カウント・スタート
◇
「今日は諸君らに連絡事項がある」
朝のホームルームの時間。
さっきぶりの教官が、朗々と教室中に声を響かせる。
「5日後、【草薙ノ劔】による異界化地区攻略作戦があるのは諸君らも知るところだと思う」
この言葉通り、軍の遠征は5日後に行われるらしい。今から3、4日前ほどに発表された。
こんな重要事項の通達が数日前。ふざけるな、舐めているのか――などといきり立つ生徒はいない。
何故か?
「とはいえ、諸君ら学生がこの件に直接関わることはまずないだろう」
それはこの教官の言葉通り、僕ら学生が軍の作戦に関わることなどありえないからである。
先日の梶浦の小隊員を思い出せば分かるが、二年といえど学院生の殆どはロクな実戦経験もないひよっこばかりだ。
確かに日々の地獄のような訓練で能力自体はそこそこ高い。が、対パンドラ戦で何よりも大切な勘と経験がレベルゼロ。これではどう足掻いても足手まといにしかなりえない。
こんな現状で、今回のような難易度の高い作戦に参加させろという方が無理な話である。
よって、僕を含む教室内の半数は話半分に聞いていた、のだが――
「――というのは前回までの話だ。今回のこの作戦は、諸君ら学院生も動員される」
この教官の言葉に、みんな揃って目をかっ開くこととなった。
騒めく生徒たちを気にせず、教官は言葉を続ける。
「作戦の準備段階において【草薙ノ劔】から当学院に打診があった。作戦中、コロニーの守備はどうしても薄くなる。諸君ら学院生にはその守備のサポートに回って貰いたい」
確かに、最低限の守備以外のほとんどの部隊は遠征に参加する。猫の手も借りたいというのがあちらの本音だろう。
が――それは今までとて変わらない。何故急にそんな話が出てきたのか。
「先方も諸君らの動きは先日の一件である程度把握しておられる。初陣にしてはなかなかの出来だ、と褒めておられた。私から見ても、今の諸君らなら最低限邪魔にならない程度には動けるだろう」
……なるほど、先日の件が原因か。
例年と違い、今年の二年は既に初陣を済ませている。お嬢さまや汐霧、梶浦や藤城などに至っては大人顔負けの実力者だ。
それなら使わない手はない、と彼らが考えるのも無理はない。
「《部隊編成》の済んでいない生徒も数多くいるのが現状だ。よって当日はこちらで編成した部隊に分かれて結界外縁部に配置してもらう。部隊の発表はこの後配布する封筒に記載されているので、各々確認と連携を怠らないように。では、これでホームルームを終了とする」
チャイムが鳴り、教官が教室からいなくなる。すぐにやって来る喧騒の波。
前から回ってきた封筒を手に取り、早速封を切る。中身は紙切れが一枚のみ。折りたたまれていたそれを展開していく。
「『生徒名称儚廻遥。貴殿を部隊番号三十二へと配属す。至急第三十二番演習場まで向かわれたし』……ね」
「……三十二?」
声に出して読み上げる。と、目の前にあった頭がふわりと揺れた。金色の髪が翻り、涼しげな碧眼と視線が重なる。
お嬢さまは小さく首を傾げ、質問を投げ掛けてくる。
「それ、部隊の番号?」
「そうらしいね。お嬢さまは?」
「……私も同じ」
ぴら、と紙切れを見せてくる。名前以外の全てが僕のものと全く同じ内容だった。
教官は、部隊の編成は学院側でやったと言っていた。恐らく、最下位と一位を組み合わせればプラマイゼロになるとでも考えたのだろう。現実微妙にマイナスなのだが。
