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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
遥けき空に
13/171

正“自棄”者と、嘘“尽き”と

◇◆◇◆◇


 『汐霧憂姫』と呼ばれる少女にとって、死とはどんな隣人よりも身近な存在だった。


 名家の跡取りという立場のせいで幾度となく暗殺に遭ったし、魔導師として戦う中で死線を越えかけたことは数えきれない。自分が手に掛けた人も、死んでしまった仲間も大勢いる。

 誇張なしに、今までの人生で死を意識したことはなかった。


 この世界は、僅かなミスや一瞬の油断で生死が決まる――それを少女は知っていた。


 『混ざり者(ミックス)』の一撃を受けた時、彼女は誰よりも自分が死ぬということがすぐに理解できた。

 ああ、今まで逃れ続けてきた死神の腕に、ついに捕まってしまったんだ、と。


 ――だからこそ、自分が今見ている光景の意味が、憂姫には全く分からなかった。


 ピッ、ピッという規則正しい電子音。清潔感のある部屋に身の丈に合わない大きなベッド。そのすぐ横にあるのは点滴の支柱だろうか。幾本かの管が左腕へと伸びており、外れないよう固定されている。


 そして――ベッドに乗り上げるようにしてカメラを回す、線の細い同い年の青年。

 レンズ越しに、目と目がバッチリと合った。


「…………」

「…………」


 ……もしかして、ここが天国なんだろうか。


 そんな馬鹿みたいなことを一瞬考えるも、すぐにその考えを否定する。

 天国にしては現実感があり過ぎる……というか、本当に天国ならこんな欲に塗れた汚いモノが映り込むはずがないからだ。


 なら、ここは現実? だけど、なら何故、私は――?


 その時、考え込む憂姫の、文字通り目前で。

 パシャリというシャッター音が鳴った。


「……よし、貴重な寝惚け顔頂きっと。タイトルは『Aランク魔導師・汐○ユウヒの休日~一緒に二度寝、しませんか~』で――」


 取り敢えず、カメラごと顔面を殴り飛ばした。



◇◆◇◆◇



「……ゴミ掃除、終わりました」

「ご苦労様です。死ね」


 床に散ったカメラの破片を掃除し切った僕に掛けられたのは、そんな無慈悲な言葉だった。


「……で、さっきは何をしようとしていたんですか」

「……し、汐霧様の寝顔写真撮ってました」

「何のために?」


 …………。


「……怒らないって約束するなら」

「は?」

「汐霧似の女の子設定の写真集(R指定版)作るためです本当にすみませんでした」


 速攻で土下座(ゲザ)る。

 そんな僕に、側溝に吐き捨てられたゲロでも見るかのような視線を向けてくる汐霧。


 ……だってそういう本って、学院の、金だけは持ってるムッツリな野郎共にとても高く売れるのだもの。それも汐霧みたいな美少女で、普段隙を見せないのなら尚更。

 金儲けのチャンスが目の前にあるのにみすみす見逃すなんて、僕には絶対に――


「儚廻?」

「ひっ」


 にこり、と可憐に微笑む汐霧。そこから放たれる尋常じゃない殺気に僕は心底震え上がる。

 あ、コレ黙ってたらブチ殺されるヤツだ。


「い、いやほら、撮ったって言ってもお前の体には一切触れてないよ。撮ったのは顔だけで、あとは適当な画像と合成してそれっぽくするつもりだったからさ。ちゃんと顔も別人っぽく見えるようにする。ほら、超パーフェクト」

