第5話:帝国の謀将(1)
カルデイ帝都ダエンにもランリエル軍参戦の報は届いていた。
「父上、ランリエルが参戦してきましたが、我が軍は大丈夫なのでしょうな? 私があれだけ苦労してお膳立てしたのに敗北する様な事があれば、私の苦労は水の泡です」
例のベルヴァース王都陥落に一役かったカルデイ帝国のファリアス皇太子である。
ランリエル軍参戦に不安になった皇太子が、わざわざ父であるカルデイ皇帝ベネガスの執務室までやって来たのだ。
この姿をベルヴァース国王夫妻が見れば我が目を疑っただろう。
ベルヴァース国王夫妻と親しげに会話を重ねていた時とは違い、演技をする必要のなくなった皇太子は父に対してすら尊大な態度と口ぶりだった。
「なにベルヴァースを攻めればランリエルがしゃしゃり出てくるのはいつもの事よ。お前のおかげですでにベルヴァース王都は落ちた。万事計画通りじゃ。のう。ギリスよ?」
皇帝に会う為には、親子といえでも取り次ぐ必要がある。
ファリアス皇太子が自分に会いたいと聞いたベネガス皇帝は、どうせランリエル軍参戦についてであろうと予測し、前もって作戦立案者のギリスを呼び寄せていた。
「はい。陛下の仰せの通りです」
皇帝の言葉にギリスは一礼し、説明を始めた。
「我が帝国を含めた3国の戦いは常に1対2となります。今回の戦いでは、我が国一国でランリエル、ベルヴァース両国を相手にする訳ですが、こちらはあえて長期戦で望みます。1対2ならば当然我が方は戦力が劣りますが、戦とは守る側が有利なのも事実。すでに王都を落とし王都から帝国までの地域も確保している我らは、他国を攻めている侵略軍と同時に「守る側」であるとも言えます。今後の方針はこの地域を守りきり、特にランリエル軍を消耗させる事にあります」
ギリスはここで一旦区切ると、皇太子が話しについてこれているか確認する様に一瞥し、また口を開く。
「ベルヴァース軍は我が身の事ですから最後まで粘りましょうが、ランリエル軍を消耗させ撤退させれば、その時こそまた我らは攻勢に出て、ベルヴァースでの占領地を増やします。そして体勢を立て直したランリエル軍がまた出てきたなら、こちらもまた守りに徹するのです」
「気の長い作戦だな、一気に敵を討ち滅ぼす事は出来んのか?」
誰からも好かれる皇太子の演技をする必要のなくなった、ありのままのファリアス皇太子が尊大に口を挟んだ。
だがそれに対しギリスはすました顔で皇太子を一瞥した。
「殿下も御出陣いただき陣頭に立ち、先頭を切って敵に突入すれば我が軍将兵も勇気百倍、勇んで殿下に続き突撃し、すぐにでも敵を討ち滅ぼしましょう」
文句を言うのなら自分も戦いに出ろ。ギリスの目はそう言っていた。
苦虫を噛み潰した様な表情になった皇太子は、言い返そうとするが効果的な反論が思い浮かばず口を噤んだ。皇太子にはギリスを睨みつける事しか出来ない。
「ファリアスもそうしたいのはやまやまであろうが、もしもの事があれば我が国の跡継ぎが居なくなるのでな。そうもいかんのだ」
皇帝が、あまり苛めてやるな。とギリスに視線で制す。
もっとも、そもそもギリス自身が、今回のベルヴァース王国侵攻を全面的に支持している訳ではなかった。
しかし歴代のカルデイ皇帝に比べ、これといって特記すべき業績の無い現カルデイ皇帝が、突如「歴代の皇帝達がなしえなかった快挙」を切望したのだ。
ベネガス皇帝は、皇家の存続が帝国に取って一番の重要な使命と心得ていた。
長男のファリアス皇太子も成人し他にも年少の子供達がいる。もう跡取りの心配はない。ならば今度は、自分の為に国家を利用してもかまわないのではないか? 一番重要な跡取りを残すという使命を果たしたと思った時、自身の名誉欲が急激に首をもたげてきたのだった。
歴代の皇帝達が成し得なかった3国の統一の偉業を成し遂げれば、ベネガス皇帝の名は歴代カルデイ皇帝随一の輝きを放つだろう。
3国の戦いの歴史から実現は困難との意見が多く出されたが、ベネガス皇帝の名声に対する妄執の為、反対者は全て更迭された。ギリスも内心反対だったが更迭されてまで反対する気は無い。やれと命じられたなら軍人として最善を尽くす。そうも考えていた。
