醜撃に終劇
ナイフが飛来する。
ナイフが飛来する。
ナイフがナイフがナイフがナイフがナイフがナイフが――飛来する。
予想着弾地点は右目、人中、顎、喉仏、鎖骨、鳩尾、金的、脛。人間の急所のオンパレード。多分、一つでも当たれば殺してくれと叫ぶ羽目になるのだろう。
――あたかも“点”で“面”を形成するような攻撃。
一瞬でここまで多彩に正確に投擲できる彼女は、やはり天才なのだろう。
「凄いなぁ、ホント!」
賞賛を拍手一つで代用し、僕は前へと、教室の床を踏み蹴った。
回避を放棄して突っ込む。無謀な突撃、その余りの愚かしさにお嬢さまの動きが一瞬止まる。
僕はその瞬間――先ほどの柏手の際に撒いておいた“鋼糸”に魔力を通した。
「【隙間だらけの護方陣】」
魔法の起動句である魔法名を呟く。
【隙間だらけの護方陣】。この魔法は、かつて僕の先生が初級の結界魔法をアレンジして完成させたものだった。
月並みな例えであるが、魔法を家電とするとしよう。すると魔力は電力で、難易度は回路の複雑さ。魔法名はスイッチだ。
僕は今、魔力を通した鋼糸で空中に魔法陣を作ることにより魔法を強化した。言うなればオプションパーツを後付けしたようなものだ。
その結果としてこの魔法は、結界の強度を上げるどころか鋼糸が攻撃に反応して自動で防御するようになった。
簡単に言えば、鋼糸による攻撃の自動防御結界。
鋼糸という線で防ぐ以上範囲攻撃には弱くなってしまったが――その点、このナイフは“面”に見せ掛けた“点”の攻撃。
それなら、この魔法で十二分だ。
――ジャキンッ! と。
輝く鋼糸の魔法陣が自在に展開し、氷のナイフの尽くを切り裂いた。
「なっ――」
「よっ、と!」
魔法名の通り、隙間だらけの方陣を内側から潜り抜けてお嬢さまへと腕を伸ばす。
お嬢さまの反応が遅れる。たかがEランクと侮っていた思考の切れ端。それが命取りとなる。
遥かに感じる刹那の時間。一瞬以下の意識の空白。
それを逃さず、僕の右腕がお嬢さまの首を捉えた。
「ごめん、ちょっと痛いかも」
そうなったら悪い、と。
謝り、僕は右手に溜めていた魔力をお嬢さまへと放った。
「【インスタントスタンガン】」
誰もいない教室にバチッ! と魔力が弾ける音が木霊した。
ややあってお嬢さまの体が激しく痙攣し、力と意識が抜け落ちる。
魔法名【インスタントスタンガン】。
この学院で最初に習った初級の魔法で、効果は触れたところから電撃を流し込むというもの。
威力は現実のスタンガン程度しかない弱い魔法だが、首辺りに流し込めば気絶させるくらいは出来る。
お嬢さまが完全に沈黙したのを確認して、僕は体から力を抜いた。
そして、馬鹿みたいに安堵の溜息を吐き出す。
「……あっぶな……」
今の戦闘、結果だけ見れば完全勝利。だが正直なところ、お嬢さまが死ぬほど手加減してくれていたのが大きい。
多分僕が絶対に怪我をしないようにしてくれていたのだろう。彼女、とても優しいから。
もし本気で戦うことになっていたら、勝てなかった可能性はかなり高い。
「……さて、もう帰れるかなっと」
気を取り直して振り返ると、凍りついていたドアはいつの間にか元通りに。
術者が気絶すれば魔法は消える。常識の一つだ。
「…….じゃ、暗くなる前には帰りなよ。バイバイお嬢さま」
聞こえてないだろう忠告を口にして、僕は教室を後にした。
◇◆◇◆◇
夕日に染まる表通りの大通り。世界が滅び、更に平日にも関わらずこの場所の人通りは普通に多かった。
いつもだったら邪魔くさいくらいは思うはずだが、何分今日の僕は機嫌がいい。
鼻歌交じりに闊歩する。
「~♪ ~~♪」
胸にあるのは開放感オンリー。面倒くさい寄り道というべきか、とにかくそこから抜け出せた、心地良い解放感だけだった。
ああ、なんていい気分。今日は何だかいい人出来そうな気がするな。
「よし、今夜は焼肉にでもしようかな」
脈絡なくパチンと指を鳴らす。学校辞めた記念にパーッとやりたい。
……いやでもそれはどうなのだろう、人として。ニから始まる無職と同じなような。でも同居人が喜びそうだしなぁアイツ肉好きだし――
――とか考えていた、その時、だった。
――ウゥウウウウウウウウウウウウウウウ……!!!――
なんていう、けたたましいサイレンの音と。
『避難警報です! ランクレートBのパンドラ2体が居住区E地区周辺の外壁より侵入。付近の一般市民は直ちに退避し、魔導許可証所持者は迎撃に当たってください!』
