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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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人は生かして活かすモノ

「ふーん。お兄さん、鬼ごっこがしたいの? いーよ、付き合ったげる」


 直後、背後から聞こえる布が引き裂かれる音。

 制服が切り裂かれた――聴覚が寄越したその情報に、僕は苦笑を浮かべる。


「アレ、一応防刃仕様なのになぁ……」


 あのチェーンソーの方にも何かしらの仕掛けがあるのだろう。ともすれば、僕の鋼糸のように魔法科学の産物かもしれない。

 謎が更に増えたが、今分かっていればいいことは一つだけだ。


 あのチェーンソーに掛かれば、人体なんてチーズも同然だ。


「っと、こっちか」


 入り組んだ路地をとにかく走る。

 目的地は駅。今は逆方向へと向かっているが、幾つか迂回路を繋げば辿り着けるはずだ。

 人通りのある場所に逃げ込めば、流石にこの少女も諦めてくれるだろう。


 希望的観測を原動力に、ちょうど差し掛かった角を回り、更にすぐ横にあった角を回る。

 より複雑に、難解になるように脳内の地図を駆けて行く。


 ――相手がここらの地理に明るくない者なら、これだけでも逃げられる。

 しかし、もし。あの少女の言っていたことが本当で、僕の予想が当たっていたとしたら――


 そうして思考を巡らせながら、新たな路地に入った、瞬間。


「――らアぁッ!!!」


 裂帛の気勢。

 振り下ろされる巨大な凶器。

 超至近距離で、激しく歪んだ少女の顔が目に入る。


 待ち伏せ(アンブッシュ)

 読まれていた。逃走ルートを。僕の思考を。

 その事実を、頭より先に体が理解する。一秒後の死から逃れるために慣性ごと地面を蹴り飛ばす。


 最高速の反射行動は、ギリギリで間に合った。

 髪の毛数本を犠牲にして、僕は元いた路地に転がるようにして退避する。


 そんな僕を、少女は醜悪な笑みを浮かべて嘲笑った。


「ふふ、イイ勘してるねぇお兄さん。でもざーんねーん。ワタシの“視”える範囲にいる限り、お兄さんの居場所なんて手に取るように分かるのさ。必死の逃走が全くの徒労だったってねぇねぇどんな気持ち?」

「……はは、とても気持ち良かったよ。ありがとう」


 内心舌打ちしたくなるのを堪え、張り合って空笑う。

 今少女が立っている場所は、例えどこを迂回しようと絶対に通らなければならない場所だ。これ以上逃げることは出来ない。


 加えて彼女は、僕がどこに向かっているのかを正確に理解しているらしい。

 そうでなければ彼女が僕より先にこの場所に着くはずがないし、チェーンソーのエンジンを切っていたということは意図的な待ち伏せだ。偶然鉢合わせたというわけでもない。


 少し、認識を改める必要がありそうだ。


「ねぇ……クソガキお前、本当にただの殺人犯? 後ろにどっかの組織でも付いてるんじゃないの?」

「あは、グチャグチャうっさいなぁ。質問タイムはもう終わったでしょ?」


 ブオン、とチェーンソーが唸る。一歩一歩、少女はゆっくりと距離を詰めてくる。

 僕はじりじりと後ずさりながら、懸命に口を動かしていく。


「ま、待って落ち着け落ち着こう!? 何かを決めるのに暴力はよくない。ほら、真の平和は対話から生まれるものって道徳の教科書にも書いてあるし! そうだお前にはこの飴ちゃんをあげよう! だからその殺気を収めて……」