3国は絶妙なバランスで成り立っている。一国を攻め滅ぼせれば、他の国の命運も握ったも同然である。問題はランリエルとベルヴァースのどちらに狙いを定めるかだ。
かつてランリエルが一番の脅威なのだからと、ランリエルを攻めるという事も行われたが、帝国とランリエルではランリエルの方が国力は勝る。やはり無理がある。
今回は正攻法として国力の劣るベルヴァースを攻める事となった。
しかし帝国もランリエルも今まで何度も失敗を重ねたベルヴァース王国侵略である。基本方針は正攻法として狙いをベルヴァースに定めたとはいえ、戦い方まで正攻法に拘る事は無い。
その結果が、カルデイ帝国を挙げてのペテンを仕掛けたベルヴァース王都エルンシェ攻略だった。ベルヴァースはそのペテンにより、本来の実力の10分の1も発揮出来ずに王都を占領されたのだ。
王都を守護する近衛兵5千名がそろい王都内に帝国軍兵士が入り込んでいなければ、それだけで数ヶ月は帝国軍を支えられていたのだ。そしてその間にランリエルからの援軍がやってきて、帝国軍は惨めに敗退していたに違いない。
ここまでは帝国軍が主導権を握る事が出来た。しかしここからはそうは行かないだろう。戦力的に見れば帝国1国より、ランリエル、ベルヴァース連合軍の方が勝るのは当然である。
ファリアス皇太子が言う様に気の長い作戦である事は、ギリスにも異論はなかった。
確かに過去には少数の兵力で多数の敵軍を倒したという戦いは数多くある。しかしその百倍の数の戦いで、少数の兵力は多数の敵軍に負けているのだ。
いざともなれば少数で多数の敵を倒す必要にかられる事もある。だが、始めから少数で多数の敵を倒す事を前提に計画を立てる者など、戦略家として二流、三流どころか戦略家を名乗る資格すらない。
敵より少数で戦って勝かつという幻想を捨てた時、守りながら徐々に領土を広げていくという方策しか立てようが無かったのだ。
「今後の行動には、ベルヴァース王都にいるヘルバン将軍と念密な打ち合わせが必要となりますので私もベルヴァースへと出立いたします」
もはや皇太子の相手はしていられない。ギリスは皇帝に一礼し退出した。
宮殿を出たギリスは、今回の戦いの困難さについて改めて考えながら馬を歩ませ、邸宅へと向かった。ベルヴァースに向かうにしても、一旦は自宅に戻りその準備をしなければならない。
すれ違う民達はギリスが考える今回の戦いの困難さを微塵も分かっていかの様に活気に溢れていた。道々には食料や生地、小物といった商品が並べられ売り手と買い手が商品の値段について額を合わせる様にして商談している。
だが今回の戦いの困難さを彼らが正しく認識していれば、将来への不安から少しでも倹約しようとして町は活気を失うだろう。さらに目先が利く者なら食料の買占めに走るかもしれない。
ギリスが邸宅へ付くと妻のルシアが彼を出迎えた。
ルシアは薄い栗色の髪と濃い栗色の瞳を持つ女性で口数が少なく、25歳という年齢に対して落ち着いた印象を与えた。
6年前、当時の上官だったロサリオ・ギリスに見込まれたエティエ・ハイメスは、ロサリオの娘ルシア・ギリスと結婚し婿養子となった。
ロサリオには男子が無く、軍部で将来を期待できる跡取りを物色していたロサリオの網にハイメスが絡め取られたのだ。
ハイメスにとっては上官の娘などを嫁に貰い、さらに婿になるなど煩わしい事この上ない。逃げられるものなら逃げたかったが、一旦上官の網に掛かった以上そこから逃げ出すには軍部からも逃げ出す必要があった。
軍での立身出世を考えるハイメスには軍部から逃げ出すなど出来ぬ事だった。
仕方が無い。ギリス家もそれなりに武門の名門ではある。出世の役に立つだろう。ギリスは無理やり自身を納得させ、渋々、上官からの婿になるようにとの「命令」を「受諾」したのだった。
結婚前にハイメスとルシアが顔を合わせたのは一度きりだった。
