災禍、来たれり
それから3日間は、気付いたら終わっていた。
学院に行き、訓練を受け、放課後には部隊で集まって自主練をし、夜遅くに家に帰る。
急な日程ということで学院側も大慌てらしく、訓練もほとんどが次の作戦を意識したものになっていたので非常に大変だった。ので、気付いたらと言うより気付く暇もなくの方が正しいかもしれない。
ともあれ、本日。軍の作戦開始日の、早朝。
僕ら学院生は、全員がクサナギ学院の正面演習場へと招集されていた。
『……では、続いて学院長先生からの激励に移ります。学院長先生』
特設された壇上の斜め下にいる教官の一人が言葉を向ける。
向けられた先である、東京屈指の狸爺――学院長はそれに頷き応え、ゆっくりと教壇の上へと上がっていく。
やがて壇上に上がった学院長は、備え付けられていたマイクに顔を寄せ、口を開いた。
『……生徒諸君。この3日間、急な日取りにも関わらず真摯に訓練に取り組んでくれたことを褒めようと思う。本当に、よく頑張ってくれた』
仰々しく、重々しく。全体を俯瞰しながら、充分な間を空けて二の句を続ける。
『今回の作戦において、諸君らは軍の主力が戻るまでコロニーの防壁、またはその支えとなって貰う。パンドラとの戦闘も避けられないだろう。この中からも傷を負う者、斃れる者は必ず出る』
脅しに片足を突っ込んだ内容にも関わらず、生徒たちが動揺した様子はない。
それは自分がそうならない自信があるからか、既に覚悟を完了していたのか――それとも実感がないだけなのか。
前者二つでありますように、と胸中でこっそり祈っておく。その方が、死人も怪我人も少ないだろうから。
『だが――私は我が教え子のことを信頼している。諸君らが無事任務を全うし、誰一人欠けずこの場に帰ってくることに全幅の信頼を寄せている。そのための力と術は、我々が授けてきた』
再び、一拍間を置く。一人一人、生徒たちと顔を合わせるようにして辺りに目を配っていく。
『諸君らは敗けない。よって勝てる。諸君らは死なない。よって生き残る。――以上が言葉に、疑問を持つ者はいるか?』
滅茶苦茶な理論。しかし声を上げる生徒はどこにもいない。
どうやら疑問や不満のある生徒はこの場にはいないようだ。そして真に遺憾ながら、それは僕も含まっている。
……あの狸は、本当に人のことをよく理解している。
抑揚、語調、声色、声量。
人の視線を集め、散らばる意識を集約し、場の全てを支配する。
それらを意識的に、自由自在に操ることによって、こうも多くの人間をコントロールせしめてしまっている。
これだから、僕はあの狸が嫌いなのだ。
先生の受け売りだが、人とは一人一人が自由に生き、動くべきものだ。
それを操るなんて傲慢を、あの男は顔色一つ変えずにやってしまっている。
――とても人間のすること、出来ることじゃない。
『よろしい。それでは、私は心より諸君らに再びこの場で会えることを祈っている――』
何割が本音に由来するかも分からない、薄っぺらな言葉。
そんなもので締められた演説に下された評価は、割れんばかりの拍手喝采だった。
◇
外、結界外縁部にはコロニーを囲うようにして幾つもの簡易拠点が点在している。
僕らお嬢さま率いる三十二番部隊はそのうちの一つ、居住区のCとD区画の中間地点辺りのそれに集められていた。
「こないだぶり、でもないか」
拠点の見た目や間取り自体は、先日咲良崎との話し合いに使ったものとほとんど同じだ。
が、こちらは現役で使われているためか様々な機材や物資、清掃道具にトランプなどたくさんのものが散見されている。まぁ、当たり前といえば当たり前だ。
今日ここに集められたのは、正規軍の軍人四人と僕ら含めて二つの学院生の部隊だった。
軍人二人につき部隊を一つ。教官曰く、これが今回の作戦では一つの小隊となるらしい。
そんなわけで、現在はブリーフィングタイム。
僕らの部隊と、これから組むことになる軍人さん二人による顔合わせの時間だった。
軍人二人の内訳は、男性と女性が一人ずつ。
まず、女性の方が口を開く。
「こんにちは、クサナギ学院の皆さん。私は古沢千郷です。魔導師ランクはB-で、階級は伍長です。支援や結界の類の魔法を得意としています。これからしばらくの間、よろしくね」
一通り自己紹介を終え、彼女はにこりと微笑む。
へらへらと笑わない辺りとても好感が持てる――というのはまぁ、どうでもいい話だ。それ以外の点にも目を向けてみる。
優しげな顔立ちにベージュのボブカット。スタイルはそこそこで、柔らかめの雰囲気を醸している。歳は……二十代前半ほどだろうか?