「ワタシ飴って大っ嫌いなんだよねぇ」

「あ、そっち系かぁ! 分かる分かる! 飴って不味いよねぇそうだよねぇ! いやぁ僕たち気が合うねー?!」

「……。悪いけどワタシ、お兄さん大っ嫌いなタイプみたい。ゲロ吐きそう」

「そう思うなら狙わなければいいのに……ああ、ひょっとしてお前マゾ? あっは、だったらそう言ってくれればいいのに。何を隠そう僕もどちらかといえばM寄りでね――」

「……うるさい。それ以上喋るな」


 堪忍袋の尾を引き千切った感覚が、あった。

 視界の先から少女の姿が消え――そして瞬間、すぐ目の前に現れる。


 やはり、捉えられない。

 単純な速度だけでなく何か他にそういった移動法を用いているのかもしれない。そうでもなければ僕が視認すら出来ないというのは、少し考え難いことだった。


 ……まぁ、何でもいい。

 受け継いだ力が如何に強くても、それを使う僕は愚図なのだ。

 不測の事態の一つや二つはあって当然。その程度越えられずして、先生の生徒は名乗れない。


 だから僕は焦らない。恐れない。

 殺人鬼を名乗る少女が殺意を溢れさせようと。

 死を運ぶ凶器が紙一重の位置に迫っていようと。


 何故なら、そこは、既に――


「僕の領域だ」


 ――ピンッ!


 何かが弾けるような音が夜の路地に響く。

 その出所は少女の足下。アスファルトを砕容易く砕いた、力強い踏み込み足。


 ――少女は知る由もないだろう。

 逃げる途中、僕がその場所に鋼糸を張っていたことなど。

 そしてその鋼糸が、ブービートラップのスイッチとなっていたことなど。


 仕掛けが発動する。


「っ!?」


 驚愕の声を上げる少女。振りかぶっていたチェーンソーを引き戻し、バックステップ。巨大な武器を器用に操り、コンパクトに一閃を放つ。

 直後、夜闇に紛れて彼女目掛けて放たれた黒色の塊が、真っ二つに両断された。


「――お見事、間抜け」


 嘲笑、同時に弾け散るゴミ袋(・・・)

 それはこの路地裏名物の、生ゴミでパンパンに膨れていたゴミ袋だ。無造作に積んであったのを拾い、即席のトラップの弾丸代わりにした。


 吐瀉物色のシャワーが少女へと降り注ぐ。


「ッ……れが、なんだっつーの!」


 驚くべきことに、少女は生ゴミの濁流を避けも躱しもしなかった。

 前進、突撃。

 吐き気を催す汚物に全身を塗れさせながら、それでも少女は前へと駆けた。


 そして、再び僕との距離を詰めようと――


「……!?」


 したところで、ようやく気付いたらしい。


 僕の姿が、辺りから跡形もなく消えていることに。


「っ、どこに――!?」

「ここだよ」


 狼狽する少女に、僕はとても優しいので声を掛けてあげる。

 位置は少女のほぼ真上。彼我の距離は一刹那。右脚を限界まで振り上げている。


 僕がやったことは簡単だ。少女が生ゴミシャワーを堪能している間に、彼女の感知出来ないだろう高さまで跳んだだけ。

 先ほど彼女は『ワタシのみえる範囲にいる限り』と言っていた。

 それはつまり、見えない範囲もあるということ。


 ――ならばその“見えない範囲”とやらまで行けばいい。正確な範囲は分からないから、取り敢えず全力で跳んでみよう。


 そんな適当極まる行動が上手くいったのは運が良かったからか、はたまたこの少女が馬鹿だったからか。まぁ、どっちでもいい。


 右脚を振り下ろす。


「っ!」


 少女は即座に反応し、素晴らしい速度で防御の構えを取る。

 僕の踵と少女のチェーンソーがぶつかり合った――瞬間。


 ――バギンッッ!!!


 破滅的な破砕音が、僕と少女の中間で弾けた。


 出所はチェーンソー――ではなく、僕の脚。

 このチェーンソー、思ったよりずっと硬い。防がれるだけならまだしも、まさか競り負けるとは。


 右脚が膝から180度を超えた屈伸を見せる中、僕の体が反動で再び空中へと浮かび上がる。

 だが、完全に僕の敗北というわけでもない。


「うぐ……!」


 苦痛に歪んだ表情を浮かべる少女。その手から盾にしていたチェーンソーが零れ落ち、地を跳ねる。

 如何に身体能力が高くても、僕が放ったのは身体能力を振り絞った踵落としだ。


 手が砕けたか、そうでなくとも当分は物を持つことすら出来ないはずだ。

 そしてそれは、絶好の隙にほかならない。


「ふ――!」


 空中で鋼糸を展開。周囲に全てばら撒き、一気に魔力を通わせる。

 直後、自由落下が始まり――そして終わった。


 ――ズダンッッ!!


