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ぼくらの戦争歌  作者: 竹魚 凛人
歯車ははまった。
5/8

決定



男は笹綱ジオだ、ジオと呼んでくれと何度も念押しをした。


ジオにつられられてきたのは、先ほどの街から少し外れたところにひっそりと立つ、アティーク調の小洒落た古本屋だった。筆で書かれた『ヴィツィオ書房』という木の看板が概観にそぐわず、くっきりと浮いているようでなんだか不思議だった。


ここに来る間に、自分が記憶喪失だということを説明したが、ジオは、

「大丈夫、うちの職場皆そんな感じの人だから」

と言って軽くあしらわれた。


そんな感じの人、というのは、記憶喪失とか家が無いとかそういった類の人だろうか。では、こいつも何かしら問題を抱えているのか…?


俺の頭の中に、家庭内暴力や虐め、人種差別、――そして【妖怪】なるものが浮かんだ。



世界は今かなり治安が悪いことは常識として脳に刷り込まれている。


数百年前に起きた大戦争を引き金に、妖怪という種族と人が表立って長年対立し血を流していることも覚えては、いる。

数百年あまり前の平和な姿は最早幻のようで、今は都市部ともなると大量の金が動く大都会の反面、銃弾飛び交うダーティーな危険社会、そして妖怪が人を平気で殺し生存している戦争社会に毒されているレベルだ。


一般人でさえも護身用のナイフ・拳銃を持つことを許されているからこそ、今時捨て子は珍しくない。



「ここだよ、キリヒコ君」


ピクリとも表情筋を動かさないジオは、ぼけっと突っ立つ俺に痺れを切らしたのか俺の腕を掴んで店内へと引きずりこんだ。

以外にも彼の腕力は強く、百七十は超えている俺の体をいともたやすく動かした。相も変わらずその掌は冷たい。


天井に幾つかつるされたオレンジ色の洋燈が照らしているのみで薄暗い。店内はたくさんの本棚が高い天井に伸びるようにみっちりと詰まっている。それだけでは飽き足らず、そこかしこに沢山の本が乱雑に積み重ねられている。大きな窓がかなりの数あるが、残念ながら本棚に隠されそこから入ってくる日差しは無に等しい。


古草臥れた紙の匂いが充満していた。



「古本屋、か?」

「うん、そう。ちょっと待っててね」


ささじはそう言って俺に断ると、バックヤードの方へ軽やかな足取りで向かって行った。オレンジが一つごろんと零れ落ちる。転げ落ちたオレンジはグレイの床を転がり、俺の足元へやってきて止まった。


無言でそれを手に取る。

オレンジ色のそれを見ていると、何故か脳裏にリョウキの笑みが浮かんだ。アイツのイメージカラーは絶対にオレンジだ。初対面の時からそう確信している。


「あか姉ーーバイト君連れてきたぁぁぁ」


ジオの叫び声が響く。

店内はよく空調が聞いていて、暑くも寒くもない程度に整えられていた。


「うるさいジオ!聞こえてるわよ」

いらだった女性の声が聞こえて、ジオが一人の影を引き連れてバックヤードから出てきた。


赤とオレンジのグラデーションの長い髪を揺らす彼女は、まるでどこかの海外のファッション雑誌の表紙を飾りそうな美人だった。

むき出しの白い肩や細くて今にも折れそうな脚が相まって、儚げな印象を強く受ける。きっとリョウキが見たら嬉しそうに声をかけそうな、とてもじゃないが俺がお目にかかれることが滅多にない人種の方だった。



