接敵
◇◆◇◆◇
「障害は片付けた。次はお前だ」
淡々と――つい寸前に人を刺殺したとは思えないほど平坦な声で男は言った。
彼の立っている場所は倒れた遥の体のすぐ隣、憂姫の眼前。距離にして3メートルもない至近距離。
髪飾りを半ば毟り取るように外しながら、憂姫はバックステップを刻んだ。
「【武装換装装填魔法・コードリボルバ】!」
髪飾りが魔法の光に包まれる。加速の拳銃が出来上がるまであと半秒――だが分かっていた。
間に合わない。この男が彼であるなら、この距離まで詰められた段階で詰みだ。
彼の腕前なら、【コードリボルバ】が完成して加速が可能となるまでの間、自分を三度達磨にしようとお釣りが出る。
「終いだ」
夜闇に凶刃が翻る。数は四。同時に四肢を切断するつもりだ。
迫る終わりに、思わず憂姫がぎゅっと目を瞑った――瞬間。
ギィン、と。
快音と火花が、憂姫の神経を塗り潰した。
いつの間にか自分と男の間に割り込んでいた人影――儚廻遥は、拳を振り上げた格好のまま溜息を吐く。
「……いーい加減さぁ、『気付いたら目の前まで近付かれてました』ってパターンは飽き飽きなんだよね。少しは芸人魂燃やしてくれよ」
「……!」
男は即座に距離を取る。一歩、二歩。たったそれだけの挙動で10メートルを蹴り飛ばし、後方へ。
遥はそれを見遣りながら、へらへらと笑う。
「おいおい、汐霧お前どうしたよ? いつもなら今のくらいは何とか出来たでしょうに。なに、マジで生理?」
「……相変わらず酷いセリフですね。黙ってれば立派な王子様なのに」
「ンなもんこっちから願い下げですぅー。僕が王子様するのは妹だけってブラザーズシップにのっとり宣誓してるんですぅー」
「なんですかそれ……」
苦笑し、遥の横に並び立つ。遥はそれを横目で確認し、前を向く。
その視線の先には、フードの奥から油断なく視線を飛ばす男の姿があった。
男が口を開く。
「……どういうことだ? 確かに心臓と脳を貫いたはずだ」
「貫いた、ねぇ。ああ、まさかこんなもので僕を貫けるとでも?」
言って、遥は懐から取り出したもの放る。
音を立ててアスファルトを転がる黒色の長方形。それはナイフ――正しくはナイフの柄だ。
その先にあるはずの、刃にあたる部分はどこにも見当たらなかった。
「投擲じゃなくて刺突だったら感触で分かっただろうにね。人の体で曲芸なんてしようとするからこうなる」
「防いだのか。不意は突いたつもりだったが」
「これでも妹からは将来ハリウッドを薦められててね。あの赤髪のクソ幼女や汐霧と戦ってなかったら普通にビックリしてただろうけどさ」
赤髪のクソ幼女――遥が遭遇したという殺人鬼の少女のことだ。
「アンタの接近法は今挙げた二人とよく似ている……いや、その二人の方がアンタに似ていると言うべきかな。そうでしょう、汐霧?」
「……はい、その通りです」
遥の言葉を肯定する。その通り、憂姫の挙動は元を辿れば眼前の男から派生したものだった。
何故なら、彼は――
「彼は……【スケープゴート】時代、私の師だった人間です」
「そっか。……こう言ってるけど、アンタから言うことはある?」
「……【スケープゴート】。随分と懐かしい名前だ」
ふすふすと、掠れた声で男は言う。
「その銀髪に紅眼、汐霧憂姫という名前……ああそうか。お前は――ユウヒか」
「……ええ。お久しぶりです、師匠」
お互いの素性が割れたことで和やかな空気が流れる――わけもなく。
どころか更に緊迫した気を醸し出しながら、憂姫は言う。
「今の今まで気付かなかったのですか?」
「非礼は詫びておこう。まさかお前が『汐霧』の養女になるなど想像もつかなかったからな。十年も前に名を聞かなくなったんだ、どこぞで野垂れたとばかり思っていた」
「無理のないことです。師匠は……相変わらず仕事ですか」
「ああ。此度の内容はお前の回収だ。どうする? 出来る限り傷のないように、とクライアントからは聞いている。実力差が分からないお前じゃないだろう」
「っ……」
悔しいが、その通りだ。
