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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
遥けき空に
33/171

娘さんを僕にください c

修正版(別物)

修正前のものを読んでくれた方々もお目通し頂くことを推奨します。

誠に申し訳ございませんでした。

「…………」


 世界が止まった。

 そう錯覚するほどの静寂が辺りを包んだ。


 僕は抵抗感のなくなった鋼糸を解き、回収する、と。


 ――トサリ。


 背後から、そんな何かが地面に落ちる音が聞こえた。


 ゆっくりと振り返る。

 すぐ背後にいたはずの濃紫の人型はそこにはなく、未だ両手で拳銃を構えていた汐霧と目が合った。


 サク、サク。

 独特の足音を立てながら、僕は足を前に出す。目的は汐霧――ではなく、その中間に横たわっている一つの人影。


 全身を覆っていた霧が消えた、汐霧父だ。

 ヒトガタ特有の暗色の地肌はそのままだが、狂気的な激しさは鳴りを潜め、声に掛かっていたディストーションも消えている。


「……ぁ、ガ…………クク……まさか、この私ガ……こんなとコロで、散るとはな……」


 息も絶え絶えに言う汐霧父の体からは、禍力の霧が止むことなく立ち昇り、空へと消えていく。

 核が壊れたことで禍力を維持出来なくなっているのだ。


 あと数分もすれば禍力を全て失い、汐霧父は跡形もなく消滅する。

 だから、その前に。


「ああ、そうだよ。お前は負けた。そして死ぬ。お前が育てた娘が、お前を殺したんだ」

「ク、ハハ……ご親切に、どうもご苦労……先ほどは、確かに殺したと思ったのだがね」


 先ほど、というのは汐霧ごと砲撃ブチかました時のことだろう。


「……『操作』のマガツは、あれくらいなら触れた瞬間に無効化出来る。それをあの時知らなかった時点で、お前の負けてたんだよ」


 【コードブラック】が表皮に触れ、脳に至るまでのコンマゼロ数秒。それだけあればマガツを起動して禍力を無力化するには充分だった。

 もちろん汐霧父の持つマガツによっては、僕は無効化出来ずに死んでいたかもしれない。

 だがそれがあり得ないと分かり切るほどに、汐霧父はマガツを使い過ぎていた。それも結果から内容が予想出来るほど、たくさん、単純に。


 マガツはヒトガタ同士の戦闘において、前提でありながら切り札、そして最終手段だ。

 そうとも知らず力を湯水の如く使っていた汐霧父に、負ける気はしなかった。


「僕からも一つ質問だ。アンタは、いつパンドラになった?」

「答えてもいい…….が……憂姫を、ここに呼べ……」

「……だとさ汐霧。お呼びだ」

「っ」


 汐霧はビクリと肩を震わせたのち、僕たちのところへと歩いて来る。


「お父様……」

「……こうしていると、思い出すな。お前を拾った日のことだ」


 最も立ち位置は今の真逆だが、と汐霧父。

 対する汐霧はおずおずと口を開く。


「お父様は……あの時には、もう……?」

「あぁ、私は既にパンドラだった……思い当たる節はあるだろう?」

「…………」


 咲良崎の話では、汐霧父が彼女たちと相対した時、一切魔法を使わずにこれを退けたという。

 それは使う必要がなかったから、ではなくその時は既に使えなくなっていたから、というわけだ。


「……ああ。だからあの時も普通の拳銃使ってたのか」


 初めて会った日に僕を撃った時も、汐霧父が使ったのは普通の拳銃と魔力の込められた銃弾だ。いつも身につけているような銃にしては、少しだけおかしい。


 魔導銃は性能的に、そこらの拳銃よりずっと優れている。

 もちろん上手く使えればという条件付きだが、娘である汐霧があそこまで熟達しているのに汐霧父が使えないはずもない。

 