「薄っぺらい言葉ですね」

「本当本当! 流石にお前の体そのままだとクレーム来かねないからね。日本人はロリコンだけど全員がそうってわけじゃないし――」


 瞬間、ブチリと。

 そんな怪音が聞こえた、ような気がした。


「……ふ、ふふ、ふふふっ」


 薄い、僕の言葉なんぞ比較にならんほど薄い笑みを浮かべながらゆらり、ゆらぁりと立ち上がる汐霧。点滴の管が外れ落ちるも、気にも留めない。


 ――どうやら体の方はもう心配ないらしい。


 しっかりとした足取りの彼女に、僕はにっこりと微笑み返した。


 …………………………………………。


 ……………………。


 …………。


 ……。


 ガチャッ。


「お嬢様! 意識がお戻りになられたと――」

「咲良崎ちょうどいいところに! そこの貧乳止めてくれ! 冗談抜きで死ぬ!」

「咲どいてください、そいつ殺せない―――!」

「…………は?」


 結局、咲良崎によって仲裁されるまで、騒ぎは一時間ほど続いた。





「完全防音の個室にしておいて助かりました」


 現在時刻、午後7時45分。病室に、ポツリとした呟きが響いた。

 言葉の主は、シャリシャリと見舞い品のリンゴを剥いている汐霧のお手伝いさん――咲良崎。


「…………」

「あー、はは……」


 汐霧はふいと視線を逸らし、僕は気まずさを込めた空笑いを浮かべた。


 今の病室内の位置関係は汐霧がベッド、咲良崎が椅子、僕が壁に寄り掛かっているというもの。まぁ、妥当だ。

 ちなみに病室は個室、更に完全防音というお金持ちセットだ。かなり広く、同じ空間に三人もの人間がいるのに息苦しさを全く感じない。


 シャリシャリ、シャリシャリ。広い病室にリンゴの皮を剥く音だけが、しばらくの間木霊する。

 何とも言えない気怠げな雰囲気。それを打ち破ったのは、ベッドから半身を起こした汐霧だった。


「……私は、どれぐらいの間寝ていたんですか?」

「だいたい一日と……ちょうど今で5時間かな。麻酔がよく効いてたみたいで、ぐっすり眠ってたよ。ちなみに今日は登校日だ」


 今僕が着ているのは制服だ。それを示すように、話しながら軽く自身の右肩を叩く。

 2222年現在、学校はどこも登校日6日の休日1日が基本だ。

 成績において出席日数しか武器がない僕にはサボるという選択肢がなく、今日だって重い体を引きずりながらちゃんと登校したのだ。


 流石に心配していないと言うと嘘になるので学校帰りに寄ってみた――というのが今に至るまでの経緯である。


「ああそれと、聞いた感じ《部隊編成》は今月いっぱいまで期限あるみたいだし、特に焦る必要はなさそうだった」

「……。そういえば、そうでしたね」

「おいおい、忘れてたのかよ。別にいいけどさ」

「それで――本題です。どうして、私が生きているんですか」


 私はあの時、間違いなく死んだのに――。


 独り言のように呟く汐霧。咲良崎がこちらに顔を向けてくる。あなたが説明しますか? という視線。僕は首を振って辞退する。

 単純に事実を伝えるなら彼女は僕よりずっと上手い。適材適所というヤツだ。


「それではまず昨日(さくじつ)、お嬢様がお倒れになったところから説明させて頂きます」


 そう言って、咲良崎は昨日の出来事を話し始めた。


 『混ざり者(ミックス)』との交戦時に汐霧が被弾したこと。

 その際に『混ざり者』は逃亡したこと。

 汐霧は禍力による汚染の症状が確認出来たので、緊急で病院に搬送されたこと。

 汚染の症状はそれほど重くなく、治療や検査は無事に終わり、命に別状はないと判断されたこと――


「待ってください。病院に搬送……それに、汚染の症状が軽かった……?」

「はい、そう伺っております。お嬢様自身の回復魔法による応急処置の効果もあり、特に後遺症らしい後遺症も残りそうにない、と」

「……そんなこと、あり得ません。禍力の直撃を受けてその程度で済むわけがないです。それに、そうじゃなくても私はあの時、儚廻に――」

「え、僕? ゴメン、何かやらかしたっけ」

「……私の記憶が合っていれば私はあなたに“処理”して貰ったはずです」


 “処理”とは、禍力に汚染され助からないと判断された人間に安楽死を与える行為の総称だ。

 無用に苦しませないため、また禍力をそれ以上広めてしまわないために取られる最終手段。

 僕は半眼を作り、返答する。


「……いや、だったら今僕が喋ってるお前は何なのさ。軽いとはいえ禍力に侵されてたんだし幻覚でも見たんだろ、どうせ」

「その汚染に関してもあなたは『酷過ぎる』と評しました。……それも幻覚ですか?」