そして何よりも重要な情報である魔導師ランク。汐霧と一緒にいると感覚が麻痺してくるが、正規ランクでB-というのはかなり凄い。そこまで十年かけて届かない人の方が多いくらいのランクなのだ。
この若さにして、しかも軍に嫌われやすい女性という性別。にも関わらずこのランクにまで上り詰めているわけだから、彼女は本当に優秀な人間と見て問題ないはずだ。
「ほら、紫堂先輩も」
「……俺ぁ別にいいだろ。お前からやってくれや」
「だーめーでーす。ほら、仲間は大事にーって言ってたの先輩じゃないですか。忘れてたら叩くくせに……」
「そりゃテメェの頭の出来が悪りぃから直してやってんだっての。ったく……おいガキ共」
面倒そうに片目だけ開け、紫堂と呼ばれた男性が僕らに視線を向ける。
「紫堂司だ。……言っとくがここは保育園じゃねぇ。場合によっちゃ俺はお前らを見捨てるし囮にする。それが不服なヤツは魔導師なんざ辞めて今すぐケツ捲って帰れ。それが身のためだ」
傲慢に、威圧的に。彼は僕らを見下していることを隠さず言葉を締めた。
紫堂の容姿は女性――古沢と違い、全体的に厳つい印象だ。目付きが非常に鋭く、なかなかの強面。固そうな黒髪をワックスか何かで上げている。
顔全体に大小様々な傷跡が残っており、先の言葉と合わさりかなりの圧を発している。歳は……分かりづらいが、大体三十代前半と見た。
全体的に、軍人というより傭兵と言った方が合っているような容姿の男性だ。
紫堂の言葉に、古沢が苦笑を浮かべる。
「ごめんね、こんなこと言ってるけどいい人だから。あ、紫堂先輩の階級は中尉でランクはB+だよ。……えと、こんなところかな。君たちの部隊の隊長は?」
「……私です」
手を挙げるお嬢さま。その様子は、どこか不承不承と言った感じだ。
先日の言葉通り、本当にリーダーという役が嫌らしい。基本孤高だから――とか、正直な感想は体の底に叩き落としておこう。身の安全のためにも。
そんな僕の内心を知らず、お嬢さまは僕らを代表して一歩前に出た。
「……今作戦においてお二方のサポートに回らせて頂きます、那月ユズリハ以下四名です。どうぞよろしくお願いします」
「うん、よろしくお願いします。ほら先輩」
「だから俺に――待て、那月ユズリハだと?」
今度こそ両目を開き、睨むようにお嬢さまを見る紫堂。僕だったら直視出来ないような眼光に、お嬢さまは何の毛なしに視線を返す。
数秒、緊迫した時間が流れ……ふっと紫堂の視線が和らいだ。
「……なるほど、こりゃホンモノだ。おい千郷、お前運が良いぜ」
「? どうしてですか?」
「梶浦の若と同等以上の魔導師だ。お前も知ってるだろうが」
「……あ、あーっ! 去年からずっと袖にされてるって言うあの!」
「……事実だがな。お前、そのうち上に首飛ばされるぞ?」
「……お言葉ですが」
コントを続ける軍人二人に割って入るお嬢さま。本当、男前な女の子だことで。外見美少女だけどさ。
「私はこの部隊のリーダーです。私はあなた方を護りません。場合によっては見捨てます。囮にします。自分の身は自分で守ってください。私をアテにするのはお門違いです」
……………………。
しん、と。
びっくりするほど完璧に、空気が凍った。
「……お嬢さま、肝座りすぎ」
何だこの娘。本当に女の子か?
