クエストスタート
――ヤバイ、死ぬ。
そんな思考が、頭に浮かんだ、瞬間。
「っ!」
状況を理解するより先に、生存への無意識が思い切り上体を仰け反らせる。
瞬間、目の前を、魔力の尾を引いた弾丸が通り過ぎて行った。
「……む?」
拳銃を発砲してきた側である汐霧父の疑問の声が聞こえる。だが、今の僕にそれを気にしていられるような余裕はない。
何故なら今、僕は銃を持った人間に対して一つの対抗策も取ることの出来ない、隙だらけの状態だからだ。
このままじゃ――殺られる!
「――ッ!」
無音の気勢で勢いを付け、僕は汐霧父との間に横たわる机を蹴りつける。
生まれた反動を利用し、バク転を切るようにして一気に距離を取った。
そして安全だろう位置まで後退し、口を開く。
「……まさかこんな場所で撃たれるとは思いませんでしたよ。それもいきなり」
「はは、すまないな。一応使ったのは鎮圧系の魔力を付けた銃弾だ、当たっても死にはしないさ。それに常在戦場が汐霧の家訓なのでね」
「……それは正規軍の軍規です」
いつの間にかソファの後ろ、咲良崎の隣へと難を逃れていた汐霧がポツリと零した。
クソ、やっぱ要領いい奴は羨ましいな。
「そうだったかな? まぁ、そんなことよりも、だ」
汐霧父が言葉を切り、視線の質を変える。
路傍の石に向ける無関心のものから――敵の情報を読み取ろうとする、プロの魔導師の視線に。
……やっぱり、見逃してはくれなかったか。
「よく今の一発を躱したものだ。手抜きとはいえ、一学生程度に躱せるものじゃなかったはずだが」
「……いい意味でも悪い意味でも期待を裏切る子ってのが通知表の評価ですので。ほら、やっぱり先生方の評価には応えないと」
「ふふ、そうか。……あぁそうだ、話は変わるが我が家の机はちょっとしたオーダーメイド品でね。防弾、防刃に加えて魔力もレジスト出来る優れものだったのだが」
話しながら空の左手で、汐霧父はある方向を指し示した。
その先には、先ほど僕が逃げる際に蹴りつけた大きな机がある。
表面が大きく抉れ、縦横無尽にヒビの入ったスクラップも同然の机が。
「……ああ、すいませんね、壊しちゃって。何しろ高級品に目の利かない一般庶民でして……もしアレなら弁償しますけど」
「いいや、結構だ。原因を作ったのは私だし、何より面白いものを見せてくれた。そうだろう? 憂姫、咲良崎」
「……はい」
「…………」
笑う汐霧父、頷く汐霧、黙秘する咲良崎。
三者三様の反応だが、目だけは全員同じだった。
即ち――疑念と関心の瞳。
「生憎ですけど、僕は面白い人間じゃないですよ? あなたもさっき言ったことだ。自分の発言には責任持ってください」
……落ち着け。落ち着いて動け。
“使った”のはほんの一瞬だ。如何に高位の魔導師だろうと、見破ることが出来るはずがない。
だから、声を震わすな。視線を揺らがすな。手足を平静に、心臓を冷静に保て。動揺を――殺せ。
そんな未熟な僕の内心を見透かしたかのように、汐霧父はくつくつと笑う。
「ふふ、それなら前言を撤回させて貰おう。なにしろ私が読み違えるなど久方振りのことでね。惰弱な人間と思っていた無礼を許してくれ」
「は……別に、間違ってませんよ」
将来性がなく、弱い人間。それは僕だ。そしてそんな自分のまま変わろうとする気すらない、怠惰で、脆弱なクソ人間。それが僕だ。
核心に触れられた不快感を隠すことなく吐き出すも、汐霧父は表情一つ動かさない。容易く受け流される。
こいつ、殺してやろうか?