「間違えたんだよ。ほら、何しろ僕って無能だから。というか別にいいだろそんなこと。生きてるんだからさ。それとも何? そんなに私大怪我負いましたアピールしたいの?」

「そういうわけじゃ、ないですけど……」


 歯切れ悪く呟き、汐霧は黙り込んだ。

 人間、自分の身体のことは自分が一番良く分かると言う。これほど自身の生に疑問を持つほど、汐霧は自身の死を確信していたのだろう。


 しかし実際、そうでもなければ彼女が生きていることの説明が出来ないのも事実だ。

 例えそれがどんなにあり得ず、黒に見えようと、彼女自身の存在が全てグレーにしてしまう。


「……説明、ありがとうございました、咲」

「いえ……」


 結局、彼女は諦めたようだった。


 無言の時が続く。咲良崎は元より、汐霧もそこまでお喋りな方ではない。だからこうなるのはある意味必然なのだが……空気が重いせいか、どうしようもなく居た堪れないのだ。

 どうにか逃げ出すためにも、僕は勇気を振り絞って提案することにした。


「ねぇ、今日はこれくらいでもうお開きにしない? 面会時間ももうすぐ終わりだし、お前だって病み上がりだ。気になることとかあれば、また明日聞いてくれればいいしさ」

「……そう、ですね。少し、落ち着いて考える時間をください」


 そう言って、汐霧は悄然とした様子で黙り込んだ。

 頭が良いっていうのも考えものだな。純粋に『生きている』ってことだけを、ただ手放しに喜べばいいのに。


 そう考えてしまうのは僕が愚かだからか、それとも世間知らずだからか。

 どうでもいいことを考えながら、僕は病室を後にした。





「……そういえばクロハの奴にゲーム買って来てって言われてたっけ」


 今の時間ならどこの店も普通に営業中だろう。

 そういうのに詳しくない僕は、取り敢えずその系統の店が集まっている同じ南区、通称『学園街』に行く算段をつけている、と。


「――お待ちください、儚廻様」


 そんな声に呼び止められたのは、ちょうど病院の敷地から出たところだった。


 振り返ると意外なほど近くに咲良崎が立っていた。

 長い黒髪に和装、そして彼女特有の薄い気配のせいか、夜道で見ると幽霊の類かと錯覚してしまいそうである。


 実はちょっと叫びそうになった、なんていうのはここだけの秘密だ。


「……えーと、何か用でも?」

「一つ二つ、お聞きしたいことがあります」

「聞きたいこと? ……ああ、そりゃいい。ちょうど僕もお前に聞きたいことがあったんだった」


 並び立ち、夜の街路を歩いていく。春ということで夜でも十分に暖かい。これなら多少、長話になっても大丈夫そうだ。

 クロハの奴は遅くなればなるほど、不貞腐れるだろうけど――


「と、そうだ。ちょっと聞きたいんだけど、咲良崎的にメイドとして大切にしてるものって何かある?」

「大切にしてるもの……? 心構えのようなものと捉えてよろしいですか?」

「うん、そう。なければ別にいいんだけど」

「……そうですね。月並みですが、やはり主人への忠誠心だと考えます。その人のためなら例え死んでもいいというくらい強い忠誠心がなければ、私たち(メイド)は務まりません」


 ……想像の数十倍ヘビーな心構えだった。過酷な職業なんだな、メイドって。


「ま、まぁ為になったよ。それで、何が聞きたいんだ?」

「では、率直に聞きます。あなたはお嬢様に何をしたのですか?」


 言って、咲良崎は足を止めた。そしてこちらの底まで見透かすような眼光を向けてくる。

 何を、ね。真面目な質問に悪いが、それに対する僕の返答は一つだけだ。


「別に何も。強いて言うなら写真撮ろうとはしたけど、それも未遂だよ。……ああ、謝れって?」

「いいえ、それは今問題ではありません。聞き方を変えましょう。――お嬢様に何の魔法を掛けたのかと聞いているのです」

「っ……」


 反射的に飛び退る。咲良崎はそんな僕に絶対零度の視線を向けていた。

 即座に死を連想させるほどの、曇りなく、圧縮された殺意の塊。


 それはまるで、戦闘態勢に入った汐霧のような――


「……は、なるほどね。それがお前の本性か」

「お嬢様を傷つける者、苦しめる者、利用しようとする者――それらを排除するのが私の存在意義です」

「あっそ。それで、お前は何で僕が魔法を使ったって思うんだ? どうしてそう考える?」

「憂姫お嬢様は誰よりも死に敏感です。例え鈍感であろうとしても、過去がそれを決して許さない。……そんな方が自身の生死を測り損ねる? そんなこと、あるはずがない。大方余裕のないお嬢様に幻覚魔法を掛けて、無理に恩でも着せようとしたのでは?」


