訓練校にて
◇
土と芝生のみで構成された、嫌ななるほどシンプルなフィールド。
先ほどまで訓練生たちとじゃれていたその中心で、僕と汐霧は相対していた。
「――制限時間は十五分。武器の使用は禁止、魔法は初級に限定する。何か質問は?」
「ありません」
「ならいい」
言葉少なに終わる会話。僕には少しも聞かないのは、僕の意見など分かり切っているからか。
汐霧から視線を外し、教官――そしてその後ろに控える訓練生を見る。
『なぁ、どっちが勝つと思う?』
『そりゃ汐霧先輩の方だろ』
『あの人、確かAランクでしょ?』
『儚廻遥って確か二年で一番の落ちこぼれだろ? さっきも僕ら相手にギリギリだったし』
『お前どっちに賭けるよ?』
……彼らは彼らで、これからの模擬戦に反対する気は全くないらしい。各々自由に見学の姿勢を取っており、賭けの話まで小声でし始める始末だ。
まぁ、彼らからすればキツい訓練が見学に変わるのだ。願ったり叶ったりだろう。
ちなみに賭けの比率は汐霧に九割、残りが僕と言ったところ。
どうやら数人ほど大穴狙いの馬鹿がいるらしい。東京の未来が泣けてくる今日この頃だ。
「では10カウント後に戦闘を開始する。10、9――」
教官による合図に、拡散していた意識を収束。前方に立つ汐霧に集約する。
これから僕がやらなければならないのは、汐霧の攻撃をとにかく凌ぐこと。
ギャラリーがこれだけいる以上パンドラアーツの力は使えず、落ちこぼれの肩書きを知られているため相応の技量で臨まなければならない。
「6、5――」
最悪に近い状況だが、救いがあるとすれば制限時間と武器、魔法に関する制約。
汐霧の強さは応用力の高い魔法と、それによって造られる強力な武器の数々。
その二つが封じられているなら制限時間いっぱい逃げ回るくらいは難しくない……と思う。
「2、1――」
それに何より、汐霧は僕の事情を知っているのだ。貸しだって幾つか作ってある。
どうして不機嫌になっていたかは分からないが、律儀で優しい彼女のことだ。きっと僕に配慮して立ち回ってくれるはず――
「……始めッ!!」
開始の合図が響く。
まずは汐霧の出方を見ようとした、その瞬間。
――そんな楽観的な思考は、跡形もなく消え去った。
「―――!!」
思考に先んじて肉体が反応する。
自分でも訳の分からないまま、僕は顔を傾ける。
その結果空いた、直前まで頭があった空間を。
汐霧の放った手刀が、おぞましい速度で切り裂いて行った。
――パァンッッ!!!
「……な」
呆けた声が口の端から漏れる。
今の銃声のような衝撃音は腕の速度が音速を超えたことによるものだ。
偶然躱せたから良かったものの、そんなものをもし頭に喰らっていたら――
「……躱しましたか」
汐霧の声。怜悧な戦意。目と鼻のすぐ先から。
そもそもコイツはいつの間に接近した? 警戒は緩めなかったはずだ。ルールの制限上、加速魔法だって使えないのに。
……いや、この感覚は覚えがある。それも確か、ついこの間、
「考え事とは余裕ですね」
声に思考の渦から引き戻される、と強化された聴覚が何かの迫る音を認識。狙いは――傾けた頭、右側頭部!
右腕を立てて頭を庇う。直後そのど真ん中に、凄まじい威力の上段蹴りが叩き込まれた。
「っぐう……!」
流石は学院最強格の一人。訓練生とは桁違いの威力だ。
体が浮くほどの衝撃に、わざと踏ん張らないことで後ろに跳び、距離を取る。
「…………」
汐霧は追撃して来ない。彼我の距離は再び10メートルほどまで開く。
……何が『武器が封じられているからイケる』『配慮して立ち回ってくれるから余裕』だ。あのクソチビ、割合本気でブチ込んで来るじゃないか。
その証拠に――
「……今のは、効いたな」
未だビリビリと痺れる右腕を確かめ、立ち上がりながら呟く。
……骨折している。蹴りが直撃した部分、尺骨が砕けているらしい。激痛を伴う熱が腕を動かす度に蠢き、力が上手く入れられない。
先の手刀といい、即死級の急所に向けて放たれる即死級の一撃。これで配慮してくれているとは……まぁ、流石に思えない。
「つまり、殺る気もヤル気ってわけだ。はは、ねぇ?」
「…………」
へらへらと笑い掛けると一段と闘気が増した。挑発は悪手、と。
――状況をまとめよう。
何故か知らないが汐霧は本気だ。全力ではないにしろ、本気だ。本気で僕に攻撃を仕掛けて来る。
その手足から繰り出される一撃は尽くが致命。精緻にして濃密、丁寧にして大胆。非常に多彩な手札の総ては、対応を誤ればその瞬間にお陀仏だ。
僕はそれをこれから15分間、身体能力と戦闘技術を隠した上で、全て捌かなければならない。
……降参、その結果の依頼失敗も視野に入れておく必要がありそうだ。なにせ、命あっての物種だし。
ただまぁ、能動的に受けた依頼を失敗するとペナルティが酷い。加えてそのペナルティを与えるのは学院の責任者……あの学院長だ。
アレ相手に借金は怖い。怖過ぎる。何を吹っかけられるか分かったものじゃない。出来るだけ避けたい未来だ――
「なんて、そう言う事情を汲んでくれたりは」
「…………」
「……まぁ、しないよねぇ」
全く、何がコイツをそこまで駆り立てるのか。
……もういい。こうなりゃヤケだ。ヤケクソだ。後の評価は後で考える。そこに至るまで、とことん食い下がってやろうじゃないか。
「ふー……」
僕は覚悟を決め、腰を落とす。
――パンドラアーツの身体能力、再生能力は変わらず封印。戦闘技術は限定、防御に専念。使用魔法は比較的慣れている【ショット】【インスタントスタンガン】の二種類に絞る。
視界が変わる。
思考が代わる。
相対する少女に全てを集中、集約。
眼球の動きに始まり筋動作の一つに至るまで見逃さない。
彼女の放つ全てに対応、対処しその上で最上の結果を引きずり込む。
「……………」
「……………」
空気が変わったのを感じたのか、湧いていたギャラリーが静まり返る。演習場に静寂が訪れ、緊張の糸が張り詰める。
汐霧は変わらず、思考を伺わせない表情で立ってい――否!
