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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
遥けき空に
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アオハルアクセラレーション

「汐霧の言っていたことは全部正解だったよ」


 沈黙に包まれた場の空気を打ち破るように、人差し指をピンと立てる。


「あの時、汐霧は『混ざり者(ミックス)』の攻撃をマトモに喰らって汚染された。重要臓器を損傷した上、汚染の症状はかなり酷い。正直、間違いなく死ぬような状況だった」


 言えば言うほど、昨日彼女が言っていたことの再現となっていく。つまり彼女の直感は見事に当たっていたわけだ。

 前にも思ったが『自分のことは一番自分がよく分かる』。これに尽きるな。


 しかし自分のことが一番分からないのもまた自分。客観的な事実を添えてやれば、容易くその確信は失われる。

 今回の客観的な事実は汐霧が生きていること、死ななかったこと。


 では、何故汐霧は死ななかった?


「汐霧が死なないためには禍力をどうにかする必要がある。完全な浄化が無理でも、少なくとも汚染の進行を止めるくらいはしなきゃならなかった」

「そこで……その力を使った、と」

「そういうこと。信じてくれた?」


 笑って聞くと、咲良崎は首を小さく縦に振った。


「正直、俄かには信じられません。ですが……実際に見せられては信じるほかありません」

「はは、そりゃ良かった」


 物分かりがよくて助かる。もし信じて貰えなかったら、信じて貰えるまで今のを繰り返すことになるところだった。

 幾ら禍力が平気だと言ってもパンドラの造形に何も感じないわけじゃない。あのグロテスクな連中に何度も素手で触るのは、流石にキツいものがある。


 まぁ、回避できた心配事などどうでもいい。それよりも今はもっと考えるべきことがある。

 聴覚が捉えた情報を信じて、僕は話を切り出す。


「さて、ここでいいお知らせと悪いお知らせがあります。咲良崎はどっちから聞きたい?」

「では、悪い方から話してください」

「ここに凄い数のパンドラが集まってきてる。完全に取り囲まれるまであと10分ってところかな」

「……!」


 予想以上にパンドラ共の動きが早い。十中八九さっきの【アテンション】のせいだろう。

 あの魔法、何の効果もないくせに魔力だけは馬鹿みたいに喰うからな。それに引き寄せられたと見て間違いない。


「……いい方というのは?」

「集まってくる奴らの中にAランクも何体かいるみたい。(アウター)でもなければそうそう見れるもんじゃないし一生モノの経験になるんじゃない?」

「っ……両方とも悪い知らせの間違いでは?」

「そう? 僕にとってはいい知らせだけどね。割と両方とも」

「……どういう意味ですか」


 どういう意味も何も、そのままの意味なのだが。

 ……ああ。そういえばまだ咲良崎には伝えてなかったっけ。


「さっきも言ったけど、僕は約束を破れない。人生の先生にそういう風に躾けられたからね。だから約束だけは何としても果たしておかなきゃならなかった」

「それが……?」

「僕はお前に汐霧の助かったわけ……僕が禍力を操作出来ることを話した。それは誰かに知られちゃ駄目なことなんだ。――例え(・・)知った奴を(・・・・・)皆殺しにしてでも(・・・・・・・・)、ね」