  半ば激突するように、僕はアスファルトの地面へと着地する。

 少女の真後ろという絶好の位置。正真正銘、最大の好機。


「クソがッ!」


 勢い良く少女が反転する。視界の端に、伸ばされた腕がちらりと映り込む。

 腕刀による一閃。狙いは首。そのまま砕き割るつもりだ。


 拳を使えないことを即応し、最も速く強力な攻撃を選んだ。その戦闘センスは賞賛に値する、が。


「僕のが速い」


 呟く。同時、十指を握り込む。

 何かを引き絞るような感覚が連続して指先に訪れ――ピタリ、と少女の動きが完全に止まる。


「な、ぐっ……!?」

「無駄だよ。お前はもう動けない」


 僕の常套手段である鋼糸による完全拘束。全身を雁字搦めに縛り付け、対象の動きを全て封じる。

 ヒトガタのパンドラ相手にすら機能するのだ。生身の少女程度が突破など、出来るはずがない。


 しばらくして、少女は諦めたような笑顔を浮かべた。


「あは……性格悪いね、お兄さん。最初からずーっと猫被ってたわけだ」

「騙される方が悪いよ。僕以上の嘘吐きなんて五万といるんだ。そんなんじゃ生きていけないぞ?」

「は、ご忠告どーも。……それでどうするの? まさか拘束して終わり、とか?」


 その目はどうも、それを期待しているというわけではないらしい。

 まぁ、応えてやるつもりなど微塵もないが。


「まさか。このまま軍に引き渡すさ。もう少し熟していたらホテルに連れ込むのも悪くないんだけどねぇ」

「気色悪いなぁ……ってことは、へぇ、殺さないんだ。命を狙われた相手を? 意外と甘ちゃんなんだね。反吐が出る」

「『人は生かして活かすモノ』――ってね。さっき言ったろ? 金の卵を産む鶏を絞めるほど、僕も馬鹿じゃないのさ」


 軍は殺人鬼を捕まえられる。人殺しが堀の中に収まる。僕の懐が潤う。

 うん、最高に素晴らしい大団円だ。特に最後。


「そういうわけで大人しくしててくれ。ああ、変に動いたら手足落とすからそのつもりでね」

「……あいにく軍のクソ共に捕まるわけにはいかないんだ。見逃してくれない?」

「は、虫のいいヤツ。嫌いじゃないよ、そういうのは」


 でも僕はお金の方がずっと好きなので、その提案は却下だ。

 拘束が解けないよう注意しながら携帯を取り出す。さて、この少女の身柄は幾らになるだろう?