 塵ほどの疑いもなく、言い切る咲良崎。

 それほどまでにその過去とやらが凄まじいのか――ともかく彼女は汐霧の錯乱を僕によるものだと確信している。


 というか、信用ないな僕。出会って数日なんだから当然といえば当然なんだけど、ちょっともの悲しい。


「……や、流石にそこまで悪どいことは考えつかないって」


 しかしどうしたものか。ここで嘘を言ってごり押すのは簡単だけど、咲良崎は確実に信じない。

 良くて関係消滅、悪くて軍に働きかけて犯罪者に仕立て上げられる、なんてところだろう。


「んー」


 前提として、本当のことを話すわけにはいかない。話したら芋づる式に知られてはならないことまで暴かれかねないから。

 そうなれば、今日まで積み重ねて来たものが全てゴミクズと化してしまう……あれ、軽く詰んでないかコレ。


「あー……信じないだろうけど一応。僕は魔法なんて一切使ってないよ。というかそもそも幻覚なんて高等魔法使えないし」

「そうでしたか。でしたら尚更聞かせて頂きたいものです」

「……わお逆効果」


 どうしようもない状況に溜息を吐く。

 どうやら今日は厄日らしい――よく考えるとここ数日はずっと厄日な気がするが。


 まぁ、だからと言って全てが裏目というわけでもないか。咲良崎はどうやら僕の知りたいことを知っているようだし、何より今の状況でこの女が相手なら最悪の場合でも何とかなる。