「――条件次第では、一任務につき五百万。必要ならば装備などの支援も行おう。どうかな?」
「は?」
何言ってんだこいつ、と口に出しかけて、一瞬遅れて汐霧との部隊云々の話だと理解する。
そういえば当初の議題、それだったっけ。
お金の話を忘れるとは僕もまだまだ人間出来てないな。しっかり、しっかり。
「なんだかんだ言って結局出してくれるんですか。流石金持ち、太っ腹だ。この際微妙にケチってるのは突っ込まない方がいいですか?」
「……よくもまぁそこまで傲岸不遜な態度が取れるものだ。あぁ、これは褒め言葉だよ。理由が知りたいのかい?」
「そうですね、一応。タダのものは貰う主義なので」
チラシ配りのお姉さんにモテるためである。……ティッシュ配りでも可。……お兄さんは要相談。
……どんどん本気と書いてマジと読むポリスな空気になってきたので、ここらで冗談は終了とする。
「簡単に言えば、面白いものを見せてくれた見物料と休日を潰した迷惑料といったところかな」
「珍獣か何かですか僕は」
「それに幾ら君が常人以上の力を持っていても、それが君が強い証明にはならないからね。この辺りで了承してくれるとありがたい」
無視かこの野郎。
「……お気になさらず。貰えるならそれだけで嬉しいですから」
ここぞとばかりに謙虚さをアピール……出来てないか? 出来てないか。
そんな邪な考えはまるっと戯れとしておくとして、実際貰う金の額はそこまで問題じゃなかったりする。
何故ならここで重要なのは、汐霧家から金を受け取ることなのだ。
汐霧憂姫との関係者であることを正式に認めて貰うということは、言い換えれば汐霧家とのパイプを作ること。それさえ出来れば十二分の成果だ。
……いやまぁ、それでも貰えるなら多いに越したことはないのだが。
「…………あいだっ」
忘れていた当初の目的を思い返していると突然左耳に激痛が走った。
斜め下に引っ張られている耳に先導されて首を回すと、そこには眉根を寄せた銀髪娘の姿が。件の汐霧憂姫ちゃんその人である。
……あ、待って待ってちぎれるから耳っ!
「……最初その話をしたとき、一切譲歩も妥協もしないと言ってませんでしたか」
「べ、別にいいだろ? お前は得しかしないわけだし。ほらアレだ、ここ数日間で親愛の情が――」
「嘘吐かないで」
「いぎっ!?」
耳を強く引っ張られて情けない声を漏らす。
どうやら彼女はリアル耳なし芳一がご所望らしい。嘘になることを切に願った。
実際、汐霧と初めて会ったときはここまで考えておらず、お金たくさん欲しいなぁ、魔法の技術欲しいなぁ、程度にしか考えていなかった。
幾ら彼女にとって得とはいえ、自分絡みの話が二転三転するのは面白くないだろう。
汐霧父や学院長のように嫌な大人ならともかく、コイツは正しく“子供”っぽいし。
……いや胸と身長の話ではなく。ほら、内面的な意味で。いい意味的なアレだよ、アレ。……誰に言い訳してるんだろう。頭の病院、今度探してみようかな。
頭に口がついてたら大音量で『手遅れです』なんて返って来るんだろうなぁ、なんて気味の悪いことを妄想していると、耳に掛けられていた手が離れた。
「……耳は舌のときみたいにならないんですか」
ぼそりと呟かれた言葉。僕は思わず身震いしてしまう。
今更だがコイツに弱点教えたの、絶対間違いだった気がする。
「そ、その話はまた今度にしよう。ほら、今は大事なお話中だし、ね?」
「そう……ですね。すみませんでした、父様」
「構わない。が、妻や父上の前で同じことをやらないでくれ。くれぐれも、私の仕事を増やさないようにな」
憮然と言い放つ汐霧父。
心なしか当たりが強い気がする。やっぱり家内での汐霧の立場は結構低いのかもしれないな。さっきも義理とか言われてたし。
まぁ、結果的にお金持ちの家の旦那様と顔見知りになれたので良かったと考えよう。
ポジティブ思考、超大事。
「……で、その条件ってのは?」
「なに、どちらも簡単なことだよ。まず、こちらから金を出すのはランクA以上のものだけだ。私としてもEランクの任務に500万も出すのは流石に手痛い。そうは思わないか?」
あ、バレてやがる。
「……。貴方はどちらもと言った。もう一つは?」
「これから話す依頼を受けて貰うことだ。君たちの任務遂行力を知っておきたいからね。憂姫一人のものは把握しているが、君が加わっても変わらないとは限らない」
先にも話した通り腕力が魔導師の全てではないからね――と、汐霧父は話を締めた。
「はぁ。その依頼というのは?」
「昨日の深夜、北区の研究機関で実験に使うためのとある資材が盗まれた。――咲良崎」
「こちらが資料になります」
差し出された資料を受け取る。汐霧も受け取っているのを視界の端に、適当に全体の流し読みをする。
