第3話:ベルヴァース王都攻略戦(2)
この様な状況の中、ランリエルから国王夫妻が帰国する時期が近づいた。
国王夫妻はランリエルを出立し、ベルヴァースへと向かっていた。勿論、国王夫妻の行程に相応しくゆったりとしたものだった。
また王都からは国王夫妻帰国に向け、国境で御2人を出迎えるべく、近衛隊5千の内2千が出発している。
そして帝国軍は、ベルヴァース臣民にもましてその国王夫妻の帰国を待ちわびていたのだった。
ベルヴァース国王夫妻の2ヶ国訪問は、毎年の事である。その行程を調べるのに苦労は無い。国王夫妻が出国時の王都から国境までと帰国時の国境から王都までの間は、護衛としてベルヴァース軍近衛兵2千が王都を離れる事は帝国も把握していた。
この国王夫妻が帰国する王都の守りが少ない時を狙い、ベルヴァース王都を攻めるのが帝国軍の狙いだったのだ。
いっその事国王夫妻が帝国に来た時に、そのまま人質にすれば良いではないか? との意見も出されたが、国王夫妻を人質に取ってからベルヴァースに軍勢を進めたとしてもベルヴァースは守りを固めていよう。
そしてその間にランリエル軍も出てくる。
そこでベルヴァース軍に、国王夫妻の命が押しければランリエル軍と戦えと命じたとしてもさすがにベルヴァース軍は従うまい。
帝国に国王夫妻を捕らえられ、さらにランリエルと戦えばベルヴァースは滅ぶ。
その選択をするくらいなら現国王の命は諦め、王家の血を引く貴族を新国王として擁立し帝国に抵抗するだろう。王の命は尊ぶべきである、しかし王国の存続はさらに重要なのだった。
この様な判断により国王夫妻を捕らえる事よりも王都を占領する方が実質的に重要、という結論となったのだ。
そしてそうなると重要な問題がある。
ベルヴァースの王都を落とすに足る軍勢を、他国に察知されずにどの様にして整えるか。
その問題を解決する為、参謀のギリスは腐心した。
通常軍勢が出陣する時は一旦兵士達を王都に集結し改めて王都から隊列を組み出撃する。それは小隊、中隊、大隊、連隊といった編成を行い指揮系統を整える為には必要な事だった。
もし他国を奇襲する為にと、王都に軍勢を集結させず兵士達にばらばらに国境に向かわせ攻め込んだところで烏合の衆に過ぎない。纏まりのない軍勢は数ほどの力を発揮せず勝利はおぼつかない。
それゆえ密偵達は他国の出陣を監視するに王都さえ抑えておけばよく、それは各国共通の認識だった。ギリスは各国のその認識を利用した。
軍勢の大半は民衆から召集された者達であり、当然任期というものがある。
「各地に配置されている兵士達を新たに召集した兵士と交代させる」
ギリスは帝国全土に大々的に発表した。
各国から派遣されている密偵は当然警戒しその動向を見守る。
召集された兵士達は一人前の兵士としてものの役に立つ様になるまで訓練され帝都へと向かい、その後帝都で編成されそれぞれの任地へと配属されるのだ。
任期が切れた兵士達は入れ替わる様に帝都へと戻り、そこで解散しそれぞれの故郷へと帰る。
密偵達は、もしや新旧の軍勢の紛らせ軍勢を整えようとしているのかと、注意深く帝都から出て行く軍勢と入る軍勢の数を見張っていた。しかし、誤差と思える以上の差は確認出来なかった。
だがギリスは、まさにこの軍勢の入れ替わりを利用し、帝都を監視する密偵の目を眩ませベルヴァース王国侵攻の大軍を整えさせたのだった。
帝都に戻った任期切れの兵士達はそこで解散し帝都を出たが、実は帝都から離れたところで再度集結していたのだ。彼らは改めて武具を身に付け、隊列を組み何食わぬ顔でまた帝都に入った。