 意を決して、僕は両手を上げた。


「……僕ばかり話すのもアレだから、交換条件だ。それさえ呑んでくれるなら話してもいいよ」

「交換条件?」

「まず、これから話すことを誰にも口外しないこと。そして――『汐霧憂姫』の過去を話すこと。正直に、嘘抜きでね」

「……っ、それは……」

「あぁ、誤魔化そうとかは思わない方がいいよ。そしたらお互い嘘の吐き合いになってこの会話の意味自体なくなる……まぁ、僕はそれでもいいけどね」


 そうしてくれた方がありがたい、という弱音は喉元で辛うじて押し留める。


「……。いいでしょう。その取引に応じます」


 しばらく逡巡した後、咲良崎は重々しく頷いた。

 ――瞬間。


「――ッ!」


 夜闇を切り裂く鋭い呼気。体当たりするかのように肉薄してくる咲良崎。

 その手には、着物の袖に隠されていたのだろう黒塗りのナイフがあった。


 その条件を呑むくらいなら、僕が汐霧に何をしたかなんて聞けなくてもいい。目の前の僕という害虫を殺してしまえば、汐霧の安全は確保できる。

 先の言葉通り、咲良崎咲という少女にとってはそれが全てなのだろう。


 一瞬で距離を詰めた彼女は、最速かつノーモーションの理想的な動きでナイフを突き出す。

 漆黒に塗り潰された刀身が、僕の首をを刺し貫ぬく――


「ま、そうなるよな」


 その寸前、僕は右手でナイフを払い飛ばした。


「え――」


 咲良崎が驚愕の表情を浮かべる。刺突の勢いそのままに前傾する体。隙だらけだ。

 その中央に、僕は最大限手加減した左拳を叩き込む。


「おぐっ……!?」


 彼女の体が激しく揺れた。力が抜け、僕の左腕に寄り掛かるようにして崩れ落ちる。

 ――しかし、それは演技かもしれない。僕はすぐさま追撃を選択する。


 この女は明らかに対人戦に慣れている。そういう相手は、例えやり過ぎくらいにやっても足りないのだ。

 僕は拳を引き戻しながら、右手を円を描くように振るう。


「――ッ!」


 同時、咲良崎の体が跳ねるように動く。

 彼女は沈み込むように上体を反らした。僕の手のひらを躱し、カウンターの足を蹴り上げてくる。

 狙いは顎。喰らえば気絶は免れない。


 僕はそれが分かっていながら、動かない。動けなかったからではない。動く必要がなかったからだ。


「【ソクバクセツナ】」


 魔法名を呟く。魔力が輝き、その光が一瞬だけ辺りを照らす。


 見ると、触れていないのが不思議なくらい近くに咲良崎の爪先(つまさき)があった。

 それはピタリと静止し、微かにも動いていない。否、動かせないのだ。彼女の体は今、鋼糸によって雁字搦めになっているのだから。


 ――魔法【ソクバクセツナ】。

 効果は鋼糸を注いだ魔力の分だけ限界まで硬化させるというもの。

 主な使用法として防御や鋼糸の固定、それを利用して鋼糸の絡んでいる対象の身動きを封じるなどが挙げられる。


「……先の右手は、このためのものでしたか」

「やだな、人聞きの悪い。お前が自分から突っ込んで絡まっただけだろ? 僕はただ適当に撒いておいただけだよ」

「……白々しい」

「はは。あ、この角度からだとパンツ見えるね。へぇ、着物って中履くものなんだ。まぁそりゃそうか」

「っ……、……。ひとまず、解放してください」

「はいよ」


 言われるままに鋼糸を解き、回収する。

 今の彼女からは、もう戦意は感じられない。解放しても取り敢えず先の二の舞になることはないだろう。悟られないよう、こっそりと安堵する。


 咲良崎は立ち上がり、着物の裾をポンポンと叩いて汚れを落としていく。

 それが終わると佇まいを直し、僕へと向き直った。


「……何故、私が攻撃すると分かったのですか?」

「僕の先生が対人戦のスペシャリストでね。予備動作とか対処の方法とか、みっちり教育された」


 気配、体勢、動き方。すぐに僕には咲良崎がナイフの刺突態勢に入ったことが分かった。

 当然、咲良崎はそれを知らない。

 対人戦において初手の読み間違いはそのまま勝負の敗北を意味する。今回は僕の情報勝ちといったところか。


「その先生というのは……?」

「もういない。死んだよ」

「……失礼しました」

「はは、別にいいって」


 お前が謝ろうと謝らなかろうと、先生が死んだのは事実なのだから。


 それはさておき実際、先生の教えがなければ咲良崎の一撃は防げなかっただろう。

 まぁ、僕の戦術は全てその先生ありきのものなので、その前提だとあらゆる場面で何も出来なくなるのだが――。


「逆に質問するよ。お前のその対人戦術は誰に仕込まれた? 汐霧父? それとも自前?」

「私の出身では、自然に身に付いていく技術にございます」

「その出身地さ、汐霧も同じだろ?」


 言うと、これまでずっと無表情だった咲良崎の顔が、初めて崩れた。


「……何故、そう思うのですか?」

「別に、ただの勘だよ。ただお前と汐霧は凄く似ているから」


 もちろん外見の話ではなく、内面の話。

 話し方や怒り方、殺気の出し方。普通は似ないような場所まで、この二人はとても良く似ていると思う。


「最初はお前が汐霧の教育係か何かかと思っていたけど……普通、それだけじゃ殺気の出し方なんてものまで似ない。アレは個人個人で全く異なるものだからね。じゃあ何故? 余程の偶然か、そうでもなければ――」