憂姫の戦闘技術、その基礎はほとんどが暗殺者時代に学んだものだ。発展形こそ『汐霧』となってから身に付けたものが多いが、根底が目の前の男にある以上、読まれるのは必至だろう。
そうでなくとも師の実力は圧倒的だ。魔導師のランクでいえばSランク――義父が憧れ、遥の先生であったという【死線】と同格なのだ。
例え手が読まれなかろうと正面から制圧されてしまう。打つ手がない――
「――ここにいたのが私一人だったら、の話ですけど」
トン、と地を蹴る音。
たったの一投足で距離を詰め、拳を引き絞る男の姿。
「ばぁ」
「……!」
放たれた剛拳を、師は紙一重で、しかし軽々と躱す。
吹き荒れる風圧の中、右に左にと跳躍する姿はさながら枯葉のようだ。
「【コードリボルバ】」
カチンッ、という引き金を引く音ともに魔法が発動。加速する総身。
電柱を駆け上がり、電線を走り、跳躍から着地した師へと肉薄する。
「……変わったな。あの現実主義者が随分と夢想家になった」
「師匠こそ、無事耄碌したようで何よりです――!」
短い言葉の交錯。次に交わすは互いの殺意。
もちろん憂姫ではこの男相手に10秒も保たない。手が読まれるのもそうだし、そもそもAランクとSランクの間にはそれだけの差がある。
だが、10秒も稼げば―――!
「【アーツ】――汐霧避けろ!」
「はい!」
「!」
交戦する二人の真下から、純白の光が駆け上る。
磁石のように離れ合う二人。しかし虚を突かれた師の反応が数瞬遅れた。
憂姫は左手に新たな拳銃を展開しながら、駆ける。
僅か、ほんの僅かな隙。まさに一瞬、常人では認識すら出来ないだろう体勢の崩壊。
「【武装換装装填魔法・コード――」
だが、憂姫なら。
加速という、一瞬を引き延ばす術を持つ憂姫なら。
その隙を――突くことが出来る!
「――ストライカ】ッ!!」
加速が終わり、ほぼ零距離まで肉薄した状態で魔法の行使が可能となる。
それを待ち兼ねていたかのように、左手の拳銃が光に包まれ変化していく。
小型の拳銃二つをグリップの底で繋げ合わせたような形状。二つの銃口と二つの引き金を持つ、“片手版の二挺拳銃”。
憂姫は銃口を叩きつけるようにして男の体に押し付け、押し込む。
引き金を引き込む小気味のいい音。
続いて、何かが破裂するような凄まじい衝撃音が辺りに木霊した。
「が……ッ!」
巨大な何かに跳ね飛ばされたかのように吹き飛ばされる男。アスファルトに落下し、土煙を巻き上げる。
憂姫は路地へと着地し、手に残る感触を確かめる。
【コードストライカ】。能力は弾丸として込めた魔力をそのまま衝撃に変換して撃ち出すというもの。
万能銃たる【コードアサルト】を近接戦に特化させたタイプの魔導銃だ。
――通じた。雲の上の存在だった師に、自分と遥の連携が通じたのだ。
と、いつの間にかカラカラに乾いていた口内に気付くと同時、駆け寄って来た遥が口を開く。
「汐霧、どうだった」
「手応えはありました。直撃です」
「戦闘続行は?」
「……恐らく無理なはずです」
憂姫の魔弾の威力全てを衝撃に換えるのだ。そのインパクトはクレーン車両の鉄球が直撃したものに相当する。
常人なら即死の一撃。如何にS級犯罪者といえど動けるはずが――
「――屈め汐霧!」
その言葉に反応し、一気に膝を折る。
ほとんど反射的にとった回避行動。その理由はすぐに分かった。
「……はは。なるほど、伏兵か……」
そう呟く遥の体から、何本もの鈍色の刃が生えている。
刃の角度から、そのうち何本かは自分にも刺さっていたはずだ。遥の警告がなければ……
「別に回避出来ましたから。そうやって無理やり恩を着せようとしてくるのやめてください」
「あは、手厳しいなぁ。そこまで言うからにはちゃんと見れたんだね?」
「ええ。だから、そこは感謝しておきます」
「上等だよ」
遥はへらへらと笑い、何事か小さく呟いた。
すると刺さっているナイフの刃が全て消失し、柄が地面に落下していく。
それらの落下音に紛れるように、憂姫は声を潜めて会話を続ける。
