開幕
◇
カチリ、という時計の針が回る音がリビングに響く。
見ると現在時刻はちょうど0時。いつか汐霧に話した我が家ルールだと朝飯抜きが確定する時刻だ。
儚廻家、リビング。
クロハの姿はなく、テーブルを挟んだ対面に座っているのは汐霧のみ。
その汐霧が口を開く。
「……なるほど。事情は分かりました」
事情、というのは僕がグチャグチャのドロドロで帰ってきたこと――引いては遭遇した赤髪の少女のことだ。
あの用意周到な立ち回りを見るに、ただの快楽殺人者という線はあり得ない。背後に何かあると見てまず間違いないだろう。
ならば餅は餅屋。そちら方面に明るい汐霧に聞くのが一番だ――と考えたのだ、が。
「それで、どう思う?」
「そうですね……まず、その娘がどこかの組織の暗殺者ということはないと思います。武器はチェーンソーだったんですよね?」
「ああ。それが?」
「暗殺者にとって何より大事なのは、とにかくリスクを減らすことです。その娘や昔の私のような子どもなら尚更で、チェーンソーなんて明らかに個人の趣味を映した武器を使う余裕はないと思います」
チェーンソーというのは音が出るし、あれほど巨大なら取り回しも難しい。そもそも人を斬るだけならナイフや刀の方が合っているか。
「確かに、暗殺者なら魔導師相手に正面戦闘するわけないか」
「ええ。彼らの戦術は一撃離脱が基本ですから」
「なるほどね。でも、うーん……そうなるとアレは一体何だったんだ?」
勘違いされ易いが正規軍は優秀だ。如何に用意周到だとは言え、あの女の子の殺し方で九人も殺っておいて、未だ捕まっていないというのはおかしい。
ギブアップ、と頭を抱える僕と対照に、汐霧は何か考え込む仕草をしていた。
……唇に指を当てる仕草って絵になるな。色っぽさと可愛さが合わさり最強に見えるというか、男がやったら気色悪くて死ぬというか――では、なく。
「もしかして汐霧、何か気付いた?」
「いえ……正確なことは何も」
「正確じゃなくてもいいよ。気付いたことがあれば何でもいい。言ってくれ」
このまま答えが出ないで終わるより、例え間違いでも答えが出ていた方が安心して眠れる。
たられば繰り返してたらキリがないんだ。前だけ向いて行こう。
「これは私見ですが……この一連の事件は、何か別の目的のカモフラージュだと思います」
「カモフラージュ?」
「はい。何というか、やること全てが無駄に派手な印象を受けるんです」
「ただの趣味とか演出とかじゃなくて?」
「もちろんその可能性もあります。ただ、どうもそれだけには思えなくて……すみません」
上手い言葉が見つからなかったらしく、汐霧は頭を下げた。
僕は慌てて手と首を振り、否定する。
「そんな、むしろこれだけ少ない情報でよくそこまで推測してくれたよ。ありがとう、今夜は枕を高くして眠れそうだ」
「そう言って貰えると嬉しいです……ふぁ」
あくびを一つ打つ汐霧。
徹夜常習犯な僕と違い、彼女は非常にリズムの取れた生活を送っている。眠気が来るのも当然か。
今度自己管理の方法も聞いてみることとしよう――などと思いつつ、僕は二度三度と手のひらを打った。
「さ、もう寝よう。これ以上は体に響く。明日からは学院からの依頼もこなして行くことになるんだしさ」
「ですね……あ、そういえば十二時消灯の規則は……」
「ああ、いいんだよあんなの。ぶっちゃけ規則というより努力目標だからね。都合の悪いときは無視して然るべきだ」
目標に気を取られて足をすくわれるのでは、正しく本末転倒というものだろう。
「……適当ですね」
「お前が真面目過ぎなだけだよ。放課後や休日くらいどこか遊びにでも行けばいいのに」
「それは……」
実際彼女がこの家に戻って来て以来、寄り道なり外出なりしたことは一度もない。
何かしら面倒くさい引け目を感じているのか、単に遊ぶ友達がいないだけか。恐らく両方だろう。