「……同じような境遇で、同じような生き方をしてきたから」

「どっちもまずあり得ないけどね。偶然よりはまだ、そっちの方が可能性がある」


 汐霧はその名の通り『汐霧』という名家の令嬢だ。それが一介のメイドなどと同郷であるはずがない。

 が、以前汐霧父は汐霧のことを義理の娘だとか言っていた。つまりそんな可能性もあるということ。


「ま、そんな感じだよ。確実性も何もあったもんじゃないから、間違ってたら笑ってくれ」

「……いえ、残念ながら合っています。極秘事項故、くれぐれも口外しないでください」


 鋭い眼光を向けられる。も、それは先ほどのものよりずっと弱いものだった。


「悪いけど、それは詳しく聞かないと何とも言えないな」

「その前に、……先の交換条件はまだ有効ですか?」


 交換条件――汐霧の過去を話す代わりに僕が彼女に何をしたかを答える、というものだったか。


 本音を言えば、彼女が戦闘に及んだ時点でそんなものは成立しない。当然だ。問答無用で襲ってきて、敗けたら掌返しなんて虫が良過ぎる。

 敗者は敗者となった時点で、その全ての権利を剥奪され、蹂躙される。それがこの世界のルールだ。


「それ、今僕がやろうと思えば自白剤なり催眠剤なり使える立場だって、分かってて言ってる?」

「……はい。私にはそれを止められない。そして(それ)を使われたら、私はきっと抗えないでしょう」


 医学は戦争によって進化すると言われている。そして現在、人類はパンドラと明日の見えない戦争中だ。

 パンドラにすら効くような薬を創ることの出来る人類の生み出した薬物が、人一人の口を割れないはずがない。


 僕は数秒の間咲良崎をじっと見据え――へらへらと笑った。


「――うん、別にいいよ。誰にも言わないって誓えるなら、話しても構わない」

「……よろしいのですか?」

「はは、そういう薬って高いからね。使わないで済むならそれに越したことはない。その代わり、本当に誰にも話さないでくれよ?」

「もし、喋ったら?」

「殺すよ」


 鋼糸の入っているポケットを軽く叩きながら、端的に言う。

 どう受け取ったのか、咲良崎は張り詰めた表情を浮かべた。


「……なんて、言えたらカッコイイんだけどね。冗談だよ。生憎僕はチキンなんだ」


 パンドラを殺すための力を、何が悲しくて顔見知りに向けなくてはならないのか。

 人殺しが平然と出来るようになったら、きっとソイツは人間じゃない。


「だからまぁ、せいぜい『汐霧が義理の娘である』ってことをリークするくらいかな。幸いにもそういうのを生業にしてる知り合いがいるから簡単に話は広められる。極秘ってことは知られると不味いんだろ?」

「……いい性格をしていますね」

「はは、あんまり褒めないでくれ。照れる」

「…………」


 凄まじく冷めた視線を向けられた。流石に調子に乗り過ぎたらしい。

 咳払いを一つ、二つ入れて閑話休題。


「ま、今日はもう遅いし。多分簡単に済む話じゃないだろうから日を改めたいと思う。咲良崎は明日、いつぐらいから空いてる?」

「業務でしたら、恐らく正午前には全て終わるかと」

「なら正午に集まろう。場所は追って連絡する」

「……構いませんが、儚廻様はその時間、学院があるのでは?」

「適当に早抜けするよ。あんまりサボりたいわけでもないけど場合によりけりだ」


 明日の『話し合い』は、少なくとも学院の退屈な授業なんかよりずっと価値があるはずだ。


「最後に、何度も言うようだけど――」

「くれぐれも他言しないように。……その言葉、そのまま返させて頂きます。では」


 咲良崎は冷たく言い放って、彼女の帰り道を歩き始めた。それを見て、僕も同様に自分の帰り道を歩き出す。

 頭を占めるのは交換条件、その中のただ一点。僕が汐霧に何をしたか――それを咲良崎に話すという決断についてだった。


「……馬鹿したかなぁ」


 我ながらリスキーな賭けをしたと思う。

 いつもの僕なら間違いなく避けるだろう状況。さっきの戦闘でテンションが上がったせいかもしれない。


 ただ、神様じゃない僕にとってはこれからの未来なんて全くの未知だ。何も分からない。それはつまり、どんな可能性だって存在するということ。

 未来を決めるのは僕だ! なんて力強く宣言したいところだが、それは前提として圧倒的なまでの強さが必要だ。


 だから――


「……あっはははははは」


 笑う。

 とにかく、へらへらと、馬鹿みたいに笑う。それが、今は亡き先生の教えだから。


 あの人はとても強く、そして常に笑顔を絶やさなかった。誰よりも強かったからこそ、いつも笑っていられた。

 僕はそれが出来るほど強くない。だけど強いフリくらいなら出来る。


「は――」


 だから僕は笑うのだ。

 強者のように、愚か者のように、狂ったように。

 淡々と、へらへらと。





「あら、おかえりなさいハルカ」

「ただいま。……何かあった? 凄い笑顔だけど」

「どうかしらね。それと今日の晩御飯は私が作ったわ。この通り特別製のカレーよ。美味しそうに出来ているでしょう? 早速だけど、さあ召し上がれ」

「……ねぇクロハ。お前、もしかしてその真っ赤な何かをカレーって言ってたりする?」

「特別製と言ったでしょう。冷蔵庫の中の辛味を全部混ぜ込んだだけよ」

「え、殺す気?」

「安心なさい、食べられないものは入れてないわ」

「……。あのさ。もしかしてだけど、怒ってる?」

「何を言っているのかしら。私は怒ってないわ。あなたが連絡もしないでこんな夜遅くまで帰らなかったことも、格好つけたせいで私のお願いを忘れて帰って来たことも、ええ、怒ってないわ」

「いやそれ絶対にキレて……」

「いいから、食べなさい」

「―――――――――――ッ!!!!!!!!」


 危うく死に掛けた。

 

※この物語上では家事手伝い=メイドという扱いです。


4月から更新が遅くなると思います。出来るだけ早くに更新していきたいと思いますが、下手をすれば一ヶ月近く開くかもしれません。

最後まで、見捨てないで見守って頂けると幸いです。

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