そんな、ノイズまみれの警報が聞こえて来たのは。
「……E地区、か」
それは東京コロニーの居住区の一つで、僕の現在地から走れば五分も掛からない距離。
多分、これから駆けつける他の誰よりも早く接敵出来るはずだ。
通常パンドラと単独で戦闘する場合、そのパンドラのランクより一つ上、もしくは同ランクで倍の人数が安全マージンとされる。
そして、相手はBランクが2体。
Eランクで一人の僕では、役立たずの役不足。時間稼ぎにもならないまま殺されても何らおかしくない。
「は……どうする?」
自問する。しかし答えは決まっていた。
パンドラが現れた――僕が走るのにそれ以上の理由はいらない。
断続的に聞こえ始めた破砕音。僕はそれに向けて駆け出した。
◇
塀を飛び越え、家々の屋根を走り、三分掛からず目的地に辿り着く。
「チッ、遅かったか」
そこでは、既に始まってしまっていた。
倒壊した建築物。
抉られたアスファルト。
鏖殺された人々。
崩壊した日常。
いつかどこか、あの日のような、そんな光景の真ん中に立つモノは。
いつかどこかのあの日と変わらず、非情なまでにバケモノだった。
「……殺す」
あの日の記憶と重なった光景に、どうしようもなく湧き出した殺意。
僕はそれの向くまま、奴らを始末しようとして――
「――はぁあッ!」
ふいに、辺りを鋭い気勢が切り裂いた。
適当な建物の屋根上に乗って辺りを見回すと、路地を走る一人の少女が目に入った。
明るい蒼みがかった銀髪。それをセミロングくらいに伸ばしている。あどけない童顔に可哀想な胸の膨らみ。外見年齢は大体二、三ほど下くらいか。
服装は僕と同じ、クサナギ学院の制服。うちの学院は学年によって制服が違うので――疑わしいことこの上ないが――同じ二年生らしい。
E地区に住んでいるのか、それとも僕より更に近くにいたのか。
とにかく、彼女は一足先に戦闘を始めていたようだった。
「【コードリボルバ】!」
瞬間、彼女の手に一丁の拳銃が現れる。
「……へぇ」
確か、アレは『武装換装装填魔法』と呼ばれている魔法技術。世界で最も扱いが難しい魔法の一つと言われている魔法だ。
この魔法の効果は、物に魔力を付与し、特殊能力の付いた魔法武器を作り上げるというもの。汎用性が非常に高い代わり、難易度が途轍もなく高い。
何故なら、この魔法によって作られる魔法武器は付与する対象や魔力の量によって全く異なってしまうのだ。
よってその物体に合った量の魔力、その結果出来上がるモノの性質などほぼ全てを使用者の感覚で処理しなければならない。
東京コロニー全体で見てもこの魔法を『使いこなす』ほどに習熟した人間は一人しかおらず、それどころか『使える』程度の者すら片手で数えられるほどだ。
確か、どこかの家系がその技術の体系化及び独占に成功していて――
「ああ……汐霧憂姫、だっけ」
使う魔法のユニークさに助けられ、僕は彼女のプロフィールを思い出した。
汐霧憂姫。成績はトップクラスでいつもお嬢さまや梶浦と争っていた(今回はお嬢さまが一位で梶浦が二位だったから、多分三位)。
軍事財閥である汐霧家の長女で、機動力重視型の高機動近接拳銃士だったはずだ。
見た感じ、あの拳銃は持ち主を加速させるような能力なのだろう。伝聞の通りの素早い動きで縦横無尽に動き回り拳銃を乱射していく。
2匹の化物が振り回す攻撃など掠りもしない、傍から見れば圧倒しているような光景。
だけど、僕には汐霧の方が押されているように見えた。
「……く、うっ!」
汐霧は焦ったような声を出し、更に動きを加速させる。
確かに彼女は速い。だが、それだけだ。何か焦っているのか動きが直線的過ぎる。とてもAランクとは思えない動きだ。
そのことに敵の方も気付いたのか、2匹とも余計な攻撃をせずに防御に徹し始めた。
――人間は知能で劣る生物に負けることはない。
前時代の偉人が言ったこの言葉を真実とすると、パンドラは人類より頭が良いことになる。
が、それはあながち間違いではない。奴らは理性はなくとも、絶対に馬鹿ではないのだ。
だからこそ、ただ速いだけの単調な攻撃などすぐに見切られてしまう。
そして、均衡はあっさりと崩れ去った。
「っ!」
『――ッ!』
一瞬で背後に回り込んだ汐霧が、片方のパンドラに向けて凄まじい蹴りを放った。
完全な死角からパンドラの心臓である『核』を狙った、容赦のない一撃。
それは2体目のパンドラが伸ばした分厚い腕に防れる、も――
「はぁあああああああああッ!!!」
――メギッ、バギギッッッ!!!