「あ、何だったら今度デートでもする? 僕今ちょうどサイフが欲しくてさ」
「……そのサイフ、ちゃんと商品の財布を指してますか?」
「あっはっはっは!」
何故バレたんだろう。
◇
部屋に戻ると、何故かクロハがいた。
「待っていたわ、ハルカ」
「何の用?」
寝てたんじゃ、なんて無駄なことは言わない。
クロハがこう言うときは大抵が真面目な話だ。それも自分自身では解決できない類の面倒なもの。
コイツとも長い付き合いだ。それくらい分かる。
「頼みがあるわ。聞いて頂戴」
「頼み? お願いじゃなくて? 珍しいね」
「……私を外に出して。調べたいことが出来たの」
「却下。はよ寝れ」
しっしっと手を払い、明日必要なモノを鞄に詰め込む。
根元が従順なクロハが、まさかこんなことを言い出すとは。汐霧に会わせたのは失敗だったかもしれないな――
「違うわ。話を聞いて」
心なし必死そうに、クロハは言う。
コイツのこんな表情は初めて見る……が、今に限って言えば面倒でしかない。
僕は半眼を作り、言う。
「話は終わったよ」
「待って、お願い。ほんの少しだけでもいいから」
「じゃ、その理由は?」
縋り付く少女に、僕は端的に問い返す。
するとクロハはそれまでの必死さが嘘のように口をつぐみ、顔を俯けた。
「……言えないわ」
「へぇ、どうして?」
「……それも、言えないわ」
「あれも駄目でこれも駄目、ね……それで僕が了承するとでも?」
「……いいえ。思ってない」
「はは、分かってるじゃん。だったらこの話は今度こそ終わりだよ。さ、帰った帰った」
クロハの背を押し、部屋の外まで移動する。
そして翻り、部屋に戻ろうとして――袖を引かれる感覚に立ち止まる。
「…………」
振り返ると、僕の服の袖を掴んで動こうとしない、クロハの姿があった。
……なるほど、ね。
「お前さ――自分の立場、忘れてない?」
クロハの襟首、ひらひらした飾りの部分を掴み、引き寄せる。
ゼロ距離でぶつかる視線と視線。片方はへらへらと歪み、もう片方は力なく揺れている。
「っぁ……」
「お前は外に出せないし、出れない。お前を取り巻く環境がそれを許さないしお前自身がまず出来ない。それは分かってる?」
「……ええ、分かっているわ……だから」
「だから僕を頼ろうとした? ああ、自分一人じゃ怖くて外も歩けないもんね。で、どうしても諦められないからから僕に迷惑を掛けて何とかしようとしたわけだ」
「っ、違……!」
慌てて否定しようとするクロハ。
だが、これは事実だ。彼女に自覚があろうがなかろうがそれは変わらない。
「違わないさ。頼み事ってのは結局そういうことだ。どんな美辞麗句で飾ってもそれは変わらない……ねぇクロハ」
「……なに」
「お前は一体僕の何だ?」
僕とクロハの間に横たわる不文律。
コイツの頼みとやらは、それを覆そうとすることに他ならない。
……まぁ、本当にそのつもりがあるなら話は別だが。
それがあり得ないことを、僕は簡単に分かってしまう。
そしてクロハの出した答えは、やはり予想通りのものだった。
「私は……あなたの『道具』よ」
「はは、やっぱり」
「え?」
「何でもない。そうだね、お前は僕の道具だ。だから僕はお前のお願いを聞くつもりはないよ。道具は主人の望みを叶えるもので、主人が望みを叶えるものじゃない」
何より、僕の行く道にはそれが許されるほどの余裕は存在しない。
掴んでいた襟首を離す。首に手を当て咳き込むクロハを見下ろして、僕は一連の会話の結論を下した。
「というわけで、僕は道具に使われるほど暇じゃないんだ。分かったらさっさと部屋帰って寝ろ」
「…………」
「返事は?」
「……ええ、分かったわ」
まっすぐに僕の目を見返し、クロハは頷いた。
理解、従属、反抗、激情……その瞳は様々なものを映し出していたが、ただ一つ見つけられなかったものがある。
それは『納得』という名のものだった。