もし僕が女に生まれてたら惚れていたところだ――って意味分からんなこの文章。
古沢が紫堂とお嬢さまを見比べて呆ける中、対して紫堂は野性味溢れる笑顔を浮かべた。
「……っは、上等。そうだ、それでいい。とにかく生き残ることだけ考えろ。お前らガキは護るもので守られるものじゃねぇ。それが分かってんなら充分だよ」
「そうですか」
「おい千郷、いつまで呆けてやがる。ブリーフィング始めるぞ、資料取って来い!」
「は、はい!」
慌ただしく走っていく古沢。お嬢さまは無感動に一歩下がり、元の位置に戻る。
――どうやら、結果オーライと言っていいらしい。
何もやってないのに浮かぶ汗を拭きつつ、僕は溜息を吐き出した。
◇
軍人二人を加えた僕らの初仕事は、辺りの哨戒と索敵だった。
結界のすぐ近くということで、この辺りはパンドラとの遭遇率が馬鹿にならないらしい。危険は極力事前に摘むに限る、というのは紫堂の言葉だ。
「じゃ、俺らは出てくる。規定時間の10分前になったら連絡入れろ。拠点のことは頼んだぞ」
「了解しました紫堂さん。お気をつけて」
拠点の防備として残るもう一つの小隊、そのリーダーである軍人さんに挨拶し、紫堂――の前に古沢が外に出る。
彼女は魔力を灯した指を指揮棒のように振り――
「【結界・天緑ノ息吹】」
――大型の、緑色に淡く輝く結界を張った。
半径はおよそ25メートルほど。範囲だけならこの前僕の張った【フィールド】より多少広い程度だが、それ以外の完成度が段違いだ。
強度は少なく見積もって十倍以上。加えてこの感じ、恐らく何がしかの特性が付与されている。
「お嬢さま、分かる?」
「……多分、迷彩効果。拠点に掛けてあるのと同じものね」
外に存在する拠点には、それ自体が結界の発生源となるよう魔法が施されている。
せいぜいが拠点一つギリギリ収まる程度の小規模なものだが、その代わりに簡単な迷彩効果が付いており、元から場所を知っている者でないとそうそう見つけられないようになっているのだ。
どうやら、結界系統の魔法が得意というのは嘘ではないらしい。
「先輩、結界完成しました」
「おう。では、今から手始めに一時間の哨戒任務を始める。俺が先頭、千郷が殿だ。ガキ共は中間、二列の隊列行動だ。何か気付いたことがあればどんな些細なことだろうと報告しろ。いいな?」
『はい』
頷き、僕らは二列に並ぶ。
五人ということで組は三つ。まず男子生徒と女子生徒その一、次に女子生徒その二とお嬢さま。そしてあぶれ者の僕。
一番死んでもいい奴を一人にする辺り、彼らはよく出来た人間だ。含みなしでいい判断だと思う。
「じゃ、行くぞ。続け」
紫堂の合図で、小隊行動を開始する。
さぁて、何も起きませんように、と。
◇
歩き始めて、あっという間に45分が経過した。
任務開始から現在に至るまで、特に何も起きていない。結界の迷彩機能が効いているのだろう、パンドラの一体すらとも遭遇しなかった。
小隊はその間ずっと無言……というわけでもなく、割合言葉に溢れていた。
驚くことに、発端は紫堂。曰く、ずっと無言でいると余計に疲れていざという時マトモに動けないから、らしい。
今も世間話程度の話を男子生徒と女子生徒その一その二と続けている。無論、辺りへの警戒は続けたままでだ。
案外、面倒見のいい人間なのかもしれないな。言葉は荒いし強面だしでそういう印象はなかったが、もしかしたら子ども好きなのかもしれない。
そんなわけで、小隊の半分は話にのめり込まない程度に会話に花を咲かせていた。
会話に参加していないのは結界に集中している古沢、ぼっじゃなくて無口なお嬢さま、嫌われ者な僕のみ。ある意味納得の面々ではある。
「……ねぇ、遥」
割と失礼なことを妄想していると、お嬢さまに名前を呼ばれた。
……まさか、考えてることバレた?