「っ……!」


 にっこりと笑いかける。

 僕の言いたいことを理解したのだろう、緊迫した表情を見せた咲良崎と対照的に。


「口封じに……殺すつもりですか」

「ピンポン大正解~……って言いたいところだけど、ちょっと違う。僕だって出来ればお前を殺したくないからね。だから約束さえしてくれるなら、ちゃんと生きて帰すよ」

「約束?」

「そ。別に難しいことを言うわけじゃない。今日のことを誰にも話さないーって約束して欲しい」

「……そのことならここに来る前にも散々話し合ったと思いますが」


 確かにそうだ。が、今は全く勝手が違う。

 今は命の懸かった極限状況。生きるためという切迫した考えが根底にある以上、どんな人間だろうと少なからず本音を引き出せる。


 そして少しでも本音の混じった言葉というのは後々大きな楔になることが多いのだ。

 ……統計も何もない、ただの実体験の話だけどな。クソッタレ。


「いいから選んでくれ。素直に約束して生き延びるか、このままパンドラに喰い殺されるかだ。お前はどっちがいい?」

「……私はまだ死ぬわけにはいきません。ですから約束します」

「どんな?」

「今日のことを、私は誰にも話しません。絶対に」

「……はは」


 この、嘘吐きが。


「はい、ありがとう。約束通りちゃんと生きて帰す。ちょっと掴まってて」


 心の声を笑顔で代用し、僕は片手を咲良崎に差し出す。彼女が掴まったのを確認し、逆の手を前に突き出す。


 言い方は悪いし連れて来た本人が何をという話だが、この状況において咲良崎は足手まといだ。

 故に彼女を守りながら今も完成しつつあるパンドラの包囲網を抜けるとなると、相応の目眩しが必要となる。


 だから――軍の皆さん、すいません。


「【ショット】」


 右腕が反動で蹴り上がる。同時、僕は咲良崎を抱き寄せ、身を翻した。

 凝縮された魔力の弾丸がまっすぐに飛び、先の禍力の余波でボロボロになっていた柱の一つに激突する。


 激しく老朽化の進んでいた簡易拠点に、それは致命傷となったらしい。すぐにあちこちから破滅的な音が上がり出す。

 崩落が始まる――


「きゃっ……!」

「喋るな、舌噛むぞ」


 下手するとそれで死ぬ。マジで。

 短い悲鳴を上げる咲良崎を嗜め、僕は久方ぶりの全力で(・・・・・・・・)、地面を踏み込んだ。


 ―――ズバンッッッ!!!!!


 踏み込んだ足元から、爆発のような破砕音上がった。辺りの風景が異常なほど加速する。

 落ちてくる瓦礫に目もくれずに走る。崩落音を背後に置き去りにし、数秒も掛からずに簡易拠点の外に飛び出した。


 そして、目に入った光景に絶句する。


「もう、こんなに敵が」


 外には大量のパンドラが集まっていた。姿形は様々、ランクもよりどりみどり。

 鬱蒼とした樹海地区にも関わらず、黒々とした塊が幾つも幾つも目に入る。


「……咲良崎、本気で歯を食いしばれ。じゃないと死んでも責任取れないから」


 咲良崎が頷いたのを視界の端に、僕は疾走を再開する。ルートは何の工夫もない正面突破。

 反応したパンドラが攻撃を仕掛けようと――


『ッ!?』

『ギッ……!?』


 ――した時には、僕はもうそこにいない。遥か後方から禍力を放ってくるも、僕は既に射程外に抜け出していて、届かない。


 一瞬刹那、姿を霞ませるように加速する。汐霧の加速魔法【コード・リボルバ】を参考にした挙動だ。

 魔法的には逆立ちしたって真似出来ない代物だが、物理的になら何とかなる。


 加速する。加速する、加速する、加速する、加速加速加速加速加速加速加速加速加速加速加速カソクカソクカソクカソクカソクカソクカソクカソクカソクカソク――


「――抜けたっ!」


 25体目のパンドラを抜いたと同時、僕たちは樹海地区を脱出した。

 ここまで来ればもう安全だ――などと慢心せず、そのままの速度を維持。

 数百メートルの距離を一気に駆け抜け、僕たちは結界内部へと帰り着いた。


「ぐっ……つ、はぁ、痛ったたた……」


 ブチリ、ブチリという嫌な感覚に顔をしかめながら抱えていた咲良崎をゆっくりと下ろす。

 彼女は立とうとしたものの、膝が折れたか腰が抜けたかしたらしい。べちゃりと地面に潰れた。


「咲良崎……生きてる……?」

「……確実に、寿命が10年は縮まりました……」

「そりゃ、良かった……」


 むしろ、よく今まで意識保てていたなコイツ。魔導師でも何でもない一般人なのに。本当に人間か?