 そんな便利な代物を使わず、敢えて劣る拳銃を使う理由……単に舐められているだけかと思っていたが、そうではなかった。

 以前そんな話になったが、弾に魔力を込めるだけなら誰でも出来る。その上そういった弾丸を高額で取引している企業もあるくらいだから、金さえあれば幾らだって手に入る。


 汐霧父は魔導銃が使えなくなったから、それでも何とか誤魔化せる手段を取っていたというわけだ。


「すっかり忘れてたよ。結構デカめのヒントだったのに」

「ハ……君の不注意など、知ったことでない」

「ご最も。で、続きは?」


 僕が不注意極まりない愚図であることなど、今更だ。10年前から今日までずっと、どんなに努力しても変わらなかった。

 潔く諦めて、僕は未来に目を向ける。


「……私がパンドラになったのは、第一次東京会戦の戦場だ。あるパンドラに敗け……そして変えて頂いた」

「ソイツはどんな姿だった?」

「……他に、質問は?」


 答える気はない、と。


「あ……じゃあ、生殖機能が駄目になったというのは……」

「……禍力と魔力は相反し、共存することはない。なぁ、そうだろう?」


 そう、意味ありげな視線を向けられる。汐霧父と汐霧、二人分。

 僕はそれらにそれぞれ、うんざりとした表情を返す。


「……答えてもやってもいいけど、アンタにはもう時間がないだろ。縁がなかったんだ、諦めてくれ」

「ふ……残念だ」


 お互い心にもないことを吐き捨て合い、笑う。


「あ……」


 と、そんな汐霧の声が隣から聞こえた。

 どうした? と目で問うと、彼女は無言のまま視線を促してくる。


 その視線の行先は、汐霧父の体――片腕。

 見ると、そこに既に腕はなく、崩れ、ボロボロと細かい粒子になっていく濃紫の塊があった。


 終わりの時が近い――。


「何か言い残したはあるか? 懺悔でもいい。今なら無料で聞いてやる」

「……ふ、そうだな。なら、お言葉に甘えるとしようか」


 自分で言い出しておいてなんだが、化け物がバケモノに懺悔か。

 滑稽極まりない構図に、なんだか笑えてくる。


「誤解しないで貰いたいが……まず、私は私の行動に一切の後悔もしていない。よって、悔い改めることなど何もない」

「……誰かに強制されていたのではない、と……いうことですか」

「あぁ。間違いなく、私の意思だ」


 その意思自体誰かに埋め込まれたもの……だとしても関係ないか。

 それに納得し、実行した時点で、その意思はコイツのものとなったのだから。


「この世界は、狂っている」


 小さく、それでいて明瞭に汐霧父は呟く。


「パンドラが溢れ、絶望が溢れ、それに伴い人々は悪意に支配された。そう……善意ではなく、悪意にだ。まるで、人の本質が悪であるかのように……」


 例えばそれは、守るべき弱者である子どもを、人殺しに育て上げるような組織が台頭したように。

 誰かを殺すことを悲しめない少女が、受け止め切れなかった善意を殺意に変えてしまう少女が、今まで生きることが出来たように。


「醜い人間と、それが織り成すこの東京(セカイ)。それを終わらせる力と知識を授けられた。なれば一度終わらせ、正しててやることこそ我が義務だと思った……」

「……だから、こんなことを……」

「では聞くが、お前たちはそんなに生きたいか? この、狂った世界で」

「……っ」


 汐霧父の言うことにどこか共感出来る場所があったのか、汐霧が息を呑み、言葉に詰まる。


「今この世界が狂っているのは人間とパンドラ、両者の悪意が混在しているからに他ならない。片方に寄ればこの歪みは消える。その後どんな変革を迎えようと、今よりはずっとマシなはずだ……」

「……なら、何でパンドラ側についたんですか。一緒に、人として、戦っていけば……!」

「人など弱い。独りでは何も出来ず、群れなければ総じて無力。それを愛情、友情……下らぬ言葉で飾り立て、自身の弱さから目を逸らす。そんな弱者に期待することなど皆無だ」