まぁ、お嬢さまと同じ部隊であれば是非もない。
これだけは自分のゴミクズっぷりに感謝しておこう。
「まぁ、せいぜい僕に足引っ張られて死なないようにね」
「そんなことを前提にしない。……大体、あなたは私に勝つくらい強いんだから」
「や、あれお嬢さまが手ぇ抜きまくってくれてたからだからね? それにこういうのは実力より人間性の話だし」
どんなに強かろうと愚者は他人の足を引っ張るものだし、逆にどんなに弱くても他人を助けられる聖者だっている。
そしてここにいるのは、議論の余地なしに愚か者だった。
「……相変わらずね。自己評価の低さは」
「むしろこれでも大分盛ってるんだけどね……というかお嬢さま、やたらさっきから饒舌だね。はは、もしかしてテンション高い?」
いつも通り、戯れ言となるはずだった台詞。
しかしお嬢さまは少しの間を置いた後、意外にも首を縦に振った。
「……そうかも。少し、懐かしかったから」
「懐かしい?」
「気にしないで。言っても分かるはずないから……行きましょう」
言って、お嬢さまは足早に歩き出してしまう。
僕は浮かんだばかりの疑問を投げ飛ばし、慌ててその後を追うのだった。
◇
第三十二番演習場、通称森林エリア。魔法と科学の複合技術によって人工的に生み出された森林――いや、もういっそ樹海とでも表現するべき木々で覆われた演習場だ。
「ふー……」
さっきまで会議の場としていた巨木の幹に背を預けながら、僕は溜息を吐き出す。
頭の中を巡るのは数分前に終了したイベントのこと。臨時部隊のメンバーとの顔合わせのことだった。
この演習場に集まったのは、僕とお嬢さまを除いて三人。内訳は男が一人と女が二人だった。
見たところ、三人とも実力と性格はこの学院の平均ほど。お嬢さまへは畏敬の視線を向け、僕へは侮蔑の視線を向けていた。最も、僕の方はこっそりとだったが。
それはいつものことだからいいとして、問題は部隊の練度だ。
今日は部隊のリーダーと前衛後衛、簡単な連携など簡単な打ち合わせだけして解散となった――のだが、それだけでも分かるほど部隊の連携が酷かった。
僕はいつも通りに無能だし、お嬢さま以外の三人は基本的に誰か指示待ちだ。三人とも『自分の役割は何か』『この場合どのように動けばいいか』などが手探り状態で、余裕が一切ない。
簡単に言って、経験が圧倒的に足りていないのだ。部隊行動や戦闘に関する余裕が塵ほども存在しない。
僕らの主な任務は軍の部隊のサポートなので大きな問題にはならないだろうが……結界外縁部、つまり外では何が起こるか分からない。
はっきり言って、とても危険な状態だ。
この現状でもし、万が一の事態が起きたら……
「……死ぬよなぁ、たくさん」
「滅多なこと言わない」
コツン、と嗜めるように頭をつつかれる。
顔を向けると、いつの間にかお嬢さまが傍に立っていた。いつも通りの無表情、だが微妙に疲れているような感じもする。
「こんにちは、リーダー。珍しく多人数とたくさん会話した感想は?」
「お嬢さまも嫌だけど、その呼び方はもっとやめて。……特にないわ」
「そ。まぁいいや、お疲れ様」
労う。お嬢さまは特に何も答えず、僕と同じように幹に背を預けた。
人工の、生物の存在しない森と言えど木は本物だ。吐き出されるマイナスイオン的なサムシングに、少しだけ癒される。
「……私にリーダーなんて、務まらない」
