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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
遥けき空に
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天才と天災

「まさか軍の依頼でまさかキミが来てくれるとはね。いやはや、今日は電気メスの調子がいいと思っていたが、この予兆だったとは」


 演劇のような仰々しい口調で話しながら、培養槽の隙間にあったらしいコーヒーポットでコーヒーを淹れる氷室。

 最後に会ったときから全く変わっていない様子に、僕は思わず渋面を作ってしまう。


「別に関係ないだろ、それ。ってか勝手に人と電気メスを結び付けないでくれ。不愉快だ」

「そうかい? ボクとしては――というより研究者としてはそこそこに褒め言葉なんだがね。まぁ天才の思考に凡人が合わせられるはずもないか」

「……もうそれでいいよ、クソナルシー」

「自信は物事を成し遂げるのに一番必要なものだ。覚えといて損はないよ」


 ……前言撤回。以前より確実に悪化しているようだ。主に、頭の持病が。

 こめかみをグリグリと指で押していると、汐霧が小声で話しかけて来た。


「友達、なんですか?」

「……今のを見ててどうしてそうなる。眼球大丈夫か?」

「『相手に酷いことを言えるのはその人に逆説的な信頼があるから』――心理学の一説です」

「……それ、絶対嘘だから」


 アイツが友達。……絶対にない。断じてない。

 梶浦や藤城、お嬢さまがコイツと同じ扱いになるなんて、幾ら何でも申し訳なさ過ぎる。訴えられたら負けるレベルだ。


「誤解を解くついでに紹介するよ。コイツは氷室フブキ。東京コロニー中央技術局――《TCTA》所属の特一等研究員――正規軍でいう少佐くらいの階級で、重度の自己愛主義者(ナルシスト)。あぁ、一応僕たちと同い年らしい」

「あと天才」

「……とまぁ、こんな奴。少し縁があって、一時期ちょっとだけ勉強を教えて貰ってたっていう、ただそれだけの関係だよ」

「はぁ……」


 実際、この男は本当に天才なのだから質が悪い。

 本人の口にした禍力に関する学問はもとより生物学や医学、魔法と科学の高度なハイブリッドである魔法科学でもその名を知らしめている。

 科学技術の歴史を塗り替えたことだって一度や二度ではない。


 ちなみに僕の使ってる鋼糸も、実はコイツの作品だったりする。


「……? それならどうして、この研究所の所長を……その階級クラスとなると、TCTA本部に勤めるのが普通ですが」

「ああ、確か最後に会ったときはそうだったけど……あ、もしかして遂に左遷(なが)された?」


 聞くと、氷室は肩を竦めてみせた。どうやら正解だったらしい。

 コイツの悪い癖として、自分の興味のある対象以外にやる気を出さない、金にならない研究だろうと平気で大金を突っ込む、というものがある。

 上の連中も以前からコレに頭を悩ませていたと聞いていたが……そうか、遂に罰を喰らわせたか。


「ははっ、ざまぁ」

「キミのそういうところは嫌いじゃないよ。……おやハルカ、靴紐が解けているよ? それに顔色も良くないようだ」

「あん?」


 突然どうしたんだ? というか靴紐、別に解けてなんか――などと足元に目を向けた、瞬間。

 目の前に、手と、何だろう――注射器?


 ―――ズブッッッ!


「が、ぁあああああああああああああああああああああ!?」

「ちょっと、は、儚廻(はかなみ)!? 大丈夫ですか!?」

「そんなに心配することはないよユウヒ。ただの栄養剤さ。これでコレの顔色も良くなるだろう」

「いえ今、ソレ、歯茎に――!」

「……? あぁ、直接打ったけど。話によると凄く痛いらしいね。それが?」

「それがって……!」


 何事か汐霧と氷室が話している――しかし、今の僕はそれどころではない。激痛で頭がどうにかなってしまいそうだ。口の中が、燃えるように熱い。

 もし、我慢出来なかったら、終わりだ――。


「はぁ……はぁっ……!」

「おや、よくどうにもならなかったね。それに症状も広まってないらしい。感心、感心」

「テ、メェ……!」

「眼球だったら流石にどうにかなっていただろうね。次はそうしてみようかな?」


 コイツ、いつか、絶対に殺してやる。絶対、絶対だ……!


