クリティカル・ポイント b
「……どうかしましたか? まだ何か質問が――」
「あ、いやいいよ。もう充分。正直に話してくれてありがとう。感謝するよ」
「いえ、それが交換条件ですので。……一応確認しますが、約束を破るつもりはありませんね?」
「そういう風に育てられたからね。育ちがいいっていうのも困ったもんだ」
「そういうのはいいですから」
大仰に肩を竦めてみるも、返答は真っ白な眼差しと真っ青な言葉のみ。
汐霧やお嬢さまならしっかりツッコミ入れてくれるんだけどなぁ、今の。全く、つまらないことこの上なしだ。
嘆息して、真面目な表情を繕う。椅子に腰掛けたまま、僕はピンと人差し指を立てた。
「上、見てみて」
「……? ―――っ!」
咲良崎の表情が、懐疑から驚愕へと移り変わる。
僕はとても意地が悪いので、それを見て表情をへらへらとしたものに戻す。
……ああいや嘘。単に表情筋が限界を迎えただけだ。
敬語が舌の限界なら真面目な表情が顔の限界。我ながら酷いもんだと思う。
そんなくだらない話は置いといて。
絶句している彼女の視線の先に、一体何があったのかというと。
「なぜ……こんな、魔法陣が」
「はは、ここに来てからずっとチクチク編んでたからねぇ。なかなか立派な出来じゃない?」
煌々と薄く光る、天井一杯に広がる巨大な紋様。それはとある魔法の魔法陣だ。
その昔、暇潰しに考案した魔法【アテンション】。魔力と時間を馬鹿みたいに使い何の効果もない魔法陣を作り出す、敵の注意を惹くだけのクソ魔法。
「はい完成、【アテンション】」
魔法名を唱えると同時、魔法陣が一際強く一瞬輝き――そして、魔力の粒子を散らしながら消滅した。
天から光の粒が降ってくるという、とても幻想的で綺麗な光景。語彙不足のせいで上手く形容出来ないのが悔やまれる――
などと一人頷いていると、現実に立ち返ったらしい咲良崎に襟首を引っ掴まれた。
「コレは、どういうおつもりですか?」
「く、お、ギブ、ギブ……! 落ちる、落ちるからっ」
「パンドラが魔力に誘導されることくらい私だって知っています。外でこんなに大きな魔法を使ったら――」
「はは、そりゃ何匹かは集まるでしょ――がっ……!? っっ…………!!?」
「ここは遊び場じゃありません。そんなことも分からないんですか?」
「……っ! っ…………が、ぐ、ごほっ!」
マジで落ちる数瞬前に叩きつけるように解放され、安堵の涙とともに咳を垂れ流す。
危うい危うい、もう少しでこんな朽ちた場所に死人が出るところだった。
「と……取り敢えず、この資料読んでくれる?」
「…………」
咲良崎は無言でひったくり、パラパラと資料を眺める。
「これは……パンドラの分布図?」
「ご名答……はぁ、少し楽になった。その図のここ、座標4-4-39が今の僕らのいる場所だよ」
喉を労わりながら資料の補足をする。最も彼女は知識に関してはしっかり教育されているので、説明は不要かもしれないが。
この資料は僕がクロハに頼んで作成して貰ったもので、ここ数年間のコロニー周辺のパンドラの分布についてまとめて貰ったものだ。
本人曰くネットや新聞を材料にしたらしいが、火のないところに煙は立たず。少なくとも警戒に値する程度の信憑性はあるはずだ。
僕の指した場所、つまり僕らの今いる場所は、データ上最もパンドラの存在しない場所とされていた。
「……資料、理解はしました。それで、これはどういう意味ですか? ご自分の行動を正当化しようとしているならば、私は自身の言葉を撤回するつもりはありませんが」
「取り敢えず見てて。それに幾らパンドラが少ないといってもいないわけじゃない。これくらいたくさんの魔力を使えば何匹かは確実に来てくれるから、安心していいよ」
「何を言って……」
「あはは。ほら、早速お出ましだ」
椅子から立ち上がりながら出入り口を振り返る。
そこには感知に優れていたのだろう、一匹の虫型パンドラが早速害意を撒き散らしていた。
姿形はゴキブリに酷似している。色はパンドラ特有のツヤのない黒色で、大きな眼だけが爛々と濁った白色に輝いている。
触手のようなものが蠢いている口腔からはギィギィという不快な鳴き声と、名状しがたい色の涎がビチャビチャと溢れており、全体的にグロテスクな印象の容姿だ。
「ランクは……良かった、C+ってくらいか」
一般的な学院生がそこそこ善戦したのちに殺されて、梶浦やお嬢さま、汐霧が瞬殺出来てしまうくらいの強さ。
強過ぎたら大惨事だし、弱過ぎれば呼んだ意味がない。相手取るには丁度いい程度だ。キモいけど。
「殺されます。逃げましょう、儚廻様」
いつの間にか傍に立っていた咲良崎にそう言われる。
敵がパンドラである以上、魔導師だろうと数秒も触れられれば致命的。彼女のような一般人にとってはなおさらだ。
――だからこそ、僕はそれに軽薄に笑って答える。
「はは、何で? わざわざ呼び寄せたのに、それじゃ骨折り損じゃない」
「……っ、まさか……!」
警戒心に満ち満ちた様子で睨みつけてくる咲良崎。
ああ、もしかして、僕が咲良崎の口を封じるためにアレを呼び寄せたとでも思われたのだろうか。全く、被害妄想が達者なことで。