ふと、お嬢さまが呟いた。
僕は半眼を浮かべて、応える。
「務まらないって……部隊内で一番強い人が何言ってるのさ。言っとくけどお嬢さま以外、そんな余裕ある人いないからね?」
「そんなの時間が解決してくれるわ。……リーダーに必要なのは、人を惹きつける素質。私にはそれがないから」
「僕は惹かれてるよ? あの三人だってそうだ」
あの三人はともかく、僕なんかじゃ役不足もいいところかもしれないが。
「それに時間が解決してくれるって言うけど、今はその時間がないじゃない。何せあと3日だ。それだけで完璧な指揮を執れるようになるのは、ちょっと無理じゃないかな」
「……分かってる、そんなこと。ただ私は、そのリーダーの理想形のような人を知っているから」
つまり、その人があまりにも凄すぎて自分に出来る気がしない、と。
お嬢さまにそう言わせるほどの人間。とても気になったので、僕はそれについて聞こうと――したところで、ザクザクという足音が僕の鼓膜を叩いた。
視線を向ける。音の出所は段々とこちらに近づいて来る。
そして、樹海の奥から一人の青年のシルエットが浮かんできて――僕へと向けて、片手を上げた。同様に片手を上げて、僕も応える。
一目で染めたのだと分かるくすんだ色の金髪。鋭い双眸に反して仕草や表情は割と明るく、人懐こさすら感じる。軽薄な出で立ちとのギャップが人気の秘訣なのだろうか。
青年――藤城純は笑顔で近付いて来て、途中で「げ」と立ち止まる。ああ、そういえばコイツお嬢さまが苦手なんだっけ。
「……先に戻るわ。また後で」
お嬢さまは巨木から背を離し、学院へと歩き去って行った。
藤城は気まずげに頬を掻きながら、「あー」と口を開く。
「ワリ、邪魔したか?」
「んーん、大丈夫。ただ雑談してただけだったからね。あ、でも後でお嬢さまには謝った方がいいかも」
「あー、まぁ、善処する」
これは豆知識だが、善処するなんて言う奴は大抵それを実行する気がない。ソースは僕だ。
「それで、ここには何しに?」
「ん? あぁ、コレよ」
言い、藤城は背中に背負っていたライフルケースを足元に置いた。パチン、パチンと留め金を外し諸々の準備を済ませていく。
その中から出てきたのは、迷彩色のライフルだった。
確か、名前はフィオナM.For。正規軍で採用されているアサルトライフルの一つで、外の森林エリアでの行動を念頭にして製造されている。
重量が他の銃よりずっと軽く、非常に立体的な戦闘に適した銃だ。
この銃の利点として挙げられるのは、とにかく頑丈な点と取り回しに優れる点だろう。反動が小さくどんな場所からでも射撃出来る。
そのせいで口径が小さく、大型のパンドラを相手取るには威力は心許ないが……全体的に優れた性能を誇る、信頼性の高いライフルだ。
「射撃訓練?」
「おう。ほら、今度の作戦の場所は外だろ? 久しぶりだし、射撃訓練でもして軽く確認でもしておこうと思ってな」
「なるほど……あれ、でもちょっと待って。ここ訓練用の的ないよ? 確かここから100メートルちょっとくらい行かないと」
「ハハ、だからここなんだろ? あと150メートルな」
事もなげに言って、藤城はその場でライフルを構えた。
そして、特に間を置かず、躊躇いなく引き金を引き絞る。
目まぐるしい銃声と、閃光と、衝撃。辺りに撒き散らすのは細い銃身。
僕は思わず耳に指を突っ込む。ああもう、これ鼓膜破れてないだろうな?