「儚廻、回復魔法を使います。少し屈んでください」


 汐霧がそう言ってくれる。ありがたい……が、その世話になることは出来ない。


「い、いや、大丈夫。自分で出来るから。ありがとう」

「ふふ、回復魔法はとても複雑な魔法だが、キミは使えるようになったのかな?」

「……ッ」

「おお、怖い怖い」


 殺意を込めて睨み付けるも、笑って躱された。

 チクショウ、キレたらおっかないのも相変わらずか。忘れてたよクソッタレ。


「……もういい。僕が悪かった。依頼の話に移ろう」

「ああ、そうさせて貰おう。といっても依頼の資料はもう読んでいるんだろう?」

「ああ。お前のとこの警備の無能さがよく分かったよ」

「そう言わないでやって欲しいな。彼らもまさか、身内がアレに手を出すとは思わなかっただろうから」


 なにせあの薬の危険性について日頃から、特等席で見ているのだから――と氷室は続けた。


「待て。まさか……盗んだ本人が服用したのか?」

「ああ。ボクはその時ここにいなかったんだが、確かな情報だ。でなければ、幾ら中規模の研究所だろうとCランクの魔導師一人が逃げられるはずがない」


 てっきり盗んだだけかと思っていたが……だからか。逃げた魔導師のランクと任務ランクが違うのは。


「何で、よりによってお前達の身内が服用したんだ? 盗むまでは分かるとしても本人、しかも盗む途中で服用する必要はないだろ」

「人間の思考についてはボクも不得手でね……彼がどこかの組織に属していたとして、盗んだはいいけど警備に捕まってどうしようもなくなったから――ってところじゃないかな?」

「……いえ、それは違うと思います」


 汐霧が否定すると氷室は気を悪くした風もなく、続けて、と目で先を促した。

 汐霧もそれで終えるつもりはなかったのか、続けて口を開く。


「組織絡みの犯行だったら『警備に捕まってどうしようもなく』という状況はあり得ません。絶対に成功するように準備を整えてから実行します。ある程度の組織力があれば警戒してない一研究所からスーツケース一つ盗むくらい、簡単に完遂はずです」

「……確かに、それならわざわざ騒ぎになる、しかも場所を特定されやすいような逃げ方をするわけもないか。なるほど一理ある。流石Aランク、手慣れているのかい?」

「……ええ、まあ」


 汐霧は複雑な表情で頷いた。……?


「しかしそうなると動機は考えようがないか……仕方ない、ともかくキミたち二人は逃亡中の彼を追ってくれ」

「場所の目星はついているのか?」

「あぁ。どうやら血に呑まれたらしい。禍力反応が網に掛かっている」

「……血に呑まれる、ですか?」


 汐霧が首を傾げている。

 そういえば、さっき咲良崎が話した副作用の中にコレは入ってなかった。忘れていたのか、汐霧を気遣って言わなかったのか――恐らく、後者だ。


「ふむ……ユウヒ。キミはパンドラについてどれほどのことを知っている?」

「……彼らを倒すのに必要な知識は、大体」

「ならパンドラの放つ禍力がボクたち人間に及ぼす効果は分かるかな?」

「代表的なものは……破壊、腐敗、精神汚染、洗脳、変質です」

「Exactly(その通り)。そして今回盗まれた『パンドラの血』――この薬品の効果は、今言って貰った禍力の特性を見事に表している」


 破壊の力を与え、神経を腐敗させ、精神を穢し、洗脳によって持続させ、最後にはバケモノへと変質させる。

 氷室は歌うように、滑らかに言った。


「パンドラの血の効果は凄まじい。健常者には毒だが、死にかけの者や魔法の才能のない者に与えれば立派な戦力になる。何しろ戦場に放り込めば洗脳するまでもなく死兵となるからね」


 実際、過去の戦争ではパンドラの血を服用させた者のみで構成した部隊を戦場に投入する――そんな作戦も実行されたくらいだ。


「だが結局、彼らの多くは自我を失い不完全な混ざり物となった。いや、それだけならまだ想定内だし許容範囲内だったさ。ただ切り捨てればいいだけだからね。だが――服用者の中に完全なパンドラが現れ、その限りではなくなった」

「……っ!」


 息を呑んだ音は僕か、汐霧か。それとも両方か。


「知っての通りパンドラは自身の禍力によって仲間を増やす。結果その部隊はそっくりそのまま敵となり、多くの人間を殺したという。……だからパンドラの血は今日日廃れ、一部の研究者しか取り扱わなくなったのさ」