「っ!」
上体を反らす。瞬間、胸上を雷を纏った左腕が薙いで行く。
【インスタントスタンガン】。しかし僕と彼女の使うものが同じなはずがない。コロニー屈指の魔導師は、初級魔法でさえ必殺へと昇華してしまう。
――だが、この一撃は陽動だ。
魔法の派手さに隠した次が、本命が来る。
直後、汐霧の体が消えた。
「ふっ!」
気勢。僕の視界から外れた下方から。急激に体を落としたことにより、消えたように見せかけた。
だがそれは予測の枠内に過ぎない。あの場でそう動いたなら、次は。
上体の勢いを使い、バク転。上下逆転した視界を、汐霧の足が紅蓮の軌跡を描いて擦過する。
足払い――しかし威力が異常だ。軌跡が紅蓮だったのは、足先があまりの速度に空気摩擦で燃え上がっていたからだ。
あれでは打撃ではなく斬撃。足が払われるより先に、足首から先が切断されてしまうだろう。
……もうちょっとくらい手加減してくれ、と思う。だが、それを口に出すような暇はない。
僕の足が地面につき、逆転していた視界が再び逆転。元に戻る。
それとほぼ同時、汐霧の体が跳ね上がった。
中空にいる汐霧が、僕へと手を伸ばす。
地上にいる僕は、汐霧へと手を伸ばす。
合わせ鏡のように向かい合う僕ら。その口から紡がれる魔法名もまた、鏡の如く同様だった。
「「【ショット】!」」
互いの手のひらから撃ち出される魔力弾。秒を跨がず衝突する。
射線もタイミングも同じ――しかし魔法としての完成度はまるで違う。
一瞥しただけで、大きさも密度も僕の方が負けているのが分かる。
この差は、例え僕が死力を尽くそうと覆らないだろう。
魔法という分野において、それだけ僕と汐霧の間には大きな差があるのだ。
僕の魔法が、破られる。
――パァンッッッ!!!
「がッ……!」
汐霧の【ショット】を喰らい、吹き飛ばされた。
被弾したのは盾にした両腕。何とか原型を保っているのは、先の衝突で幾らか威力を削ぎ取れたからか。
とはいえダメージは甚大だ。特に右腕。筋繊維や神経組織がまとめて逝ったのか、動かない上に感覚すらもない。
左腕は――脱臼している。まぁ、その程度で済んでラッキーと言うべきか。笑えるほどに痛いけど。
ちょうど、治せるような状況だし。
「ッッ!」
歯を食いしばり、僕は左肩から着地する――ゴグンッ!
伝わる衝撃、鈍痛。意識を白が蹂躙し――左腕に自由が戻る。
「よし――!」
地面を転がり跳ねて立ち上がる。ダメージは大きいが行動不能には遠い。まだやれる、まだ戦える。
自身の確認を終え、僕は汐霧へと向き直る。
見ると、汐霧はこちらへと駆けて来ていた。
速度を見るに、開いた距離が詰まるまであと五秒ほど。
「【Air】」
身構える僕を他所に、汐霧は魔法名を口にした。
魔法名【Air】。効果は魔力の風を作り出すというもの。
米国で開発された、魔法史の中でも最初期から存在する魔法で、今でも様々な魔法の基盤となっている。
汐霧の右の五指の先に風の球が生成される。
サイズはとても小さい――が、アレは作り出した風を限界まで圧縮したもの。簡単に言って、小さな台風のようなものだ。
彼女は魔法が完成すると同時、それら全てを僕へと放った……いや、違う!
「不味い!?」
汐霧の狙いに気付き、僕は全速で自分から前に出る。その横を、五つの風の球が唸りながら過ぎて行く。
躱したのではない。全て、元から当たる軌道にはなかったのだ。ならば、その狙いは――!
「――Burst】!」
紡がれる魔法名。呼応して、全ての風の球が僕のほとんど真後ろで爆裂する。
撒き散らされた風に背中を突き飛ばされ、僕は自分でも制御不能な加速に身を任せるしかない。
そして何より、その先には。
「―――!」
手刀の形にした片腕を限界まで引き絞る、汐霧の姿。
彼女は今度こそ、僕へと狙いをつけている――。