つまり帝都に入ってくると見えたのは僅か数千の軍勢が出たり入ったりしているだけで、軍勢は実は出て行くばかりだったのだ。
戻ってくる兵士は帝都に顔見知りの者が居ない者を選抜する念の入れ様に、密偵達もまんまと騙された。そして本国には、問題ありませんと報告したのである。
ギリスはカルデイ帝都に留まり軍勢の帰還と出陣の指示を出し、帝都を出た編成済みの軍勢は一旦それぞれの任地に向かうと称し、四方八方へと進んだ。
そして密偵の目が届かぬ帝都から十分離れたところで方向を変え、ベルヴァース王国との国境付近に密かに集結したのだった。
その軍勢を指揮するのは帝国の名将と名高いヘルバン
ヘルバンは戦術能力が高く、その逞しく大きな体躯と短く黒い髪に鋭い眼光。さらに40という男としては働き盛りの年齢といった事から連想される、猛将という印象とは逆に守りの戦いにおいての巧みさに定評がある。
そしてその守りの巧みさから、攻城戦も得意としていた。
「どの様に攻めれば落とせるのかを考えるのではない。自分が守る事を想定し、どう攻められれば落とされるかを考えるのだ」
それがヘルバンの持論だった。
帝国軍は放ってある偵察から、国王夫妻帰国の情報を得るとヘルバンは作戦を開始した。
まず日がある内に数十人ずつが皇太子への見舞いと称して国境を通過した。そして日が暮れると本隊が一気に国境を突破する。
国境を守る各所の城や砦は防備を固める一方、王都へと帝国軍襲来を伝える早馬が出した。しかし、その行く道先では帝国兵士が待ち構えていた。日中に皇太子への見舞い装って先行した者達である。その為、王都への帝国軍襲来の報が届く事は無かった。
そして王都ではその2日後に、皇太子及び見舞い客達も行動を起こした。
皇太子は、今日は体調が良いので少し遠出がしたいと言い出し、それではぜひ私達もお供にと帝国の貴族達もこぞって付いて行く。
皇太子や貴族達の乗る馬車、さらにそれを護衛する兵士達で数百人にもなる大行列となり出かけた。
そしてその後皇太子一行は夕刻に王都へと帰ってきたが、やはり遠出はまだ無理だったのか皇太子は体調が優れぬと訴えた。皇太子は医師に付き添われ誰とも会わずにまた部屋に篭った。
だが、この時にすでに皇太子は帝国へと向かっていたのである。
皇太子の馬車に乗り王都に入っているのは、皇太子に姿が似た兵士だったのだ。そして貴族達の馬車も、ほとんど誰も乗っておらず空だった。彼らも僅かな数の馬車に相乗りし、少数の護衛と共に帝国へ逃げ去っていたのだ。
王都は、度重なる帝国及びランリエルの侵略を受けた経験から、町全体をすっぽりと高い塀で囲み、さらにその中に王城が鎮座している。堅牢堅固という言葉に相応しい要塞である。もっともこれは、規模は違うが他の2国も同じだった。
敵が王都まで侵略してくれば町ごと篭城する。その為に大量の食料も蓄えられていた。食料は万一の出火の時に一度に燃え尽きてしまう事を防ぐ為、王城の東西南北4箇所に、それぞれ建造された頑丈な倉庫に蓄えられている。
遠出から帰ってきた帝国の護衛兵5百名は、真夜中になると密かに王都内の各所に火を放った。
「火事でござる。皇太子は何処。皇太子を安全な所にご避難させなければ」
この真夜中の突然の出火に王都の民衆、兵士達は浮き足立って混乱し、その最中、護衛兵達は口々に叫びながら王城へと乗り込んだのだ。
王城へ他国の兵士が乗り込むのは好ましくないが、そう言われては兵士達も制止するのも躊躇われ、こうして護衛兵達は易々と王城内へ乗り込む事に成功した。