「……そんな、ことが」

「さぁ、講義は終わりだ。あんまり確保が遅れると上の方々に説教されるのでね。彼らなんかに時間を使うのは出来れば避けたい。足はこちらで用意してある」


 その言葉が終わった直後、部屋の扉が開き、ここに来る時の案内の男が立っていた。


「それじゃせいぜい死なないようにね? ……なんて言わなくても大丈夫か。そうだろう、『首吊りの愚者』?」

「……なにそのダッサい名前。お前のセンスか?」

「ふふ、お気に召さなかったか。ならこう言い直そう。頑張ってデータを取ってきてくれ、ボクのモルモット」

「死ねよ。……行こう、汐霧」

「あはは」


 笑うクズ野郎に背を向けて、僕と汐霧は案内に誘導されるまま所長室を出た。



◇◆◇◆◇



 男が停車させた場所は居住地区のE区画、先日のパンドラ二体と戦った場所のすぐ近くだった。


「では、任務を終えたらこの連絡先に。お気をつけて」


 男の徹頭徹尾無感情な声色に押し出されるようにして僕らは車を降りる。車はすぐに走り去った。

 見回すと、ひび割れだらけの荒れた道に窓が割れ、苔やツタだらけの元マンション、どこからかこちらを刺してくる無数の視線……辺りにあるのはそんなものばかりだ。


 まぁ、相変わらずスラム然とした雰囲気だがあの研究所よりは好感が持てるな。こっちの、単純明快な世界の方が。


「……この周辺にはもういないみたいですね」


 ふと、汐霧が隣で小さく呟いた。


「へぇ、何で?」

「辺りに人の気配がたくさんあります。彼らが逃げてないということは、ここに彼らの命を脅かす存在がいないということです。ここの人々は命の危険に敏感ですから」


 E区画がスラムとなっているのは幾つか理由があり、工事に掛けられた予算が少なかったから、大都市に一つはそういった場所が必要だから、などなど。

 そしてその中で一番大きいのが、この場所が一番結界が薄いから、というものである。


 東京全域に結界を張るといってもそれは完璧ではなく、幾つか他に比べて脆い点がある。

 当然その場所からは時々パンドラが浸入してくるので、普通の人間は絶対にそこに近付こうとしない。


 そしてそのような『点』が数多あるのが、このE区画なのだ。


「この場所において、死は日常です」

「そりゃ物騒なことで。じゃあどうする? 車に戻ろうにもこの先は車じゃ進めそうにないし」

「通信端末は受け取ってないんですか?」

「……ゴメン、忘れてた」

「…………」


 事ここに至るまで通信の存在をすっかりと失念していた。

 恐らく氷室は分かっていたのだろうが……ワザと言い出さなかったのだろう。アイツはそういう奴だ。


「と、取り敢えずここら辺に住んでる人に聞いてみよう。ほら、丁度あそこの路地裏人いるし」


 恥ずかしがり屋さんなのか、指を指すとすぐ引っ込んでしまったが。

 非難するような汐霧の目から逃れるためにも慌てて代案を立て、早速僕は実行へと移す。


「っ、儚廻、少し待って――」

「おーい、そこの少年、ちょっと聞きたい事が」


 つい、言葉を切ってしまった。

 それは、路地裏に既に誰もいなかったからではない。少年の姿がどこにもなかったからでもない。


 ――カランッ、と。


 音を立てながら足元に転がって来た物体に、思考が追いつかなかったからだ。


 ――M219破片手榴弾。


 その安全装置は取り去られていて。

 僕の足は、動かず、そのまま――


「――【コードリボルバ】」


 魔法名の発声と同時、体を投げ飛ばされるように思い切り引かれる。

 直後、眼前を轟音とともに爆炎が灼く。僕の立っていた場所が木っ端微塵に砕け散る。


 けれど、僕は無傷だった。無傷で済んだ。

 魔法で創られた拳銃を片手に首根っこを掴んでいる――汐霧のお陰で。


「……ゴメン、助かった」

「本当です。馬鹿ですか、あなたは」


 言いながら、持っていた拳銃の魔法を切ったらしい。拳銃は光を(ほど)くように、変化前の素材だろう髪飾りとなった。

 ……髪飾りですら拳銃になるのか。凄いな、カラフル。


「この場所は本当に危険なんです。お願いだからもっと気をつけてください」

「はは、痛感したよ……文字通り」

「だったらもう迂闊に動かないように。……次も助けられるとは限りませんから」


 重みのある言葉を呟いて、汐霧は首元の手を離し、代わりに僕の腕を取ってくれた。

 手を引かれるままに僕は立ち上がる。


「それにしても……今時のガキはボール遊びに手榴弾使うんだな。知らなかったよ」

「チャンバラにはチェーンソーを使うそうです」

「……え、マジ?」

「ウソです。ほら、そろそろ依頼に戻りましょう」


 そう言って僕の先をスタスタと歩いていく汐霧。……もしかして今の、アイツなりの冗談だったのか?


「……笑えないから、ソレ」


 たった今、それを喰らい掛けた者としては。

 僕は独りごち、溜息を吐いた。


「―――――ッ!」


 その時だった。

 ビリビリと首筋に来る感覚。敵意や殺意のようなものを煮詰めたような、嫌な気配。


 ―――来るっ!


「汐霧ッ!」

「分かってます!」


 瞬時に臨戦態勢に入る。敵はどこか、ソレを探ろうとして――瞠目する。

 気配の元は朽ちたマンションの向こう側、つまり一本隣の通りだ。

 だが、敵はそこから僕らのことを狙っていた。


「マンションが―――!?」


 その根元に紫紺の輝きが満ちている。

 それは禍力の輝き。物体を腐敗させ、破壊する力。

 元々脆かったソレは、少しの腐敗で簡単に倒壊する。

 つまり。


「逃げっ――」


 瞬間。

 大質量の建造物が、僕らへと降り注いだ。

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