汐霧は構わず蹴りを叩き込んだ。
Aランク魔導師渾身の蹴りだけあって威力は申し分ない。パンドラの分厚い甲殻をブチ抜き、破壊しながら進んでいく。
だが、彼女の限界はそこまでだった。
片腕を貫いたところで、汐霧の蹴りは完全に止まってしまう。
お返しとばかりに、パンドラが咆哮した。
『―――ッ!!』
「っ、!」
体を振り回され、体勢を崩す汐霧。
切り替え、すぐさま次の魔法を放とうとするも――それが許されるほど、現実は甘くなかった。
『―――――ッッッ!!!!!』
―――ドンッッッ!!!!!
そんな、トラックと衝突したかのような重低音を響かせて、汐霧の体が吹き飛んだ。
吹き飛び民家の一つに激突する汐霧。瓦礫の上から見えたその姿に、僕は少しだけ驚く。
「……あ、何とか直撃は避けれたのか」
彼女は今の直撃を受けたにも関わらず、未だに五体満足だった。
どうやらパンドラの攻撃が当たるギリギリで結界を完成させたらしい。流石はAランク魔導師。凄まじい反射神経だ。
まぁ、とはいえ完全に防げた訳ではないらしい。
「……っ、ぅ……」
彼女は自分の上に降り積もる瓦礫をどかしもせず、そのまま倒れ伏していた。
どうにか意識はあるらしいが……体が痙攣している。ダメージが大きかったのか、マトモに動ける様子ではない。
そんな彼女を喰い殺そうと、二匹のバケモノがゆっくりと近づいていく。
――そろそろ、頃合かな。
「よっと」
僕は民家の屋根から飛び降り、少女と化物のちょうど中間に着地した。同時に懐から2本のナイフを引き抜き、パンドラ共へと投げつける。
2本のナイフはどちらともパンドラから外れ、パンドラ共の背後へと消えて行った。
『『…………??』』
いっそ愛嬌すら覚える仕草で首を傾げる2匹のバケモノ。
程なくして疑問を棚上げすることにしたのか、歓喜の表情を浮かべながら僕へと迫り来る。
「……ふーっ」
あと数秒もすれば、奴らは僕を奪い合うようにして喰い殺すだろう。
だが僕は、唾液を撒き散らしながら突っ込んで来る2匹をのんびりと眺めていた。
なに、焦る必要なんてない。後はタイミングを計るだけだ。
何故なら、そこは、既に。
「僕の領域だ」
手元の鋼糸を操る。とにかく複雑に、俊敏に手繰る。先端に括り付けてあったナイフの遠心力を利用して、パンドラ共の周囲を瞬時に幾重にも回らせる。
パンドラ共はまず怪訝そうな声を上げて、そこでようやく気付いたらしい。
いつの間にか、自分達が拘束されていることに。
「けどもう遅い」
気付いた時にはもう手遅れ。それがこの鋼糸の、僕が好きなところだった。
パンドラ共は動かない。動けない。
暴雁字搦めに縛り上げられ、暴れようにも指一本動かせない。
彼らの生殺与奪は僕のモノ。
愉悦に笑って、僕は呟いた。
「【キリサキセツナ】」
魔法の起動句、魔法名を唱句する。
魔法名【キリサキセツナ】。
この魔法の効果は簡単。魔力を流した物の切れ味を、この世の限界まで引き上げるだけの魔法。
魔力が通り、鋼糸が輝く。
奴らの全身に絡みついたまま、魔法が起動する。
――何かを断ち切る音がして。
――血肉をブチ撒けバラバラに。
二匹のバケモノがこの世を去る音が、夕暮れの廃墟街に響いた。