「……右に一人、左に二人。全員かなりの手練れ……恐らく【トリック】の暗殺者です」
「【トリック】って?」
「師匠が率いている殺し屋集団です。少数精鋭、金さえ積めばどんな仕事も遂行する、コロニー最高の名を持つ暗殺組織。師匠はその頭領です」
「……何でお前の知り合いはそう物騒なのばっかなのかな」
呆れたように呟く遥。前方には目深にフードを被り、ボロ布のような外套を纏った人影が三つ佇んでいる。
……いや、三つではない。なくなってしまった。
「なるほど……想像以上に力を付けたらしい。あの小汚かったガキが、よくもここまで強くなったものだ」
ふすふすと掠れた、枯れ山を思わせる声色。
声の主はクレーターの中心からゆっくりと歩を進め、暗殺者たちに並び立つ。
その動きに不調はない。どのような技を使ったか知らないが、どうやら先の一撃は完璧に回避されていたらしい。
遥が言う。
「……最初から自分の部下を伏せてたわけか。性格悪いね、アンタ」
「…………」
男は遥の軽口に付き合わず、身を翻す。
「撤退する。300秒稼いだのち離脱、可能なら標的を奪取しろ」
『了解』
「ッ、逃がすか……!」
民家の上に消える男を追い縋ろうとする遥。
だが、その進路を予測していたかのように三人の暗殺者が立ち塞がる。
「チッ、邪魔な……!」
流石に正面から突っ込む気はないのか、遥は後退して舌打ちを打つ。
「遥、深追いは危険です!」
「貴重な情報源、それに一端でも“力”を見られた! このまま返すわけにはいかないんだよ!」
「それはそうですけどっ……!?」
言葉を切り、憂姫は【コードストライカ】を振るう。
吹き荒れた衝撃が夜闇に紛れて投擲されたナイフを撃ち落とす中、憂姫は懸命に思考する。
――遥の言っていることは正しい。ここで師を逃せば何も分からず終いだ。次の襲撃が更に綿密なものになることも簡単に予想出来る。
せめて師の口にしていた“クライアント”、もしくは何故自分が狙われるのかが分からないことには対策の立てようがない。
だが、この場の暗殺者を打倒して追跡するのは不可能だろう。相手は手練れ、防戦に徹されれば打倒はおろか突破すら難しい。
だとすれば、今取れる選択肢の中で、最も適したものは――
「~~っ! ああもう、分かった分かりました! 私が彼らの相手をしますから、遥は師匠を追ってください!」
「っ、確かにそれが一番だけど……出来るの?!」
「やるしかないでしょう! 遥はこそ焦って返り討ちとかやめてくださいよ?!」
「っは、言うねぇ――合わせろ!」
笑い、遥は拳を地面へと打ち下ろす。
爆発染みた破砕音と、馬鹿みたいな衝撃。人工の地震が駆け巡り、その場にいた者全ての足を止めた。
――ただ一人、地震を予測して跳んでいた少女を除いて。
「【武装換装装填魔法・コードアサルト】!」
【コードストライカ】を解除し、代わりに万能銃を創造する。
憂姫は暗殺者の一人へと一気に距離を詰め、回し蹴りを放つ。怯んだ隙に【アサルトスフィア】を展開、誘導弾として電柱と民家の上にいた暗殺者を狙い撃つ。
その暗殺者の横を、跳躍した遥が一瞬で駆け抜けた。
『しまっ――』
「行かせません!」
遥を追おうとする一人を射撃で牽制しつつ加速。正面と左斜め後方から迫るナイフを躱し、自分が遥と彼らを隔てる壁となるように居場所を調整する。
――取り敢えず、最初のノルマは果たした。
あとは彼らが諦めるか、遥が戻るまで時間を稼ぐだけでいい。
……けど。
「そういえば、遥と会ってからは黒星ばかりでしたね」
Bランクのパンドラ二体に『混ざり者』、暴走した際に対峙した学院生の部隊に義理の父親。
……酷い戦績だ。先ほど遥の言った『出来るの?』という台詞も仕方のないことと思える。
――だから、この辺りでそろそろ少しは挽回しておくとしよう。
敵はコロニー最高クラスの暗殺者。相手にとって不足はない。
右に加速、左に万能の拳銃を構え、憂姫は呟く。
「汐霧憂姫――戦闘を開始します」
カチンッという小気味いい音が、人の消えた居住区に響いた。
貧乳は何もしないでも立派な壁ですけどね。