「あ、えっと、あぁ…」

「君がバイト君?ごめんね、きっとジオが引っ張ってきたのよね。お買い物のお邪魔しちゃったぽい」


俺が持つスーパーの袋をちらりと横目で見て、女性は再度頭を下げて謝った。そして俺の手にもつオレンジを受け取り、ジオへとそのまま流す。

「い、いえ!そんな、ことは」

「キリヒコ君はオレに声をかけてくれたんだ。それに、仕事を探してるみたいだし。うちで雇ってくれないかなぁ、あか姉」


ぐいぐいと女性の服を引っ張って、ぴくりとも表情を変えずに駄々をこねるジオは、手に持っていたオレンジをガブッと噛んだ。


俺はどうしていいかわからず、ちょっと戸惑ったうえでいう。

「よろしければ面接していただいてもいいですか。今、バイトを探していて…。俺、記憶がないんです、四日前までの。それでどこに行っても落とされてしまって」

自分のことを話しているうちに、どんどん声の大きさが小さくなっていってしまう。なんて情けないことか。



「……私はいいと思うんだけど、今店長が不在なの…」

しばらく俺を眺めていた女性が、ぽつりとため息交じりに呟いた。

「え、あの、あなたが店長じゃないんすか」

その落ち着いた物腰と対応に、てっきりこの店の長なのかと勘違いしていたが、どうやらそれは的外れな見解のようだ。彼女は驚いた風に目を見開くと、くすくすと口元を抑えて笑った。


「いやねぇ、私が店長なんて。ああ、ごめんなさい。自己紹介が遅れていたわ。ヴィツィオ書房の店員、暁あかねです」

「…鶴臥桐彦ツルガ キリヒコ、です」

あかねさんがぽんっと手を打つと、「とりあえず仮面接でもしときましょうよ。店長には私から伝えておくから」と言って、俺とジオをバックヤードへと招いた。


入れてもらったバックヤードはやたらと広くて、むしろこっちを店にしたほうがいいのではとも思った。

積み上げられている本の山も本棚も何もないから、暖かい日差しが部屋中に差し込んでいる。先ほどまでほぼ暗闇のようなところにいたからか、その光が無性に目に痛かった。



「そこにかけて。ジオ、お茶淹れて頂戴」

「あいさっさ」

ジオはびしっと敬礼ポーズを決めると、小走りで奥の部屋――恐らく簡易キッチンと仮眠室――へ消えていった。



「さ、始めましょうか」

履歴書も何もないまま、ゆるりとした面接は始まった。



「年はいくつ?」

「十九…だと思います」

「記憶がないのよね、それは自分のこと全て?親のこととか、幼少の頃とか、覚えている?」

「いいえ、全然。正直言うと、自分の名前もピンと来ないです。今友人の家に泊めてもらっているんすけど、俺のことは殆どソイツから聞きました。自分のこと以外はわかります」

「そう……」


淹れた茶を持ってきたジオと三人で話を広げる。


「ここはね、家がないヤツとか、親のいない独り身とか、それこそ日陰で生きるようなヤツを店長が引きとって、面倒見てくれてるの。もちろん私もその一人よ」

「そう、なんすか…」


少なくとも店員はジオとあかねさん以外にもいるらしい。

それにしても、二人以上の人間をまっとうな人生として歩ませることができるような、時間も財力も心もあるような人間がこの世にいるのだろうか。そんな素晴らしい人間がいれば、この世も少しはましになるのでは。


「素晴らしい人なんですね」

「うーん、店長は働かないしずっとお酒飲んでるし、女好きだから。あんまりすごさは感じないよ」


横から口を挟んできたジオが、いらんことを俺に吹き込みやがった。一瞬で俺の店長像はガラガラと音を立てて崩れ落ちる。


「否定はできないわね…。まあそんな環境だから、きっと桐彦君でも受け入れると思うわ、店長は。うちはね、店があって、少し離れたところに寮があるのよ。って言ってもただの日本家屋だけれど。そこで従業員は生活するの。その家賃を給料から減らされるシステムね。だから、桐彦君にはいい物件じゃないかしら」


ぴったりである。コクリコクリ、と声も出さずに高速で頭を上下に振ると、あかねさんは少し笑って紙に何かを書き、俺に渡した。

「これ、ヴィツィオの電話番号よ。明日にでももう一度来て頂戴。店長に話つけておくから」

「あ、ありがとうございますっ…!」

よ、よかった…!仕事も住処も一気に手に入るかもしれない!


これでこれ以上リョウキに迷惑をかけずに済むのだと思うと、重かった肩がすぅっと軽くなるようになった。うれしい。


あとは、仕事をしながら自分のことを辿るでもなんでもして、思い出せばいいだけのこと。

「送るよ」と言うジオを断り、俺は何度も頭を下げてヴィツィオ書房を後にした。




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