そして護衛兵達は4箇所ある食料庫の内の一つを占領し、小麦の袋を土嚢代わりに入り口を塞ぎ立て篭もった。
帝国の護衛兵達が食料庫を占領したという報告に驚いたベルヴァース王国近衛隊隊長インサンだったが、次の瞬間には我に返り、すぐに食料庫に篭る敵を征圧すべく指示を出す。
だが食料庫が占領されたという報告で十分驚いていたインサンに、さらに耳を疑う報告が入った。
なんと帝国の大軍がすぐそこまで迫ってきているというのだ。
「それほどの大軍が接近してきているのを、どうして今まで気付かなかったのか!?」
あまりの事に報告者を問いただしたインサンだったが、報告者もそんな事が分かるはずが無い。敵襲があれば帝国との国境から王都までに点在する城や砦から早馬で連絡があるはずなのに、その連絡が無かったのである。
だがそれは皇太子への見舞い客を装ってベルヴァースに入り込んでいた帝国の兵士達が、王都までの道々に潜み、そうとは知らず王都へと敵襲を伝えるべく懸命に馬で駆けていた伝令達を全て討ち取ってしまった為だった。
しかもヘルバン率いる帝国軍は、国境から王都までの間に在る軍事拠点を、全て抑えの兵を残すのみで素通りし王都を目指して来たのだった。
本来その様な事をすれば自殺行為以外の何ものでもない。一箇所でも抑えが破られれば敵国内に孤立する。王都内に入り込ませた護衛兵をあてこんでの短期決戦が狙いなのは明白だった。
「やむを得ん。食料庫の敵兵の抑えに1千を残し、他の軍勢で王都を守るぞ!」
インサンはそう指示を出し迫り来る軍勢を迎え撃った。
近衛兵は精鋭である。敵がまともに戦う積もりならば同数の5百で十分だ。しかし、敵は王都の門を内部から開ける事だけを考え突破を試みるだろう。敵の突破を防ぐには倍の戦力が必要だった。
その為帝国の大軍に対し僅か2千の兵力での防衛を強いられたインサンだったが、それでも王都の防御は簡単には崩れず持ち堪えていた。
「中々やるな。さすが王都の防衛を託される事だけはある」
防衛の指揮を執る敵将を素直に賞賛するヘルバンだったが、その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
だがこれから起こる事を思うと、その笑みは消えた。
「……だが、それだけに惜しい」
そう呟くヘルバンの表情には、敵将への哀れみが浮かんでいた。
何とか持ち堪える事が出来るか……。
王都の正門である東門防衛の指揮を執っていたインサンはそう戦況を見ていた。しかしそこに、思いの寄らぬ報告がもたらされた。南門を守備する武将が伝令を遣わしてきたのだ。
「何! 南門が落とされただと!」
「は! 突如として王都の内側から市民に扮装していたらしき敵兵が現れ、内側から門を開放してしまったのです」
帝国軍は食料庫に立て篭もった5百の兵以外に、2百の兵をベルヴァース人に扮装させて王都内に潜ませていた。あれだけ派手に騒ぎを起して立て篭もった護衛兵達すら、敵勢を引き付ける為のただの囮だったのだ。
「なんだと……」
伝令の報告にインサンは呟くと、自身が指揮する兵士達を見渡した。劣勢の中、敵兵を防ぎ続けている者達を。
数万の軍勢に突入されては、到底王都を守り切る事は出来ない。
防衛の指揮を執る能力に劣っていた訳ではない。兵士が無能だった訳ではない。皇太子の見舞いと称し王都に入り込んだ敵兵を制限しなかった重臣達の責任だった。
こうして近衛兵隊長インサンと配下の近衛兵達は、その能力の及ばぬ事によって敗れ、ベルヴァース王都は帝国軍の手に落ちたのだった。