 そんなことを考えている間に処置が終わった。手を開閉して調子を調べてみる。


 うん、今日も今日とて絶好調。いつも通りだ。


「……よし、完了っと。咲良崎、立てる?」

「まだ……少し、辛いです。すみません」

「それが普通。気にすることなんてないよ。ほら、おぶるから手出して」

「……また、さっきみたいにならないことを祈ります……」

「僕だって嫌だよ。っと」


 出来るだけ負担が掛からないように咲良崎をおぶり、その場に立ち上がる。

 ふむ、結構重いな。感心感心。


「行き先は汐霧の屋敷でいい?」

「はい……」

「なら、僕もそこに用あるから寝てていいよ。足が拾えたら起こすからさ」

「ありがとうございます。…………ふふ」

「ん?」


 振り返ると、瞼を閉じて笑顔を浮かべる咲良崎の顔があった。

 ……そういえば、コイツが笑う所を見るのはこれが初めてだな。


「儚廻様は……優しいのかそうでないのか、よく分からない方ですね……」


 ……外に一般人連れ出して、脅しに近いやり方で話を聞き出して、生死の選択を迫って約束を取り付ける。そんな男が優しいか優しくないか分からない、と。

 少しだけ自虐的に笑って、僕は口を開く。


「……っはは、これでも体の半分が優しさで出来てるって評判だからね。友達には満場一致でいい性格してるって言われてるんだぞ?」

「ふふ……」

「ほら、いいから寝てろって」

「ありがとうございます。そうさせて頂きます……」


 本当に限界だったのだろう。言うなり僕の肩に頭を預け、寝息を立て始める。

 それはどこかあどけなさを感じる、ちょっと見たことがないほど穏やかな寝顔だった。


 ……いや、あるか。

 昔々、僕の世界が幸せだった頃に毎日見ていた――妹の寝顔にそっくりだ。


「……やっぱり汐霧に似てるよ、お前」


 独りごちて、僕は歩き出した。





 人一人抱えながらの移動は思ったより時間を食うらしい。

 E地区を出てすぐにタクシーを拾ったにも関わらず、汐霧の屋敷に着いたのはそれから2時間も経ってからのことだった。


 汐霧の敷地内に入ると同時、ちょうど目に付いた庭掃除をしていたメイドさんに僕は声を掛ける。


「あ、そこのメイドさん。ちょっとゴメン」

「はい?」

「汐霧父って今どこにいるか分かる?」

「ご主人様ですか? 今ですと……恐らく執務中ですので、書斎にいらっしゃるかと。あ、何かご用でしたら私から伝えておきますよ?」

「ん、それは大丈夫。あ、ならコイツを頼んでもいいかな? 疲れてるだけだから適当なところに寝かせてあげて」

「え、わっ、ちょ、ちょっと……!?」


 半ば無理矢理に咲良崎を押し付け、振り返らずに歩き去る。

 僕の尊敬していた人の言葉だが、男は前だけを見て突き進むからかっこいいのだ、うむ。


「っと、着いたか」


 戯言(たわごと)で迷惑行為をうやむやにしながら歩いていると、やがて汐霧父の書斎の前に辿り着いた。

 軽くノックしてみるとすぐにロックの解除される音がしたので、中に入る。


「やぁ、待っていたよ、儚廻君」

「こんにちは。先日ぶりですね」


 にこやかに迎えられた。ので、僕もにこやかに応対する。

 部屋の中にいるのは汐霧父だけだった。軍の仕事か、たくさんの書類と端末に囲まれている。


 そういえば咲良崎が言ってたな。今度軍の異界化地区の攻略作戦があるとか。

 具体的にいつなのかは知らないが、この様子だと結構近いのかもしれない。気を付けておこう。


「すまないが、見て分かるように立て込んでいてね。早速本題に入って貰っても構わないかな?」

「ええ。それじゃ、はいコレ」


 コトリ、と音を立てて懐から取り出したものを机の上に置く。

 それは小さな結晶だった。腐った絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたかのような、気持ちの悪い灰色。形は半球型だ。もともとは球型だったのだが、手に入れる過程で半球型にしてしまった。