ロサリオなりに気を利かせたつもりなのか、一度娘の手料理を振舞ってやろうと自邸にハイメスを招いたのだ。だがその時に2人が交わした会話はお互い一言だけだった。
「お好みに合うかどうか分かりませんが」とハイメスがルシアに花束を贈り。
「ありがとう御座います」とルシアがギリスにお礼を言った。それだけだった。
こうして31歳のエティエ・ハイメスはエティエ・ギリスとなり、19歳のルシア・ギリス嬢はルシア・ギリス夫人となったのだ。
結婚が出世の役に立つだろうというギリスの思惑は、思いの他すぐに達成された。ルシアとの結婚後1年を過ぎた頃、義父であるロサリオが戦死したのだ。
しかも、劣勢の中で敵を防ぎきり、その結果戦いは帝国の逆転勝利。しかし自身は戦死するという、ある意味「最高の戦死」を遂げたのだ。
軍部はロサリオを武人の鏡であると称賛し、そしてギリスは「義父が自分を見込んで婿に迎えた」という事実を最大限利用したのだった。
彼は義父の上司や同僚と義父の話になった時「ロサリオが自分の才能を見込んで婿にした」という事をさりげなく強調した。さらにその話が一通り広まると、今度は「ロサリオはギリスが一軍の将となった姿を一目見たかったに違いない」と巧みに噂を操った。
そしてロサリオの葬儀の日には、将官の階級章を付け喪主を務めるギリスの姿があった。
当人に功績が無いにも関わらずの出世など異例ではあるが、なにせ「英雄ロサリオ・ギリスの遺言」である。特例としてギリスを出世させる事になったのだ。
勿論、地位には能力と器量が要求される。それが不足していると見られれば、すぐにでも降格させられたであろうがギリスはその両方を兼ね備えていた。
こうして出世し、わずらわしい舅もいなくなり、全てが順風満帆であると思われるギリスであるが、その家庭は上手くいっていなかった。
女はあまり外を出歩くものではない。という父の教育方針にしたがって育てられたルシアは大人しい性格で、ギリスは彼女の事を嫌いという訳ではないが苦手だった。
ギリスの目から見てもルシアは十分美しい女性であり、そして生来気立てが優しいという事も分かっている。では何の問題があるのかといえばルシアは感情を表に出す事が少なく、ギリスには掴みどころが無いのだ。
何事にも不平不満を言う訳でもなく、何かに大喜びするところも見た事が無い。ギリスが帰宅すると黙って食事を出し酒の用意をする。酒を飲んでいる間は黙って傍で佇み。酒がなくなると黙って追加の酒を持ってくる。まるで有能な侍女の様である。
しかしギリスも、ルシアがルシアなりに自分に対して精一杯仕え様としているのは分かる。
そのお返しにと2人でどこかに出かけようと、どこに行きたいかルシアに聞いても
「貴方の行きたい場所で良いです」と答え、何かして欲しい事はないかと問うても
「貴方がして下さる事ならばどの様な事でも」と返す。
そしてギリスが話しかけると返事はするのだが、ルシアが自分からギリスに話かける事は殆ど無かった。
傍から見れば一回りも年下の美しい妻を持ってと羨ましがられるだろうが、これが夫婦の関係と言えるのだろうか? そう思わずにはいられないギリスだった。
元々上司だったロサリオに強引に結び付けられた2人である。
そのロサリオが亡くなったのだからとギリスも離縁を考えた事もあった。だがロサリオの遺産として軍部での地位を得たギリスだ。そのロサリオの一人娘であるルシアと離縁するのは外聞が悪い。それゆえ今だ彼女はギリスの妻であり続けているのだった。
「これからすぐにベルヴァースに出立する」
宮殿から帰宅したギリスがルシアにそう告げると、いつもの出陣の時と変わりなく
「はい。分かりました」と答え、滞りなく夫の出立の準備を行った。
「ご無事でお戻りになる様にお祈りしております」
ルシアはそう言って頭を下げ、いつもの様に夫を送りだした。
今度の戦はここ数十年で一番大きな戦いとなるだろう。今までの地方の反乱や小競り合いの出陣とは比べ物にならない激しい戦いになる事を妻は分かっているのだろうか?