――もしそうするつもりがあるなら、僕はきちんと自分の手を使う。
僕は確かにチキンだが、自分の手を汚すことから目を反らすほど腐ってもいないつもりだ。
「咲良崎、そこ動かないで。あとよく見てて」
肩越しに言って、正面を見据える。見ると、パンドラは既に動き始めていた。
人なら誰しも恐怖する、あのカサカサという移動音を奏でながらの、弾丸のような肉薄。
……改めて見るとやっぱりキモいな。目と耳がレイプされている気分。吐きそうだ。
嘔吐趣味、それも自分のモノなんて興味もない。手っ取り早く終わらせるとしよう。
「っと」
床を蹴る。結界の直径は二十メートルほどなので、そこから咲良崎がはみ出さないように調整した跳躍。
しかしそれでも、僕とパンドラとの距離は一瞬にして縮まる。
初動的に見て、初撃は体当たり――もしくはそのグロい口での噛みつきか。
どちらだろうと、喰らったらその部位ごと千切られる。
それはとても困る、ので――
「墜ちろ」
パンドラの体の中央に手のひらを添え、上から下へと押し潰した。
体重と落下の力を乗せた右腕。床がメキメキと音を立てるのも気にせず、禍力の立ち昇る甲殻を力任せに押さえつける。
魔法も魔力も使っていない、ただの素手で。
「え……」
咲良崎の間の抜けた声が聞こえた――ような気がした、次の瞬間。
パンドラの纏う禍力、その濃紫の光が一際強く輝いた。
『――――――ッッッ!』
おぞましい、身の毛もよだつ絶叫が辺りに響く。
禍力の放出。遍くパンドラが可能とする、奴らの通常攻撃の一つ。
この技の厄介な点は、猛毒である禍力を全方位に撒き散らすこと、また結構な射程距離があることの二つだ。
「……儚廻様っ!!!」
当然、零距離にいる僕に逃げ場はない。
咲良崎の悲鳴とパンドラの勝利を確信した歓喜が、混じり合いながら木霊する。
そして、猛毒の光に呑み込まれた、僕は――
「うるさいから、ちょっと黙れ」
構わず、右腕に力を込めた。
甲殻とそれ以外の何かを砕く音。粘着質で悪趣味な、命の漏れ出る嫌な音が耳朶を打つ。
『―――ィッ!? ギ―――ィ――ギギ、ギ!?』
一転して驚愕と苦痛に暴れ出すパンドラ。僕を殺そうと、更に多量の禍力を放出する。
パンドラの癖にその、生きることに必死な様子に、可笑しくなって僕は笑う。笑いながら左手を振り上げる。
―――ドグンッ―――!
体の中央に壊れたような、灼けるような感覚が巡る。
同時、パンドラの放っている禍力、その全てを振り上げた手のひらに集める。濃紫の禍々しい球体が出来上がる。それを圧縮して、弾丸へと変える。
本能的に死を感じ取ったのだろう、無茶苦茶に暴れようとするパンドラを押さえつけて――僕は小さく呟く。
「【ショット】」
凝縮された禍力の弾丸が、勢いよく振り下ろされた。
弾丸はパンドラに直撃した。
廃墟と化した基地内に衝撃と轟音が巡る。先の禍力の放出で脆くなっていた壁や柱が、バキバキと嫌な音を響かせた。
やがて煙が晴れ、クリアとなった視界にパンドラはいない。
代わりにあるのは抉れた地面のみで――どうやら、周囲の空間ごと消し飛んだらしかった。
「……ふぅ」
僕は戦闘態勢を解き、振り返る。ちょうど駆け寄ってくる咲良崎の姿が視界に入る。
「儚廻様……今、何を……」
「パンドラを殺した。雑魚だったからね、僕でも何とかなったよ」
「違います! パンドラに素手で、それどころか、放射まで……とにかく早くコロニーに戻って治療、を……?」
そこでようやく僕が何の問題もなく立っていることに疑問を覚えたらしい。
声の質は疑惑、視線は怯えへと変わっていく。
「嘘……禍力を受けて無事な人間なんているわけが……!」
「はは。じゃあ人間じゃないんじゃない?」
こともなげに言った冗句に咲良崎の表情が凍りつく。前にもあったな、こんな感じの状況。
「冗談だよ。僕は魔導師だ。あんなゴミ共と間違われるなんて冗談じゃない」
「……なら、あなたは一体何だと言うのですか……」
「別に。妹が大好きで、ちょっとだけ特殊なことが出来るようになったただの無能だよ。……まぁ、そのおかげでお前の大好きなお嬢様は死なずに済んだわけだけど」
「――どういう意味ですか?」
そう言うと、咲良崎の表情が一転して冷静なものになった。
全く、どれだけ汐霧が大好きなんだか。一周回って羨ましく思えてきたよ。
「今日の本題は覚えてる?」
「……お嬢様の昔を話す代わり、あなたがお嬢様に何をしたのかを話す。そういう条件だったはずです」
「その通り。じゃ、僕は今何をやった?」
「パンドラの放った禍力を……無効化したように見えました」
「本当にそれだけ? 他に何もやってなかった?」
もしそう見えてたなら、最悪今のをもう一セットやらなきゃいけなくなる。是が非でも思い出して欲しいところだ。
そんな心配は杞憂だったようで、程なくして咲良崎は思い当たったようだった。
「……禍力を手のひらに集めて、魔法のように操っっていました。……っ、まさか……!?」
「はは。じゃ、答え合わせしようか」
空々しく笑い、僕は口を開く。
僕の中の、最大級の秘密を打ち明けるために。
「――僕は、禍力を操ることが出来るんだ」