 光っているわけでも輝いているわけでもないのに、その大きさに見合わない存在感を強調している。

 これこそが、今日僕がここに来た理由だった。


「コレが……」

「はい。先日受けた依頼対象の『混ざり者(ミックス)』、その核です。正確には核だったもの、ですが」


 汐霧父から与えられた『課題』をクリアした証拠として、昨日の夜の咲良崎と別れた後に探し出して取ってきたのだ。


 パンドラの禍力は人で言う指紋や声紋のように、個体ごとに波長が異なっている。

 件の『混ざり者』は、汐霧の傷跡から検出された禍力を分析して波長が割り出せていた。


 あとは氷室に頼んで場所を特定して貰い、奇襲を掛けて切り刻んで始末するだけ。欠伸が出るほど簡単なお仕事だった。

 まぁ、そのせいで行こうとしていた学園街の店が軒並み閉まり、クロハに文字通り死ぬほど拗ねられたのだが――。


 昨夜のカレー的なサムシングを思い出して、ズキズキと痛み出した後頭部を抑えていると、核を一通り見終わった汐霧父が口を開いた。


「俄かには信じられないな……」

「解析や禍力の無力化は研究所の方でやって貰ってますんで、もし疑うなら確かめてみてくださいな」

「ああ、違う違う。そこを疑っているわけじゃないさ。私が信じられないのはこれを正式なランクを持たない学生、それもE評定の落ちこぼれがやったということだよ」

「はは、不思議なこともあるものですね」


 へらへらと笑い、追求の視線を受け流す。笑顔は最高のポーカーフェース、とは誰の言葉だったか。

 受け流せているかは、まぁ別の問題だ。


「とにかく、これで依頼は達成ですよね? 約束の金は指定した口座に振り込んでおいてください。それじゃ僕はこれで」

「まぁ待ちたまえ。そう急くこともないだろう?」

「忙しいんでしょう? そんな中佐様のお時間を頂くなんて、とてもとても」

「流石に少し話すくらいの時間はあるさ、儚廻君。いや――【死線】と言った方がいいかな?」

「…………」


 扉へと向けていた足を止め、振り返る。

 死線。死線、か。


「……まさか、それ僕のこと言ってるんですか?」

「【草薙ノ劔】とは正規軍の呼称だ。正規があるということは当然、非正規のものもある。守る者のない、パンドラへの憎しみのみで生きているような人間の集まる軍組織が」

「へぇ、そりゃ初耳」

「名を【(あめ)ノ叢雲ノ剣(のむらくものつるぎ)】。君の所属していた組織の名前だ」

「日本語通じてます?」


 辟易とした感情を隠さず言うも、汐霧父は構わず痛々しい妄想を吐き続ける。


「数年前、【天ノ叢雲ノ剣】には最強と名高い部隊があった。一人一人が一騎当千の強者であり、普通の魔導師では一生掛かっても使えないような魔法を当たり前に使う。その部隊の中でも、隊長は別格の強さを誇っていたという」

「知りませんって」

「高い身体能力と、自由自在に死を与える鋼糸。付いた異名が【死線】……君のことじゃないか?」

「聞けよ……」


 延々と続くいい歳こいたオッサンの妄言に、そろそろ本気で否定しようとした――その時。

 僕の懐の携帯端末と汐霧父の机の上の端末が、同時に甲高い着信音を響かせた。


「――ああ、私だ。何があった?」


 瞬時に軍人の顔になった汐霧父を前に、僕も自分の端末を取り出す。

 表示された名前は――梶浦。滅多に端末を使わない男の名前に、僕は急いで回線を繋ぐ。


『――遥か。今どこにいる?』

「場所なら今は汐霧の屋敷だけど……何で? 何かあった?」

『緊急事態だ。市街にパンドラ及び『混ざり者(ミックス)』が現れた。ライセンス持ちの学院生全員に掃討任務が与えられている』

「なっ」


 いきなり伝えられた現実味のない事実に絶句する。

 こいつは今、何て言った?


「……パンドラに『混ざり者』、それに学院生? 何故軍が動かない」

『親父から聞いた話だが、正規軍はあと一週間後に異界化地区への大規模遠征がある。それに備えるため、今は動かせる人材や装備がほとんどないそうだ』

「……は、本末転倒じゃないか、それ」


 住民のために異界化地区を攻略しようとして、そのために住民を見捨てる。

 流石は軍。いつまで経っても愚かなようで何よりだ。


「とにかく分かった。僕はどうすればいい?」

『俺や藤城、那月と合流出来るのが一番だが……今いる場所が安全ならそこから動かないでもいい。ひとまず俺達の座標を端末に送っておく』

「了解。いけそうだったら合流するから」

『ああ。……遥』

「うん?」

『死ぬなよ』

「はは、ありがとう。お前もね」


 無口なあいつなりの優しさに満ちた言葉に頷き、回線を切ろうとする。


『……何? 待て、まだ切るな遥』


 しかし寸前で漏らしたその言葉に、僕は動きを止めた。


「どうした?」

『……お前に伝えるべきかどうか迷ったが、一応伝えておく』

「?」


 いつも毅然とした態度の梶浦が、この緊急事態において迷うようなこと?


『時間がない。単刀直入に言う』


 考える僕に、梶浦は言葉を続ける。

 正しく僕を驚愕させる――そんな言葉を。



『他の小隊からの報告だ。市街地へと向かう途中で――どこか別の方向へと向かう、汐霧憂姫の姿を見たらしい』

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