 ピュアな想像に無邪気にワクワクしていると、ふいに少女が呟いた。


「……今回の教訓は、口は災いの元ってことかな。うん、タメになったよ」

「ん?」

「ゴメンねお兄さん。まだワタシは終われない。――ああそうだ、ここで終わったら誰があの娘を守る? 救う? そうだよ、終われない。終われないんだよ……」


 ブツブツと、薄気味の悪い意味不明な呟き。

 気が触れたのか? いや、それにしては少女から漂ってくる殺気が澄んだままだ。最初に会ったときから変わらず、未だ強い芯を感じる。


 何か、あるのか。

 この状況をひっくり返せるような隠し球が。


「……何だか知らないけど、逃げ出そうとしたら即足を切り落とす。褒賞金を抜きにしても、お前にまた襲われるのは勘弁だからね」

「あは、ざーんねん。ワタシは次こそお兄さんをエグめにブチ殺してあげるつもりなのにさ」


 言いながら、少女は指先を小さく動かした。

 何かのサインか。はたまた魔法か。僕と同じような暗器の類かもしれない。


 なら、それが効果を表す前に終わらせる。


「警告はした」


 右手を払う。真横に、勢い良く、少女の体による抵抗を一切無視して、鋼糸を引く。

 それだけだった。

 巡った鋼糸が極細の刃と化し、少女の大腿から先を綺麗に切り裂き尽くす。


「――アハ」


 輪切りになった肉と、血が、舞い散る中。

 激痛に絶叫するはずの少女の顔が、にっこりと歪んだ。


「ありがとね、お兄さん」


 その瞬間、僕は見た。

 地面へと崩れ落ちる少女。その今ちょうど失ったはずの脚部が――再生するのを。


 断面が煙を上げる。

 血が、肉が、骨が渦巻く。

 それらが集い、肉体を成していく。


 一秒以下の一瞬で、少女の脚は傷一つ残さず再生を終えた。

 それはまるで、僕やクロハのような――


「もー、そんなに生足見られると照れちゃうって」


 嘯きながら、少女は自由になった足で足元のチェーンソーを蹴り上げる。

 その刃は落とした時と変わらず駆動状態。つまり、何もせずともモノが切れる状態だ。


 回転しながら跳ね上がったチェーンソーが、少女の体を縛る鋼糸とぶつかった。


 ――ガリガリガリガリガリガリガリガリッッ!!


「アハッハははハハ! そう、これだよこの感覚! 生きてる感覚超最高ォ!」


 少女が笑う。自身の体ごと鋼糸を削りながら、心底愉しそうに笑う。

 舞う血飛沫。散る火花。

 拮坑したのは、僅か数秒。

 

 ――ブツンッ!


 鋼糸が音を立てて千切れ、少女の体が解放される。

 そしてチェーンソーは、そこが戻るべき場所かのように少女の手のひらへと収まった。


 身体中から再生の煙を吹きながら、少女は鋼糸の残骸を投げ捨てた。


「――はいオシマイ。ワタシの足の料金はこの糸でチャラね。使用料はオマケしたげるから、そこに転がってるのならナニに使ってもいいよ?」

「……はは」


 そこに転がってるの、というのは今僕が切断した少女の脚、その残骸だ。


「……うん、残念ながら僕はノーマルなんだ。変態扱いは心外だよ」

「ウッソくさいなぁ……っと、よっ」


 言って、跳躍。近くの壁を蹴り飛ばし、更に跳躍する。

 少女は次々に壁を跳ね回り、あっという間に廃ビルらしい建物の屋上に消えた。


 姿の見えない少女に向けて、僕は声を張り上げる。


「逃げるのか!?」

「今晩はそうする! 多分勝てるけどちょっと怖いし。だから続きはまた今度。お兄さん、約束だからねっ!」


 じゃーねー、という明るい声を最後に少女の気配が消える。

 追跡は……出来るかもしれないが、その先に何が待ち受けるかも分からない。危険か。


「……はー……」


 今や大小様々な傷の残る路地裏に、腰を下ろす。撒き散らした生ゴミをケツに敷く感覚があったが、まぁどうでもいい。

 それにしても逃げ足速いな。事前に幾つか見当をつけていたのだろうが……ここまで用意周到だと、個人犯のセンは完全に消えるか。


「……というか一体全体なんだったんだ、今の」


 学校帰りに犯罪者に襲われる、なんてのは授業中にテロリスト並のポピュラーな妄想だろうが、こうして現実になってみると本気で混乱してしまう。

 取り敢えず、命が助かっただけでも御の字か。


「あーでも、お金欲しかったなぁ……」


 制服は切られるし、汚れるし。鋼糸は壊されるし。出費だらけで泣きそうだ。

 しかもこれ、新しい面倒事の始まりな気がしてならない。また来るとか言ってたしな、あの少女。


 憂鬱感に、思わず空を仰ぐ。

 いつの間にか出来ていた雲の切れ間から、無様な僕をへらへらと嘲笑うかのような、三日月が覗いていた。


 ……差し当たっては失くして汚した制服に対する汐霧への謝罪かな。

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