わらず無言だったが……不思議と、最初ほどギスギスした空気は感じなくなっていた。



◇◆◇◆◇



 ――カタカタ、カタカタとリズミカルにキーボードを打鍵する音が、誰もいない部屋に響いていく。


 今の時刻は深夜。零時を少しだけ過ぎた頃合い。

 僕は部屋一面に広がる培養カプセル、それらの前に設置してあるコンソールを懸命に操作していた。


「……はぁ。全然終わりそうもないなぁ」


 キリのいいところでエンターキーをタンッと押し込み、カプセルを仰ぐ。

 数十本はある人の身の丈ほどもあるカプセル。その全てが漏れなく稼働しているのだが、結果は芳しくなかった。


「……お疲れさま。コーヒー、淹れてきたわ」


 不意に、コトリ、と机の上に湯気が揺らめいているティーカップが置かれる。

 見ると、そこには黒髪の小さなメイドがそこに佇んでいた。数時間前と異なって、何故か今は凄く機嫌が良さそうだ。


 ……って、あれ? ティーカップ?


「……何でティーカップ? コーヒーなのに」

「探すのが面倒だったから。別にそんなの気にするほど繊細じゃないでしょう」

「ん、おっしゃる通り。ありがとうね」


 疲れていると無駄に絡みたくなるのは人間の(さが)なのか。

 まぁなんだかんだクロハの機嫌が良くなってよかった……と、僕はカップの中身を喉に流し込んだ。


 ――傍らで、ぷるぷると肩を震わせていたクロハに気付かずに。


「……ゲホッ!? ゴホッ! ガ、ちょ、クロハ……これ、ブラックっ……!?」

「あら、ごめんなさい。つい手元が狂って間違えてしまったようね」

「おま、ふざ、け……おえ、苦ぁ…………!」

「心外ね。私にだって間違えることくらいあるわ」


 僕の本気の抗議は涼しげな顔で流された。


「ふふ。そんな必死に悶えて、本当に無様ね。ねえ、ハルカ? 今はどんな気分なのかしら?」

「……っ、て、てめェ……!」


 ……理解した。コイツ、確信犯だ。ワザとやりやがったな?