 汐霧の力の込もった言葉も、簡単に切り捨ててしまう。

 汐霧父は、自身の発言に何の疑いも持っていないようだった。その眼に嘘はなく、語調に揺らぎもない。


 どうやら彼は、もうとっくに心の果てまでパンドラとなってしまっているらしい。

 人と似ていて真逆であるその価値観が、何よりの証拠だった。


「人は、独りでは生きていけない。これは情愛を礼賛しているのではなく、単なる事実に過ぎない。この悪意に溢れた世界で一人で生きていけるほど、人は強く出来ていない。憂姫、お前も例外ではない」

「……っ、私は!」

「勘違いするな。お前は弱い。お前は今まで守られてきたから生きていられるに過ぎない。【スケープゴート】、汐霧、と。でなければとうの昔に野垂れていただろう」


 だがそれも(しま)いだ、と汐霧父。


「私はここで死ぬ。これだけのことをしでかしたのだ、『汐霧』は潰える。例えしぶとく残ったとして、もうお前を守れるほどの力は残らないだろう。父上や妻がお前の力になるとも思えない……さすれば、お前は独りだ」

「……そんなこと」

「ないはずがない。お前は他人に愛されるような人間ではない。何故なら人間の平均値を大きく踏み外しているからだ。故に、手が差し伸べられることなど期待するな。人間の善意に縋ろうと思うな」

「…………」

「……再び問おう、憂姫よ。お前はこの悪意に満ちた世界で、まだ生きたいと思うか?」


 父親からの容赦ないお言葉に、汐霧は顔を俯ける。

 実際、汐霧父の言っていることの半分ほどは当たっている。


 例えこの事件を解決したヒーローになろうとも、犯罪者の娘という悪評は簡単には拭えない。

 権力にご執心な他所(よそ)の名家はこれ幸いと汐霧家を攻撃するし、家の規模も縮小するだろう。そうなれば下心から手を差し伸べる輩すらいなくなる。


 先日の汐霧の言葉を借りるなら、『死んだ方がいい』という状況なのだろう。

 それに対して、今の彼女が出した答えとは――


「それでも……私は、生きたいと思います」


 そう言って、汐霧は父親の顔をまっすぐに見返した。


「……あなたに殺されかけて、私は心から生きたいと思いました。死にたくないって、初めてそう思うことが出来ました……それはきっと間違いなんかじゃないから」

「本当にそう思うか? 人の悪意と欲望は、私など比べようもないほど強大で凶悪だ。いずれ呑まれ、絶望しないと言い切れるか」

「……言い切れません。けど、だから死ぬっていうのは絶対に間違っています。そんなのはただの逃避です。今まで私はあらゆる痛みから逃げてきました。……だから、ずっと間違えていた」