「はは、違うんだよ別に、ぼっちとかネタだから。ね? いやもうホント嘘だから許してまぁ本当のことだけどごめんなさいお願い」
「……は?」
凄い顔で振り向かれた。違ったらしい。失敗。
コホン、と咳払い。出来る限りの真面目顔を作り、言葉を返す。
「それにしてもさっきはお嬢さまかっこよかったねぇ。『部隊は守るけどあなたたちは守りません』って。惚れ惚れしたよ」
例えそれが、部隊の隊長として失格な行為であっても。
お嬢さまはとある一点、モノマネを交えた箇所で細い眉をピクリと動かした。
「……それ、私の真似?」
「はは。どう? 似てた?」
「気持ち悪いくらいね」
「そりゃ声帯変えたもの。多分ほとんど同じなはずだよ」
「…………気持ち悪い」
ちょっとゾクッと来た。
閑話休題、と。
「で、何か用?」
「ちょっと聞きたいことがあったから。……《部隊編成》、あなたが汐霧憂姫と二人だけで組むと聞いたわ」
「あら、よくご存知で」
コレ話したの、梶浦と藤城の二人だけだったと思うけど。かと言ってアイツらが勝手に口外するとも思えないし。
まぁ、今時情報を知る手段なんて幾らでもあるか。お嬢さまもどうにかして知ったのだろう、きっと。
「まぁそのつもりだよ。それが?」
「今のこの部隊は、学院が部隊の実力が平均的になるように割り振られたもの。だけど《部隊編成》で同じ部隊になる人とは極力同じところになるように配慮されてる。……なのに、同じ部隊になったのは彼女じゃなくて私だったから」
「あー……まぁ、まだ正式に組んでないからね。ほら彼女、最近入院続きだったから」
流石に、現在盛大な喧嘩状態だとは言えない。
先日の言葉通り、汐霧はあの日からしっかり一日安静にして正式に退院した。
が、彼女が戻ったのは我が家ではなく汐霧の屋敷だったーーと、その日の夜に咲良崎から送られてきたメールで初めて知った。
まぁ、汐霧の方も怒りだったり気まずさだったりで僕の顔を見たくなかったのだろう。普通に考えればある意味当然でもある。
そしてそれからロクな会話も連絡もなく、今日へと至る。
……ちなみに汐霧が帰って来ないと知って、クロハが彼女の下着や衣服で遊んでいたのは秘密だ。
特にアイツの言っていた「サイズの差はほとんどないようね。ほら見てハルカ、十分着れるわ」なんてセリフは絶対に聞かれてはならない。ついでに撮った写真も見られてはならない。間違いなく脳味噌ブチ抜かれてご臨終だ。
「……え、えーと。それで何? 心配だったってこと?」
「ええ。やっぱりまたあなたが嫌われたのかと思って」
日頃のお返しか、痛烈な皮肉を頂戴した。
やっぱりってオイ。またってオイ。事実だけどさ。
「ていうか、僕アイツには最初から嫌われてるからね。残念だけど」
「でしょうね。そういえば、彼女は?」
「確かこことほぼ真反対のところ担当の部隊だったよ。藤城が一緒だった」
そして汐霧と藤城なんていう学院最強の二人が同じところに配属されたワケ。
それはきっと、この間の暴走だ。
もしまた何かのミスで暴走したら、最低彼女と同じクラスの魔導師がいなければ止められない。
そこで、特に戦闘技能が突出している藤城に白羽の矢が立ったのだろう。
「心配?」
「まさか。アイツが一緒なら僕なんかよりよっぽど頼れる。むしろ運が良かったくらいさ」
「……信頼してるのね」
「友達だからね」
こんな僕と友達になってくれるくらい、優しくて強いヤツだから。
「……あなたのそういうところは、嫌いじゃないわ」
「はは、そう? それは良かった」
言って、お嬢さまはプイと前を向いてしまう。……まさか、自分で言ったことに照れたのだろうか?
「かわいいなぁ、ホント」
口の中で呟き、僕も前を見る。さっきから喋ってばかりだったから少しは真面目に索敵しようとーー
そして、異変に気付いた。
「お嬢さま」
「遥」
言葉が被る。視線が重なる。お互いが同じ疑問を持っていることを確認する。
僕は左の手首に目を向ける。そこにあるのは安物の腕時計。安物だが、時刻のズレは決して起こさない魔法科学の産物である時計だ。
時計の針は、任務開始から51分目の時刻を指していた。
「ーー紫堂!」
「ああ分かっている、騒ぐな!」
返ってくる鋭い声。それを聞き、僕は疑念を確信に変える。
彼から見ても、これは異常事態なのだ。
拠点を出るとき、紫堂は言っていた。規定時間の10分前、つまり任務開始から50分後に連絡を入れろ、と。
相手は仮にも軍人だ。時間は絶対遵守のはず。にも関わらず連絡が来ないとは、つまりーー
僕は左目を瞑り、拠点があるはずの方角を見る。
遥か遠く。この一時間を使い、進んできた道の果て。
その先に見えるもの。
それは――揺らめく赤色の炎と、天へと昇る黒煙だった。
「拠点の方で、一体何が――」
呟こうとした、その瞬間。
突如横合いから現れた怒涛に呑まれ、僕らの視界は真黒に染め上げられる。
そして、僕たちは訳も分からないまま、押し潰された。