盗られた推定時刻は二三◯◯。現場検証から犯人はその研究所に所属している警備班の魔導師の一人と断定。彼の逃走の際、居合わせた研究者数人と警備員に多くの死人、怪我人を出している。
そして肝心の、盗られたモノは――
「パンドラの……血?」
隣で汐霧が無自覚に、資料に書かれたことが僕の錯覚でないと教えてくれた。
僕は思わず、呆れた声を出してしまう。
「……なんてものをパクられてるんですか、その研究所」
「知識だけは豊富なのが彼らの厄介なところでね。プライドが高い上に守秘義務も多いから、我々軍も彼らの敷地には滅多に入れない」
「クズ共が」
「ま、そんなことはどうでもいい。君たちにはこの犯人の追跡、可能なら確保をして貰いたい」
……さらっと無理難題吹っかけるなぁ、オイ。
「お言葉ですけど……僕ら学生ってこと忘れてません?」
「確保対象は大した魔導師ではない。彼のスペックから算出された任務ランクはB-程度……お前なら独りでもクリア出来る程度だろう? 憂姫」
「はい、出来ます」
即答する隣のAランク様。まぁ確かに、彼女の実力ならB-くらいはどうとでもなるだろう。
けれど忘れてはいけない。コイツ、この間思いっ切り殺されかけているのだ。この依頼の難易度からマイナス取ったランクの、パンドラ共に。
僕は自信満々なお姫様に小声で話し掛ける。
「……パパの前だからって格好つけなくていいよ? 今ならまだ別の依頼に変えられるかもしれないし」
「格好つけてません。怖いなら私が守りますよ? 先も言ったように、私一人でどうにかなる任務ですから」
「またお前の白馬の王子様やるのは嫌だって言ってるの。あ、この前殺られ掛けたのもう忘れた? はは、素晴らしい脳味噌積んでるようで」
「アレは……!」
「ともかく。僕はこの件に首突っ込むのは絶対に反た――」
「ああ、言い忘れていたが」
そこでふと、今思い出したかのような素振りで汐霧父がそう言った。
僕がイライラしながら振り返ると、汐霧父は黒色のカードを手に持っていて――
「この中に300万ほど入っている。もし受けてくれるなら、手付金としてコレを渡そうと思うのだが」
「任務了解しました。お任せくださいサー」
直後、隣から拳が飛んで来たのは言うまでもない。
◇
「『パンドラの血』っていうのは勿論そのままの意味じゃない。奴らの体を構成する禍力、それを幾つかの特殊な薬剤に溶かして精製する……まぁ、一種のドラッグだよ」
現在、咲良崎の運転する車の後部座席。
結構な速度で流れていく景色を尻目に、先ほど汐霧が疑問符を付けていた単語について説明する。
ちなみにあの後、屋敷を出た辺りで汐霧流リアル格ゲーコンボを叩き込まれた。きっちり16コンボくらい、凄まじい勢いで。
……もしかしてコイツ、僕をサンドバッグかなんかと勘違いしてないか?
コンビを組むのもストレス解消のためとか……いや、さっきのは僕の自業自得なわけだが。割と笑えないくらいには可能性のある話である。背筋が寒いぜ。
「ドラッグ、ですか。……あまりいい印象のない言葉です。偏見ですけど」
「その認識で合ってるよ。このクスリは間違ってもいいお薬なんかじゃない。というかぶっちゃけ下手な麻薬よりタチが悪いね」
「効果は?」
「幾つかある。まず身体能力の向上。摂取量や個人差にも依るけど、大体常人の2.25倍から4倍近く身体能力が上がる」
「4倍……!?」
汐霧が目を丸くする。
基本無表情のコイツにしては珍しい反応。それだけ大きな驚愕を受けたのだろう。僕だって何も知らずに聞いたら同じようになる自信がある。
「そこまで上がることはそうそうないけどね。で、問題なのはその後。今言った効果のせいでもある、万能感を伴う重度の精神高揚作用。凶暴性と負の欲求の表面化。そして効果が切れた後の不快感による凄まじい依存性」
「……人をケダモノに変える薬、というところですか」
「そんなところ。材料が材料だから当然といえばそうだけどね。後は……そうだ、服用時の危険性だけど……」
言ったはいいが、それについての記憶があやふやで言葉に詰まってしまう。
如何せん流行ったのが一昔前の一時期だ。ぼんやりとしか覚えていない。
どうだったかなー、と必死に思い出そうとしていると、意外なことに、その答えは沈黙していた運転席から返ってきた。
「『パンドラの血』は服用者のコンディションに関わらず、服用した瞬間に5%という確率で命を落とします」
「咲……知っているんですか?」
「データの統計であれば頭に入っております、お嬢様」
驕るでも誇るでもなく、咲良崎は淡々と答える。そういうことなら、ここから先は彼女に任せるとしよう。
ミラー越しに目線で頼むと、同じく目線で了解と告げられた。ありがたやありがたや。