数秒してそれらが終わり、僕は半眼で藤城をみやる。対する藤城は満足げな表情を浮かべていた。
僕は質問する。
「……今のってどれくらい当たったの?」
「んー、ま、八、九割くらいかね。適当にやったしこんなもんだろ」
「適当ってあのね……」
「なんならハルカもやるか? 貸すぜ銃」
「銃器の貸し借りは駄目だっての。教官にブチ絞られるぞ?」
――この学院の生徒たちなら、100メートル程度の距離であれば同じくらいの割合を当てられるだろう。
が、プラスして50メートルの距離を空けても本人にとっては“適当”らしい。僕なんか10メートルでカートリッジ使い切っても命中ゼロ、とかザラなのに。
全く、相変わらず真面目に努力するのが馬鹿らしくなってくる光景で何よりだ。
「はは。ああ、そういや今回の作戦だがよ」
リロードを行いながら藤城が話しかけてくる。
「銃を扱うときはちゃんと集中しなって。危ない」
「まぁまぁ、お固いこと言うなって。それで今回の作戦さ、指揮執ってんのって汐霧の親父さんらしいぜ?」
「汐霧父が……?」
アレの階級って確か中佐だったような。この作戦の指揮官には些か偉さが足りない気がする。
疑問符を浮かべていると、それに気付いた藤城がいやいやと首を振る。
「あぁ、言っても別に作戦の全部じゃねぇよ。親父さんが担当してんのは軍の主力が出払ってる間の守備についてらしい。今回オレらが出るのも親父さんの発案なんだとさ」
「……そうなんだ」
頭を過るのは、何故? という疑問。
……まさか僕のせいだったりしないよな、ソレ。そうだったら呪うぞクソ野郎。
「なるほど、理解した。……や、それでも凄いって」
「まぁな。つっても汐霧の親父さんっていや第一次東京会戦の英雄だろ? お偉方が贔屓するのも無理ねぇさ」
ダダッ、ダダダッと再び銃声を響かせながらの藤城。非常に聞き取り辛い。全く、僕の耳が運良く地獄仕様じゃなければどうするつもりなのか。
「英雄、ねぇ……そんな凄い人だったんだ」
「ま、知らない奴も多いけどな。オレらの年代だとまだ生まれてねぇし。参加した作戦も犯罪組織【スケープゴート】の討伐作戦が最後らしいしな」
聞けば、汐霧父は何度パンドラの攻撃を喰らおうと立ち上がり、果敢に突撃して数多くパンドラを殺した猛者だと言う。
確かに、そんな戦い方してたら体にどっか異常出てもおかしくないよな――なんて、ぼんやりと咲良崎の言葉を思い返した。
というか、あの人意外と根性系だったのか。見るからにそういうのと無縁そうだったのに。人ってホント見かけによらないな。
「というか、いきなりどうしてそんな?」
「いや、お前最近ユウヒちゃんと一緒だったろ? 一応伝えとこうかってな」
ユウヒ……ああ、汐霧のことか。
……思い切り喧嘩中なんだよなぁ、現在。早く謝らないと。
「ンだよ、シケた面して?」
「……実は今、ものっそい喧嘩中でして」
「あ、痴情のもつれってヤツ?」
「ねぇよ。どっちかっていうとサスペンス風味」
正確には、謝りに行った僕が翌日サスペンスの被害者的アレになってそうな風味の状態。
「……ってか、お前って昼ドラ結構好きだよね」
この前も泥棒猫がどうとか真似してたし。
「楽しいぜ? 見てると結構。お前は嫌いなのか?」
「嫌いっていうか見ないかな。僕には理解出来ない世界だからねぇ……」
好きな人を目移りした挙句変えるなんざ、僕には意味不明だ。愛と性欲を取り違えた猿どもの茶番にしか見えない。
こう、愛ってのはもっとドリームとロマンスが溢れ出すキラキラとしてふわふわとした……
「っと。僕もうこんな時間か。僕は戻るけど、藤城は?」
「オレはまだ適当に撃ってくわ。そのためにわざわざここまで来たんだしな」
2本目のカートリッジをポイ捨てしながら、藤城は笑う。
そのために、か。そんなことのためにわざわざここまで来るんだから、コイツも結構マメな奴だと思う。とことん見た目と合わない男だ。
「じゃあね。訓練頑張って」
「おう。射撃勝負はまた今度な」
「……お前が足の指で引き金引くなら受けてもいいけどさ」
僕は勝てない勝負は割とする性質だが、意味のない勝負には踏み出せないチキン野郎だ。
結果の出ないことに意味を見出せない臆病な人種、僕はそれをゆとりと呼ぶ――なんてまぁ、今思い付いた適当な戯れ言なのですが。
今日も今日とて絶好調な脳味噌を労わりながら、藤城の銃声を背景に、僕は校舎へと歩き出す。
頭上は曇天。気分は、後ろ向きに上向きだ。
「……嫌ーな予感」
――何かが起きる。何かは分からないけど、重大で、衝撃的で、危険な、何かが。
そんなもやもやとした黒い感覚が、頭の中で煙を上げていた。