 さっきから僕のこの苦しみがりようを予見してたから、あんなあからさまに機嫌が良かったのか。


「はぁっ…………はぁぁ…………」


 一通り悶え苦しみ早数分。僕は若干涙目になりながらクロハを睨み付ける。


「お前さぁ……僕はブラック飲めないの、知ってるだろ……?」

「ええ、もちろん。あなたのことなら他の誰より理解しているつもりだもの」


 悪びれるどころかくすりと笑顔を返される始末。

 この恨み、晴らさでおくべきか。いつか絶対泣かしてやると僕は決意した。


「あー……それにしても、その分だともう機嫌は直ったみたいだな」

「……ええ。見苦しいところを見せたわね。ごめんなさい」

「謝るなら僕じゃなくて汐霧に謝れよ――っと、そういえば汐霧は?」

「とうに寝ついていてよ。怪我もしていたし……少なからず疲れていたようね」

「そっか。ならいいや」


 万一にでも出歩かれて、この部屋や『研究』を垣間見られでもしたら本当に困る。その時は、所謂“口に触れない口封じ”をしなきゃいけなくなるのだから。

 ただでさえ人間が死滅しかけているこんなご時世だ。少子化に手を貸すような真似はしたくない。


「――っと、こんなもんか」


 コンソールを操作する手を止め、カプセルの一本を見上げる。

 そこには、肉の塊以外表す言葉がないような、そんな意味不明の物体が浮かんでいた。


「まだ、完成には?」

「程遠いね。理論も駄目だけど、何より材料が致命的なまでに足りない」

「そ……とにかく、今日はもう寝ましょう」

「そうするよ。あぁ、そうだそうだ。ねぇクロハ、お前って友達いたっけ?」

「……いたら大問題でしょう」


 呆れたような溜息が聞こえた。このクロハという少女の事情はかなり特殊で、家の外には滅多に出るわけにはいかないのだ。


「じゃ、汐霧と友達になりなよ。見た感じ相性良さそうだし」

「嫌。そこらの人間と仲良くなるなんて絶対に無理。……分かっているでしょう」

「そう言うなよ。ほら、言うだろ? 友達は人生の財産だって」

「…………知らないわよ」


 体ごと顔を逸らされる。そんなに嫌か。

 まぁ、これに関しては僕の善意なんてクソ以下の価値から出たものだし、強制する気はない。

 そもそも友達は強制したって良いことなんか一つもないからな、うん。


「……はは。前途多難なことで」


 研究にしても、人間関係にしても。

 溜息という幸福の素を一つ吐き出し、僕はクロハの後を追って部屋を出た。



◇◆◇◆◇



 翌日。

 早朝と朝の中間くらいの時間に鳴った目覚ましを止め、僕はもぞもぞと起き上がった。

 目を覚ましてから、まずは目を覚ましたことに後悔し、安堵する。そんな習慣が出来てから、もう十年近くにもなるのか。


 カーテンを開け、空を見上げる。今日の空はどんよりとした(・・・・・・・)快晴だ。

 何を言っているか分からないと思うが――そうとしか言い様がない。表面だけ澄んでいて中身は濁っているような異様な色。


 それがここ十年でとっくに見慣れた、壊れた世界の空の色だった。


「……は、鬱々しい朝なことで」


 お世辞にも、美しいなんて言葉は出ない。僕はこの空が大嫌いだった。

 カーテンをレールの上で小気味良く労働させて、僕は朝食の準備をしに階下へと降りていく。


 儚廻家での食事の準備は、基本的に僕が全て行っている。もちろんそれは僕の料理の腕が良いとかそういうわけではない。

 純粋に料理を作れるのが僕しかいないのだ……というか、僕しかいないも何も、昨日まではこの家に住んでいるのが僕とクロハのみだった。


 クロハだって別に料理が出来ないとかそういうことはない。ただ彼女では、上の方に仕舞ってある食器に手が届かないのだ。身長的な問題で。

 こんな理由から、今までは僕が料理をしていたのである――が。


「ん……意外に起きるの早いんですね。少し見直しました」


 リビングに入った僕を出迎えたのはそんな言葉と、色鮮やかな料理の乗った食器の数々だった。


「あ、ああ。おはよう汐霧。コレは?」

「朝ご飯以外の何かに見えますか?」

「いや、毒でも入ってるのかなーと」

「今からでも入れられますけど?」


 目以外でにっこりと笑われる。どうやら朝っぱらから殺る気スイッチに手を掛けてしまったらしい。くわばら、くわばら。


「ゴメンナサイでした」

「分かればいいんです」


 青くなって片言で謝る僕。それに満足したのか、汐霧は皿を洗う作業に戻った。

 僕はそもそも気になったことを、その背中に質問する。


「……でも、真面目な話でコレはどういうこと? 朝食を作って欲しいなんて言った覚えはないんだけど」

「いえ、この家に居候するのは契約の対象外ですので、代わりに何かやらなければ、と」

「へぇ、律儀なことで」

「当然のことです。……あ、冷蔵庫の中を勝手に使ったのはすみませんでした」

「いや、別に気にしないでいいよ。大した物は入ってないし、僕としては楽が出来るわけだし」


 けどまあ、そういうことなら手伝うのは止めておこう。タイムイズマネー、彼女がこれを家賃代わりとするのなら僕が手伝うのは無粋というものだ。

 ……断じて楽そうな方に流れたわけじゃない。ないったらないのである。


「――なみ。儚廻」

「……っと、悪い寝てた。何か?」

「いえ、その……クロハちゃんはどこですか? 食べるなら呼ばないと」


 ……その言葉に、僕は少なからず安堵する。昨日の様子から心配していたが、むしろクロハのことを気に掛けてくれているらしい。

 そんな心情は胸の中に引っ込め、僕は答える。


「ああ、アイツ朝は本当に弱いからね。寝かせてやらないとその日一日マトモに動けないんだよ」


 立ちながら寝る、掃除しながら寝る、話しながら寝る、食べながら寝る――全て寝不足の時のアイツの特技だ。


「……それならいいですけど」

「ああ。それじゃ、頂きます」


 残念そうな汐霧を置いて、一足先に味噌汁のお椀を手に取る。


 なお、メニューは全て和食らしい。汐霧家はパンドラ出現以前からあった旧家だし、彼女の家の料理は和食だけなのかもしれない。

 そんなことを考えながら、味噌汁を、啜った、その時だった。


「―――――ッ!!?」

「ど、どうしたんですか……?」


 突然声にならない叫びを上げた僕に、汐霧が困惑する。


 ――そうだ、完全に忘れていた!


 いつもは自分で調整していたから大丈夫だっただけで、世間一般の味付けはこのくらいなのだ。

 まさか吐き出すわけにも行かず、僕は口の中のものを、水でどうにか流し込む。


「え、えっと……」


 荒い息で呼吸をしていると、全く意味が分からないというような汐霧の顔が目に入った。


「は、はは……いやごめん。ちょっと……その、舌が弱くてね」

「弱い……ですか?」

「あー……弱いというより敏感って方が正しいかも。とにかく、味付け濃いものが全然駄目なんだよね……」


 この場合の『濃い』というのは、味が“甘い”“辛い”“苦い”“しょっぱい”のような感想をハッキリ抱く程度である。

 心構えをしていれば、ある程度なら我慢も出来るし叫ぶほどでもないのだが……油断していると激痛に転がり回ることになる。


「生まれつきですか?」

「いや、三、四年くらい前から。……その、ちょっと流行りの敏感肌ってのが気になってね。はは」

「……そうですか」


 嘘だとバレたのだろう。くだらなそうに流される。

 ……仕方ない。混乱させてしまったお詫びだ。


「汐霧、代わりに僕史上最高級の秘密を教えてあげよう」

「……なんですか?」


 その言葉を待っていた、と。

 僕は笑って、口を開いた。


「実は僕、耳も敏感なんだ」


 ……。

 …………。

 ……………………。

 …………………………。


 永遠のような一瞬の時間、空気が凍り付いた。

 ワナワナと震える汐霧。殺る気スイッチはばっちりオン、怒りゲージは手が出るギリギリと見た。


「……そのあなたの性癖を聞かされて。私に、どうしろっていうんですか……?」

「いやほら、将来この知識が必要になることも」

「死んでください」


 この後、滅茶苦茶グーで殴られた。

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