「統計から他の場合を並べますと……薬の効果が切れた時に発狂し廃人となる確率が15%。狂う前に自分で命を絶つ確率が25%。これらを運良く避けても依存性となり、再び服用する確率が45%となっております」
「……何故、そんなにも」
「大きな原因は、先ほど儚廻様も仰られていたように、材料が人体にとって最悪なものだからです。また効果が切れると身体が泥のように動かなくなる不快感に依るところも大きいと聞き及んでおります」
実際のところは身体能力が元に戻っただけだ。つまるところ、使った人間がそう言う程に強力な効果ということである。
「……ありがとう、咲。引き続き運転をお願いします」
「了解しました」
ぺこり。彼女はシートベルトを着けたまま、優雅さを失わずに一礼した。何気に凄いな、今の。
ウチのクロハもああいう類の器用さが身につけられるなら汐霧の家に弟子入りさせるのも悪くないかもしれないな。
絶対嫌がられるし事情的に実現不可だから、あり得ない話だが。
下らないことを考えながらぼーっと窓の外を眺めていると、丁度鬱屈としたビル街の隙間に入ったらしい。建物に阻まれていた風景が一気に広がる。
そして、そんな風景の中でも一際目立つものがあった。
「……新東京スカイツリー、か」
「え?」
「いや……」
何でもないよ、とひらひらと手を振る。実際特に何かあるわけでもない。何となく口に出ただけなのだ。
――新東京スカイツリー。
東区に立つ、雲を貫きなお天へと伸びる東京コロニーの象徴にして生命線。世界でも有数の巨塔だ。
前時代の旧東京スカイツリーは電波塔だったが、こっちの用途は全く違っている。『結界装置』というのが今は一番正しい表現だろうか。
コロニーの外。そこには数多くのパンドラと、それ以上に奴らが撒き散らす禍力が蔓延している。
どんな人間だろうと、何の準備もなくコロニーの外に出れば1時間と生きていられない。
そんな外の脅威から身を守るため、当時の東京は建造途中だった二つ目のツリーを急遽改築しつつ急ピッチで建造。
内部に結界系統の魔法に秀でた者を集め、パンドラと禍力を弾く大規模結界を張った。
それからかなりの時間が経った今も、時折偶然結界の弱い部分からパンドラが入り込むことこそあれど、この結界が破られたことはない。
だから人々は言うのだ。あの塔こそ東京を守る希望の塔だ、と。
それが夥しい屍を踏み潰して立つ人殺しの塔ということを知りもせず、知ろうともせず、のうのうと。
◇
件の研究所は端から見ても大忙しの様相だった。
汐霧父が話を通しておいたのだろう案内の男について歩きながら、僕と汐霧は研究所内を観察していく。
赤黒い染みの付いた床やヒビの入った壁、グチャグチャに荒れた部屋……これらが全て一人によるものなのだから空恐ろしい。
それにしても……
「……歓迎はされてないようですね」
「みたいだねぇ」
今まですれ違った研究員、その殆どからまるで敵に向けるような視線を頂戴している。
余程自分たちのテリトリーに土足で上がり込まれたのが気に入らないのだろう。
汐霧父に渡された資料曰く、この依頼は軍の上層部、その一部に金の力で極秘に出したものらしい。
そんな大きい依頼を僕らなんかに預ける辺り、軍とこの研究所の仲も推して測るべしだ。
幾らAランクを寄越しているとはいえそれも学生、ついでに僕という名の足手まとい付きだ。
多分、成功だろうと失敗だろうとどっちに転んでも構わないんだろう。
「嫌になるね、ホント」
「全くです」
「――到着しました、お二方。こちらが所長室となります。話は伝わっておりますので、どうぞお入りください」
どうやら雑談しているうちに着いたらしい。ありがとうございます、と案内の男に頭を下げ、入室する。
次の瞬間、その部屋の光景に僕らは絶句した。
壁際に所狭しと置かれた、僕の身長程もあるカプセル。
我が家にあるのと同じタイプなようで、中身は同色の液体で満たされており、何かが浮かんでいるものもある。
……まさか、パンドラの肉片?
だとしたら、これは一体、何の研究を――
「――それに興味があるのかな?」
室内に響いた声に顔を上げる。
声の主はすぐに見つかった。机の向こう、背後の培養槽と同化するように、白衣を着た中性的な顔立ちの男が立っている。
男は他の研究者たちと違い、敵意を向けて来ていない。
それは単に見せていないだけとか、そういうものではなく――その顔には、同好の士を見つけた喜色を貼り付けている。
僕は、この男を知っていた。
「久しぶりだね、ハルカ。最近顔を見ないから死んだかと思っていた」
「ハッ……お前の顔見るくらいなら死人扱いの方がずっとマシだね」
「……お知り合い、ですか?」
汐霧の質問に、白衣の男は大仰に両手を広げ、答える。
「自己紹介しよう。ボクの名前は氷室フブキ。キミたちの敵であるパンドラ、そしてその源たる禍力を研究する者……そして、そこの男の親友だよ」