 逃亡者には幸福も勝利も訪れない。

 自らで掴み取るべきそれらが、逃げる者の手の届く範囲にあるはずがないからだ。


「私は、私が殺した人の痛みと、そこから跳ね返ってくるはずの痛み、それらと向き合わなくちゃ駄目なんです。それは……私が生きてなきゃ出来ないことです」

「その殺された人間が、お前の死を望んでいたとしてもか?」

「……はい」

「そう、か……」


 絞り出すように言って、汐霧父は目を閉じる。

 少しして、嘲りで出来た笑みを浮かべ、ゆっくりと目を見開いた。


「……苦痛に満ちた道程だ。弱いお前一人では到底半ばで倒れるだろう。最も長くお前を見て来た者の一人として、断言する。お前には無理だ。何もかもが弱く脆いお前ではな」

「っ……だとしても」

「掲げた言葉は下げぬ、と? 馬鹿馬鹿しい。出来もしないことしか言えないなら、結局それも現実から逃げているだけだ……君もそう思うだろう? パンドラアーツ」

「……突然そういうキラーパス回すの、やめて欲しいんだけど」


 親娘喧嘩に巻き込まないで欲しい――というのは、一度割って入った時点で言う資格はないか。

 それにしても……ふむ。確かに汐霧父の言っていることは間違ってない。


 彼と違って断言は出来ないが、今の汐霧には酷な道だろう。

 それくら彼女の選ぼうとしているのは茨の道なのだ。


「……そうだね、正直言って無謀な話だ。今の汐霧には、ちょっと荷が勝ちすぎていると思う」

「っ……!」

「あぁ……だろう?」

「ええ。本当にその通りだ……だから」


 言葉を切らずに、僕は汐霧の肩を思い切り抱き寄せる。

 流石に予想もつかなかったのか、汐霧はマトモな抵抗も出来ずにすっぽりと収まった。


「え、あ……わ、は、儚廻?」

「汐霧泰河。アンタに言わなきゃならないことがある」

「……ほう?」


 セクハラや犯罪なんて言葉を、意識の彼方に投げ捨てて。

 混乱する汐霧を今だけは気にせずに、僕は言葉を続ける。


 ――男には、やらねばならない時と、付けなければいけないケジメがある。

 その言葉が指しているのはきっと、まさに今この時なのだ。


 だから僕は心中で、双方にごめんなさいと謝って。

 血と土に塗れた小さな肩を抱いて、言った。



「娘さんを僕にください」



 再び、場に痛いほどの静寂が訪れた。

 ポカンとした、二人分の呆気にとられた視線がじっとりと突き刺さる。


「……な……ぁ、え……?」

「…………」


 未だ全く理解出来ていない汐霧と、言葉だけは受け止めたらしい汐霧父。

 それらに対してへらへらと、僕はいつも通りの笑顔を返す。


「はは。一応は一人娘を預かるんだ。親御さんにはちゃんと挨拶するのが筋ってもんだろ?」

「それ、って……」

「……これから先は君が娘を守る、と。そういうことかな?」

「そんな大層なものじゃないさ。そもそも僕は“守るための力”を持っていないからね」


 命より大事なものを守れなかった僕が、今更何かを守ろうだなんておかしな話だ。反吐がでる。

 ……けれど。


「そんな僕でも一緒にいるくらいは出来る。文字通りの半人前だけど、それでも半分は人間なんだ。コイツを独りにしないくらい、出来るさ」

「…………」

「あ、それにほら、『一人で無理なら二人、というのは合理的』なんでしょう? 一人と半分でも、四捨五入すれば立派に二人だ。それくらい多めに見てくださいな、お義父さん」

「……く、クク、ハハ、ハハハハハハハハ」


 突然、汐霧父が大きな笑い声を上げた。

 彼は心底おかしそうに、滑稽そうに笑いながら、言う。


「な、なんて気持ち悪さだ。君にそう呼ばれると、ここまでの怖気が走るとは。おかしいったらありゃしない」

「は、酷い言い草……ああ、それともアレ? お前みたいな馬の骨に娘は渡さんってヤツ」

「ハハ……それを言う資格は、つい先ほど失くしたがね……」


 そこで僕は、汐霧父の体が既に限界であることに気付く。

 彼の気配はこれ以上ないほど薄まり、体の輪郭もぼやけ、透け始めている。


「……憂姫よ……我が、不肖の娘よ……」

「お父様……」


 それでも、彼は喋ることをやめない。

 正真正銘最期の力を振り絞り、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「……そんな顔を、するな。私は……お前を、本心から、殺そうとした。私のことは、忘れろ……そして、精々……隣の男を上手く使い……生きるがいい……」

「……嫌です。忘れません、絶対に」

「……ふ。好きに……しろ……」

「はい」


 全身が分解され、塵のように舞い、空へと還っていく。

 東京を壊滅の危機に陥れたSランクのパンドラは、完全に消え去る寸前に、心底幸せそうに笑って、息を吐いた。


「あぁ――やっと、終われる」


 その言葉を最後に、汐霧泰河はこの世を去った。

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